ep76 静寂の奥に
司令部の内部は、思っていたより静かだった。
通路の所々に見張りはいるものの、人員はまばらだ。
四人は物陰を使いながら足音を殺し、奥へと進んでいく。
「随分少ないな」
ゼイルが小声で呟く。
「侵入されるなんて考えてないんだろ。それに、こっちは予定よりかなり早く着いた」
ジルは前方を確認しながら答えた。
「カルタでの件が、まだここまで伝わっていない可能性もありますね」
レオンの言葉に、ジルが頷く。
「カルタの件を知らないなら、その方が都合がいい」
少し進んだところで、ジルは三人を振り返った。
「まずは資料だ。オルド・コルヴィの他の拠点に繋がるもの。それと魔獣の研究記録。ここの親玉を探すのはその後だ」
三人が頷く。
さらに奥へ進むと、いくつもの扉が並んだ区画へ出た。
レオンがその一つへ近づき、扉の脇に取り付けられた小さな札を確認する。
「ここですね。資料の保管区画です」
「よし。入るぞ」
周囲に人影がないことを確かめ、四人は素早く中へ入った。
部屋には何列もの棚が並び、机の上にも整理しきれていない資料が積み上げられている。
「当たりだな」
ジルが近くにあった一冊を手に取った。
表紙には個体番号と日付。
ページをめくると、魔獣の種類、薬品の投与量、適合率らしき数値が細かく記されていた。
「かなりありますね」
「俺もやる」
ジルが手を差し出す。
レオンは鞄からもう一つ記録用の魔道具、ルンデスの単眼鏡を取り出し、ジルへ渡した。
以前、マリアも使用していたものと同じ魔道具だ。
「使い方は?」
「知ってるよ」
「では、私はこちらを」
「俺は奥を見る。ゼイル、ネフィラ」
「分かってる。見張りだろ」
「任せて」
二人が入口付近へ移動する。
ジルとレオンは左右に分かれ、それぞれ棚を調べ始めた。
資料を開き、その上へ魔道具をかざす。
淡い光が紙面を走り、文字や図をそのまま内部へと記録していく。
「こっちは魔獣の生成記録だ」
「こちらには各地からの輸送記録があります」
「使えそうなものは片っ端から写せ」
「承知しました」
二人の手が一気に速まった。
カルタで見つかった施設とは比べものにならないほど、詳細な記録が残されている。
実験に使用した魔獣、薬品の種類、融合後の生存率、適合率、自我の残存、そして失敗例。
ふとジルが一枚の資料を手に取り、動きを止めた。
「……レオン」
「はい?」
「これを見ろ」
そこには複数の施設名と、それぞれの間で行われた物資の輸送記録が並んでいた。
「ここだけでやってたわけじゃないな」
「ええ。少なくとも、いくつもの拠点と繋がっています」
「全部記録しろ」
「もちろんです」
さらに資料をめくっていく。
やがてジルの手が再び止まった。
「……これは」
人間と魔獣の融合の経過をまとめた記録。
だが、最後に記されていたのは、それまでとは異なる研究だった。
融合した身体を、元の状態へ戻すための試験。
ジルの目つきが変わる。
「レオン。これも優先だ」
「元に戻す研究……」
「ああ」
ジルはすぐさま記録を始めた。
「成功してなくても構わない。何を試して、どこまで戻せたのか。それが分かるだけでも意味がある」
「分かりました」
それから二人は、少しでも有用と思われる資料を次々と魔道具へ写していった。
◇
その頃。
司令部の別区画。
監視用の魔道具を確認していた男が、表示された反応に眉を寄せた。
「……なんだ?」
司令部内部に存在する生命反応が、淡い光として表示されている。
その中に、本来登録されていない四つの反応があった。
「四人……?」
位置は資料保管区画。
男の顔色が変わる。
すぐに通信魔道具を起動した。
「指令室へ。侵入者と思われる反応を確認。四名です」
少しの沈黙の後、女の声が返ってくる。
『警報は出さなくていいわ』
「……は?」
『何もしなくていいと言っているの』
「しかし、すでに資料保管区画へ侵入しています。このままでは――」
『言葉が理解できないのかしら』
声色は穏やかなまま。
だが、その言葉には逆らうことを許さない冷たさがあった。
「も、申し訳ございません。ご指示に従います」
『おりこうね』
女は短く笑った。
「承知しました」
通信が切れる。
