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第5話「本庄の変」

挿絵(By みてみん)


広すぎる子供部屋には、冷たい高級家具ばかりが並んでいた。

十年前――五歳の本庄結《ほんじょう ゆい》は、高い窓枠に小さな手をかけ、赤く暮れていく空をじっと見つめていた。


「あ~あ……今日もお父様もお母様も、顔すら見せてくれない。結のことなんて、どうでもいいんだわ……」


ベッドへぽつりと戻り、膝を抱え込む。


「大好きなお兄様だって、お仕事ばかりでずっと帰ってこないし……」


その時、重い扉が静かに開き、廊下の明かりと一緒に祖父と祖母が入ってきた。


「おや結、そんなところで小さくなって、どうしたんじゃ」

「寂しい思いをさせてすまないねえ、結」


結は弾かれたように顔を上げ、祖母の胸元へしがみついた。

温かい腕に抱きしめられ、ふたりに挟まれてベッドに腰掛ける。祖父が上着の内ポケットをごそごそと探り、一枚の写真を取り出した。


「いいかい、結。この男の子がお前の『許嫁《いいなずけ》』……将来のお婿さんになる人だよ」


結は目を丸くして写真を覗き込んだ。

レンズの向こうで、屈託なく笑っている小さな男の子。


「いいなずけ……?」

「ええ。結城智也さん。昔から家族ぐるみで付き合ってきた、大親友のお孫さんだよ」

「ゆうき、ともやさま……!?」


名前を口にした瞬間、胸の奥で、小さな火が灯った。


「結と同じ歳でね。生まれた時から、ふたりが一緒になることは決まっていたんじゃ」

「そう。きっと、結を誰よりも幸せにしてくれる」

「ホント? おばあさま」

「本当よ。忙しいわたしたちの代わりに、ずっと結の側にいてくれるわ」

「智也さまは……結のこと、好きになってくれるかしら!?」


胸を弾ませ、祖母の袖をきゅっと引く。

祖父は愛おしそうに結の頭を撫でながら、困ったように目を細めた。


「ああ、もちろんだとも。ただ……じいちゃんたちが結を可愛がるのとは、少しだけ違うかもしれんなあ」

「え? どう違うの?」

「それはね、結が大きくなって、智也さんに会えた時にわかるわよ」

「いつ会えるの? ねぇ、いつ!?」

「そうだなあ……結が高校生になった頃かのう」

「こーこーせい?」

「ええ。あと十年くらいかしらね」

「あと、十年……」


結は指を一本ずつ折って数えようとした。途方もなく遠い時間に思えて、眉が下がる。祖母がその手を、両手でそっと包み込んだ。


「だからね、それまで色んなことを勉強して、お行儀も身につけて、綺麗になって……最高の女の子になろうね」


結は不安を吹き飛ばすように、力強く頷いた。


「うんっ! 結、がんばる! 智也さまに好きになってもらうために、いっぱいいっぱい、がんばるわ!」

「そうか、本当にいい子じゃ、結は……」


――それから十年。

ただ一度交わした約束の男の子に見合う自分になるため、結は身を削るような稽古も勉強も、すべて己の誇りとして積み上げてきた。


◇◆◇


机に突っ伏していた結は、浅い呼吸を整えながら、ゆっくりと上体を起こした。


「智也様……。それに、お兄様も……今ごろどこで何をなさっているのやら……」


室内の暗がりから、音もなく鏡見麗奈が姿を現す。


「結様。少々、お疲れのご様子ですが」

「大丈夫ですわ。それより――ニューヨーク、動きましたわね?」

「はっ。すべて結様の読まれていた通りです。内部サーバーから抜いた音声と通信ログ、端末へ送りました」

「どれ……」


流れるログを追う結の口元が、冷たくつり上がった。


「……ふふ、傑作ですわね。これでようやく、おじい様たちに退場していただく口実ができましたわ」

「すべては結様の筋書き通りに」

「あの頭でっかちな坂下このみと、これでようやく同じ土俵で殴り合えますわ。鏡見!」

