第二部1話 開戦
決意を固めた日の夕方、恵一は自宅のある街に戻ってきた。
いきなり自宅アパートの横に降り立っても構わなかったが、わざわざ敵に自分の能力を見せる必要もないだろう。
何かの切り札として使えるかもしれないし、限界ギリギリまで能力は隠しておいた方がいい。
しかもここから警察と一戦交えるとなると、長期戦になることは必至だろう。
だからその前に腹ごしらえをしておこうとも考え、自宅からは少し離れた河川敷に降り立ったのだ。
幸いなことに目撃者はいない。
上空から確認して、なるべく人がいなそうな場所を選んだことも功を奏したと言えるだろう。
そこからファミレスに入り、堂々と食事をした。
『警察をつぶす』そう決意してからは一気に気が楽になった。
誰かにバレようが通報されようがどうでもいい。
久しぶりに人前で堂々と食事が出来た瞬間だった。
食事が終わると自宅アパートへ戻ることにする。
もし警察が張り込んでいたのなら予定通り全員ぶちのめす。
いないのであれば、久々に自分のベッドでぐっすり眠る。
この2段構えだ。
だができることなら、この決意が揺らぐ前に警察と一戦交えてしまいたい。
そんなところだろうか。
住宅街の街灯はまばらで、恵一の歩く音だけが響いている。
だが自分の住むアパートの角を曲がった瞬間、周囲の「密度」が変わる。
物陰に停まった、エンジンを切ったままの白いセダン。
後部座席には動かない人の影。
アパートの向かいの公園、遊具の陰でスマホをいじっている風の男たちの視線。
恵一は口元を隠し「ニヤリ」と笑う。
警察は「完璧な包囲網」を敷いているつもりだ。
彼らはインカムで低く共有する。
「マル被(被疑者)現認。……確保に移る。抵抗の隙を与えるな」
恵一はアパートの外階段を上がり、2階の自室の前で鍵をポケットから取り出す。
金属の触れ合うカチャリという音がした瞬間、死角から3人の男が飛び出した。
「警察だ! 動くな!!」
一人が恵一の首を背後から腕で絞め上げ、同時にもう一人が左腕を掴んで背中に捻り上げる。
残りの一人が腰に抱きつき、全体重をかけて地面に押し倒そうとする。
警察の制圧術において、3人がかりで不意を突けば、どんな大男でも地面に這いつくばることになる……はずだった。
「……っ!? 動かねえ……なんだこいつ、重っ……!」
警官たちの顔から余裕が消える。
3人がかりで全力の負荷をかけているのに、恵一の体は1ミリも沈まない。
それどころか、まるで地面から生えた鉄柱を動かそうとしているかのような、生身の人間とは思えない異質な硬質感。
「フッ…」
恵一はうすら笑いを浮かべながら軽く両腕を左右に振る。
「うわぁっ!?」
腕を掴んでいた警官が、まるで紙屑のように1メートル真横へ吹き飛ぶ。
背後から首を絞めていた男は、恵一が軽く頭を左に捻っただけで指の関節が外れ、悲鳴を上げて転げ落ちた。
「公務執行妨害だ! 抵抗するな!」
階段下に待機していた私服警官が、事態の異常を察知し、震える手でサクラ(警察用拳銃)を引き抜く。
「手を上げろ! 撃つぞ! 警告だ!」
恵一は立ち止まり、面倒臭そうに振り返る。
その無防備な態度が、逆に警官の恐怖を煽った。
パァン!
乾いた銃声が夜の住宅街に響く。
警官は「威嚇」のつもりだったが、あまりの恐怖に手元が狂い、弾丸は恵一の胸部へと吸い込まれた。
「……あ」
撃った警官が絶望に顔を白くする。
殺すつもりはなかった。
しかし、次の瞬間、現場を支配したのは「死への後悔」ではなく、「脳が処理できない映像」へのパニックだった。
恵一の胸に当たった弾丸は、肉を裂く音ではなく、「キンッ」という硬質な金属音を立てて弾け飛んだ。
恵一の安っぽいTシャツには小さな穴が開いたが、その奥に見える皮膚には赤みすら差していない。
床に転がったのは、完全にひしゃげて平たくなった鉛の塊。
恵一は、自分のシャツに穴が開いたのを悲しそうに見つめ、それから警官を真っ直ぐに見た。
「……これ、お気に入りだったんだけど」
銃を構えていた警官の膝が、ガクガクと音を立てて崩れる。
彼は「凶悪犯」を捕まえに来た。
だが、目の前に立っているのは、銃弾よりも硬い皮膚を持ち、物理法則をその存在だけで否定する「何か」だった。




