ep65 国境を越える密談
ジルヴェント商会カルタ支部。
自室へ戻ったジルは、机に地図を広げていた。
ルミナリア大陸。アストリア連合国が統べる大陸の総称だ。
その西端へ指を滑らせる。
「ここか……」
土の神殿。
そこから、そう遠くない場所。
オルド・コルヴィ西方司令部。
「随分と奥に隠したもんだ」
ジルは椅子へ腰を下ろす。少し考えたあと、机の脇へ置いてあった共鳴盤を引き寄せた。
マナを流すと表面に淡い光が走る。
やがて。
「……何の用だ」
低い声が響いた。
「ああ。久しぶりだな、ライオ」
「久しぶりだな、ではない」
返ってきた声は、明らかに機嫌が悪かった。
「俺がどれだけ忙しいか分かっているだろう。軽々しく呼び出すな」
「皇帝陛下は大変だな。俺なら三日で逃げ出してる」
「なら最初から呼ぶな」
「そう怒るなって。眉間に皺が寄ってるぞ」
「見えてもいないくせに言うな」
「昔から変わらんから分かる」
「……切るぞ」
「待て待て。本題に入る」
ジルは笑いを噛み殺しながら、共鳴盤の前の椅子に腰を下ろした。
「それにしても、もうそんな時期か」
「何の話だ」
「六星会議だよ。そろそろだろ」
一拍の間が空く。
「ああ」
「今年こそはどうだ。少しは信用できそうな国の見定めはついたか?」
ライオはしばらく黙っていたが、やがて低く答えた。
「アストリアは、どうやら信用してもよさそうだ」
「へえ」
「少なくとも、今のところ妙な動きは見えん。軍の動きも比較的まともだ。こちらに対して、裏で余計なことをしている様子もない」
「珍しいな。お前が他国を褒めるなんて」
「褒めてはいない。信用できる可能性があると言っただけだ」
「はいはい」
「……やはり切るぞ」
「だから待てって」
ジルは笑いながら片手を上げた。
「それで、他は?」
「問題はそちらだ。ヴァレンシアは継承者次第だな」
ジルの表情から、わずかに笑みが消える。
「第二王子か」
「ああ。こちらの間者からも報告が上がっている。最近、妙な動きが多いそうだ」
「こっちでも掴んでる」
「なら、商会の力でどうにかできんのか?」
「簡単に言うなよ」
ジルは背もたれに体を預けた。
「こっちは商会本部にも便宜を図ってくれている第一王子を支援してる。裏もなく、為政者としてもまともそうだしな。だが、ジルヴェント商会が露骨に王位継承争いへ口を出せば話は別だ」
「商会が一国の王を決めたとなれば、他国からも警戒されるか」
「それだけじゃない。国内の反発も出る。第一王子自身の立場まで悪くなる」
「面倒なものだな」
「皇帝がそれを言うか?」
「俺は力でまとめた」
「知ってるよ」
ジルは、見ずともその姿が目に浮かぶようで小さく笑った。それから、少し声を落とす。
「それに今は、第二王子の方が民衆の支持を集め始めてる」
「理由は?」
「魔獣だ」
ライオの声色が変わった。
「最近、大陸各地で魔獣の発生数が増えてるって報告が来てるだろ」
「ああ。こちらにも来ている」
「ヴァレンシアも同じだ。それも数が多い」
「第一王子は何をしている」
「軍を動かしてる。正攻法だな」
「なら問題はないだろう」
「普通ならな」
ジルは指先で机を軽く叩いた。
「第二王子は軍じゃなく、自分の抱えている私兵を動かしてる」
「私兵?」
「ああ。それがまた、やたら強い」
「どの程度だ」
「そこらの上級冒険者より上だと思っていい」
共鳴盤の向こうで、ライオが黙る。
「それが一人や二人じゃない。まとまった数を抱えてる」
「……なるほど」
「軍を大きく動かせば当然金がかかる。兵站も必要だし、その分、国の負担も増える」
