第6話「宿命の太刀、四百年の風」
パステルカラーの風呂敷で包んだ二段重を両手で抱え、坂下このみは鼻歌交じりに廊下を歩いていた。
ニューヨークでの過密日程を終えて昨夜の便で帰国したばかりだというのに、眠気ひとつ見せず、足取りはやけに弾んでいる。
「よっ、このみさん。無事のお帰り。ニュースで見たぜ、海の向こうで派手に暴れてきたらしいな」
昇降口の角から、ポケットに手を突っ込んだ神楽坂幸人がひょっこり顔を出した。
「あ、幸人君。おはよう。ええ、ちょっと厄介な虫を片付けてきただけよ。それより無事に戻ってこられて本当によかったわ」
「そりゃ結構。……なあ、このみさん」
幸人は壁に背を預け、どこか照れ隠しのように視線を斜め上へ逸らした。
「たまにはさ、智也抜きで……例えば俺と、どっか美味いもんでも食いに行かねー? 土産話聞くついでにさ。智也には黙っとくから」
半分はおどけた調子。けれど、声の底に微かに混ざる真面目な響きを、このみが聞き逃すはずもなかった。
足を止めたこのみは、困ったように小さく首を傾げ、けれど少しの淀みもなく微笑み返す。
「ふふ、気持ちだけもらっておくね、幸人君。でも私の胃袋も、放課後の予定も、生まれた時から智也くんの分しか空いてないの。ごめんね?」
「……ハハッ、だよなー! 冗談冗談、本気にすんなって!」
幸人はわざとらしく頭を掻いて笑い、ひらひらと手を振って歩き去った。
教室へ向かうこのみの足音が遠ざかるのを見届けてから、深く、乾いたため息を落とす。
(……知ってるっつーの。最初から、勝負にすらなってねえよ)
◇◆◇
ガラリと教室の扉を開けた瞬間、智也は肌を刺すような冷気に思わず足を止めた。
窓際では、登校してきたばかりの本庄結が優雅に扇子を揺らし、真っ直ぐにこのみの席へ詰め寄っているところだった。
「ごきげんよう、坂下さん。海の向こうで随分と大きな顔をしてこられたようですわね」
「あら、結ちゃん。留守の間にずいぶん派手なクーデター劇を演じてくれたじゃじゃ馬さんがいると思ったら、あなただったのね。新総帥のご就任、おめでたいことじゃない」
「ふふっ、そのお祝いついでに商談ですわ。坂下グループが誇る次世代クラウドOS、我が本庄と急拡大中の『YSS』へ全面的に基幹連携して差し上げてもよろしくてよ?」
教室内が水を打ったように静まり返る。
国家予算どころではない規模の提携話を朝のHR前に平然と投げつける結に、このみは眼鏡の位置を指先で直しながら、ふっと呆れたように息を漏らした。
「お断りよ。当社の包括利用規約第47条、競合企業による敵対的利用へのライセンス凍結条項にしっかり引っかかるもの」
「言いがかりも甚だしいですわね! 利用規約の盾に隠れて逃げるおつもり? 独占禁止法で訴えられてもよろしくて?」
「バグの侵入を未然に弾くのは、開発元として当たり前の義務でしょ?」
バチバチと不可視の火花を散らす二人。
結の高飛車なお嬢様口調と、それを軽やかにあしらうこのみの涼しい返し。その真正面にある自分の席を前に、智也は青ざめた顔で胃のあたりをぎゅっと押さえた。
◇◆◇
昼休み。
四方から飛び交うプレッシャーから逃げ出し、智也は屋上のフェンス際でようやく息を吐いた――はずだった。
「この結城智也の口に入るべきは、わたくしのキャビアオムレツですわ!」
「寝ぼけないで! 智也の健康を考えたら、特製シャケおにぎりに決まってるでしょ!」
フェンスの前は、あっという間に野戦病院のような騒ぎになっていた。
右からはトリュフとバターの濃厚な匂い、 leftからは炊きたてのご飯と海苔の匂い。挟まれた智也は、逃げ場を失って縮こまるしかない。
「智也くん、困ってるじゃない。……ねえ、智也くん。私の卵焼きを食べてくれる? 少しだけ甘めにしてあるの。……昔、好きだって言ってくれたから」
パステルカラーの二段重を差し出し、このみが上目遣いで覗き込んでくる。幼馴染の既得権益をフル活用した完璧な割り込みに、みくるが「ちょっと、あんたまで!」と噛みつくが、このみは「あら、幼馴染の特権よ」とどこ吹く風で受け流す。
「……お兄ちゃん。から揚げ、あーん」
さらに足元から紗季がすっと割り込んできて、智也の唇のすぐ前まで箸を突き出す。
四方向から突き刺さる熱視線。どれか一つを選べば残りの三人に八つ裂きにされそうな重圧に、智也の持つ割り箸がカチカチと音を立てて震えた。
