ep61 交差する思い
柔らかな翠色の光が、倒れたミナの身体を包み込んだ。
戦いで裂けた皮膚がゆっくりと塞がっていく。
腕や脚に残っていた傷も、ジルの旋風脚によって受けた傷も、翠色の光が巡るたびに少しずつ癒えていった。
「ケガは治っているな、けど……」
ダンテがミナの様子を覗き込む。
「ああ」
エメラは杖を握り、さらにマナを送り込んだ。
樹受再生は確かに作用している。
だが――
エメラの表情が曇った。背中から伸びた巨大な羽は消えない。
硬質化した腕も、伸びた爪も、異なる形へ変わった脚も、そのままだった。
「傷は治せても、やっぱり変異そのものまでは戻せないか」
ジルが静かに言う。
「……まだ分からない」
「見れば分かるだろ」
「俺の術では戻せないってことしか分からない」
エメラはもう一度、強くマナを流し込むと翠色の光がミナの全身を覆った。
……だが、結果は変わらなかった。
傷口だけが綺麗に塞がり、異形となった身体はそのまま残る。
やがてエメラは術を解いた。
「……くそ」
杖を下ろす。
その時だった。
「……ぅ……」
「!」
微かな声がした。ミナの指先が僅かに動く。それに反応し、エメラが優しく声をかけた。
「聞こえますか?」
エメラがすぐに呼びかけると、ゆっくりとミナの瞼が開く。縦に細く変わった瞳はそのままだ。
しかし――。
先ほどまでとは明らかに違う、焦点が合っている。
「……あなた……」
掠れた声。
「分かりますか?」
「……さっき……助けに……」
「はい。助けに来ました」
ミナは僅かに頷いた。
「意識が戻ったのか?」
ダンテが驚いたように呟く。
ミナはゆっくりと自分の手へ目を落とした。
黒く変色した皮膚、異様に長く伸びた爪、背中に感じるあきらかな異物。
「……やっぱり……」
声が震える。
「夢じゃ……なかったんですね……」
「……」
エメラには、すぐに返す言葉が見つからなかった。
少しの沈黙のあと、ミナが途切れ途切れに話し始める。
「私……無料で診てもらえるって聞いて……診療所に行ったんです……」
「慈善の羽ですか?」
「……はい」
エメラとジルが視線を交わす。
「あそこで……薬を飲まされて……それから……よく覚えてなくて……」
ミナが眉を寄せる。
「次に目が覚めた時には……ここにいました」
「ここで何をされたんです?」
「何度も……薬みたいなものを身体に入れられて……」
自分の腕を抱く。
「身体が熱くなって……ずっと痛くて……」
「他にも人はいましたか?」
「……いました」
「でも……一人ずつ、どこかへ連れて行かれて……」
「どこへ行ったかはわかりませんか?」
「分かりません……」
ゆっくりと首を振る。
「最後には……私だけになって……」
ミナはそこで言葉を止めた。
暫くして、自分の異形となった身体を見下ろす。
「さっきのことも……少しだけ……覚えてます」
「……」
「あなたたちを……襲ったことも……」
「あなたの意思じゃありません」
エメラはすぐに答えた。
「でも……私の身体が……」
「それでもです」
ミナは何も言わなかった。
やがて、小さく口を開く。
「……お願いがあります」
その声を聞いた瞬間、エメラは嫌な予感を覚えた。
「私を……殺してください」
「……」
部屋が静まり返った。
ダンテも言葉を失う。
ジルは黙ったまま、ミナを見ていた。
「また……ああなったら今度は……本当に誰かを殺すかもしれない……」
ミナは声を震わせている。
「それはさせません」
「でも……この身体じゃ……もう……」
「まだ終わってません!」
エメラははっきりと言った。
「俺の術では戻せなかった。でも、まだ手はあるはずです」
「……」
「世界にはまだまだ知らない術もある。薬もある。魔道具だってあるかもしれない」
「でも……」
「方法がないって決まったわけじゃない」
その横でジルが小さく息を吐いた。
「まだ諦めないのか?」
「ああ」
「さっきも言っただろ。肉体そのものが魔獣と融合してる。俺たちでも、どうしようもできない可能性が高い」
「ヤメロ!!」
心無いジルの言葉にエメラはいら立ちを覚える。
「可能性が高いだけだろ!?まだ全ての手を打ってないのに助かるかもしれないのに……!」
「絶対に無理だって分かるまでは、諦めない!」
ジルは暫くエメラを見つめて、ため息をつく。
「あのな、エメラ、俺たちはな……」
ドタドタドタッ――!