「だが第二王子は、自前の兵で処理している」
「そういうことだ」
ジルは頷いた。
「結果として、第二王子の管轄では魔獣被害を抑えながら、税の負担まで軽くできてる」
「民衆からすれば英雄に見えるか」
「実際、そんな扱いになりつつある」
「第一王子は分が悪いな」
「今のままならな」
少しの沈黙。
やがてライオが言った。
「その私兵、どこから集めた」
「そこが分からん」
「上級冒険者以上の戦力を大量に揃えるなど、そう簡単にできることではない」
「俺もそう思ってる。上級冒険者をあれだけ雇えば、いくら金があっても足りない」
ジルの声から、先ほどまでの軽さが消える。
「だから疑ってる」
「オルド・コルヴィか」
「ああ」
「根拠は?」
「今のところは状況証拠だけだ」
「弱いな」
「分かってる」
ジルは小さく息を吐いた。
「だが、時期が妙に合いすぎてる。魔獣の大量発生。その直後から目立ち始めた、異様に強い私兵。しかも第二王子の動きそのものも、最近になって急に変わった」
「誰かが後ろにいると見るか」
「俺はな」
「しかし証拠はない」
「ない。だから面倒なんだよ」
ジルは眉を寄せた。
「商会の情報網を使って探ってるが、なかなか尻尾を出さない」
「オルド・コルヴィなら当然だろう」
「ああ。あいつらは表に出ない」
「なら第二王子本人を探れ」
「やってるよ」
「足りん」
「簡単に言うなって」
「お前ならできる」
「急に買いかぶるな」
「褒めてはいない」
「お前、それ便利な言葉だな」
「事実だ」
ジルは小さく笑ったが、その目は笑っていなかった。
「まあ、第一王子が完全に押し切られる前には、何か掴むつもりだ」
「掴めなければ?」
「その時は、その時だ」
「雑だな」
「商人ってのは、最後まで手札を隠すもんなんだよ」
「お前の場合は隠しすぎだ」
「皇帝陛下に言われたくないね」
共鳴盤の向こうから、重いため息が聞こえた。
「それで、他の三国は?」
ジルが話を戻す。
「ヴァルドリンは、良くも悪くも中立だ」
「まあ、あそこはそうだろうな」
「変化を嫌う国だ。亜人たちも、外の争いに自分たちから首を突っ込もうとはせん。あの女王も、他国の事情にはさして興味を示さんだろう」
ヴァルドリン。
広大な森林を領土とし、多くの亜人たちが暮らす国だ。
「俺としては、こちらと敵対する気がないのなら放っておいてもいいと思っている」
「ずいぶん寛大じゃないか」
「無駄な敵を増やす必要がないだけだ」
「はいはい」
「だが――」
ライオの声が低くなる。
「オルド・コルヴィが根付いていないとも限らん」
ジルの表情から笑みが消えた。
「そこは調べてるのか?」
「外から探るにも限界がある。次の六星会議で、直接話を聞くつもりだ」
「……直接?」
「ああ」
あまりにも当然のように返され、ジルは眉を寄せる。
「お前、それ大丈夫なのか?」
「何がだ」
「何がって……国家間の交渉とか駆け引きとかあるだろ。いきなり『お前の国にオルド・コルヴィはいないか』なんて聞くつもりじゃないだろうな?」
「そのつもりだが」
「やめろ」
間髪入れずにジルが返した。
「なぜだ」
「なぜじゃねえよ」
ジルは額に手を当てた。
「お前、一応皇帝なんだからな。何が引き金になって戦争が起きるか分からないんだぞ。少しは自重しろ」
「駆け引きなど好かん」
「好き嫌いの話じゃない」
「直接会って、目を見て話せば分かる」
「何が?」
「信用できるかどうかだ」
「……お前はそれでいいかもしれないけどな」
ジルは深くため息をついた。
