第4話:ワールドマネーウォーズ in ニューヨーク
夕暮れの柔らかな光が、静まり返った坂下邸の廊下を赤く染めていた。
十年前――わずか四歳だった坂下このみは、自作した精巧な立体工作……高度な電子基板模型を小さな両手で大事そうに抱え、トコトコと軽快な足取りで駆けていた。
(ねぇ、お兄様。このみ、今日も園長先生に褒められたんだよ)
自慢したくてたまらない気持ちを抑えきれず、重厚な扉の前で立ち止まる。背伸びをしてノックを鳴らし、無邪気に扉を開けた。
「お兄様っ――」
その瞬間、手から工作がパサリと滑り落ち、床の上で粉々に砕け散った。
室内は、主治医や医療スタッフたちの怒号と混乱で埋め尽くされていた。医師たちの手によって、ストレッチャーへと載せられていく兄の姿。呼びかけても、もうピクリとも動かない。
「うそ……っ」
数日後、冷え切った空気の立ち込める葬儀会場の控室。
黒い喪服ドレスに身を包んだ幼いこのみは、静かに横たわる兄の冷たくなった顔をじっと見つめていた。周囲では、坂下グループの幹部たちが狼狽し、顔を青くして囁き合っている。
「これからどうすればいいのだ……っ。先代にはお子もおられぬ、奥様もとっくに亡くなられているというのに……!」
「坂下は……我がグループは明日からいったいどうなってしまうのだ……!」
大人たちの情けない嘆きを聞いた瞬間、このみは小さな拳をギュッと強く握りしめた。その大きな瞳から、一切の迷いと躊躇いが消え去る。
式場の祭壇前。重々しい空気の中、悲痛な面持ちの執事・時任がマイクの前に歩み出て、参列者へ向けたスピーチを始めようとしていた。
そこへ――小さなこのみが、自らよいしょ、よいしょと木箱のお立ち台を引きずって運んできた。
「時任、ちょっと待ちなさい」
「こ、このみ様……!?」
息を呑む時任の前で、このみはその台の上へと器用に登り、マイクを小さな手で握りしめた。
そして、手に持ったハンドヘルドPCを素早く操作すると、祭壇脇に設置された巨大モニターへ、一瞬にして膨大な市場データと緻密な構造改革案を映し出した。
「私が、坂下家を継ぎます。全社員とそのご家族の生活は、この私が守ります」
幼くも凛とした、会場の隅々まで響き渡る絶対の宣誓。
その圧倒的な知性と器の大きさを前に、居並ぶ百戦錬磨の幹部たちは言葉を失い、その場に平伏するしかなかった。
それから数ヶ月が経った、うららかな春の日。
時任に連れられ、新しく通う幼稚園の見学に訪れていたこのみは、ふと足をもつれさせて派手に転んでしまった。
「このみ様!」
時任が血相を変えて駆け寄ろうとする。だが、それよりも早く、目の前に小さな手が差し伸べられた。
「大丈夫?」
顔を上げると、そこには太陽のように温かく、屈託のない笑顔を浮かべた同い年くらいの少年が立っていた。
(坂下という家名も、私の地位も関係ない……ただ私個人に向けられた、太陽のような優しさ。あのお兄様と同じ、温もり……)
差し伸べられたその温かい手を握り、このみはゆっくりと立ち上がった。
「ありがとう……っ。ねぇ! あなた、お名前は!?」
「ぼくは結城智也! 明日からここに通うんだ!」
「結城智也君……。忘れないでね、わたし……坂下このみが、誰よりも早くあなたに出会った女の子だからね!」
「う、うん! わかったよ!」
「智也ー! もう行くわよー!」
遠くから母親に呼ばれ、智也はパッと振り返った。
「あ、お母さんだ! じゃあね、このみちゃん、また明日!」
「……ええ、お義母様がお呼びなら仕方ありませんわね。また明日、智也君」
元気に手を振って走り去っていく智也の後ろ姿を、このみはじっと見つめ続ける。その隣へ、時任がスッと音もなく寄り添った。
「……時任。今の智也様との会話、記録していますね?」
「このみ様、もちろんバッチリでございます」
