1-6 重ねる手
シェイラが正面へ顔を戻すと、見覚えのある城壁へ吸い込まれていく二人の姿があった。
追いかけると、少し成長した二人が横並びになり、あの崖のような場所に腰掛けている。
「よくこんな恐ろしい場所に座れるな……」
「まあ、景色は綺麗ですからね」
「綺麗だけどさ……子どもは怖いもの知らずって言うしな」
(この二人と精神年齢は変わらなそう……というより、低そうですけど…面倒ですし黙っていましょう)
シェイラは憐れむような視線をアルスへ送る。
張本人はその視線に気づきもせず、両腕を交差させて自分の肩をさすっていた。
「今年も桜が綺麗に咲いてるね」
「えぇ、本当に。すぐに散ってしまうのが残念だけど、それも含めて綺麗なのよね」
「散るのも綺麗? リリーは時々難しいことを言うよね」
「ラグトが簡単に考えすぎなのよ。ずっとに咲かないからこそ、綺麗だと思えるのよ」
「そうかな~?」
「そうよ」
桜は、シュテルストブルクとそこへ至る道のあちこちに、桜が薄桃色の花を咲かせていた。
その場にいる全員が、静かに遠くの桜を眺める。
やがて、桜から最初に視線を外したラグトは、ぶらぶらと揺らしていた自分の足へ目を落とした。
「リリー、ひとつ聞いてもいい?」
「なによ、改まって」
「リリーのお母上ってさ、どんな方だったの?」
「お母様?」
「うん。このお花、お母上のためのでしょ?」
「えぇ、そうよ」
「どんな方だったのかなって……」
いつもの溌剌とした雰囲気とは違い、石橋を叩くように慎重に言葉を選んでいるのがひしひしと伝わってくる。
次第に小さくなっていく声とは裏腹に、アマリリスは怒ったり、気分を害したりした様子を見せなかった。
「別にそんなにビクビクしなくても大丈夫よ。お母様は、ラグトと出会った年に亡くなったの」
「僕と出会った年に……そうだったんだ」
「えぇ。お母様はすごく綺麗で、すごく優しい人だったわ。あの家でずっと二人で暮らしていたけど、辛いと思ったことはなかった」
母を思い出すアマリリスは、幸せそうに微笑んだ。
「二人で野菜を育てたり、ご飯を作ったり、色々教えてもらったわ」
「素敵だね」
「えぇ。すごく聡明な人だった」
「ソウメイ?」
「ふふっ、賢いって意味よ。本当にたくさんのことを教えてもらったわ」
「だからリリーもソウメイなんだね!」
ラグトの安直な感想に、アマリリスは呆れたような表情を浮かべる。
けれど、その表情には親しみが込められていた。
しかし、母との思い出を語る表情には、先ほどまでの微笑みとは違う、少しずつ悲しみが滲み始めていた。
「リリー?」
「真夜中だったわ……。寝ていたら、家の外から物音がして目が覚めたの。それで、お母様を呼びに行こうと思った。でも、そのお母様が家のどこにもいなかったのよ」
「てことは、お母上が外で何かをしてたってこと?」
「何かをしようとしたのかは、わからないけど、外にはいたわ。でも、正確には……お母様『も』いた」
「も?」
アマリリスは小さく、何度か首を縦に振った。
その意味を理解できないのか、ラグトは顎に手を添え、眉間に皺を寄せる。
「え、つまりリリーのお母上以外もいたってこと? でも、あの家には……」
怪訝そうな顔でアマリリスへ問いかける。
しかし、返ってきた答えは歯切れの悪いものだった。
「顔は見てないの。見たのは後ろ姿で……外に出たら、お母様は───殺されていたわ」
「え……」
アマリリスの一言で、空気が一変する。
まるで真冬の冷たい空気が身体の内側へ侵入し、肺まで凍らせてしまったかのように、息が詰まる。
ラグトは呼吸さえ忘れたように、目を見開いていた。
やっとの思いで息を吐き出すものの、言葉が出てこない。
頭の中でいくつもの言葉がぐるぐると回る。
けれど、どれを口にすればいいのかわからなかった。
そんなとき、ふとアマリリスの手が目に入った。
(震えてる……)
ラグトは、震える手を茫然と見つめる。
その手が誰のものなのか。なぜ震えているのか。
ようやく停滞していた思考が、少しずつ動き始める。
「あっ……」
我に返り、慌てて顔を上げる。
そこには、何かを堪えるように唇を固く結び、肩で息をするアマリリスがいた。
ラグトは、またも言葉に詰まる。
存在を認識されていないシェイラとアルスですら、今のアマリリスにかけるべき言葉を見つけることは難しかった。
二人はただ立ち尽くし、当事者たちを見守る。
やがて、ラグトが静かに大きく息を吐いた。
そして、右手をアマリリスの左手に重ねる。
重ねた手を、優しく握った。
アマリリスは変わらず下を向いたままだった。
隣に座るラグトは何も言わず、ただ前を見据えている。
「これからは、僕がリリーのそばにいる」
誓いを立てるように、自分自身に言い聞かせるように、ラグトは静かに告げた。
アマリリスから返事はない。
ただ俯いたまま、空いた手で口元を覆う。
身体を震わせるたびに、太ももへ小さな水滴が落ちていった。
「ふっ……うぅ……っ、ひぐっ……」
抑えきれない嗚咽が、小さく漏れ出る。
重ねていた手はいつの間にか掌を合わせる形になり、二人は互いの存在を確かめるように、強く握りしめていた。
「いい男じゃん、こいつ」
「アルスも見習わないとですね」
「うるせぇ。俺はとっくにいい男だ」
「いい男っていうより、頑固親父って感じじゃないです?」
アルスは肘でシェイラを小突き、無言で反論する。
やがて、アマリリスは少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「ラグト……ありがとう」
「僕こそ、話してくれてありがとう」
「ずっと……誰かに、聞いて欲しかったの」
「うん」
「あなたがいてくれてよかったわ」
「僕がいたいから、いるんだよ」
「なんだかラグトが頼もしく見えるわ」
アマリリスは肩をすくめながら、鈴を転がすように笑う。
ラグトは胸を張り、自慢げな表情を浮かべた。
「僕はリリーを守るためにいるからね」
「あなたに手を焼いた覚えはあるけど、守ってもらった覚えはないわよ」
「手厳しいなぁ、リリーは」
「虫如きで泣かないようになってもらわないと、守ってもらうには不安ね」
二人は顔を見合わせ、楽しそうに笑う。
その背後で、カサカサと小さく葉の擦れる音がした。
和やかだった空気が、一瞬で張り詰める。