「相手は国なんだぞ」
「だから何だ」
「だから何だ、じゃねえよ」
「仮に戦争になったとしても、負けるつもりはない」
「そういう問題じゃ――」
「最悪、オルド・コルヴィがいるなら国ごと滅ぼせば問題あるまい」
「大ありだよ!」
ジルの声が商会の一室に響いた。
「お前な……国一つ滅ぼす話を、害虫でも駆除するみたいに言うな」
「実際、オルド・コルヴィに国ごと食われているなら似たようなものだろう」
「違う。全然違う」
ジルは盛大なため息を吐いた。
「……六星会議は俺も出る」
「そうか」
「そうか、じゃない。お前が余計なことを言う前に、俺が橋渡ししてやるよ」
「必要ない。余計なお世話だ」
「必要だ。俺たちの本来の目的を忘れるな」
しばし沈黙した後、ライオが不満げに答えた。
「……好きにしろ」
「これでもヴァルドリンの女王とは何度か会ったことがある。いきなり皇帝陛下が喧嘩を売るよりは、俺から話を通した方がまだましだ」
「俺は喧嘩を売るつもりなどない」
「国ごと滅ぼすって言った奴が言うな」
共鳴盤の向こうから返事はなかった。
ジルはそれ以上追及するのを諦める。
「それで、残り二つは? エルドランとリュミエラ」
「エルドランは今のところ問題ない」
「国王とは仲良しだったな」
「その言い方はやめろ。ただ何度か直接会った中で、人間にしては評価できると思っただけだ」
「どう見る?」
「あいつはオルド・コルヴィに取り込まれるような男ではない」
ライオは迷いなく言い切った。
「少なくとも、奴自身が連中に従うことはないだろう」
「ずいぶん信用してるんだな」
「信用というより、性格を知っているだけだ」
「お前にそこまで言わせるなら、相当頑固そうだな」
「否定はせん」
ジルが小さく笑う。
「なら、問題は――」
「リュミエラだ」
先ほどまでとは明らかに違う声だった。
ジルもすぐに表情を引き締める。
「やっぱり、そっちか」
「ああ」
「あの国には、オルド・コルヴィの匂いが染みついている」
「……そこまでか?」
「確証はない。だが、排他的な思想が強く、自分たちの教義を他者にも押しつける宗教国家だ。オルド・コルヴィが潜むには十分な国だろう」
「お前がそう言うってことは、何かあるんだろ」
「間者を何度か放った」
「だが――」
一拍置いて、ライオが告げる。
「一人も戻ってきていない」
ジルの目が細くなる。
「……全員か?」
「ああ」
「連絡も?」
「ない。途中までは報告が届いていた者もいる。だが、リュミエラの中枢へ近づいたところで消息を絶った」
「偶然じゃ済まねえな」
「だからこそ問題だ」
ライオの声から、先ほどまでの苛立ちは消えていた。
「何があるのかはまだ分からん。だが、あの国には何かがある」
「リュミエラでは、数年前に前代未聞のことが起きている」
「元首の座は、口には出さずとも代々世襲され、しかも男が継いできた。これまでは元首が死んだ後に、次代へと引き継がれるのが常だった」
「だが先代は、生きているうちにその座を退いた。そして後を継いだのは、血縁すらない外部の女だ」
「奴らの教義では、“神の使徒”となるのは男だったはずだ。それにもかかわらず、突然現れた女が元首の座に就いた」
ライオは低い声で言い切った。
「違和感だらけの交代だ。裏に何もないと考える方が不自然だ」
「俺もまだ、その女の姿は見ていない。だが、次の六星会議には出てくるだろう」
ライオはそこで一度言葉を切った。
「そこで少しでも、何か掴めればいいんだがな」
共鳴盤の向こうに、しばし沈黙が流れた。




