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翠色のアルケミスト  作者: 蜂兎類
第4部 カルタ編
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ep76 静寂の奥に

 司令部の内部は、思っていたより静かだった。


 通路の所々に見張りはいるものの、人員はまばらだ。


 四人は物陰を使いながら足音を殺し、奥へと進んでいく。


「随分少ないな」


 ゼイルが小声で呟く。


「侵入されるなんて考えてないんだろ。それに、こっちは予定よりかなり早く着いた」


 ジルは前方を確認しながら答えた。


「カルタでの件が、まだここまで伝わっていない可能性もありますね」


 レオンの言葉に、ジルが頷く。


「カルタの件を知らないなら、その方が都合がいい」


 少し進んだところで、ジルは三人を振り返った。


「まずは資料だ。オルド・コルヴィの他の拠点に繋がるもの。それと魔獣の研究記録。ここの親玉を探すのはその後だ」


 三人が頷く。


 さらに奥へ進むと、いくつもの扉が並んだ区画へ出た。


 レオンがその一つへ近づき、扉の脇に取り付けられた小さな札を確認する。


「ここですね。資料の保管区画です」


「よし。入るぞ」


 周囲に人影がないことを確かめ、四人は素早く中へ入った。


 部屋には何列もの棚が並び、机の上にも整理しきれていない資料が積み上げられている。


「当たりだな」


 ジルが近くにあった一冊を手に取った。


 表紙には個体番号と日付。


 ページをめくると、魔獣の種類、薬品の投与量、適合率らしき数値が細かく記されていた。


「かなりありますね」


「俺もやる」


 ジルが手を差し出す。


 レオンは鞄からもう一つ記録用の魔道具、ルンデスの単眼鏡を取り出し、ジルへ渡した。


 以前、マリアも使用していたものと同じ魔道具だ。


「使い方は?」


「知ってるよ」


「では、私はこちらを」


「俺は奥を見る。ゼイル、ネフィラ」


「分かってる。見張りだろ」


「任せて」


 二人が入口付近へ移動する。


 ジルとレオンは左右に分かれ、それぞれ棚を調べ始めた。


 資料を開き、その上へ魔道具をかざす。


 淡い光が紙面を走り、文字や図をそのまま内部へと記録していく。


「こっちは魔獣の生成記録だ」


「こちらには各地からの輸送記録があります」


「使えそうなものは片っ端から写せ」


「承知しました」


 二人の手が一気に速まった。


 カルタで見つかった施設とは比べものにならないほど、詳細な記録が残されている。


 実験に使用した魔獣、薬品の種類、融合後の生存率、適合率、自我の残存、そして失敗例。


 ふとジルが一枚の資料を手に取り、動きを止めた。


「……レオン」


「はい?」


「これを見ろ」


 そこには複数の施設名と、それぞれの間で行われた物資の輸送記録が並んでいた。


「ここだけでやってたわけじゃないな」


「ええ。少なくとも、いくつもの拠点と繋がっています」


「全部記録しろ」


「もちろんです」


 さらに資料をめくっていく。


 やがてジルの手が再び止まった。


「……これは」


 人間と魔獣の融合の経過をまとめた記録。


 だが、最後に記されていたのは、それまでとは異なる研究だった。


 融合した身体を、元の状態へ戻すための試験。


 ジルの目つきが変わる。


「レオン。これも優先だ」


「元に戻す研究……」


「ああ」


 ジルはすぐさま記録を始めた。


「成功してなくても構わない。何を試して、どこまで戻せたのか。それが分かるだけでも意味がある」


「分かりました」


 それから二人は、少しでも有用と思われる資料を次々と魔道具へ写していった。


  ◇


 その頃。


 司令部の別区画。


 監視用の魔道具を確認していた男が、表示された反応に眉を寄せた。


「……なんだ?」


 司令部内部に存在する生命反応が、淡い光として表示されている。


 その中に、本来登録されていない四つの反応があった。


「四人……?」


 位置は資料保管区画。


 男の顔色が変わる。


 すぐに通信魔道具を起動した。


「指令室へ。侵入者と思われる反応を確認。四名です」


 少しの沈黙の後、女の声が返ってくる。


『警報は出さなくていいわ』


「……は?」


『何もしなくていいと言っているの』


「しかし、すでに資料保管区画へ侵入しています。このままでは――」


『言葉が理解できないのかしら』


 声色は穏やかなまま。


 だが、その言葉には逆らうことを許さない冷たさがあった。


「も、申し訳ございません。ご指示に従います」


『おりこうね』


 女は短く笑った。


「承知しました」


 通信が切れる。


