2. 物価崩壊のユートピア
街の中央市場に足を踏み入れると、そこには中世ヨーロッパ風の石畳と、どこか見覚えのある「現代的なノイズ」が絶妙にブレンドされた奇妙な光景が広がっていた。
露店の軒先には、手書きのPOPで『朝採れワイバーンエッグ:1玉 3円』『農家直送・世界樹の若芽:1束 2円』といった、経済学者が卒倒しそうな価格設定が踊っている。隣の武器屋では、伝説のオリハルコン製の剣が「在庫処分特価:500円」でワゴンセールにかけられ、そのすぐ横の魔導自販機では、冷えた缶コーヒーが5円で売られていた。
「いつ見てもこの街の物価は、僕の常識を心地よく破壊してくれるよね」
トールは、1円玉が数枚入った小銭入れを揺らしながら、吟味するように露店を回った。
今日の献立は、最高級の「霜降りビッグフット肉」を使ったステーキと、幻の「黄金米」のピラフ。本来なら一国の王が贅を尽くして食べるようなメニューだが、ここでの仕入れ値は三人分合わせても30円に満たない。
「トール、見て! あっちの串焼き、1本1円だって! 100円握りしめていけば、死ぬまで食べ続けられるんじゃないかな!?」
ライラックが目を輝かせ、よだれを拭いながらトールの袖を引く。彼女にとってこの世界は、まさに終わることのないフルコースの会場だった。
「ライラック、落ち着いてください。あそこの串焼きは昨日から売れ残っている『見切り品』です。私の計算によれば、あと10分待てばタイムセールで『10本 5円』まで値下がりします。今はまだ『買い』ではありません」
背後から冷静な声をかけたのは、ノートPC型の魔導端末(ソーラーパネル搭載)を小脇に抱えたリーマルだ。彼はこの世界の経済流通を完全に把握している。
「さすがリーマル。でも、そんなに安くて店の方はやっていけるのかい?」
「ええ。この世界は魔力による超効率生産と、なぜか現代日本から定期的に流れ込む『円』の貨幣価値がバグを起こしているんです。結果として、私たちは100円玉ひとつで、この大陸で最も豪華なパーティーを開くことができる。まさに、食いしん坊のためのユートピアですよ」
トールは、リーマルから渡された「本日の最安値マップ」を頼りに、1円、2円の硬貨をカウンターに置いていく。
最高級の岩塩、異世界の魔力が詰まった極上のハーブ、そしてリーマルがどこからか調達してきた「キッコーマンの卓上醤油(10円)」。
「よし、材料は揃った。ライラック、今日は豪華に『A5ランク・ドラゴン牛のサイコロステーキ丼』だ。総予算は……贅沢に50円も使っちゃったよ」 「ご、50円!?
トール、そんなに奮発して大丈夫!? 明日の分の1円玉、なくなっちゃわない!?」
ライラックが驚愕の声を上げるが、トールは笑ってフライパンを火にかけた。 1円で大金持ち気分。10円で貴族。100円あれば国家予算。
そんな歪で幸福な経済圏のなかで、トールが振るうフライパンからは、およそ50円とは思えない、天国のような香りが立ち上り始めた。
「さあ、冒険の時間だ。トラブルで腹が減る前に、最高の贅沢をしようじゃないか」
トールが魔法のコンロ(単三電池一本で一年稼働)の火力を強めると、黄金の脂が弾け、異世界の市場に現代の幸せな食卓の音が響き渡った。




