EP66 掴んだ糸の先
沈黙が先に破ったのはジルだった。
「まあ確かにな。それについては俺も違和感があった」
少し考えがまだまとまらないのか、言葉に間を置く。
「でも、まだ手駒が揃ってない今の段階でリュミエラを探るのは危険すぎる」
「なら、どうする」
「まずは外堀から埋めていくしかない。……ようやく、あいつらの尻尾を掴んだところだしな」
「尻尾とは?」
「ああ。奴らがやってた人体実験だよ」
ジルの声から、わずかに軽さが消える。
「読み通りだった。あいつらは人間を使って、人造の魔獣を作っていた」
「……やはりか」
「そこを仕切ってた奴を捕まえることができてな。時間はかかったが、何とか口を割らせた」
「本当か。何と言っていた?」
「実験の結果と、魔獣にするための素体を“西方司令部”ってところに送ってたらしい」
「西方司令部……」
「ああ。それと、奴らにとっての成功ってのは、人間を魔獣に変えることだけじゃない」
「どういう意味だ」
「一度魔獣にした人間を、もう一度人の姿へ戻す。そして、その状態で意のままに操る。そこまでできて、初めて完成らしい」
共鳴盤の向こうで、ライオが黙り込む。
「……その西方司令部の場所は、聞き出せたのか?」
「もちろん」
ジルは即答した。
「この通信が終わり次第、そこへ向かうつもりだ」
「待て」
「ん?」
「俺も分体を向かわせる」
ライオの声に迷いはなかった。
「お前一人でも事足りるかもしれんが、戦力は多い方がいいだろう」
「そりゃありがたいけどな」
ジルは小さく笑う。
「お前を待ってる間に、向こうへ時間を与えることになる」
「……」
「来たけりゃ来てもいい。だが、俺は先に行くぜ」
「勝手にしろ」
「最初からそのつもりだよ」
そこでジルが、思い出したように声を上げた。
「そういや、最後にもう一つある」
「まだあるのか。俺はさっさと政務に戻りたいんだがな」
「ああ。これが一番重要だ」
わざと間を置くジルに、共鳴盤の向こうから苛立った声が飛んできた。
「お前のその勿体ぶる癖は何とかならんのか。千年経っても変わらんぞ」
「千年変わらなかったんだ。もう諦めてくれよ」
ジルは楽しそうに笑う。
「実はな――エメラに会ったぞ?」
「…………何だと?」
明らかに声色が変わった。
「今、何と言った?」
「だからエメラだよ、エメラ。お前の大親友のな」
「その唾棄すべき言い方をやめろ!」
間髪入れず、怒声が返ってくる。
「まったく、あいつは……! せっかく復活したというのに、すぐに消息を絶ちおって!」
「ははっ。相変わらずエメラのことになると分かりやすいな、お前」
「何がだ!」
「せっかく会わせてやろうと思ったのになぁ。そこまで嫌いなら、別に教えなくてもいいか」
「誰が嫌いだと言った!」
「大親友って言ったら怒ったじゃねえか」
「その呼び方が気に入らんと言っている!」
「じゃあ親友?」
「違う!」
「友人?」
「……」
「おい、黙るなよ」
「くだらんことを言っていないで、さっさと話せ! エメラは今どこにいる!」
共鳴盤越しでも分かるほどの剣幕に、ジルは堪えきれず吹き出した。
「くくっ……お前、本当に変わらねえな」
「ジル!」
「分かった、分かった。そう怒鳴るなって」
ひとしきり笑ってから、ジルは声を落ち着かせる。
「安心しろ。元気にしてるよ」
その一言のあと、共鳴盤の向こうが静かになった。
「……そうか」
先ほどまでの怒声とは打って変わった、短い声だった。
ジルはその僅かな変化を聞き逃さない。
「なんだ。やっぱり心配してたんじゃねえか」
「していない」
「はいはい」
「……それで、奴はどこにいる」
「ついさっきまで、ここにいたよ」
「何?」
「俺の目の前にな」
「ならなぜ呼ばん!」
「せっかく久しぶりの再会を演出してやろうと思ったんだけどな。それに、お前は今帝国にいるんだろ?」
「余計なことを考えるな! あの寝坊助め。直接会って文句の一つも言いたいに決まっているだろう!」