「……モテる男は大変だな、智也」
少し離れたフェンスの端で、焼きそばパンをかじる幸人がぽつりとこぼす。
その目は、智也の腕にぴったりと体を寄せるこのみの手元から離れていなかった。
「……『智也一筋』、ね。へーへー、知ってましたよ」
幸人は力なく笑い、雲の流れる空を見上げた。
親友を応援したい気持ちと、胸の奥で燻るやり場のない熱。
ふと、吹き抜けていた春の風がピタリと止んだ。
生ぬるい、錆びた鉄のような臭いが鼻をつく。
「……ん? なんだ、この臭い……」
幸人が眉をひそめた、その瞬間だった。
温かかった空気が、まるで冷凍庫の扉を開け放ったかのように、肌が痛むほどの冷気へと急変した。
「……っ!?」
屋上のコンクリートから、ぶわりと色が抜け落ちていく。青空も、少女たちの制服も、濁った灰色へと沈んでいく。
足元の影がぐにゃりと歪み、黒いタールのような泥が湧き出した。人の輪郭を歪に真似た、正体不明の怪異が鎌首をもたげる。
「な、なによこれ……坂下グループの新手の嫌がらせ!?」
「そんな悪趣味なプログラム、うちが組むわけないでしょ!」
叫ぶ結とこのみの声も、どこか遠く聞こえる。怪異から立ち上る悪意は、機械の生み出すフェイクなどでは決してなかった。
「みんな下がって!」
智也が叫んで割って入った瞬間、黒い塊が弾丸のような速度で智也の喉元へ跳躍した。
みくるとこのみの短い悲鳴。幸人がパンを投げ捨てて駆け寄ろうとするが、絶対に間に合わない。
智也が咄嗟に腕を交差させ、目を固く閉じた――その刹那。
『――失せろ。穢らわしい』
耳元を切り裂くような、凛とした呟き。
直後、目を開ける隙すら与えず、鼻先を銀色の残光が駆け抜けた。
肉を断つ抵抗すらなく、黒い塊は左右へ真っ二つに裂け、どす黒い霧となって風に散る。
吹き抜ける突風の中、ボロボロのフードを被った小柄な影が、智也を背中で庇うように立っていた。その手には、すらりと抜き放たれた抜き身の日本刀。
「……間に合って、よかった」
少女が濡れた布を払うようにフードを脱ぎ捨てる。
風にさらりと揺れたのは、烏の濡れ羽色をした長い黒髪。切れ長の鋭い瞳が智也を捉えた瞬間――
カラン、と世界の音が遠のいた。
春の青空が、吹き荒れる夜の吹雪へと反転する。
屋上のコンクリートは雪に覆われ、制服を着ていたはずの智也の姿に、雪の中で息を潜める、気品あるお姫様の影が重なっていた。
(ゆき……?)
あやめの脳裏を、四百年前の記憶が一気に駆け抜ける。
同時に、智也の視界にもまた、血に濡れた甲冑をまとい、自分を庇って息絶えようとしていた痩せた武士の姿が二重写しになっていた。
現世の姿と、四百年前の魂。
二重写しの幻視の中で、互いの視線がぴたりと重なり合う。
――胸の奥が、激しく熱を帯びて軋んだ。
それは男子高校生である智也の感情ではなく、奥底に眠っていた『ゆき』そのものの慟哭だった。
視界がにじみ、智也の大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちる。まるで主を守り抜いてくれた従者を前にした、年若い少女のように。
「……さく……さくさま……?」
震える声で零れ出たその呼び名で、吹雪の幻は音を立てて砕け散り、屋上の景色が一気に引き戻された。
智也の頬を伝う涙を見て、少女の目からもまた、堰を切ったように涙があふれ出す。
刀を地面に突き立てる勢いで踏み込み、智也の胸板へ額を押し当ててすがりついた。
「……見つけた。四百年……四百年、ずっと探していたのよ……ゆき……っ!」
子供のようにしゃくり上げて泣く少女と、訳もわからず涙をこぼしたまま立ち尽くす智也。
異様な光景を前に、みくるはおにぎりを握りしめたまま口をあんぐりと開け、このみは眼鏡の奥の瞳を冷え切らせ、結は扇子を握りつぶしそうになっている。幸人に至っては、転がり落ちた焼きそばパンを見下ろしたまま完全に硬直していた。
「ゆ、ゆき……? あ、あれ……なんで僕、泣いて……? 君は一体誰なの……!?」
急に我に返って袖で涙を拭う智也に、少女は胸板へ顔を擦り付けたまま叫んだ。
「もう離さない。男だろうが女だろうが、そんなのどうでもいい。……私の主は、あなただけなんだから」
ぎゅうぎゅうと抱きついてくる少女の熱っぽい感触に、智也の頭の中は完全に真っ白になった。
