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セックスとクローゼット  作者: 劉白雨


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第肆話


 真梨の男漁りは若い頃のように手当たり次第になっていた。まるで水を得た魚のようにだ。

 だが、その手口は昔とは異なり、狡猾を極めた。

 若さという武器はなくなったものの、美貌という武器は健在で、芸能人という立場も大いに活用した。


 男たちは、芸能人である真梨とお近づきになりたいと寄ってくるので、業界のコネをちらつかせながら、ベッドへといざなう。

 そして、クローゼットに放り込めば、後腐れ無い不倫が完遂するのだ。


 しかし、クローゼットで後腐れ無く証拠隠滅出来るとはいえ、関係性からバレる可能性もあるため、その辺りは慎重に慎重を重ねた。


 これまでは、口が堅く、自らバラすことがないような男を選んでいたため、どうしても関係性が近くなりがちだった。

 だが、今は逆に関係性が近すぎると、失踪事件として取り扱われた時に、疑いの目が及ぶ可能性が高くなるのだ。

 だからこそ、逆に関係性の薄い、街でナンパしてくるような男にシフトしていったのだ。


 クローゼットは確実に男たちを消してくれた。だから、真梨は安心して男たちを連れ込んだ。

 これまでは、将司が帰宅したタイミングで男たちをクローゼットに押し込んだが、今では、なんだかんだ理由を付けて、クローゼットに押し込む方法を色々と考えた。証拠隠滅のために、将司が帰宅して鉢合わせしなくても、男を消す方法を色々画策するまでになっていた。


 そんな日々が続いていたある夜、どこからともなく呻き声が聞こえてきた。

 低く唸るような、声であることを辛うじて判別出来るような音だ。

 もちろん、意味のある言葉ではないし、音も判別は付かない。ただただ「あ……う……」と呻く声である。


 眠っていた将司がその怪しい声に気づいて、目を覚ました。

「おい、真梨、真梨起きて。」

 将司は隣に眠る真梨を揺り起こした。

「な~に、あなたぁ~。」

 真梨は眠そうな声で寝返りを打ち、再び眠りにつこうとする。

「ちょっと、変な声が聞こえないか。」

 将司は、再び真梨を揺り動かし、たった今聞こえた変な声について尋ねる。

「そんな声しないわよ。あなたの空耳じゃないのぉ。」

 真梨は目を開けようともせず、邪魔くさそうにする。

 真梨は眠いのもあるし、その声がクローゼットから聞こえるなんて言われたら、何を口走ってしまうか分からないから、真梨は恍けたのだ。


「空耳かも知れないから、お前に確認してるんじゃないか。何か聞こえないか。」

 そんな真梨に根気よく将司は聞いた。

「しないわよ。」

 それでも、真梨は邪魔くさそうに、耳をそばだてることもせず、明後日の方向を向いて眠りにつこうとしていた。

「そうか。それなら良いんだけど。」

 将司はそう言って、真梨に聞くのを諦めた。耳は奇妙な呻き声を捉えてはいたが、気のせいだと自分に言い聞かせて、将司も無理矢理目を瞑り眠りについた。


 しかし、異変はそれで終わりではなかった。

 日に日に呻き声ははっきり聞こえるようになり、真梨の耳にも届くようになっていた。

 ただ、将司の耳には空恐ろしい声に聞こえているのだが、真梨の耳には心地よい甘い声に聞こえるのだ。


 呻き声のようなものが聞こえると言うことで、二人は同意したが、その聞こえ方の違いには違和感を覚えた。特に将司には、何か恐ろしい陰謀か、謀略か、はたまた策略のような、何か得体の知れない裏の存在を感じていた。


 そんな日々が続いたある日、将司は「タ……テ」と聞こえたような気がした。

 一瞬だけで、ハッキリとは聞こえなかったが、その声はゆっくりと、低い声で、何か助けを呼んでいるように感じた。


 毎晩のように、隣で寝ている真梨を起こすので、真梨はいい加減にしてくれと、最近では少し険悪になりつつあって、将司は起こすのを躊躇ためらったが、流石に助けを呼ぶ声が聞こえてしまっては、起こさない訳にはいかない。