「学園へは、急な役員招集で欠席と伝えてあります」

「……行くわよ!」

「御意!」


◇◆◇


本庄邸本宅のエントランス。


「お、お嬢様、お待ちください!」

「いくら宗家のご令嬢とはいえ、急にお越しになられては……!」

「代表のお怒りを買いますぞ!」


慌てて立ちふさがる古株の従者たちへ、鏡見麗奈が一歩踏み込み、喉元を切り裂くような鋭い視線を浴びせた。


「ええい、下がれ! 本庄家の一大事であるぞ! この土壇場に、宗家の血を引く結様が自ら動かれたのだ! 邪魔立てする者は、この私が直々に叩き出す!」


叩きつけられた殺気に呑まれ、従者たちは息を呑んで後ずさり、口を閉ざした。


「結様、どうぞ。片付きました」

「ええ、ご苦労様でした、鏡見。……さて」


重いマホガニーの扉の向こう――本庄グループ代表執務室。

壁に掲げられた巨大な家紋の下で、祖父・本庄富市は机に突っ伏し、額から脂汗を流していた。


「終わりじゃ……もうお終いじゃ……本庄も、結城も……。あの孫のような年の小娘ひとりに、ここまでいいようにやられるとは……! 江戸の豪商から始まって、皇族や華族と血を結びながら築き上げた数百年の看板が、わしの代で潰えるというのか……! ご先祖様に合わせる顔がない……。孫の縁(えにし)も、ここ十何年も外に出たまま行方が知れんというのに……!」


――ドォンッ!!


引き裂くような音を立てて、執務室の両開きの大扉が蹴破るように跳ね上がった。

廊下の逆光の中に立っていたのは、冷徹な笑みを浮かべた孫娘・本庄結だった。


「な、なんじゃあ!?」

「ご無沙汰しておりますわね、おじい様。顔を合わせるのは、数ヶ月ぶりかしら」

「結……!? ええい、わしは今それどころではない! いくらお前でも相手をしている暇などない、部屋へ戻れ!」

「まあ、まだそんな虚勢を張っておいでですか? 昨日、ニューヨークで坂下の手のひらの上で踊らされて、煮え湯を飲まされたばかりですのに」

「な、なぜそれを……貴様、どこで嗅ぎつけた!?」

「このわたくしを誰だと思っておいでで? 世界中を飛び交う情報の網など、とっくに押さえてありますわ。お忘れですか? わたくしの頭脳が、誰よりも先を見通していることを」

「……っ! だ、だからと言って、何の用でここへ乗り込んできた!」

「用件など、至極単純なこと。――本庄富市代表。今この瞬間をもって、その席から降りていただきますわ」

「……なに?」

「もはや異論など挟ませません。後任には全グループの満場一致で、この私――本庄結が就きます。鏡見!」

「はっ」


麗奈が掲げた端末から、室内の空間へ青白い光で役員議決のログがパッと広がった。


本庄の血に宿る商才を、結は飛び抜けた桁で受け継いでいた。

手持ちの資金から秘密裏に立ち上げたスタートアップ――【YSS(結ソーシャルソリューション)】。

わずか一ヶ月足らずで会社の規模を何百倍にも膨れ上がらせた怪物の正体を突きつけられ、富市は声を失った。


今朝のニューヨーク市場の数字を経て、YSSはすでに本庄グループ全企業の中で飛び抜けたトップへ躍り出ていた。

結はその圧倒的な資金力を武器に、他の財閥が気付く間すら与えず、本庄グループ本体の株をごっそりと買い占め終えていたのだ。

現場の社員も役員たちも、すでに結の側へ雪崩を打って寝返っている。次の体制への根回しはとうに完了し、手を貸した協力者への報酬の払い出しまで、何ひとつ隙なく打たれていた。


本庄富市は、盤上で完全に喉元を押さえ込まれていた。


「さすがでございます、結様」

「ふふっ」

「ば、馬鹿な……! わしは何も聞いておらんぞ! こんな出鱈目が通るか!」

「当然ですわ。おじい様は保身ばかりに汲々として、泥水をすすって会社を支えてきた社員や、その家族の未来を捨て駒にしたのですから。汗を流す人々を路頭に迷わせるようなトップなど、これ以上その椅子に座らせておくわけにはいきませんわ!」

