第12話:新しい風と、それぞれの歩幅で進む場所
鳳凰高校に、季節外れの転校生がやってくる――。
そんな噂が朝から校内を駆け巡っていたが、今の俺にとって、そんな周囲の雑音はどうでもいいことだった。
「音無くん、おはよう! 今日の英語の課題、ここがどうしても分からなくて……もしよかったら教えてくれない?」
「あ、ずるい! 私も数学のノートを見せてもらおうと思ってたのに!」
登校直後の2年B組の教室。
俺の席の周りには、当然のように複数のクラスメイトが集まっていた。
かつて髪をボサボサにして気配を消していた頃には、考えられない光景だ。演じるのをやめて周囲の反応が変わったことには、まだ少し照れくささもあるけれど、俺は気負うことなく、自然体で丁寧に勉強を教えていく。
「ここは公式をそのまま当てはめるんじゃなくて、先に因数分解すると楽だよ」
「わぁ……本当だ! 音無くん、教えるの上手すぎ!」
そんな賑やかな輪の向こう。
教室の入り口から、美咲が登校してくるのが見えた。
彼女は俺の席に集まる生徒たちを一瞬だけ切なげに見つめたが、すぐにふっと柔らかく微笑み、前を向いた。見知らぬ女の子と並んで席に着き、嬉しそうに小テストの範囲を確認し合っている。
かつて一軍の女王として君臨し、周囲に傲慢に振る舞っていた彼女は、もういない。新しい人間関係を少しずつ築こうとしていた。
(……頑張れよ、美咲)
俺は心の中で小さく呟き、自分の手元のノートへ視線を戻した。
もう、俺たちの道が交わることはない。恨みも未練も、すべてはあの雨の夜の向こう側に置いてきた。だけど、かつて十年間を共にした幼馴染が、過ちを猛省して前を向こうとしている姿には、そっとエールを送りたかった。
※ ※ ※
「――まったく、タカヒロくんは本当に油断も隙もないんだから」
放課後。
すっかりおなじみとなった生徒会室のソファで、一葉はむすっとした顔をしながら、俺の二の腕を指先で突いていた。
もちろん、部屋の鍵はカチャリと完璧に施錠されている。
「また朝から女の子たちに囲まれていたでしょう? 生徒会長の耳には、全部入っているんだからね」
「勉強を教えていただけだよ。一葉が俺の非モテ要素を無理やり解放させたせいだろ?」
「それはそうだけど……でも、私の知らないところでタカヒロくんがどんどん他の人に『優しい男の子』だって知られていくのは、やっぱり少しだけ焼きもちを焼いちゃうの」
一葉は小さくため息をつきながら、俺の胸元にコツンと頭を預けてきた。
さらりとした黒髪から、いつもどおりの甘い香りが漂い、俺の心を芯から解きほぐしていく。
一葉は俺の腕をきゅっと抱き締め、少しだけ不安そうな、だけど愛おしさに満ちた瞳で俺を見上げた。
「ねえ、タカヒロくん。来週から、他校の生徒会との合同研修会が始まるの。鳳凰高校の代表として、私と、それから『副会長補佐』として、あなたにも出席してもらうわ」
「俺も? まだ入ったばかりの平役員なのにか?」
「いいの。今のタカヒロくんの実務能力は、うちの生徒会で私に次ぐナンバーツーなんだから。それに……外の世界の人たちにも見せつけてあげたいの。私がずっと大切に想ってきた、世界一格好よくて優秀な、私の『特別な人』をね」
一葉はそう言って、少し照れくさそうに、それでいて深い愛情を込めて微笑んだ。
美咲に裏切られて傷ついた俺の心の隙間は、今や一葉という少女の、どこまでも真っ直ぐで温かい好意によって、優しく満たされていた。
「分かったよ、会長。お望みのままに、お供させてもらう」
「ふふ、よくできました。じゃあ、今夜は研修の予習も兼ねて、また私の家で『お勉強会』をしましょうね? ……ちゃんと、最後まで付き合ってもらうんだから」
耳元で囁かれた一葉のはにかんだ声に、俺は優しく微笑みながら「ああ、よろしく」と頷いた。
過去の後悔をそれぞれが乗り越え、俺たちの舞台はさらに外の世界へと広がっていく。
一葉の手をしっかりと握り返しながら、俺は新しい未来へ向かって、確かに一歩を踏み出すのだった。
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