第9話 発覚
今の逃走資金では大分心もとなかった恵一は、慌ててスマホの電源を入れた。
銀行アプリを立ち上げる。
ログイン画面でFace IDが失敗し、パスコードの入力を求められた。
限度額変更の欄に『5,000,000』と打ち込む。
(……本当にこれでいいのか?)
これだけの額を動かせば、銀行のシステムが異常検知のアラートを上げるかもしれない。
自分の首を絞める行為ではないかという疑念と、金がなければ詰むという現実が、脳内で激しく火花を散らす。
恵一は、乾いた喉を鳴らしながら「確定」をタップした。
画面に丸い枠が表示され、自撮りカメラが起動した。
『枠内に顔を収めてください』
アプリが無機質な指示を出す。
銀行のサーバーに、今の自分の顔が吸い込まれていく。
そのログがいつ警察に渡るのか。
認証が通るのを待つ数秒間そんなことを考えていた。
『申請を受け付けました。承認まで1〜2時間程度お待ちください』
とりあえず受け付けはできたので、2時間ほどここで待機してからコンビニに行ってみることにする。
昨夜は興奮と緊張であまりよく眠れていなかった恵一は、少し目を閉じて休むことにした。
…………ハッ!
ウトウトしていたら完全に熟睡してしまっていたらしい。
時計を確認すると12時を回っている。
あわててPCでニュースを確認してみるが、特に事件の記事は出ていない。
「ふう…」ひとまず安堵する恵一。
だが、実はこの時点で捜査はかなり進んでおり、防犯カメラの映像の解析などから犯人が恵一であるということはすでに特定されていた。
しかし、現段階では警察が裁判所に捜索差押許可状を請求している最中であり、警察が恵一の自宅に踏み込む前の段階である為、大々的にニュースになっていないだけである。
恵一は残りの金を下すため、コンビニに行くことにした。
ネットカフェを出ると最寄りのコンビニへ入る。
恵一は周囲を何度も見渡してから、コンビニの隅にあるATMの前に立った。
財布から取り出したプラスチックのカードが、やけに重く感じる。
これを機械の口に差し込めば、自分の居場所が光の速さで警察のモニターに突き刺さる。
そんな妄想が頭をよぎる。
(……いや、まだバレてない。ニュースにもなってないんだ)
自分に言い聞かせ、カードを挿入する。
『カタ……カタカタ……』
機械がカードを飲み込む乾いた音が、静かな店内に響き渡る。
暗証番号を入力し、引き出し金額に『5,000,000』と打ち込んだ。
画面には『処理中』の文字。
【エラー:1日の引き出し限度額を超えています(上限:500,000円)】
「……は?」
指先が冷たくなる。ネットで500万にしたはずだ。残高も十分にある。
だが、いくらボタンを叩いても、機械は「50万」以上の現金を吐き出そうとしない。
スマホで変更したのは「送金」の枠であって、「現金」の枠ではなかったのだ。
『くそ!ふざけんなよ!!』
恵一は心の中で怒り狂った。
正直声を上げて叫びたいところだが、そんなことをしたら店員に不審者だと思われる。
(……早くここを離れなきゃいけない)
一旦冷静になりコンビニの自動ドアを抜け、駐車場に出た瞬間、恵一は凍りついた。
遠くの交差点で、パトカーの赤色灯が音もなく回るのが見えた。サイレンは鳴っていない。
だが、その光は明らかにこの店を目指して、蜘蛛の子を散らすように四方から集まってきている。
道路の向こう側に停まっていた地味なシルバーのセダン。
その運転席で、男が無線機を手に自分を凝視している。
「機捜……」
恵一がATMのボタンを叩いていた数分間。
それは警察にとって、獲物の居場所を特定し、罠を仕掛けるのに十分すぎる時間だったのだ。
恵一はこの時点でようやく理解した。
もはや警察は犯人を自分だと特定していること。
そして、そのことはすでに銀行に通知され、口座が監視対象になっているということをだ。
(どうする?)
正直飛んで逃げるなり、全力ダッシュで逃げるなりすれば警察を振り切るのは容易いだろう。
だが、そんな人間離れした能力を持っているということを警察にみすみす晒すのは極力避けたい。
恵一はここで究極の選択を迫られることになる。




