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翠色のアルケミスト  作者: 蜂兎類
第4部 カルタ編
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ep59 人の残滓

 エメラが反応した時には、すでに目の前まで来ていた。硬質化した爪が振り下ろされる。


「エメラ!」


 ダンテの声と同時に、エメラが杖を横へ構えた。


 ガキンッ!


 爪が杖へ叩きつけられ、エメラは壁に叩きつけられる。その衝撃で壁が少し破壊される。


「がっ……!」


 予想以上の力だった。


 ミナは着地すると、すぐに身体を捻った。


「ギィッ!」


 再び爪が振るわれる。間一髪でこれをかわす。エメラは咄嗟に身体を沈めた。


 ブオンッ――!


 頭上を爪が通り抜ける。直後、背後の壁に衝撃が走った。


 爪の一撃が石壁を抉り、拳ほどの石片が周囲へ弾け飛ぶ。


「冗談だろ?これが元人間の力なのか??」


 まともに受ければ、ただでは済まない、エメラは床を蹴って距離を取る。


 だが――。


「ギィッ!」


 ミナが羽を打った。


 バンッ――!


 空気が破裂したような音が響き、ミナの姿が一瞬で間合いを詰める。


「速っ――」


 爪が横薙ぎに振るわれる。エメラは杖を立てて受け止めた。


 ガァンッ!


「ぐっ!」


 腕全体が痺れる。踏ん張った足が床を滑り、靴底が石床を擦った。


「この……!」


 エメラは杖を押し返すと、そのまま後方へ跳んだ。


 着地と同時に杖を床へ向け、術を放つ。


「地這い蛇!」


 無詠唱でも術を使うこと自体はできる。


 ただし、詠唱によって術式を整える工程を飛ばすため、威力は本来の半分ほどまで落ちる。それでいて必要なマナは通常より多い。


 しかし一瞬の遅れが命取りになる戦闘では、その速さが何より大きな利点になる。


 術に呼応するかの様に床の亀裂から翠色の光が溢れ、幾匹もの木の蛇が石床を這い、四方からミナへ襲いかかる。


 蛇たちは床を滑るように進み、一斉にミナの脚へ絡みついた。


 さらに別の蛇が腰へ、腕へ、背中へ。


「捕まえた!」


 蛇が全身へ巻き付き、その動きを封じていく。


 エメラが杖を握り締めた。


「そのまま押さえ――」


「ギィィィィッ!」


 ミナが身体を大きく反らした。


 次の瞬間――。


 ブチッ!


「なっ――」


 一本。


 さらに一本と、巻き付いていた蛇が、力任せに引き千切られていく。ミナが腕を振るうたびに、地這い蛇が弾け飛んだ。


「嘘だろ……」


「力が違いすぎる!」


 ダンテが叫ぶ。


 最後に残っていた蛇を、ミナが両腕を広げるだけで強引に引き千切った。


 バチンッ!


 弾けた木片が宙を舞う。


「地這い蛇が……まるで歯が立たない」


 エメラが息を呑む。


 無詠唱とはいえ、拘束力には自信があった。


 少なくとも、人間が力だけで破れるような術ではない。


 それをミナの動きをほとんど止められることなく破壊された。


「だったら――」


 エメラが杖を振る。


 翠色の光が集まり、その周囲へ小さな種子が次々と生み出される。


「種弾!」


 杖を振り抜く。


 ヒュンッ!


 種子が一直線に飛ぶ。


 だが高速で動くミナに当たらない。


「まだだ!」


 種弾が次々と放たれる。しかし――。


「ギッ!」


 ミナは羽を細かく打ちながら左右へ動く。


 姿がぶれるほどの速度だった。


 全て交わされ一発も身体へ届かない。


「くそっ!」


 種弾は当たりさえすれば、対象から徐々に力を奪いながら拘束できる。


 だが――当たらなければ意味がない。


「エメラ、上!」


 ダンテの声。


「!」


 ミナが天井近くまで跳び上がり四枚の羽根を開く。


 照準をこちらに見定め、一気に急降下した。


「っ!」


 エメラが横へ飛ぶ。


 ドゴォンッ!


 ミナの爪が床へ叩き込まれた。


 石床が陥没し、亀裂が蜘蛛の巣のように広がる。


 巻き上がった石片がエメラの頬を掠めた。


「威力まで上がってるのかよ……!」


「来るぞ!」


 ミナが床から爪を引き抜く。


 エメラは立ち上がりながら杖を構えた。


 地這い蛇では力負けする。


 種弾では捉えられない。


 ならば。


「……樹縛鎖なら」


 通常の拘束術よりも強力な術。動きを止めるなら、これしかない。しかし、無詠唱だと通用しないかもしれない。


 エメラはミナの動きに気を配りながら詠唱を始める。


「大地に眠る――」


 詠唱を始める。


 だが。


「エメラ!」


 ダンテが叫んだ。


 ミナの羽が開く。


「――っ!」


 詠唱を終えるより早い。間合いを詰められる。


「まず――」


 ドガッ!


「がっ……!」


 腹部へ強烈な一撃が入った。


 身体が宙に浮く。


 すさまじい勢いで後方へ吹き飛ばされた。


 ドンッ!