「だから今、教えてやってるだろ」
「遅い!」
「皇帝陛下は注文が多いねえ」
再びライオの苛立った声が響き、ジルは愉快そうに笑った。
やがてライオは怒りを落ち着かせ、本筋に戻る。
「エメラもいいが、まずはオルド・コルヴィだ」
「そっちは予定通りだ。場所は通信を切った後、伝令板でそっちに送る」
「分かった。では、明日の朝一で出るのか?」
「いや……出るのは明日の夕方以降になる予定だ」
「なぜだ?」
ライオの声が僅かに低くなる。
「今の俺たちに、オルド・コルヴィより優先すべきものなどないだろう」
「あー……まあ、何というかな」
珍しくジルが言葉を濁した。
「エメラだよ。エメラ」
「エメラ?」
「ああ」
「まさか、奴も西方司令部へ連れていくつもりか?」
「いや、逆だ」
「なら何だ」
ジルは少しだけ間を置いた。
「なんつうか……めちゃくちゃ弱くなってるんだよ、あいつ」
「……何だと?」
共鳴盤の向こうから返ってきた声が、明らかに変わった。
「冗談じゃないぞ。今のお前が知ってるエメラとは、まるで違う」
「どの程度だ」
「正直、見てて危なっかしい。力の使い方もそうだが、自分が今どれだけ動けるのかも、まだちゃんと分かってない」
「……」
「だから明日は一日、あいつの力を見る」
「待て」
ライオが遮った。
「西方司令部の場所を掴んだ直後だぞ」
「ああ」
「何百年も追って、ようやく見つけた手掛かりだ。それを前にして、なぜ今エメラに一日使う」
「弱すぎるからだよ」
「それは聞いた!」
ライオの怒声が響く。
「だからといって、今である必要があるのかと言っている!」
「ある」
ジルは即答した。
「この先、あいつがオルド・コルヴィと関わらずに済む保証なんてない。むしろ今の状況じゃ、また巻き込まれる可能性の方が高い」
「……」
「だったら最低限、自分の身くらい守れるようにしておく必要がある」
「お前が守ればいいだろう」
「ずっと横にいられるならな」
そこでライオが黙った。
「俺は西方司令部へ行く。お前も来る。エメラのそばにはいられない」
ジルの声から、いつもの軽さが少し消える。
「だから行く前に、一度ちゃんとあいつの力を見ておきたい。何ができて、何ができないのか。それすら分からないまま放っておく方が危ない」
「……一日でどうにかなるのか」
「全部どうにかするつもりはないさ」
ジルは小さく笑った。
「最低限だよ。今より少しでもマシになればいい」
「気に入らんな」
「何が?」
「エメラがそこまで弱くなっていることもだ」
ライオは吐き捨てるように言った。
「それ以上に、オルド・コルヴィを追わねばならんこの時に、一日使わなければならないことが気に入らん」
「俺だって好きで遅らせるわけじゃない」
「なら朝から叩き込め。夕方には出ろ」
「そのつもりだよ」
「本当に一日だけだな」
「ああ。一日で切り上げる」
「……分かった」
納得したというより、渋々受け入れたような声だった。
「ただし、遅れるな」
「分かってるって」
ジルは苦笑する。
「お前の分体が着くまで待つつもりはないからな」
「何度も言わんでいい。こちらも急がせる」
「なら現地でな。先に片付けておくぜ」
「ああ。それならそれで手間は省ける」
ジルが共鳴盤の術式を止める。
淡く輝いていた盤面から光が失われ、室内に静寂が戻った。
だが、それもほんの一瞬だった。
「レオン!」
ジルが声を上げると、すぐに扉が開いた。
「こちらに」
「西方司令部へ向かう。すぐ出るぞ」
「承知しました」
「俺とお前、それから後方支援を二人。戦闘要員を大勢連れていく必要はない」
「では、支援要員はこちらで選出いたします」
「頼む。それと、さっき用意してもらった情報をイグニスへ送ってくれ。西方司令部の場所も忘れずにな」
「かしこまりました。どなたか増援が来られるのですか?」
