1-2 城壁の外と目的
追いかける二人は、当たり前のように城壁をすり抜けた。
その先には雄大な山脈が横たわり、視界の手前側には整然とした街並みが広がっている。
景色だけを見れば息を呑むほど美しい。だが、足元は崖のように切り立っていた。
壁に張り付いて歩くほどではない。それでも、大人の足で大きな歩幅で一歩踏み外せば、そのまま崖下まで落ちてしまいそうな場所だった。
「うわ〜、すげぇ景色だな。でもこれ下やべぇぞ」
「一歩間違えれば、崖下へ叩きつけられますね」
「こいつ、小さいのに肝座ってるな」
感心したように、アルスは腕を組んでアマリリスを見る。
一方のアマリリスは、サムポットの口を塞いでいたコルクを抜き、足元へ静かに水を注いだ。
水やりを終えると、その場へ跪き、両手を組む。
彼女の身体で何があるのか見えず、二人は正面へ回り込んだ。
そこには、小さなカスミソウが咲いていた。
まだ幼い株だったが、水滴が朝の光を受け、淡く輝いている。
「お母様、愛しています。どうか見守っていてください」
真綿で包み込むような、優しい祈りだった。
その姿は幼い少女でありながら、一人の大人の女性が神へ祈りを捧げるようにも見える。
だが、祈りを向ける相手は神ではなく母親だった。
二人は言葉を挟まず、静かにその時間を見守る。
しばらくして、アマリリスは城壁へ背を預けるように腰を下ろした。
何をするでもなく、ただ目の前に広がる景色を眺めている。
「こいつの母親……亡くなってたんだな」
「……そうみたいですね。綺麗な花です」
二人も座ることなく、その傍らで景色を眺めた。
穏やかな時間が流れる。
やがて、遠くから鐘の音が響いた。朝の訪れを告げる鐘だった。
その音を聞くと、アマリリスは自分の両頬をぱちんと一度叩く。立ち上がり、もう一度カスミソウへ向き直った。
「また来るから、待っててね」
そう言い残すと、蔦で隠された穴へ歩き出す。
蔦の隙間から周囲に人がいないことを確認すると、素早く穴を潜り抜けた。
そして入る時と同じように背後へ気を配りながら、慣れた手つきで石を元の位置へ戻していく。
ほどなくして、穴があったことなど誰にもわからない城壁へ戻っていた。
「こいつ、すげぇな」
「石を外す時も順番どおり並べていましたからね。初めてではないのでしょう」
「いや、それにしてもだろ。というか結局、ここどこなんだよ」
「先ほどの景色を見ても、わからなかったんですか?」
「え!? どこかわかったのか!?」
アルスは目を丸くし、シェイラを見つめた。
教えてくれと言わんばかりに、穴が開きそうなほど視線を向けている。
「ここはレンツ王国の王宮ですよ」
「──は? いやいやいや、ここが王宮? シェイラの勘違いじゃないのか?」
「いえ。間違いありません」
静かに言い切られても、アルスは信じられない様子で辺りを見回した。
その姿を見て、シェイラは小さくため息をつく。
「アルス、あなた。あの崖で何を見ていたんですか」
「いや、そりゃ山とか街とか花とかだろ?」
「はぁ……あの山、見覚えありませんか?」
「え?」
そこまで言われても思い当たらないらしい。額をぽりぽりと掻きながら首を傾げる。
シェイラは城壁の外を指差した。
「もう一度、よく見てきてください」
「お、おう」
言われるがまま、アルスは城壁の外へ向かう。
先ほどまでとは打って変わって、足取りはどこか心許ない。数十秒後、戻ってきたアルスの表情は晴れていなかった。
むしろ謎が深まったと言いたげに眉間へ皺を寄せている。
その顔を見て、シェイラは呆れるより先に信じられないという気持ちが勝った。
「……もしかして、本当にわからなかったんですか?」
「うん。すまん、全然わからん」
「そこまではっきり言われると、清々しいですね」
「だって、わからんもんはわからん。あの山なんだ?」
「シュテルストブルク。あなたの育った町の南側にある山ですよ」
その名を聞いた瞬間、アルスの目が大きく見開かれた。
「あれがあの山なのか!? 遠くからなんて見たことなかったし、方角なんかわかんねぇから! 遠くから見ると、あんな山なんだな……」
「方向音痴ですもんね。それに馬鹿ですし。逆に安心しました」
「おい、馬鹿は余計だ!……というか、あの山だけでここが王宮だってわかったのか?」
馬鹿と言われたことへの抗議は一瞬だけだった。すぐに興味は王宮へ戻る。
シェイラは城壁とは反対側の建物を指差した。その外壁には、一つの紋章が刻まれている。
「あれ、なんだ……?」
今度はシェイラが目を見開いた。
信じられない、とでも言いたげに、こめかみを指で押さえる。
「あなたがここまで無知だとは思いませんでした。あれは王家の紋章ですよ」
「えっ、あのぐちゃぐちゃしたやつが!?」
「ぐちゃぐちゃしているのは、あなたの脳みそです」
シェイラは、本気で今までどう生きてきたのか心配になった。
そんなことは露知らず、アルスは紋章へ近づき、じっと見つめる。
すると、何か思い出したように目を輝かせた。
「あ、これ! 教会の壁にもあった気がする!」
「それは当たり前です。でも、思い出せたようで安心しました」
本当は街中の至る所に刻まれている。
だが、そこまで説明するのは面倒だと思い、口にはしなかった。
少しだけ晴れやかな顔になったアルスは、すぐさま次の疑問を口にする。
「でもさ、なんであの女が王宮にいるんだよ?」