◇◆◇
その日の夕方。結城家の居間は、まるで火薬庫のような緊迫感に包まれていた。
「……離しなさいよ、この刀ぶん回し女!」
「断る。私は神代あやめ。そして前世の名は、朔。……ゆきの隣にいるのが私の役目だ」
智也の右腕に両腕で抱きついて離れない少女――あやめに対し、みくるは夕飯作りの途中だったお玉をプルプルと震わせながら詰め寄っていた。
「神代あやめ……? 大体さっきから聞いてれば、ゆきだの朔だの何なのよ! 智也は男だし、ゆきってどう見ても女の子の名前じゃない!」
「……魂の話だ」
あやめは智也の腕を抱きしめたまま、居間にいる全員を見据えて淡々と告げた。
「四百年前の戦国乱世、私はゆきに仕える武士――朔という男だった。そしてゆきは、私が命を賭けて守り抜いた、清楚だが時折お転婆なところもあるお姫様だった。……輪廻の因果で今世はお互いの性別が逆転したが、魂の形までは変わらない。智也の魂こそが、私の愛した主、ゆきそのものだ」
衝撃の告白に、居間の空気が一瞬で凍りつく。
「前世で性別逆転……!? ラノベの設定でも盛り込みすぎだろ……」
部屋の隅で幸人が呆然と呟くと、みくるがお玉を振りかざして噛みついた。
「『生まれ変わったら二人とも性別が反転していました件』ってでも言う気!? アニメの見過ぎよ!」
「僕がお姫様……?」
智也も混乱しながら、恐る恐る腕の少女へ視線を落とした。
「あ、あの……神代さん?」
「私のことを神代と呼ばないでほしい」
あやめは少しだけ眉を下げ、智也の腕をさらに強く抱きしめた。
「他人行儀な名字などいらない。四百年前、あなたが私の名を呼んでくれたように……あやめ、と呼んで。それ以外は嫌だ」
「えっ、あ、じゃあ……あやめ、さん……?」
「……ん」
結の時のような駆け引きも距離感の測り合いも一切なく、一秒で縮まった距離に智也はたじたじになる。満足そうに頬を寄せるあやめを見て、周りの女子たちの眉がつり上がった。
「神代……あやめさん、って言ったかしら」
一歩進み出たこのみが、冷徹な眼差しであやめを見据える。
「智也くんの前世がどうであれ、この十年彼を支えてきたのは私たちよ。四百年なんて古い話を持ち出されたところで、今の男の子の智也くんを誰よりも知ってるのは私なんだから」
「……まったくですわね。前世でお姫様だろうと何だろうと、今の智也さんはわたくしの運命の相手ですわ! 四百年前の主従関係など、現代の契約社会では一片の効力も持ちませんわ!」
結も扇子をバチンと鳴らし、毅然と言い放つ。
「……お兄ちゃん。腕、痛くない?」
そんな修羅場の隙間を縫って、紗季が智也の空いている左腕をそっと抱え込んできた。
「痛くはないけど……寿命がごっそり縮んでる気がするよ……」
智也は深くため息をついた。あやめの髪からふわりと香る、雨上がりの森のような匂い。彼女に触れられていると、胸の奥がじんわりと疼く。身に覚えのないはずの、けれど決して否定できない懐かしさだった。
「……もういいわ! 言いたいことはわかったけど、納得なんて絶対しないから!」
みくるがお玉をあやめの鼻先へ突きつけた。
「あんたが本当に智也……その『ゆき』にふさわしいヤツかどうか、あたしがこの家でじっくり見張ってあげる! 今日からあんたもここに泊まりなさい!」
その瞬間、部屋の空気が爆発した。
「はぁ!? いきなり何を言い出すんですのみくるさん!」
結が扇子を開いて詰め寄り、このみはピキリとこめかみに青筋を立ててスマホを取り出す。
「瀬能さん、正気なの? そんな勝手な同棲を許すくらいなら、私が今すぐ結城家の隣の土地を買い取って智也くんの離れを建てるわよ」
「お、おいおいおい、勘弁してくれよ……」
幸人が両手で頭を抱えて唸っていた。
「……いいだろう。瀬能みくる、と言ったか。……さっきのシャケおにぎり、ゆきが美味そうに食っていた。……とりあえず、その料理の腕は、認めてやる」
「なっ、何その上から目線! ……夕飯、あんたの分も作ってやるから覚悟しなさいよ!」
顔を真っ赤にして台所へ引っ込むみくるの背中を、あやめは少しだけ目を細めて見送った。
◇◆◇
夜更け。
騒がしかった居間がようやく静まり返った頃、喉の渇きで目を覚ました智也は、廊下の先の縁側に座る人影に気づいた。
縁側に腰掛け、ぼんやりと夜空の月を見上げているあやめ。
