第15話:宣戦布告と、譲れない聖域(サンクチュアリ)
「――ふーん。思った以上にガードが固いのね、鳳凰高校の生徒会長さんは」
数日後の放課後。
一葉が職員室への書類提出で席を外した、わずかな隙。生徒会室の前に立ち塞がった一ノ瀬莉央は、腕を組んで不敵な笑みを浮かべていた。
俺――音無崇広は、カバンを肩にかけたまま、莉央の鋭い視線を受け止める。
分厚い眼鏡を外した今の俺にとって、他人から向けられる値踏みするような視線は、もう恐れるものではない。背筋を伸ばし、冷徹なまでに落ち着いた声で問い返す。
「一ノ瀬。生徒会室に用がないなら通してくれないか。鍵を閉めて下校する時間だ」
「用ならあるわよ、音無くん。あなたにね」
莉央は一歩、俺との距離を詰めてきた。
彼女から漂うのは、柑橘系のすっきりとした、それでいてどこか攻撃的な香水の香り。
「お姉ちゃんから聞いた予算会議のデータ、私も見たの。あの複雑な数式と予算配分を瞬時に組み替えるなんて、普通の高校生の頭脳じゃないわ。聖華の特進クラスの連中だって足元にも及ばない。……ねえ、なんでそんなチートスペックを持ってて、今まで隠してたの?」
「静かに過ごしたかっただけだ」
「ますます興味深いわね。そんな面白い男の子、椎名さんに独占させておくなんて、もったいないと思わない? 私、退屈な日常が大嫌いなの。だから――」
莉央は俺の胸元に人差し指をトントン、と当てて、挑発的に微笑んだ。
「あなたを私の『専属参謀』としてスカウトしに来たの。私が次の鳳凰高校の生徒会長になったら、あなたを外部役員として迎え入れてあげる。椎名さんより、私の方があなたを上手く使いこなせるわよ?」
それは、明確なスカウトであり、同時に一葉に対する宣戦布告だった。
能力を解放した結果、外の世界の優秀な人間が俺の価値に目をつけ、引き剥がそうと動き始めている。
だが、俺の答えは、莉央がスカウトを持ちかけた時点ですでに決まっていた。
「断る。お前が俺をどう評価しようが勝手だが、俺の隣はもう、先約で埋まってるんだ」
「……へえ?」
「それに、俺を『使いこなす』なんて傲慢なことを言わないでくれるかしら、一ノ瀬さん?」
廊下の角から、コツン、コツンと硬い足音が響いた。
現れたのは、いつも通りの完璧な微笑みを浮かべながらも、瞳の奥に絶対零度の殺気を宿した一葉だった。
彼女は迷うことなく俺の隣へと滑り込み、俺の右腕を自分の両手でギュッと抱きしめた。制服越しに伝わる彼女の柔らかな体温が、莉央の攻撃的な気配を瞬時に遮断する。
「椎名さん、戻るのが早いのね」
「当然でしょう? タカヒロくんを狙う不届きな泥棒猫が、勝手に我が生徒会の聖域を汚そうとしているんですもの。一ノ瀬さん、タカヒロくんは私の『特別』。あなたの退屈しのぎのオモチャにするために、彼の優秀な頭脳があるわけじゃない。……二度と、私の男に気安く触れないで」
一葉の放った『私の男』という言葉に、莉央は一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから「くすっ」と愉快そうに笑った。
「なるほど、噂どおりの独占欲ね。面白いわ……。音無くん、今日のところは引いてあげる。でも、私、欲しいものは絶対に手に入れる主義だから。またね」
莉央はひらひらと手を振りながら、廊下の向こうへと去っていった。
※ ※ ※
嵐が去ったあとの生徒会室。
カチャリ、と一葉が完璧な手際で施錠を終えた、その瞬間。
「――タカヒロくんの、ばかぁっ!!」
一葉は泣き出しそうな顔で、俺の胸の中に飛び込んできた。
その勢いのままソファになだれ込み、俺を押し倒すような形で一葉が上に乗っかる。彼女の艶やかな黒髪が俺の顔に降りかかり、甘い香りが俺の意識を完全に支配した。
「一葉、俺はちゃんと断っただろ」
「知ってるわよ! タカヒロくんが『先約で埋まってる』って言ってくれた時、嬉しくて心臓が止まるかと思ったんだから……っ! でも、悔しいの! あの女、タカヒロくんの胸に触ったでしょう!?」
「触ってない。指先で小突かれただけだ」
「同じよ! タカヒロくんの身体に触れていいのは、私だけなの! 私の十年の想いと、今の新しい恋の特権なんだから……っ!」
一葉は俺の胸に顔を強く押し付け、ギュッと俺の服を掴んで離さない。
学校では誰もが畏敬の眼差しを向ける、完璧な生徒会長。その彼女が、俺の前でだけ見せる、狂おしいほどの執着と独占欲。
美咲に裏切られて空っぽになりかけた俺の心は、今や一葉のこの『重すぎる愛の檻』の中で、これ以上ないほどの幸福感に満たされていた。
「一葉。俺はもう、お前以外の女の子なんて目に入らないよ。だから、安心しろ」
「……本当? 本当に、私だけのタカヒロくんでいてくれる?」
「ああ。約束する」
俺が彼女の背中に腕を回し、強く抱きしめ返すと、一葉は熱い吐息を漏らしながら、俺の首筋にそっと顔を埋めた。
新しく現れたライバル――一ノ瀬莉央の登場によって、俺たちの学園生活はさらに激動の渦へと巻き込まれていく。
だが、俺と一葉の絶対的な絆は、誰が来ようとも、どんな誘惑があろうとも、決して揺らぐことはない。
新たな嵐を跳ね除け、俺たちは真のヒロインによる『完璧な溺愛の王国』の完成へと、さらに加速していく。
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