 背中から壁へ激突する。


「ぐっ……!」


 壁がひび割れ、細かな破片がエメラの肩へ降り注いだ。


 エメラはそのまま床へ崩れ落ちる。


「エメラ!」


 ダンテが駆け出した。


 だが、ミナがそちらへ顔を向ける。


「ギィッ!」


「こっち見んな!」


 ダンテが床を蹴った。


 黒い身体が低く飛び出し、そのままミナの脇腹へ体当たりする。


 ドンッ!


 ミナの身体が横へずれた。


「まだだ!」


 着地したダンテがすぐさま反転する。


 鋭い爪を振り上げ――。


「ぐるぁっ!」


 ミナへ飛びかかったが羽に激しく打ち付けられる。


「うおっ!」


 巻き起こった風圧にダンテの身体が押し戻された。


 そこへ。


 ミナの腕が振るわれる。


 ドガッ!


「ぐあっ!」


 まともに側面へ食らった。


 ダンテの身体が勢いよく吹き飛ぶ。


 床を一度。


 二度。


 三度と転がり、そのまま壁際の木箱へ叩き込まれた。


「ダンテ!」


「ぐ……」


 瓦礫の中でダンテが呻いた。


 立ち上がろうと前脚に力を入れる。


 だが、一度身体が沈む。


「くそ……結構……効いたぞ……」


「無理するな!」


「お前に言われたくない……!」


 エメラも壁へ手をつきながら立ち上がる。


 腹部に鈍い痛みが走った。


「ぐっ……」


 呼吸をするだけでも痛む。


 まともに戦っても部が悪いのに、エメラは何とかミナを極力傷つけずに無力化しようと試みている。


「こんなに……強くなるのか……」


 エメラがミナを見る。


 ミナはゆっくりとこちらへ歩いてくる。


「ギ……ィ……」


 会話は通じず、躊躇もない。ただ目の前にいるものを排除しようとしている。


 それでも。


「……殺すわけにはいかない」


 エメラは杖を握り直した。


「まだやるのか?あっちは殺す気で来てるぞ?」


 ダンテが瓦礫から身体を起こす。


「やるしかないだろ」


「次まともに食らったら、本当に危ないぞ」


「分かってる」


 エメラは息を整える。


「もう一度、樹縛鎖を――」


 杖を構えたその瞬間、ミナの姿勢が沈む。


 羽が大きく開き突進してくる。エメラは体勢がまだ十分ではない。


「しまっ」


 体当たりを食らってしまう。そう思った瞬間何かが瞬時に割って入り、ミナの体を吹き飛ばす。


「随分と苦戦してるな」


 割って入った人物は余裕の声色で話しかけてくる、ジルだ。


「ジル!?」


 そこには、ジルが立っていた。


 片手を軽く上げながら、室内の惨状を見回している。


「はあ、はあ、ありがとうジル、上は?」


「こっちの様子が気になってなぁ。とりあえず逃げられないようにはしてきた」


「とりあえず、あれは何なんだ?まさかと思うが……失踪者の一人か?」


「残念ながら、そのまさか、だ。目の前で変異した。極力傷つけずに無力化したいんだけど……」


「そのためにお前がそんなボロボロになるのか?他人の命と自分の体、釣り合わなすぎだろ」


「肉体が魔獣と完全に融合し始めてる、ああなったらもう助からない。終わらせてあげた方が彼女のためにもなんだろ」


 ジルの言葉に、エメラは顔をしかめた。


「……まだ分からないだろ」


「見ればわかる、体が魔獣と融合してしまっているからな、俺たちの力をもってしても不可能だぞ」


「だったら、傷つけずに動きを止めてくれ」


「は?」


 ジルの眉が僅かに動いた。


「お前ならできるだろ。俺じゃ捕まえられなかった。でも、お前なら――」


「簡単に言うなよ、エメラ」


 低い声だった。その声には怒気をはらんでいて、先ほどまでの余裕を含んだ調子が消えている。


「戦いの場じゃ、力のない奴の願いなんて叶わないんだよ」


「……」


「殺したくない。傷つけたくない。助けたい。そんなもの全部、自分にそれを通せるだけの力があって初めて言えることだ」


 ジルが倒れた壁や砕けた木箱へ目を向ける。


「実際、お前はこいつ一人止められずにその有様だろ」


「……分かってる」


「分かってないから言ってるんだ、アル・ノアで身に染みているはずだろ」


 エメラは何も言い返せなかった、腹部にはまだ強い痛みが残っている。


 ダンテも立ってはいるが、先ほどの一撃が相当効いているのは明らかだった。


 そして目の前には――。


「ギ……ィ……」


 半魔獣と化したミナがいる。ジルを警戒しているのであろう。


 人間だった頃の面影を残したまま、こちらを獲物でも見るような目で睨んでいた。


「……頼む」


 それでもエメラが再度ジルに伝えると、ジルが僅かに目を細める。


「何?」


「それでも頼む。できる限り傷つけないで止めてくれ」


「助からないかどうかは、やれることを全部やってから決めたい」


 少しの沈黙、ジルは大きく息を吐いた。


「相変わらず変なとこで頑固だな、お前は」


 ジルはしばらくエメラの顔を見ていたが、やがて諦めたように肩を落とした。


「全く……事が終わったらその甘えた考え叩き直してあるよ」


「無傷でってのは難しいかもしれないけれど、他ならぬお前の頼みだ」


 ジルはミナに相対する。


「なるだけ要望に応えてやるよ」


 そう言うと、ジルが静かに身構えた。


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