ジルの言葉を遮るように上の階から複数の足音が響いた。
「!」
ジルが即座に振り返る。ダンテも身体を起こし、入口へ視線を向ける。
「敵の増援か?」
「いや……結構な人数だな」
足音が階段を駆け下りてくる。
「エメラ!いるの??」
聞き覚えのある声。
「セリアさん?」
直後、数人の兵士が部屋へなだれ込んできた。
セリアを先頭にその後ろにコスチ。さらに武装した数人の兵士たちが続く。
「エメラ、無事!?」
「はい……俺たちは無事です」
エメラが少し返答に詰まる。
「その姿で何とかなってるようには見えないけど……」
セリアが眉をひそめる。
だが、次の瞬間。
その視線がミナへ向き――動きを止めた。
「……え?」
後ろにいた兵士たちも次々と足を止める。
「な、何だ……あれ……」
「魔獣……?」
「いや、待て。人じゃないのか……?」
兵士たちの間に動揺が広がった。
当然だった。
人間の女性の姿を残しながら、背中には巨大な虫の羽。
腕や脚の一部は黒い外殻に覆われ、人間とは明らかに異なる姿へ変貌している。
「エメラ……その人……?は何なの?」
セリアも驚きを隠せない。
「失踪者の一人です」
「……失踪者?」
「給仕をしてたミナさん、です。俺たちの目の前で変異してしまった」
「この人が……?」
セリアの表情が強張る。兵士たちも信じられないものを見るようにミナを見つめていた。
「人間が魔獣に……?」
「こんなの、聞いたこともないぞ……」
そんな中、コスチだけは違っていた。
「……」
驚きの声を上げることもなく、ただ静かにミナの姿を見つめている。
そして。
「……素晴らしい」
ほんの小さな声、周囲のざわめきに紛れれば聞き逃してしまう程度だった。
だが――。
「……」
ジルの目が僅かに細くなった。
何も言わない。
そのまま何事もなかったかのようにセリアへ顔を向ける。
「そういや、上はどうなった?」
「大丈夫よ。外を囲んでたんだけど、いつまで経っても誰も出てこなかったから、そのまま中へ入ったの」
「中にいた奴は?」
「気絶していた男たちの事?
全員捕まえたわ」
「何人?」
「7人」
ジルが僅かに目を細める。
「見張りも入れて?」
「ええ。外にいた見張りを含めて7人。逃げた人間はいないはずよ」
「……7人か、ちゃんと数が合ってるな」
ジルが小さく頷き、ちらりとコスチを見る。
「……」
コスチは何も言わない。
「それにしても……」
セリアがミナへ視線を戻す。
「本当に、この人が失踪者なの?」
「ああ」
「一体ここで何をしてたのよ……」
「まだ調べきれてないけど、どうやらここは人間と魔獣を融合させる実験みたいだな」
「この街でそんなことを!?」
セリアの顔に驚きと嫌悪が浮かぶ。
その横でジルが何気ない調子で口を開いた。
「それで隊長」
「何だ?」
「地下に捕まってた失踪者6人は、全員診療所へ運んどいたぞ」
「ああ、それは助かった、救出までしてもらって感謝する」
コスチは何の間も置かずに答えた。
「……」
ジルの口元が僅かに緩む。
「そうか」
「何だ?」
「いや。礼を言われるほどのことじゃない」
「そういえばさ、隊長」
ジルが続ける。
「何だ」
「今、この人を見てどう思った?」
突然の問いに、コスチが眉をひそめる。
「何の話だ?」
「いや。セリアたちは随分驚いてたからさ」
「……」
「人間からこんな姿になった奴なんて、普通は初めて見るだろ?」
「まあ、そりゃあな当然だ」
「そうか?」
ジルが僅かに首を傾げる。
「随分落ち着いて見えたけどな」
「もちろん驚いたさ、でもな考えてみろ、憲兵隊長がいちいち取り乱しては指揮が下がるじゃないか?」
「なるほど」
ジルはあっさり引いた。
だが、目だけはコスチを観察し続けている。
「セリア」
「何?」
「頼んでたものは?」
セリアの顔が少し曇る。
「魔術官を連れてくるのは無理だったわ、でもこっちは準備できたわよ」
セリアが懐へ手を入れると、取り出したのは、一つの魔道具だった。
ジルの表情が僅かに明るくなる。
「これこれ、虚実のフーチ」
「ええ」
「よく借りられたな」
「……借りたっていうか勝手に持ってきたわよ、これですべてが分かるなんて言うから」
「いい仕事してるよ、少しは軍にもマシな人材もいるんだな」
ジルが思わず笑顔になる。
だが、その直後。
「待て、セリア貴様何を勝手に軍の備品の魔道具を持ち出しておるのだ!!」
コスチの声が飛んだ。
先ほどまでより、明らかに低い。
「これは明らかに重篤な軍法違反だぞセリア、その魔道具をこちらへ渡せ!!」
「え?」
「虚実のフーチは軍の管理下にあるものだ。許可なく部外者へ渡していい代物ではない!!」
コスチが手を差し出す。
「私が預かる、さあすぐに渡せ!渡さなければ軍法会議にかけて、貴様を造反者としてアストリアへと送致することもできるのだぞ!」
コスチは怒り心頭で右手で渡すように催促している。
「しかし――」
「これは隊長命令だ!!」
セリアの手が止まった、確かに正論ではある。
軍の管理する魔道具を、勝手にジルへ渡す理由はない。
だが。
「セリア」
ジルが静かにセリアに語りかける。
「俺に渡せ、この事件の真実をーーー知りたくないか?」
「ジル?」
セリアが再度ジルのもとへと顔を向けると、コスチの表情が険しくなる。
「貴様、何を――」
ジルはコスチを見たまま言った。
「この事件で何人も消えた。そして地下じゃ人間を使ってこんな実験までしてる」
「それなのに、誰が関わってるのかも分からないまま終わらせるつもりか?」
「ある程度俺は事件の犯人が分かっている。そのフーチを使わせてくれ、そうすればそれは確信へと変わるんだ」
「セリア!」
コスチが声を荒らげた。
「渡せ!」
その一言に、セリアの手が止まる。
今までのコスチとは違う。
妙に焦っている。
「……」
セリアは虚実のフーチを見る。
そして――。
「申し訳ありません、隊長」
ジルへ差し出し、それを受け取った。
「私は、真実を知りたい」
「いい判断だ」
「貴様ら……!」
コスチの顔に、初めて露骨な苛立ちが浮かんだ。