「ああ。ライオが分体を寄越す。まあ、戦力としては十分すぎるだろ」
「十分どころではないかと」
「だよな。だが、逃げられても困る。向こうが証拠を消す前に踏み込むぞ」
ジルは椅子から立ち上がり、軽く肩を回した。先ほどまで浮かべていた笑みは、もう消えている。
「出発は?」
「準備が終わり次第だ」
「承知しました」
レオンは一礼すると、足早に部屋を出ていった。
ジルもその後を追う。
◇
一方――イグニス帝国。
共鳴盤の光が消れると同時に、ライオは椅子から立ち上がった。
「まったく……次から次へと」
考えるべきことはいくらでもあった。
だが、今優先すべきものは決まっている。
私室を出ると、近くに控えていた侍女へ声をかけた。
「ガルドとミレアを呼べ。それと、三人分の旅支度を大至急だ」
「かしこまりました」
侍女は一礼すると、急ぎその場を後にした。
ほどなくして、ガルドとミレアが私室へ入ってくる。
「お呼びでしょうか、陛下」
先に応じたのはガルド・レイヴァンだった。
「ああ。急ぎで出る」
「どちらへ?」
「ルミナリア大陸だ。オルド・コルヴィの支部と思われる場所が見つかった」
ガルドの目つきが変わる。
「ついに所在を?」
「ああ。ジルから連絡があった」
「なるほど。では、すぐに準備を」
ガルドは迷うことなく頷いた。
その隣で、ミレア・ファルネスが僅かに眉を寄せる。
「……陛下。一つだけ、よろしいでしょうか」
「何だ」
「まさか、本体で向かわれるおつもりではありませんよね?」
「分体だ。本体はここに残す」
「それでしたら安心しました。ですが、本日の政務もまだ相当残っております。分体まで出される必要があるのでしょうか」
「ある」
ライオは即答した。
「オルド・コルヴィの拠点だ。何がいるか分からん。それにジルも直接向かう」
「……ジル様も」
「ああ。俺の分体に、お前とガルドも同行しろ」
ミレアは僅かに眉を寄せたものの、すぐに一礼した。
「承知いたしました」
「奴らを叩ける機会ならば、逃す理由はありません」
ガルドも迷いなく答える。
「そういうことだ」
ライオが満足そうに頷く。
「ただし陛下」
「まだあるのか」
「帰還後、滞った政務はすべて片付けていただきます」
「……分かった」
「そのお言葉、忘れませんので」
その横でガルドが僅かに笑った。
「何がおかしい、ガルド」
「いえ。ミレアの言うことももっともかと」
「お前までそちらにつくのか」
「西方司令部へ向かわれることには賛成しております」
「なら余計なことを言うな」
ライオは話を打ち切るように、部屋の中央へ歩み出した。
その身体から膨大なマナが溢れ出す。
炎を思わせる赤い光が人の形を取り、やがてライオと寸分違わぬ姿へと変わっていった。
分体――自身のマナから作り出す、もう一つの身体。本体と意識や記憶を共有し、操作せずとも同じ目的に沿って自律的に行動する。
強さは注いだマナ量に比例するが、そのマナは回復せず、存在している間は本体のマナ最大量も減少する。マナを使い切れば消滅するものの、得た記憶は本体へ引き継がれる。
完全に形を成したもう一人のライオが、ゆっくりと目を開く。
「西方司令部の場所が伝令板で届き次第、出るぞラグヴァーンも3体準備しろ」
「承知しました」
ガルドが即座に答える。
「私も準備を整えてまいります」
ミレアも一礼した。
部屋を出る直前、ミレアが一度だけ振り返る。
「陛下」
「今度は何だ」
「くれぐれも、無茶だけはなさらぬよう」
「誰に言っている」
「陛下にです」
そう言い残し、ミレアはガルドとともに部屋を後にした。
「……余計な心配を」
ライオは小さく呟いた。
ほどなくして、双方の準備が整う。
ジルヴェント商会からは、ジルとレオン、二人の後方支援要員。
イグニス帝国からは、ライオの分体とガルド・レイヴァン、ミレア・ファルネス。
それぞれが同じ目的地へと動き出した。
オルド・コルヴィ――西方司令部へ。




