第17話:甘い包囲網と、放課後のカウンター
「――あら、音無くん。奇遇ね」
鳳凰高校の昇降口。
一葉の実家へと向かうため、校舎を出ようとした俺の前に、すっと滑り込んできた人影があった。
一ノ瀬莉央だ。
放課後の夕日を背に受け、制服のカーディガンを少し崩して着こなした彼女は、楽しそうに瞳を細めていた。
「奇遇も何も、下校の時間が被っただけだろ。何か用か、一ノ瀬」
「用がなきゃ話しかけちゃ駄目? 冷たいわねぇ。私はただ、転校生としてクラスメイトと親睦を深めたいだけなんだけど」
莉央はくすりと笑いながら、ごく自然な足取りで俺の真横に並び、歩幅を合わせて歩き始める。
校門へと続く並木道。周囲の生徒たちが「え、音無くんと一ノ瀬さん……?」「またあの二人、一緒に歩いてる……」とざわめくのが分かった。
「……周囲の目が気になるなら、少し離れて歩くか?」
「どうして? 私、人の目なんて気にしたことないわ。それに……あなたのその落ち着いた佇まい、やっぱり素敵よ。これまで会ったどんな男子生徒よりも、ずっと惹かれる」
挑発的でありながら、どこか真っ直ぐな瞳。
莉央は俺の能力や容姿に素直な興味を示し、距離を詰めてくる。かつて『非モテ』を演じ、誰からも見向きもされなかった頃を思えば贅沢な悩みかもしれないが、俺の隣に並び立つべき存在は、もうはっきりと決まっていた。
「褒めてもらえるのは光栄だけど、俺は――」
「――そこまでにしてもらおうかしら、一ノ瀬さん」
静かな、けれどよく通る声が、校門の前から響いた。
待ち合わせ場所で待っていた一葉が、愛用の日傘を少し傾け、凛とした立ち姿でこちらを見つめていた。
学校での『生徒会長』としての冷徹な顔。けれど、その瞳の奥に小さな焼きもちの炎が揺らめいているのを、俺は見逃さなかった。
「椎名さん。ごきげんよう。音無くんと偶然、帰り道が一緒になったのよ」
「偶然、ね。……タカヒロくん、お待たせ。行きましょうか」
一葉は莉央の言葉を軽く受け流すと、迷いのない足取りで俺の元へと歩み寄ってきた。
そして、莉央の目の前で、そっと俺の左手を両手で包み込む。
「えっ、一葉……?」
「もう……タカヒロくんが油断してるから、変な虫がついちゃうじゃない」
一葉は恥ずかしそうに頬を赤らめながらも、キュッと俺の手を握り締め、そのまま指を絡めてきた。
恋人繋ぎ。
生徒会長としての完璧な仮面を脱ぎ捨てた、一人の女の子としての、あまりにも真っ直ぐで力強い主張だった。
「……あらあら」
それを見た莉央が、驚いたように目を見開き、続いて愉快そうに口元を緩める。
「校門前で堂々と手を繋ぐなんて、堅物で有名な椎名さんらしくもないわね。それほど焦ってるの?」
「焦ってなんていないわ。私はただ、自分の大切な人を大切にしているだけ。……一ノ瀬さん、タカヒロくんの『優秀さ』に目をつけるのはあなたの自由だけれど、彼の心は誰かの所有物じゃないの。私の大切な、かけがえのないパートナーなのよ」
一葉の言葉には、棘や過剰な毒はなかった。
ただ、十年間ずっと俺の努力や優しさを見守り続けてきたからこその、重みと誇りが込められていた。
莉央はしばらく一葉の目を見つめていたが、やがてフッと肩をすくめた。
「……ふん。やっぱり面白いわね、あなたたち。いいわ、今日のところは譲ってあげる。でも私、まだ諦めたわけじゃないから。じゃあね、音無くん」
ひらひらと手を振り、莉央は軽やかな足取りで駅の方へと去っていく。
※ ※ ※
静まり返った一葉の部屋。
リビングには、香ばしいハンバーグの匂いが漂っていた。
「……タカヒロくんの、バカ」
夕食を終えた後。
ソファーに並んで座るなり、一葉は俺の胸元に顔を埋めて、小さく呟いた。
校門で見せた強気な姿はどこへやら、今の彼女は耳まで真っ赤にして、俺のシャツの裾をキュッと握り締めている。
「一葉、校門では助かったよ。ありがとう」
「……私だって、本当はすごく恥ずかしかったんだから。校門であんなことをするなんて、生徒会長失格よ……」
「そんなことない。すごく嬉しかったよ、一葉の気持ち」
俺が素直に思いを伝えると、一葉はハッと顔を上げ、潤んだ瞳で俺を見つめてきた。
「本当に……? 迷惑じゃなかった……?」
「迷惑なわけないだろ。俺を助けようとしてくれたんだし、何より……一葉に手を繋いでもらえて、胸が痛いくらい跳ねてたんだから」
「~~~っ!」
一葉は一気に顔を沸騰させ、両手で顔を覆ってソファーの上に丸まってしまった。
その初々しく愛らしい姿に、俺の胸の中に温かな愛おしさが込み上げてくる。
「一葉」
「な、何……?」
俺は少し緊張しながらも、そっと一葉の手を握り返した。
「一ノ瀬がどうアプローチしてこようと、俺の心が揺れることはないよ。俺が一番大切にしたいのは、これまでも、これからも、一葉だけだ」
真っ直ぐに思いを伝えると、一葉はそっと指の間から目を覗かせ、嬉しそうに涙を浮かべて微笑んだ。
「うん……! 私も、タカヒロくんのことが大好きだよ……!」
外の世界でどんな波瀾が起ころうとも、俺たちが紡いできた温かな絆は、何ものにも侵されない。
二人で歩む新しい未来へ向かって、俺たちの歩みはゆっくりと、けれど確実に重なっていくのだった。
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