「真梨、起きて、真梨。」

 将司は真梨を揺り起こす。

「もう、いい加減にしてよ。……どうしたのよ。」

 真梨は少し苛ついている。

「声が聞こえたんだよ。」

「また?」

「今日は呻き声じゃないんだ。『タスケテ』って聞こえたんだよ。」

「そんな声、聞こえる訳ないじゃない。ホラー映画の見過ぎじゃないの。」

 真梨は小馬鹿にしたように言う。心底ウンザリといった感じだ。

「いや、ホントなんだって。」

 将司は信じて貰えないことに苛立ち、声をあららげそうになるが、無理に起こしている手前、そこはぐっと堪えた。


 真梨は将司の言うことを信じていなかった。真梨にはバレては困る後ろめたさがあるから、余計に突っ慳貪(つっけんどん)になっていた

 日に日に険悪になっていく仲をどうにか修整したいと思う将司だったが、坂道を転げ落ちていくように、二人の仲は加速度的に険悪になっていった。


 その後も毎日のように怪しい呻き声は聞こえてきた。

 どこから聞こえてくるのかは、将司には分からなかったが、不気味であることは変わりなかった。

 最初は「タ……テ」としか聞こえず、それも一度だけしか聞こえていなかった意味を持つ声が、徐々に意味をなし、ハッキリと「タスケテ」と聞こえるようになるまで、然程の日数は掛からなかった。

 しかし、将司にとっては毎晩のことで、ノイローゼになりそうな程、長い時の流れを感じていた。夜寝室に入るのさえ恐怖を覚え、真梨を抱いた時でさえ、気持ちが乗らず、セックスに満足することもなくなっていた。


 それから数日後、二人の仲が戻ることが出来ない閾値を超えてしまう出来事があった。

 その日も、将司は夜中過ぎに声を聞いた。これまでも「タスケテ」とか「カエセ」とか恨み辛みの声が聞こえていて、その度に真梨を起こしてしまっていたが、この日は寝苦しい夜で、真梨も起きていた。


「ほら、今聞こえただろ。」

 将司は自分の正しさが証明出来た安堵と、その声の不気味さから感じる恐怖に言い知れぬ感情を抱いていたが、真梨にはハッキリとさせておきたかった。これ以上関係が悪化したくなかったからだ。


 だが、真梨の反応はまったく将司の予想外だった。

「なによ、こんな声に怯えてたの。」

 真梨の態度は、完全に将司を馬鹿にしていた。

「いや、大の男だって怖いものは怖いんだよ。ましてや、得体の知れない声だぞ。そんな言い方をするなんて酷いじゃないか。」

 将司はあまりの仕打ちに、これまで我慢してきたものが決壊したような気がした。

「だって、こんな甘ったるい、愛を囁くような声に恐怖を感じるなんて。百歩譲って不気味なのは良いとして、恐怖を感じるなんて、あなたこそどうかしているわ。」

 真梨は完全に将司の堪忍袋の尾を切った。

「どこが愛を囁くような声だよ、助けを呼んだり、恨み辛みの声だぞ、恐怖を覚えない方がどうかしているだろ。そこまで言うことないじゃないか。

 別に、この恐怖を癒やして欲しいとか、助けてくれとか言ってるんじゃない。ただ、不気味だから情報を共有して、何か対処方法を考えようと思ったんじゃないか。それを、そんな言い方することないだろ。

 それともなにか、この声は、君が仕込んだドッキリか何かなのか。それとも何か僕に言えないような隠し事でもあるのか。」

「なんでそんな話しになるのよ。私があなたにいつ隠し事をしたって言うのよ。」

 売り言葉に買い言葉で、真梨は声を荒らげて反論した。むしろ図星だったことが、余計に真梨を苛立たせたと言っても良い。


「確かに、君は僕に隠し事をしていないかも知れない。だけど、最近の君はどこかおかしいんだよ。機嫌の悪い時だってあるだろうし、笑顔でいられない日だってあるだろう、口をききたくないことだってあるかも知れない。でもさ、もう少し思いやりをもって接しても良いんじゃないのか。少しは心配するとか、気持ちに寄り添うとか。

 それが、なんだよ。そんな態度。

 ……もう良い。俺は下で寝る。」

 将司は捲し立てるだけ捲し立てて、ローブを羽織ると寝室を出て行ってしまった。


「何よ、あの態度。そんなに怒ることなの?たかだか変な声が聞こえてくるだけじゃない。それも甘ったるい声で、愛を囁くような言葉を言ってるだけなのに。あんなに臆病者だとは思わなかったわ。」

 真梨はそう言ってふてるように眠りについた。


 翌朝、真梨は少し遅く起きた。

 将司は既に出勤した後で、リビングには将司のローブが脱ぎ捨てられていた。

 真梨は、いつもなら何も言わず片付けるのだが、昨日の今日だ、そのままにして、出かける準備をして、仕事へと出かけた。


 その日から数日間、真梨は寝室のベッドで、将司はリビングのソファーで寝るという、家庭内別居状態が続いた。

 真梨もドラマの収録が佳境に入り、完全に将司とすれ違う生活になってしまっていた。


 そして、ついにその日は来た。

 真梨は、久々に男を連れ込んだ。スポンサーの営業マンで、上司に付き添いで来ていた男だ。まだ20代前半で、仕事をこれから覚えようとしている人で、まだ男の子という言葉が似合う年頃で、名前は空良そらと言った。