「ふふっ……結城家の跡取り息子さん。……私の運命のお相手、見つけましたわ」
◇◆◇
時は流れ、現代――結城学園の放課後。
空席となっている本庄結の特注デスクを冷ややかに見つめながら、このみは小さく唇を動かしていた。
「(智也君は私のすべて……引き下がるわけにはいきません。合理的に進めるには……明日アレがありますね……よし)」
「どうしたの、このみさん? ボーッとして」
「はっ……智也君……! みくるちゃん……!」
智也に声をかけられ、このみはいつもの柔らかい笑顔を取り戻す。
「早く一緒に帰ろうよ〜!」
「ごめんなさい、みくるちゃん。私、どうしても外せない急用ができてしまいまして。今夜の便でニューヨークへ立たないといけなくなりました」
「「「ニューヨーク!?!?!?」」」
目を丸くして叫ぶ幼馴染たちを背に、このみは急ぎ足で学園を後にした。
◇◆◇
太平洋上空。
漆黒の夜空を切り裂いて飛ぶプライベートジェットの機内にて。
「このみ様、一つお耳に入れておきたいことが」
資料に目を通していたこのみへ、時任が静かに歩み寄る。
「何でしょう? あとに出来ないのですか?」
「後にされないほうがよろしいかと」
「…………まあいいでしょう。それで、この報告書にある【YSS】って何ですの?」
「それが……たまたま我が方の情報網に引っかかりまして。まだ規模は小さいものの、資本元が完全に不明。それにもかかわらず、短期間で異常な業績を叩き出しております。このまま行けば、いずれ……」
「わかりました。もうニューヨークへ到着します。その件は会議がすべて終わってから精査しましょう」
「ははっ」
◇◆◇
ニューヨーク、国際金融取引会場。
世界経済の頂点に君臨する錚々たる盟主たちが並んで着席する中、日本企業グループの特別ブース。その一角には、日本……いや世界を牛耳る四大財閥の席が設けられ、【結城】【本庄】【坂下】【神代】の名札が置かれていた。
「いやー本庄さん、この度はようやくうちの智也と結さんの初顔合わせが無事済んだようで」
「いや、まったく。これでようやく両家、いや両グループの安泰ですなあ」
「そういえば、神代さんは今日もご欠席ですか」
「うむ、あの方もいろいろと……まあ、お忙しいのだろう」
満足げに語り合う結城翁と本庄翁の前へ、時任が恭しく一礼して進み出た。
「皆様、お待たせしてすみません」
「おおっ時任さん、今日も坂下代表の代理ですか!?」
「本当にいつもお疲れさまです」
「結城様、本庄様、いつもありがとうございます。……ですが本日は、我がグループ代表の【坂下このみ】自らが出席されるとのことでして、私めはそのサポートに回らせていただきます」
「ほっ、ほう...、あの坂下代表が!? これは珍しいですな……」
二人の老人が思わず冷や汗を浮かべる。
「実にお久しぶりじゃな。そういえばうちの智也とも『幼馴染みとして』仲良くしてくださっているようで」
「…………」
時任はただ、意味深ににっこりと微笑むだけだった。
その時、結城翁の真後ろに控えていた智也の父親が、滝のような冷や汗を流しながら全身をガタガタと震わせ始めた。
「まっ、まずい……っ」
「どうした息子よ、情けないぞ」
ざわっ……と会場全体に異様な静寂と緊張が走る。
重厚な大扉が左右に開かれた。
――コツ、コツ、コツ……。
気品と圧倒的な威圧感を宿したヒールの音が響き渡る。
そこに現れたのは、この世のものとは思えない美しさを放つ、超一流のビジネスコーデに身を包んだ坂下このみであった。
「お待たせしました、当グループ代表の坂下このみでございます」
「皆様、お久しぶりですわね」
会場中のVIPたちが息を呑む。
(これが……坂下このみ……!)
(先代が急逝した後、わずか数年で坂下グループを日本有数……いや世界トップクラスに育て上げた真の天才……)
(IT界の女王……いや、世界の若き女帝……!)
