1-5 ラグト
「どうやってって、えっと……普通に入ってきたけど」
「普通にって、わたしの後ろを付いてきたってこと……?」
疑うように問いかけると、少年は当たり前のことを聞かれたと言わんばかりに、こくりと頷いた。その返事に、アマリリスの表情が「ありえない」と語っている。
「あなたが通れるはずがないわ」
「え? でも……普通に通れたよ?」
「ちょっと来て!」
アマリリスは、思い知らせてやると言わんばかりの勢いで少年の腕を掴むと、元来た道へと引っ張っていく。
一方の少年は、アマリリスの疑念など気にしていなかった。意識は、ただ腕に触れている彼女の手へと集中している。
触れられている箇所をじっと見つめながら、みるみる顔を赤くしていく。口からは、言葉にならない小さな声が漏れていた。
どちらも自分のことで精一杯で、相手の様子を気にする余裕などない。
やがて歩みが少しずつ遅くなり、二人は一本の木の前で足を止めた。
「通ってみて」
「う、うん……」
少年は緊張した面持ちで唾を飲み込む。そして、恐る恐る一歩を踏み出した。その後ろ姿を、アマリリスは腕を組みながら真剣な眼差しで見つめている。
しかし、そんな二人の真剣さとは裏腹に、少年の身体は何にも阻まれることなく、木の向こう側へと抜けていった。
少年は数歩進んだところで足を止める。
これでよかったのだろうかと不安そうに振り返ると、アマリリスが小さく頷いた。それを確認してから、少年は再び元の場所へ戻ってくる。
「嘘じゃないみたいね。でも、どうして……」
「僕にもわからないけど、なんともなかったよ?」
「そうよね……。他の人を呼ぶわけにもいかないし」
アマリリスは小さく唸りながら、腕を組んで考え込む。
何かを必死に考えているその姿を、少年は心配そうに見つめていた。
どうしたらいいのかわからないのか、オロオロと視線を彷徨わせる。
「あーもう! 悩んでも仕方ないわね。ちょっと、あなた!」
「は、はい!」
突然呼ばれ、少年の背筋がぴんと伸びる。
「悪いことをするつもりがないのはわかったわ。でも、この場所のことは誰にも言っちゃダメよ!」
「う、うん! もちろんっ!」
少年は、ちぎれそうなほど勢いよく首を上下に振った。
問題が解決したわけではない。それでも、あまりにも素直な返事を聞いて、アマリリスはひとまず及第点を与えることにした。
すると少年は、アマリリスの顔をちらちらと窺いながら、小さな声で尋ねる。
「あのさ……ここに、また来ちゃダメかな?」
「は? どうして来るのよ」
「君に、会いに来たらダメ?」
もごもごと言いながらも、少年はまっすぐにアマリリスの目を見る。
一方のアマリリスは、突然そんなことを言われて戸惑ったのか、視線をあちこちへ泳がせた。
「あ、会いたいって……あなたの名前も知らないわ」
「僕の名前はラグト! ラグトって言うんだ!」
「……ラグトね。あなた、本当に来たいって思ってるの? ここに来てることがバレたら、あなた、怒られるだけじゃ済まないのよ?」
「それでも来たいんだ!」
「……わたしはアマリリスよ」
「アマリリス! アマリリスって呼んでもいい?」
「いいわよ」
ただ名前を教えただけなのに、ラグトはまるで宝物でももらったかのように、嬉しそうな笑顔を浮かべた。
その無邪気な笑顔を見ているうちに、アマリリスの警戒心も少しずつ解けていく。
呆れたように息を吐きながらも、その口元には小さな笑みが浮かんでいた。
「でも約束して。ここのことは誰にも言わない。あと来る時も、誰にも見られちゃダメよ。いい?」
「っ! うん! 絶対に守る! 星に誓って守るよ!」
「星に誓ってって、大袈裟ね」
「大袈裟じゃないよ! 約束するよ!」
そう言って、ラグトは小指を差し出した。
勢いのある返事に少し圧倒されながらも、アマリリスも小指を差し出す。
「約束ね」
「うん!」
二人が小指を絡める。
絡まった指が解けると、アマリリスは思い出したように口を開いた。
「ねえ、あなた、お父上と来たのよね? もしかして貴族なの?」
「うん。僕の父様は騎士なんだ」
誇らしげにラグトは答える。この国で騎士は、貴族にしか就けない仕事だ。
ラグトの服装を改めて見ると、簡素ではあるものの、質は良いものを身につけている。
「そう、騎士なのね。じゃあラグトも騎士になりたいの?」
「もちろん! 父様のような、強くて優しい騎士になるんだ!」
「あなたならなれそうね。でも、もう少し警戒心を持った方がいいわよ」
「警戒心?」
ラグトが口をぽかんと開け、首を傾げる。
「騎士になりたいなら、言われたことを全部信じちゃダメよってこと」
「大丈夫だよ。僕は人を見る目だけはあるんだ!」
満面の笑みを返され、アマリリスは思わずため息をつく。
「そういうところが危なっかしいのよ」
「大丈夫! だって、アマリリスみたいな心の綺麗な子と出会えたんだ。僕は人を見る目だけじゃなくて、運もあるんだ」
恥ずかしがる様子もなく、真っ直ぐな言葉を向けられる。
アマリリスは戸惑ったように目を瞬かせた。
しかし、数秒すると、その口から笑い声が漏れた。
「あははっ! ありがとう。でも、気をつけなさいよ」
「っ──うん!」
二人は目線を合わせ、笑みを交わす。
その光景を、少し離れた場所から二人の人物が見守っていた。
「こいつがラグトか」
「明るい子ですね」
子どもたちを見つめる二人の瞳は、とても穏やかなものだった。
気づけば、傍らには音もなく扉が現れていた。扉に気づいたシェイラが、アルスを連れて扉へ向かう。
二人が扉を潜り抜けると、扉はゆっくりと閉まっていく。
その瞬間、シェイラがふと振り返った。
視線の先には、並んで立つ幼い二人の姿。しばらくその姿を見つめたあと、シェイラは静かに扉の向こうへ消えていった。
扉が閉まったと同時に、アルスの声が耳に届く。
「シェイラ、あれ」