「ぐっ……お、お前……!」

「背後の壁に掲げられた、宗家の創始者――【本庄万福】様のお顔を、まっすぐ見つめられますこと!?」


結がぴしりと指差す先。

本庄家の紋章の横で、初代・万福の肖像画が冷ややかに富市を見下ろしていた。

富市はそのまま崩れ落ち、じゅうたんへ膝をついた。


「おーっほっほっほっ! 精々震えて待っていらっしゃい、坂下このみ!」


行方知れずの長男・縁に代わり、女子高生・本庄結が本庄の全権と総帥の座を、力づくでもぎ取った瞬間だった。


◇◆◇


同時刻、太平洋の上空。


「……ふぇっくしょんっ!」


専用ジェットの窓辺で、坂下このみは不意に洟をすすって顔をしかめた。


「……嫌な胸騒ぎがしますわね。あの高飛車な金髪が、裏で何か企んでいるような……」


◇◆◇


翌朝――結城学園の正門前。

登校してきた生徒たちの足を止めたのは、門の前にずらりと並んだ黒塗りの防弾センチュリーの車列だった。

屈強なガードマンたちが一斉に頭を下げる中、開いた後部座席から、すんなりと伸びた足が地面を踏みしめた。


朝の光を浴びて揺れる黄金のストレートヘア。

巨大コンツェルンの頂点に立った少女は、校舎を見上げ、不敵に口元を歪めた。


「待っていてくださいね、智也様。これからは誰の操り人形でもなく――対等の資格で、あなたを奪い合って差し上げますわ!」


◇◆◇


この電撃劇は、すぐさま経済誌のトップを派手に飾ることとなった。


『月刊ワールド・ビジネス』臨時増刊号より抜粋


【緊急特集】NYの激震と本庄邸クーデター――女子高生二人が塗り替えた世界経済の地図


◆ 坂下このみ(坂下グループ代表)――密室の老人たちを一掃

NYの国際経済会議に電撃降臨した若き女帝は、かつての融資契約を盾に結城・本庄の両財閥トップを言葉の刃で粉砕した。「社員とその家族の生活」を最優先に掲げつつ、自らの意に背く者には容赦のない市場からの退場を通告。たった一台のノートPCで世界の首脳陣を翻弄した彼女の元には、直後から米政府要人やメガテック首脳が群がり、国際市場は「坂下このみが誰を愛し、誰を敵とみなすか」を最大の観測指標に据えざるを得なくなった。


◆ 本庄結(本庄コンツェルン新総帥)――電撃の内部革命

NYで敗北し狼狽する祖父・富市に対し、秘密裏に育て上げた『YSS(結ソーシャルソリューション)』の怪物じみた業績を突きつけて本宅へ進軍。圧倒的資金力で株の大半をさらっていき、社員と役員をほぼ全員味方につけて一夜でトップへ君臨した。坂下による包囲網を内部からの激変で吹き飛ばしてみせた手腕に市場は沸き、YSS株は天井知らずの買いを集めている。坂下一強と思われた世界に、真っ向から牙を剥く怪物が現れた瞬間だ。


◆ 結城グループの漂流と「新冷戦」の行方

二大財閥のトップ交代劇の裏で、旧体制の失策を晒した結城グループは、事実上「二大女帝の戦場」における舞台装置へと転落した。

世界経済の舵取りは今、老人たちの密室談合から「智也という一人の少年を巡る、二人の天才少女の意地と恋心の衝突」へと完全に移り変わったのである。


(第5話「本庄の変」おわり / 第6話へ続く)

メインヒロインのひとり 神代 あやめが歌う、


「ゆめみる、ゆき、あやなす、むすび。」の前期ED主題歌(あやめVer.) です


『CHRONO ETERNITY』


架空アニメ 「ゆめみる、ゆき、あやなす、むすび。」 前期ED主題歌(あやめVer.)


歌:神代 あやめ


https://suno.com/s/Y7XwACFphuPIMBCf

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