昼間の鋭さは消え失せ、月明かりに照らされたその横顔は、触れれば消えてしまいそうなほど頼りなげに見えた。
「……あやめさん。寒くない?」
声をかけると、あやめは静かにこちらへ顔を向けた。
「ありがとうゆき、やっぱり生まれ変わっても貴女は優しいわね」
「あ、あの……今の僕は男だよ、あやめさん」
困ったように頬を掻く智也を見て、あやめはくすりと小さく笑った。
「……智也。そう、今のあなたは、結城智也という男の子ね」
「うん。智也だよ」
「でもね、あたしにとってはあなたは大切な女の子なの、たとえ、それが現世でどんな姿に生まれ変わっていても」
「あやめさん……」
「……不思議ね。あんなに清楚で、けれど時々お転婆で、私の後ろに隠れてばかりだったお姫様のゆきが、こんなに背の高い男の子になるなんて」
あやめはどこか悪戯っぽく、けれど切なそうに目を細めた。
「……でも、悪くないわ。今度は私が、女の子としてあなたに守られてあげる。……あのお節介な同居人たちにも、絶対に負けないくらい、あなたを愛するから」
そっと伸ばされたあやめの指が、智也の手に触れる。
細く、冷たい指先から、じんわりと確かな体温が染み渡ってきた。
「お互いに前世と同じ性別に生まれなかったのは残念だけれど、こうしてまたあなたと異性として生まれることができて、私はとても嬉しい」
「あやめさん?」
「ほら、こうやってまた堂々とあなたを愛することができる」
現世では朔という武士ではなく、あやめという一人の少女。
この年頃の少女らしく憂えた瞳で、情熱的に智也を見つめてきた。智也はそのすべてを見通せるような透き通った瞳に、吸い込まれそうになる。
その甘やかな空気を、廊下の暗がりから息を殺して見つめていた面々の内心は、穏やかではいられなかった。
(あの女~~~っ! 数百年ぶりとか言うから二人きりにしてやったっていうのに、なに思いっきり智也を落としに来ているのよ!!!)
みくるが台所の陰でお盆をへし折らんばかりに握りしめ、
(まったくですわ、油断も隙も無いとはこのことですわ!!!)
結も寝間着の胸元をぎゅっと握りしめて奥歯を噛みしめる。
一方、冷静にその横顔を見つめていたこのみの脳裏に、電流のような戦慄が走った。
(……彼女、神代って言っていたわね。ま、まさか……あの世界四大財閥、神代会長の孫娘もたしか『あやめ』って言ったわね……!?)
そしてその後ろで、紗季だけが頬をほんのり赤らめて、胸の前で手を組んでいた。
(……ドキドキ。お兄ちゃんが、女の子みたいに迫られてる……)
そんな嵐のような気配を背中に感じながらも、あやめは智也の指先を離そうとはしなかった。
「……覚えておいて、智也。神代の人間が、もうすぐここへ来る。……均衡が崩れて、本当の争いが始まるわ。……でも、怖がらなくていい。私が、ずっと隣にいるから」
「……え? 神代って……まさか、あの世界四大財閥の神代グループのこと……!?」
智也は息を呑んだ。
その問いの答えを待つまでもなく、暗がりで聞き耳を立てていたこのみと結が、完全に色を失った顔で互いに見つめ合う。
もはや、ただの恋のライバル登場などというレベルの話ではなかった。
縁側のあやめは、夜風に黒髪を揺らしながら、ただ智也の手をぎゅっと握りしめて静かに月を見つめていた。
◇◆◇
翌朝。
通学路を歩いていた智也のポケットで、スマートフォンが短く震えた。
画面を開くと、一足先に学校へ着いているはずの幸人からのメッセージが表示される。
『智也、マジでヤバい。校門の前に黒塗りのセンチュリーが二十台並んでる。神代グループのトップ――あやめさんの親父さんが学校に乗り込んできた。……お前とあやめさんを、力ずくで連れ戻す気配だぞ』
メッセージを読み終えた智也の隣で、あやめが制服のスカートを翻し、すっと歩調を速めた。
その鋭い横顔を見つめながら、智也は登校初日からの胃痛の再来を確信して、深いため息をこぼした。
(第6話「宿命の太刀、四百年の風」おわり / 第7話へ続く)
瀬能 みくる & ゆめあやガールズが歌う「ゆめみる、ゆき、あやなす、むすび。」の旧作の前期ED主題歌)です
『『結城家の食卓 ~賑やかな鍵束~』』
歌:瀬能 みくる & ゆめあやガールズ
https://suno.com/s/2McrIaQJCNeB8Emt




