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翠色のアルケミスト  作者: 蜂兎類
第4部 カルタ編
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ep64 残された者の責務

 次に目を覚ました時、エメラの視界に映ったのは、白い天井だった。


「……」


 何度か瞬きをする、薬草の匂い、身体の下に感じる柔らかな寝台。


 窓からは、淡い光が差し込んでいる。


「ここ……は……」


 身体を起こそうとする。


「っ……!」


 腹部に鋭い痛みが走った。


「痛っ……」


「動くな」


 すぐ横から声がした。


 顔を向ける。


「……ダンテ」


 椅子の上にダンテが座っていた。


「やっと起きたか」


「ここは……」


「診療所だ。お前また死にかけたぞ」


 ダンテはじっとエメラを見る。


「……またって言うな」


「言わせてるのはお前だろ。最後躱せただろ、何で避けなかったんだよ」


「……」


 普段なら言い返していたが、今はそれ以上言葉が出なかった。


 地下の記憶が戻ってくる。


「……ミナさんは?」


 ダンテは答えなかった。


 その沈黙だけで十分だった。


「……そうか」


 エメラは天井へ視線を戻す。


 右手をゆっくりと握った、まだ、あの術を使った感覚が手の中に残っている。


「……助けられなかったな」


 小さな声だけが、静かな診療所に落ちた。


 その時、廊下の向こうから慌ただしい足音が近づいてきた。


 バンッ――。


「エメラ!」


 勢いよく扉が開く。


「……ジル?」


 肩で息をしながら、ジルが部屋へ入ってきた。


「そろそろ起きる頃だと思ってな」


「随分早いな」


「たまたま近くにいただけだ」


 そう言いながら、ジルはエメラの姿を上から下まで確認する。


「顔色は悪いけど、まあ死にそうではないな、ほら、目を覚ましたんならさっさと術で回復させたらどうだ」


「それより……コスチは?」


 エメラが尋ねる。


「ああ、あいつなら軍の施設に入院してる」


「意識は?」


「あるからそこは心配いらない、全て必要なことも全部聞けた」


 ジルは近くの椅子を引き寄せて座った。


「もう尋問したのか?」


「ああ。終わったよ」


「……早くないか?」


「必要なことを吐いたんだから、それで十分だろ」


 ジルはあっさりと言う。


「もうコスチに用はない。あとは軍に好きにさせる」


 ダンテが眉をひそめて尋ねる。


「でも、あいつそんな簡単に口を割ったのか?」


「ん?」


「地下じゃあれだけ偉そうにしてただろ。どうやって吐かせたんだ?」


 ジルが黙り、そしてゆっくりと口元を吊り上げた。


「ダンテ」


「何だよ」


「この世にはな、知らない方がいいこともあるんだぞ?」


「……」


 にやり。


 その笑顔を見て、ダンテが一歩後ずさる。


「お前……何したんだよ」


「だから知らない方がいいって」


「絶対ろくなことしてないだろ!」


「結果が出たんだからいいだろ」


「よくない!」


 ダンテが声を荒らげる。


 ジルは気にした様子もなく、今度はエメラへ視線を向けた。


「それより、お前だ」


「俺?」


「ああ」


 ジルの表情が少し険しくなる。


「エレメンツともあろう者が、あの程度の怪我で気を失うとか情けないぞ」


「……」


 エメラが僅かに眉をひそめるその横で、ダンテが勢いよく立ち上がった。


「はあ!?あの程度って何だよ! 腹を貫かれたんだぞ!」


「それは見てたから知ってるよ」


「だったら分かるだろ! 死ぬところだったんだぞ!」


「死ぬ?」


 ジルが鼻で笑う。


「エレメンツがその程度で死ぬもんか」


「その程度って言うな!」


「実際、生きてるだろ」


「結果論だろ!」


「違う違う」


 ジルが指を立てて説明する。


「そもそもエレメンツの身体を、人間と同じ基準で考えるな」


「でも腹を貫かれてるんだぞ!」


「だから?」


「だからって……!」


 ダンテが言葉に詰まる。それを見てジルは呆れたように息を吐いた。


「いいか、エメラ」


「……何だよ」