男はもう一度表示を見る。
四つの光が、ゆっくりと移動を始めていた。
◇
「こっちは終わった」
ジルが魔道具を鞄へ戻す。
「こちらも一通り記録しました」
レオンも続く。
「かなり拾えたな」
「他拠点への繋がりだけでも十分な収穫です。それに魔獣の研究記録もあります」
「ああ。持ち帰って全部洗えば、次の場所も割り出せるかもしれない」
入口で警戒していたゼイルが振り返る。
「終わったか?」
「ひとまずな」
ネフィラが通路を覗く。
「相変わらず静かね」
「ああ」
ジルも外を確認した。慌ただしく動く気配はない。
警報も鳴っていない。
「……順調すぎるくらいだな」
「何か気になりますか?」
レオンが尋ねる。
ジルは少し考えたものの、首を振った。
「いや。今のところはな」
まだ疑うだけの材料はない。
「資料は押さえた。次へ行くぞ」
四人は資料室を後にした。
すでに自分たちの存在が知られているとも知らずに。
そのまま司令部の奥へ進む。
通路は複雑に枝分かれしていたが、人の気配は依然として少なかった。
時折聞こえる足音を避け、見張りが通り過ぎるのを待ちながら先へ進んでいく。
しばらくすると、空気に別の臭いが混じり始めた。
鼻を刺す薬品の臭い。
そして、それを覆い隠すような強い獣臭。
ジルが足を止める。
「……こっちだな」
臭いを辿って進む。
やがて、大きな鉄扉が現れた。
その向こうから、低い唸り声と鎖が擦れるような音が聞こえてくる。
「魔獣か」
ゼイルが声を潜めた。
レオンが扉の脇へ寄り、錠を確認する。
「施錠されています」
「開けられるか?」
「少し時間をいただければ」
「頼む」
レオンが仕掛けを調べ始める。
ゼイルとネフィラは左右へ分かれ、通路を警戒した。
ほどなくして小さな音が鳴る。
「開きます」
扉がゆっくりと開いた。
隙間から強烈な獣臭が流れ出す。
四人が中へ入る。
その先には、巨大な収容施設が広がっていた。
左右に並ぶ無数の檻。
その一つ一つに魔獣が閉じ込められている。
小型のもの、人間の数倍はある大型種、四肢を鎖で拘束されたもの。
薬を打たれているのか、横たわったまま動かないもの。
さらに奥へ進んだところで、ゼイルの足が止まった。
「……おい」
檻の中にいたのは、人間だった。
いや――人だったもの、と呼ぶ方が近い。
身体は人間のままだが、右腕だけが異様に肥大化し、黒い獣毛に覆われている。
隣には背中から異形の翼を生やした女。
その奥には、下半身が魔獣へ変わった男が横たわっていた。
「これ……人間よね」
ネフィラが呟く。
「ああ」
ジルの顔が険しくなる。
「カルタで見たのと同じだ。人造魔獣の実験体だろう」
だが、その数が違う。
カルタとは比べものにならない。
「レオン」
「はい」
二人は同時に記録用の魔道具を取り出した。
「手分けするぞ」
「分かりました」
ジルは左側。
レオンは右側。
檻の番号、個体の状態、取り付けられた記録票を次々と写していく。
「十二番。融合率六十二……拒絶反応あり」
「こちらは八十一。自我残存との記載があります」
「それも全部だ」
「はい」
ゼイルとネフィラは周囲を警戒しながら、黙って檻の中を見ていた。
先ほどまでの軽口は消えている。
「ひでえな……」
ゼイルが低く呟いた。
その時。
ガタンッ!
奥から大きな音が響いた。
牛に似た巨大な魔獣が身体を起こし、四人を睨んでいる。
頭部には何本もの角。
背中には黒い棘。
「グルルルル……」
魔獣が前脚を踏み込む。
鎖が激しく鳴り響いた。
ゼイルが長剣へ手を伸ばす。
「やるか?」
「いや」
ジルがすぐに止める。
「まだ拘束されてる。刺激するな」
「記録は?」
「終わりました」
「こっちもだ。出るぞ」
四人は魔獣から目を離さないまま、その場を離れた。
鉄扉を閉じる。
重い音とともに獣の唸り声が遠ざかっていく。
ジルは一度だけ扉を振り返った。
「……まだ奥がありそうだな」
「調べますか?」
「いや。今はいい」
ジルは進行方向へ視線を戻す。
「資料も魔獣の記録も押さえた」
そして静かに歩き出した。
「次は、ここの指揮を執ってる奴だ」
三人もその後に続く。
四人がさらに奥へ進んでいることも、すでに指令室では把握されていた。