(うっ……美しい……)
普段、智也に合わせて見せている女子高生らしい愛らしさは完全に鳴りを潜め、ビジネスシーンにおける彼女の放つカリスマはまさに破壊的であった。
不敵な笑みを浮かべ、このみは告げる。
「さあ、みなさん、楽しい時間の始まりですわよ」
会議が始まると同時に、すべての主導権はこのみの手中に落ちた。
愛用のノートパソコンを華麗に操作しながら、ハキハキと正確無比なロジックで話題を進め、各国の要人たちを手玉に取っていく。
そして、日本の提携事業へ話が及んだ瞬間――。
「さ、坂下代表! いくらなんでも、それではわしらの取り分が……!」
「それではわしらのグループが大ダメージじゃ!」
「あらっ、わたしが何か理不尽なことでもいたしましたかしら?」
慌てふためく長老たちへ、このみは冷ややかに微笑んだ。
「だって仕方ありませんわ。あなたたちがわたしと智也くんの仲を引き裂こうとしているのですから……。あの時、智也くんのお父様が彼とわたしの婚約の件を認めて下さったというのに、後から結さんを送り込むんですから」
「なにっ!? うん!? いったいどういうことじゃ!」
「…………!? まったく意味がわからん!」
「そこで縮こまっている智也くんのお父様にお聞きになられては?」
「なに!? どういうことじゃ? おい、お前まさか!?」
詰め寄られた智也の父親は、顔面蒼白で絞り出した。
「……坂下代表のおっしゃる通りです。あの時、坂下家からの援助の誘いを受ける代わりに、ご自分と智也の婚約を認めなさいと……」
「おっ、おまえ! 結さんとのことは話してあっただろう!」
「………………」
「おいっ! 何とか言え!?」
「それでは言わせていただきますが……あの時、坂下代表からの提案を切ったら、結城家だけでなく本庄家までもがどうなるのかを、その場で即時にプレゼンしていただいたのです……!」
「なっ!?」
「結城さん、本庄さん。これがその時のプレゼンのバックアップですねえ」
このみがカタリと操作した画面に、詳細なデータライブラリが表示された。
そこには、結城家が提案を断った瞬間に始まる、結城・本庄両グループの破滅へのプロセスが克明に記されていた。
「こ、これは……」
「うちまで……」
「これでもあの時の契約を不履行になさるのですか!? そうなると両グループのみなさんとそのご家族が明日からどうなりますかねえ!?」
クスクスと笑みを浮かべるこのみに、結城と本庄は完全に言葉を失い、青ざめた。
(詰んでしまった……っ)
「いえ、何も難しいことは言いません。別に結さんをどうしろなどとは言いませんわ。個人的に結さんのことは好きですし、お友達ですから。このままの状態であとは私たち当人同士の問題ということです。――ただ」
スッと、このみの瞳の奥に冷徹な光が宿る。
「わたしのことを智也様の許嫁から排除するというのなら話は別です! 智也様を奪還した後に、坂下グループの全勢力をもって【太陽系上から跡形もなく】ぶっ潰して差し上げます! もちろんそちらの両グループが崩壊しても、智也様以外のそこに在籍していた方々とそのご家族のみなさんを坂下の関連企業及び学校関連が受け入れることは未来永劫なくなります。バグ(不穏分子)は受け入れないで、当グループの全社員とそのご家族のみなさんの幸福が私にとっての最優先ですから」
クスクスと微笑むこのみ。
孫のような歳の少女から放たれる、穏やかな怒りを秘めた絶対零度の威圧感。
「ひっ、ひぃぃっ……! わ、わかりました……このみ様のおおせのままに……!」
「まあっ、このみ、嬉しいですわ♡」
ふわりと咲いた、年頃の少女らしい満面のこのみスマイル。
そういえばこの子は現役の女子高生だったと、周囲の首脳陣は戦慄しながら思い出すのだった。
「それでは、みなさま失礼しますね」
「ささっ、このみ様。向こうに自家用ジェット機を用意してあります」
「ご苦労様です。(一刻も早く智也様のところへ)行くわよ、時任」
「ははっ、この時任、どこまでもこのみ様とともに……」
すたすたと去っていくこのみと、それに付き従う時任。
残された会場は水を打ったように静まり返り、結城翁と本庄翁は真っ白に燃え尽き、テーブルの下では智也の父親がガタガタと震え続けていた。
◇◆◇
再び専用ジェットの機内。
「ふうっ、さすがに疲れましたわ。営業スマイルもなんかね……。そういえば時任、YSSのことも――」
「このみ様、それどころではなくなりました。申し訳ございませんが、このまま日本へ直帰は出来なさそうです」
「はあ? 何ですって?」
「そ、それが……ただでさえ海外へ出られないこのみ様がここまで来られているということで、米国内の超大物政治家やメガテックのCEOたちが『この機を逃すまいぞ!』と軒並み面会を求めて殺到しております。このみ様なら、この重要な意味はお分かりですよね!?」
「うっ……」
「それでは、みなさまが待っている会場へと向かいます。日本への帰国は三日後の予定です。それまでの業務はすべて優秀な役員へ割り振っておきました。たまには何でもご自分でなさらずに、下に就いている者を頼ってください」
一刻も早く智也の元へ戻れると思っていたこのみは、シートに突っ伏して手足をバタつかせた。
「ふえええ~~~ん! こんなはずじゃなかったのにぃぃ! 智也く~~~ん!!」
若き女帝の切ない絶叫を乗せて、専用ジェット機は次なる国際政治の舞台へと針路を変えて飛んでいくのだった。
第5話につづく
メインヒロインのひとり 坂下 このみが歌う、
「ゆめみる、ゆき、あやなす、むすび。」の前期ED主題歌(このみVer.) です
『24HOURS BEFORE』
架空アニメ 「ゆめみる、ゆき、あやなす、むすび。」前期ED主題歌(このみVer.)
坂下 このみ
https://suno.com/s/qBRxFyxbNHsaw8In