 男はもう一度表示を見る。


 四つの光が、ゆっくりと移動を始めていた。


 ◇


「こっちは終わった」


 ジルが魔道具を鞄へ戻す。


「こちらも一通り記録しました」


 レオンも続く。


「かなり拾えたな」


「他拠点への繋がりだけでも十分な収穫です。それに魔獣の研究記録もあります」


「ああ。持ち帰って全部洗えば、次の場所も割り出せるかもしれない」


 入口で警戒していたゼイルが振り返る。


「終わったか?」


「ひとまずな」


 ネフィラが通路を覗く。


「相変わらず静かね」


「ああ」


 ジルも外を確認した。慌ただしく動く気配はない。


 警報も鳴っていない。


「……順調すぎるくらいだな」


「何か気になりますか?」


 レオンが尋ねる。


 ジルは少し考えたものの、首を振った。


「いや。今のところはな」


 まだ疑うだけの材料はない。


「資料は押さえた。次へ行くぞ」


 四人は資料室を後にした。


 すでに自分たちの存在が知られているとも知らずに。


 そのまま司令部の奥へ進む。


 通路は複雑に枝分かれしていたが、人の気配は依然として少なかった。


 時折聞こえる足音を避け、見張りが通り過ぎるのを待ちながら先へ進んでいく。


 しばらくすると、空気に別の臭いが混じり始めた。


 鼻を刺す薬品の臭い。


 そして、それを覆い隠すような強い獣臭。


 ジルが足を止める。


「……こっちだな」


 臭いを辿って進む。


 やがて、大きな鉄扉が現れた。


 その向こうから、低い唸り声と鎖が擦れるような音が聞こえてくる。


「魔獣か」


 ゼイルが声を潜めた。


 レオンが扉の脇へ寄り、錠を確認する。


「施錠されています」


「開けられるか?」


「少し時間をいただければ」


「頼む」


 レオンが仕掛けを調べ始める。


 ゼイルとネフィラは左右へ分かれ、通路を警戒した。


 ほどなくして小さな音が鳴る。


「開きます」


 扉がゆっくりと開いた。


 隙間から強烈な獣臭が流れ出す。


 四人が中へ入る。


 その先には、巨大な収容施設が広がっていた。


 左右に並ぶ無数の檻。


 その一つ一つに魔獣が閉じ込められている。


 小型のもの、人間の数倍はある大型種、四肢を鎖で拘束されたもの。


 薬を打たれているのか、横たわったまま動かないもの。


 さらに奥へ進んだところで、ゼイルの足が止まった。


「……おい」


 檻の中にいたのは、人間だった。


 いや――人だったもの、と呼ぶ方が近い。


 身体は人間のままだが、右腕だけが異様に肥大化し、黒い獣毛に覆われている。


 隣には背中から異形の翼を生やした女。


 その奥には、下半身が魔獣へ変わった男が横たわっていた。


「これ……人間よね」


 ネフィラが呟く。


「ああ」


 ジルの顔が険しくなる。


「カルタで見たのと同じだ。人造魔獣の実験体だろう」


 だが、その数が違う。


 カルタとは比べものにならない。


「レオン」


「はい」


 二人は同時に記録用の魔道具を取り出した。


「手分けするぞ」


「分かりました」


 ジルは左側。


 レオンは右側。


 檻の番号、個体の状態、取り付けられた記録票を次々と写していく。


「十二番。融合率六十二……拒絶反応あり」


「こちらは八十一。自我残存との記載があります」


「それも全部だ」


「はい」


 ゼイルとネフィラは周囲を警戒しながら、黙って檻の中を見ていた。


 先ほどまでの軽口は消えている。


「ひでえな……」


 ゼイルが低く呟いた。


 その時。


 ガタンッ!


 奥から大きな音が響いた。


 牛に似た巨大な魔獣が身体を起こし、四人を睨んでいる。


 頭部には何本もの角。


 背中には黒い棘。


「グルルルル……」


 魔獣が前脚を踏み込む。


 鎖が激しく鳴り響いた。


 ゼイルが長剣へ手を伸ばす。


「やるか?」


「いや」


 ジルがすぐに止める。


「まだ拘束されてる。刺激するな」


「記録は?」


「終わりました」


「こっちもだ。出るぞ」


 四人は魔獣から目を離さないまま、その場を離れた。


 鉄扉を閉じる。


 重い音とともに獣の唸り声が遠ざかっていく。


 ジルは一度だけ扉を振り返った。


「……まだ奥がありそうだな」


「調べますか?」


「いや。今はいい」


 ジルは進行方向へ視線を戻す。


「資料も魔獣の記録も押さえた」


 そして静かに歩き出した。


「次は、ここの指揮を執ってる奴だ」


 三人もその後に続く。


 四人がさらに奥へ進んでいることも、すでに指令室では把握されていた。

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