 空良は緊張しながらも、真梨の言いなりだった。

 将司とはここ何日もセックスをしていなかったので、真梨の身体は欲望の渇きを癒やすかのように、貪欲に空良の身体を欲した。熱く、激しく、気が遠くなり、意識が飛びそうな程空良の身体を求めた。

 気がつけば、夕方を過ぎ、夜が更けようとしていた。


「今何時?」

 真梨はヘッドボードに置いてある時計を見ようと身体を起こした。その時だった。

 寝室の扉が開いたのだ。

「真梨、お前何してんだ!!」

 そこには将司が鬼の形相で立ち尽くしていた。

「何って、何よ。」

 真梨は寝ぼけていて、一瞬何を言われているのか分からなかったが、隣に寝ているのが将司ではない、別の男、空良であることが頭に蘇ると、少し慌てた。


「お前、男を連れ込んでいたのか!」

 将司の声は、声量を抑え込んではいたが、その声は怒りに満ちあふれていた。

「良いじゃない。あなたが私をほったらかしにするのが悪いのよ。あなたにそんなことを言われる筋合いはないわ。」

 真梨は売り言葉に買い言葉で、開き直る。

「なんだと、少しは反省しているかと思えば、開き直るのか。」

「だからなんだって言うのよ。」

 二人の口喧嘩は熱を帯び、激しさを増していき、今にもつかみ合いになりそうな勢いになっていた。


 それを真梨の向こう側、ベッドの上で見ていた空良は、どうして良いか分からずオロオロしていた。

「君、この男をそこのクローゼットに放り込んで。」

 真梨は空良に命じた。

「えっ、でも……。」

「良いからやるのよ!」

 真梨は、声を荒らげた。


 将司が真梨に掴み掛かろうとしていた矢先、空良は真梨と将司の間に入り込み、将司を押さえ込んだ。空良の方ががたいも良く、歳も若いためか、力比べでは将司に分はなかった。真梨がクローゼットの扉を開けると、難なくそこへ将司を押し込めることに成功した。


「あなたも、その中に入っていなさい。」

 真梨はそう言うと、空良を後ろからクローゼットの中に押し込んだ。

 不意打ちを食らった空良は、もんどり打つように、将司の身体の上に転がり込み、ぐぇっという、何か押しつぶされたような声がしたが、真梨は、そのままクローゼットを閉めきった。


 中からしばらく扉を叩く音や、「出してくれ!」という声が聞こえていたが、次第にそれも途絶えた。

 辺りは再び静寂に包まれ、ただ微かな風の音だけが耳に届く。真梨はベッドサイドに座ったまま、まるで何か大きな事を成し遂げたような充実感と、アドレナリンによる血の滾るような高揚感を鎮めようと、大きく深呼吸をした。


 漸く落ち着いた真梨は、息を潜め、耳を澄ました。

 クローゼットの中から、何か聞こえてこないか、どこかから物音が聞こえてこないか、いつになく慎重になっていた。


 真梨は耳をそばだてた。

 すると、沈黙の奥底で、どこからともなくかすかな音が、真梨の耳に届いた気がした。

 それはまるで、誰かが暗闇の中で唸るような、喉を震わせるような低い呻き、あるいは何かが喉を鳴らすような音だった。


 もしかしたら、確実に消し去ることが出来ていないのか、少し不安になった真梨は、目を細め、耳を澄ませ、神経を研ぎ澄ます。

 音は一度途切れ、何も聞こえなくなっていたが、しばらくしてまた細かく、軽く、床や壁を伝わるように響く。心臓の奥に、冷たいざわめきが走った。


「……誰?……誰なの?」

 真梨は小さく呟く。だが、返事はなかった。


 しかし、音が消えたのではなかった。

 静かだと思った瞬間、クローゼットの扉の向こうから、かすかな呼吸と、微かに湿った音が交互に響き、まるで何か生き物が存在を主張しているかのような音が聞こえた。


 真梨の手は震えた。

 奇怪な音に対する恐怖からなのか、それとも大きな事を成し遂げた開放感からなのか、はたまた、自分の夫を消し去った罪悪感からなのか。

 真梨は震える手をベッドの縁に置き、布団を握り締め、静かに目を閉じる。そして呼吸を整え、平静を保とうとする。


 だが、クローゼットの中からは相変わらず何か怪しい物音が聞こえてくる気がしていた。

 本当に何かがいるのか、それともただの空耳なのか、真梨には判断が付かなかったが、この音に将司は恐怖し、怯えていたのか。真梨はそう改めて感じたのだった。



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