第21話「雪の降る夜の、かくれんぼ。逃亡者・幸人の帰還。」
季節外れの大雪が、街の輪郭を白く塗り潰していた。
まだ初冬と呼ぶには早すぎる時期に降り積もる、異様な牡丹雪。第四勢力が放つ呪詛の余波が、大気の巡りそのものを狂わせているのだ。湿った冷気が肌を刺す夜の児童公園には、しんとした不気味な静寂が澱のように沈んでいた。
「おかしいわね……。足元に這う澱みは濃くなっているのに、核となる輪郭がまるで掴めない」
あやめが白銀の太刀を中段に構えたまま、白息を漏らして視線を巡らせる。
結の滞空ドローンが放つ探照灯も、このみの端末が描く予測グリッドも、雪とともに立ち込める紫がかった闇の靄に乱反射し、エラーコードの明滅を繰り返すばかりだった。
「……智也。上よ!」
あやめの鋭い呼気が夜気を切り裂いた瞬間、頭上の街灯の笠を蹴破り、巨大な漆黒の影が落下してきた。
空気を軋ませて振り下ろされたのは、錆びた鉄のような色を宿す長柄の鎌。
「ぐっ……!」
智也はとっさに両腕を交差させ、全身から噴き上げた黄金の燐光を盾として噛み合わせた。だが、頭上から叩きつけられた物理的な質量と呪詛の重圧は桁違いだった。踏みしめた足元の新雪が爆ぜ、アスファルトごと靴底がめり込む。
上位怨霊――レン直属の処刑刃だ。骨の軋む音が智也の耳朶を打つ。光の盾に亀裂が走り、逃げ場のない刃が喉元へ食い込もうとした、その刹那。
「――遅ぇんだよ、智也ァッ!」
横合いから降り積もった雪を激しく蹴立て、一筋の影が疾走してきた。
振り抜かれた鈍色の切っ先が、怨霊の鎌の柄を真っ向から強打する。甲高い金属音が夜の公園に反響し、智也の頭上から凶刃が弾き飛ばされた。
「……ゆ、ゆっくん!?」
思わず声を上げた智也の視線の先。雪原を踏み締めて立っていたのは、泥と煤にまみれた見慣れない半纏を羽織った親友、真田幸人だった。
無残に擦り切れた衣服の端、擦り傷だらけの頬。だが、かつて劣等感に歪んでいたその双眸には、濁りのない鋭利な光が宿っていた。
「その格好、一体どこで……!」
「修行だよ、死ぬほど泥臭い修行だ。……あやめさんに言われたからな。『主人公の隣に立ちたいなら、死ぬ気で自分だけの足場を掘り起こせ』ってよ」
幸人の両手に握られていたのは、刀でも呪符でもなかった。
それは、工業用の特殊合金を削り出し、神代の術式紋様をノミで強引に彫り込んだ無骨な数本の「杭」だった。霊脈を持たない凡夫が、異能の怪物を無理やり地上に縫い止めるためだけに生み落とした、規格外の泥縄兵器。
「悪ぃな、化け物。俺は生まれつき光り輝く主人公じゃねぇんで、派手なビームなんざ出せねぇんだよ。――だがな、泥水啜って足首に噛みつくことに関しちゃ、誰にも負ける気はねぇ!」
幸人は身を沈めると、怨霊が体勢を立て直すより早く、残雪の地面へ渾身の力で杭を打ち込んだ。
ガツン、と凍てついた大地が鈍く鳴る。
刻印された術式が雪の下を這う影の導線を逆流し、不可視の帳に隠れていた怨霊の質量を、強制的に白銀の雪の上へと引きずり出した。
「……あやめさん! 今だッ、ぶった斬れ!」
「ええ、よくやったわ! 我が弟子の一号!」
あやめの踏み込みは一瞬だった。白銀の軌跡が夜闇を薙ぎ払い、実体化した怨霊の巨躯を斜め一文字に両断する。
両断された影は紫の煤となって雪原に散り、公園には再び、月光と舞い散る雪だけが残された。
肩で荒い息を吐きながら、幸人は親指で鼻の下をぬぐい、智也に向かって不敵に口の端を持ち上げた。
「……どうだ、智也。少しは背中預けられるツラ構えになっただろ」
「……ああ。最高にかっこいいよ、ゆっくん」
智也は伸ばされた親友の拳に、自らの拳をごつんと合わせた。
◇◆◇
「……まったく、心配ばかりかけるんだから」
背後から歩み寄ってきたみくるが、容赦なく幸人の背中を平手で叩いた。バチン、と乾いた音が響く。
「急に学校休んで連絡も寄こさないと思ったら……。でも、いい度胸じゃない。智也の隣に立つ資格、あたしも認めてあげるわよ」
「あらあら。幸人くん、顔つきがすっかり精悍になったわね」
このみが眼鏡のブリッジを押し上げ、柔らかく目を細める。幸人は一瞬、かつてのように顔を真っ赤にして視線を泳がせかけたが、今度は途中でぐっと踏みとどまり、真っ直ぐにこのみの目を見つめ返した。
「……もう、逃げねぇよ。あんたたちを守るためなら、俺はどんな泥だって啜ってやる」
その声の低さと落ち着きに、誰もからかいの言葉を挟む者はいなかった。結が扇子を静かに閉じ、紗季が安心したように息をつく。
だが――全員の呼吸が整いかけたその刹那、あやめの視線が凍りついた。
「……待って。幸人が引きずり出したあの怨霊……様子がおかしいわ」
「え?」
「偵察部隊の残党なんかじゃない。……あれは、本体へ位置を知らせるための『誘導灯』よ」
あやめの指差す先、街の背後にそびえる冠雪の稜線――その頂きから、天を穿つようにして、どす黒い光の柱が立ち昇った。
ゴオオオオッ、と地鳴りのような咆哮が遠くから吹き下ろし、舞い落ちる雪の粒を黒く染め変えていく。
「……来るわ。第四勢力の本格侵攻。――そして、レンが隠し持っていた本当の企みが、暴かれる時が」
雪は次第に横殴りの猛吹雪へと変わり、眼下に広がる街並みを冷酷に呑み込もうとしていた。
物語はついに、世界そのものの存亡を賭けた決戦の坩堝へと滑り落ちていく。
(第21話「雪の降る夜の、かくれんぼ。逃亡者・幸人の帰還。」おわり / 第22話へ続く)