「今のお前は弱すぎる」


 言葉は容赦がなかった。


「マナの扱いも、身体の強化も、回復も鈍い。昔のお前なら、あんな傷で意識を失うなんてまずなかったし、あの程度で傷を負うこともなかったかもしれない」


「……」


「戦って、術を使って、最後に腹を貫かれて倒れる。今のお前は、それだけ消耗してるってことだ」


 エメラは黙って自分の腹部を見る、包帯の下に、鈍い痛みが残っている。


「まあ、目覚めたばっかりだから仕方ない部分はあるけどな」


「なら最初からそう言えよ!」


 ダンテがまた怒鳴る。


「甘やかしてどうする」


「甘やかすとかの話じゃない!」


「うるさいな、お前は」


「お前が言うな!」


 二人の言い合いを聞きながら、エメラは小さく息を吐いた。


 弱すぎる。


 その言葉だけが、妙に胸に残った。


 否定はできない。


 今回の戦いで、それを嫌というほど思い知らされた。


 ミナを止められなかった。


 救うこともできなかった。


 最後には――。


「……もっと強くならないとな」


 エメラがぽつりと呟く。


 ジルが一瞬だけ口を閉じる。


「そうだな」


 今度の声には、からかう色はなかった。


「少なくとも、次はあんな無茶して倒れるなよ」


「それ、お前が言うのか?」


「俺は倒れてないからな」


「……腹立つな」


「元気そうで何よりだ」


 ジルが笑った。


 エメラは暫く黙っていたが、ふと思い出したように顔を上げた。


「……ジル、ミナさんは……今、どこにいる?」


 部屋の空気が少しだけ変わった。ダンテも口を閉じる。


「遺体のことか」


「ああ」


 エメラは布団の上で拳を握った。


「軍が預かってるのか? それとも冒険者ギルド?」


「どっちでもない」


「え?」


「ジルヴェント商会で引き取った」


 エメラが眉を寄せる。


「……商会で?」


「ああ」


「なんで商会が?」


 ミナは商会の人間ではない。


 今回の事件にジルヴェント商会が直接関わっていたわけでもない。


 それなのに、遺体を引き取る理由が分からなかった。


「遺族にはもう話を通してある」


 ジルが続ける。


「今回の件も全部説明した。今後の生活についても、商会からできる限り支援することにしてる」


「そこまで?」


「ああ」


 エメラはますます不審そうにジルを見る。


「……何を考えてるのさ?」


「酷い言われようだな」


「だってお前が何の理由もなくそこまでするとは思えないから」


「まあ、それは正しい」


 ジルはあっさり認めた。


「ミナの身体を調べる」


「……!」


 エメラの表情が変わる。


「調べるって……」


「勘違いするな。あいつらと同じことをするつもりはない」


 ジルの声から笑みが消えた。


「人間と魔獣がどうやって融合したのか。何を使えばあそこまで変異するのか。そして――」


 一度、言葉を切る。


「元に戻す方法があるのか」


「……」


 エメラは何も言えなかった。


「今回、俺たちは何も分からなかった」


 ジルが淡々と続ける。


「何をされたのかも、どうして変異が止まらなかったのかも、治す方法があるのかもな」


「……ああそうだ、あの時の俺たちは……無力だった」


「だったら調べるしかないだろ」


 エメラはジルを見つめる。


「それって……」


「次だよ」


「え?」


「また同じような奴が出た時のためだ」


 ジルは真っ直ぐエメラを見る。


「次は――助けられるようにな」


「……」


 エメラの拳から、少しだけ力が抜けた。


 ミナは助けられなかった、それは変わらない、どれだけ後悔してももう戻ってこない。


 だが彼女の死を、そこで終わらせないように。


「……そうか」


 エメラが小さく呟く。


「なら、頼む」


「ああ」


「絶対に元に戻す方法を見つけてくれ」


「そのつもりだ、次は救ってみせるさ」


 ジルは深くうなずき答えた。


 エメラは目を閉じる。


 胸の奥に残る痛みが消えたわけではない。それでもほんの僅かだけ、前を向ける気がした。


 暫くして、エメラは再びジルへ目を向けた。

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