第9話:二人の距離と、小さな独占欲の境界線
あのおうちデートの夜を境に、一葉の俺に対する距離感が『限界突破』していることだけは、鈍感な俺でも嫌というほど理解できた。
「はい、タカヒロくん。今日の放課後は生徒会の予算会議があるから、その前に糖分補給ね。あーん」
「……一葉、頼むから生徒会室の外に誰もいないか確認してからにしてくれ。役員のメンバーが通りかかったらどうするんだ」
放課後の生徒会室。
一葉は自分のデスクからわざわざ俺の隣のソファへと移動し、甘いチョコレートを俺の口元へと差し出していた。
学校での彼女は、相変わらず凛とした完璧な生徒会長だ。だが、この部屋で二人きりになった瞬間に切り替わる『極上の甘やかしモード』に、俺の心臓は毎日悲鳴を上げっぱなしだった。
「いいじゃない。誰も入ってこないように鍵はかけてあるわ。それとも……私からの『あーん』は、そんなに嫌?」
一葉はチョコレートを持ったまま、少しだけ潤んだ瞳で俺を見つめてくる。
上目遣いで、どこか寂しそうなその表情。それが計算なのか本気なのか、今の俺には判別がつかない。ただ、そんな顔をされて断れるほど、俺の心臓は強くなかった。
「……嫌なわけないだろ。あーん」
「ふふ、よくできました」
チョコレートが口の中で甘く溶けていく。それと同時に、一葉は満足そうに微笑み、俺の右腕を自分の両手でギュッと抱きしめてきた。
制服越しに伝わる、女の子ならではの柔らかさと温もり。
美咲の隣にいた頃は、常に『冴えないモブ』としての距離感を保つために神経をすり減らしていた。だが、一葉の隣にいる今は、彼女の圧倒的な全肯定と包容力に、自分の理性を保つために別の神経をすり減らしている。
「タカヒロくん。私ね、今の状況がすっごく幸せ。でも……ちょっとだけ、欲張りになっちゃいそうなの」
「欲張り?」
一葉は俺の肩に頭を預けたまま、小さく呟いた。
「学校の女の子たちが、あなたを見る目が変わったでしょ? 『音無くん格好いい』とか『もっと話してみたい』とか……。私、それがすっごく嫌。タカヒロくんの本当の価値は、私だけのものだったのに。世界中に見つかっちゃったみたいで、悔しいの」
彼女の言葉に宿る、剥き出しの独占欲。
美咲に裏切られて空っぽになりかけた俺の心に、一葉のその『重すぎる愛』は、恐ろしいほど心地よく染み渡っていった。
誰かにこれほど求められ、執着されることが、これほどの安心感を生むなんて知らなかった。
「心配しすぎだよ、一葉。俺が今ここにいるのは、お前が手を引いてくれたからだ。他の誰かが何を言おうと、俺の『特別』は一葉だけだよ」
「……っ! も、もう、またそういうことサラッと言う……!」
俺の真っ直ぐな言葉に、一葉は一気に顔を真っ赤にすると、俺の腕を抱きしめたままソファに突っ伏してしまった。
赤くなった耳を隠そうとする、その初々しい仕草がたまらなく愛おしい。
美咲への初恋は、あまりにも最悪な形で終わった。
だけど、その過去の瓦礫の上に、俺と一葉の新しい関係が、確実に、そして深く根を張ろうとしていた。
カタン、と生徒会室のドアの向こうで、誰かが通り過ぎる音がする。
俺たちは静かな部屋の中で、互いの体温を確かめ合うように、さらに深く寄り添い続けた。
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