第16話:迫る旋風と、放課後のひそやかなおねだり
一ノ瀬莉央が宣戦布告とも取れる言葉を残して去った翌日。
2年B組の教室の空気は、どこか浮足立ったままだった。
「おい、音無。一ノ瀬さんとどういう知り合いなんだよ?」
「聖華女子のトップクラスが転校してきただけでもヤバいのに、いきなり音無のところに行くとか……」
休み時間、俺の席の周りには、好奇心に満ちた男子生徒たちが集まっていた。
かつてなら「いや、ただの勘違いじゃないかな」と苦笑いして濁していただろう。だけど、もう自分を偽る必要はない。俺はノートにペンを走らせながら、自然体で静かに言葉を返した。
「先日の合同研修会で少し話しただけだよ。彼女はただ、他校の生徒会に興味があったんじゃないかな」
「でもさ、あの『専属参謀』云々って話……」
男子たちがなおも食い下がろうとしたその時、ガラリと後ろのドアが開いた。
「皆さん、朝の読書時間が始まりますよ。自分の席に着いてくださいね」
通りかかった一葉の声だった。
凛とした『氷の女王』としての完璧な佇まい。だが、彼女の視線がチラリと俺のノートに向けられ、ほんの一瞬だけ、ふっと柔らかく和らいだのを俺は見逃さなかった。
周囲の男子生徒たちは「あ、はい! 会長、すみません!」と大慌てで自分の席へと散っていく。
嵐の予感は確かに漂っている。だけど、俺たちの日常は、まだこうして静かに守られていた。
※ ※ ※
放課後。
カチャリ、と小気味よい音を立てて生徒会室の鍵が閉まる。
「――ふぅ……。今日も無事に終わったわね」
ドアノブから手を離した一葉が、深いため息をつきながら振り返った。
先ほどまでの『生徒会長』としての鎧が、スルスルと解け落ちていく。彼女はトボトボと歩み寄ってくると、ソファーに腰掛けていた俺の隣に、迷うことなく吸い寄せられるように座り込んできた。
「お疲れ様、一葉。はい、温かいお茶」
「ありがとう、タカヒロくん……」
一葉はカップを両手で受け取ると、一口含んで「はぁ……」と力を抜いた。
そして、そのまま俺の二の腕にすり寄るようにして、自分の頭を俺の肩へ預けてくる。ふわりと漂う、いつもどおりの優しいシャンプーの香り。
「ねえ、タカヒロくん」
「ん? どうした?」
「一ノ瀬さん……今日も授業中、ずっとあなたのことを見ていたでしょう?」
お茶を飲み終えた一葉が、少しだけむすっとした顔で俺を見上げてきた。
一ノ瀬莉央の席は俺の目の前だ。確かに授業中、たまに振り返っては不敵な笑みを向けてくることはあった。
「俺は前方の黒板を見ていただけだよ。一ノ瀬のことは気にしてない」
「分かってる。分かってるんだけどね……? 私、あの子の目を見たら分かるの。本気でタカヒロくんの『頭脳』と『優秀さ』を狙ってるんだわ。……私だって、あなたがどれだけすごいか、十年前から知ってたのに」
一葉はそう言って、抱き締めている俺の腕にギュッと力を込めた。
学校では誰もが憧れる完璧な生徒会長。だけど、俺の前でだけ見せるこの、ちょっぴり子供っぽくて、だけどどこまでも一途な焼きもち。
裏切られた過去の傷を、どこまでも真っ直ぐな好意で埋めてくれた一葉の存在が、俺の中で日に日に大きくなっているのを実感する。
「心配しなくていいって。俺のパートナーは、最初から一葉だけだ」
「……口だけなら、なんとでも言えるんだから」
一葉はぷいっと横を向くふりをしながらも、耳を真っ赤に染めていた。
そして、少しだけ逡巡するように指先を弄んだ後、意を決したように俺の服の裾をきゅっと引っ張った。
「じゃあ……証拠、頂戴?」
「証拠?」
「うん。……今日は、私のお家で夕飯を食べていって? 私、タカヒロくんの好きなハンバーグ、頑張って作るから。……だから、今夜はもう少しだけ、私に甘えさせてほしいの」
上目遣いで、少しだけ恥ずかしそうにおねだりしてくる一葉。
そこには他校に対する敵意も、過剰な独占欲もない。ただ、大好きな人を想う一人の女の子としての、素直な好意だけがあった。
「ああ、もちろん行くよ。一葉の手料理、楽しみにしてる」
「ふふ、やったぁ……!」
俺が優しく微笑んで頷くと、一葉は一気に顔を輝かせ、嬉しそうに俺の腕を両手で抱き締め返してくれた。
一ノ瀬莉央がどんなアプローチを仕掛けてこようと、外の世界でどんな嵐が吹こうと。
俺と一葉が紡いできた温かい絆は、誰にも壊せない。
夕暮れの生徒会室。
オレンジ色の光が差し込む中で、俺たちは互いの体温を確かめ合うように、静かに、そして深く寄り添い続けるのだった。
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