ep58 異形への変貌
通路の先には、分厚い扉が立ちはだかっていた。エメラは取っ手に手をかけ、力を込める。
「……駄目だな」
今度は肩を当て、さらに力を込めるが、扉は軋むことすらない。
「力ずくでは開かないな」
ダンテも扉の前まで来ると、表面を眺めた。
「鍵は?」
「見当たらない……な」
エメラは扉へ手を触れながら隅々までさがす。
指先から、僅かなマナの流れが伝わってきた。
「……なるほど。鍵で閉じてるんじゃない。魔術で封じられてるみたいだ」
「魔術式とか解析できないのか? あの時の魔法陣のように」
エメラは扉の表面をなぞる。
「あの時とはちょっと違うんだ。あの魔法陣は、描かれた術式を直接読み解けた。でもこれはどちらかといえば魔道具に近い。扉そのものに術が組み込まれてる」
「じゃあ、開けられないのか?」
「時間をかければ解除する方法も見つかるかもしれないが……今はそんな余裕もない」
エメラは少し考えたあと、杖を構えた。
「壊して開けるしかないだろうな」
「何か使うのか?」
「ああ。ただ、この術はあんまり好きじゃないんだよ」
「どうしてだ?」
「加減が利かない」
「それ大丈夫なのか?」
「だから離れてろ」
「先に言え」
ダンテが慌てて後ろへ下がる。
エメラは扉へ杖を向け、詠唱を始めた。
「命を宿すは種の理。命を散らすは火の理。二つの理を合わせ、滅びを花と咲かせよ。 地に根ざすことなかれ、ただ一閃にて咲き滅べ――種子爆雷!」
詠唱が終わると同時に、杖の周囲にいくつもの種子のようなものが生み出された。
翠色の光を帯びたソレは次々と扉へ張り付いていく。
次の瞬間――。
轟音。
種子が一斉に爆ぜ、凄まじい爆風が地下通路を駆け抜けた。
「うおっ!」
ダンテが踏ん張る。
煙と土埃が辺りを覆い、細かな石片が床を転がっていく。
やがて煙が晴れる。
扉は中央から大きくひしゃげ、封じていた魔術の光も消えていた。
さらに数秒遅れて――。
ガコンッ。
扉が内側へ倒れ込む。
その向こうに暗い通路が姿を現した。
「ふう、これだけで済んでよかった」
ダンテは壊れた扉とエメラを交互に見る。
「……結局、力ずくじゃん」
「術を使っただろ」
「壊してることに変わりないだろ」
「開いたんだからいい」
「さっき自分で『力ずくでは開かない』って言ってたぞ」
「細かいことは気にするな」
エメラは何事もなかったように杖を握り直す。
「行くぞ」
「はいはい」
ダンテも呆れたように後へ続いた。
扉の奥へ足を踏み入れた瞬間、ダンテが低く唸った。
「エメラ、気をつけろ。さっきから感じてた嫌な気配はこの先だ」
「ああ、俺も感じた」
通路はさらに地下へと続いていた。
壁には一定間隔で魔石灯が取り付けられているが、その多くは消えている。残った灯りも弱く、奥へ進むほど周囲は薄暗くなっていった。
そして、鼻を突く異臭が次第に強くなる。
「……血の臭いだけじゃないな」
「薬みたいな臭いもする」
ダンテが鼻を鳴らす。
しばらく進むと、通路の先に広い部屋が現れた。
中にはいくつもの寝台が並び、その脇には用途の分からない器具や空になった薬瓶が放置されている。
床には乾いた血の跡。壁際には壊れた拘束具まで転がっていた。
「ここで何を……ほとんど片づけられてるな」
「ああ。慌てて逃げたというより、最初から引き払う準備をしてたみたいだ」
「そこらに色んな匂いがこびりついて鼻がまがりそうだ」
エメラは部屋の中を見回し、ダンテは鼻を利かせる。
使っていたような器具も、薬品らしきものもほとんど残っていない。
「何もないのか?」
「いや……」
作業台の下に落ちていた数枚の紙が目に入った。
エメラはそれを拾い上げる。
「何か書いてある」
紙の端は破れ、一部は汚れて読めなくなっていたが、中央には細かな文字で記録が残されていた。
エメラは目を通していく。
『第十二対象――投与後、三日目より身体組織に変化を確認』
『外部組織との結合は良好』
『しかし意識混濁が著しく、命令への反応は不安定』
エメラの表情が険しくなる。怒りを抑えながらもさらに次の紙を見る。
『第十四対象――不適合』
『拒絶反応により継続困難』
『第十五対象――適合傾向あり。次段階へ移行』
「適合……」
先ほどルドが話していた言葉と一致する。
ダンテも横から紙を覗き込んだ。
「こいつら、もしかして人間を何かの実験に使ってたのか?」
「そうみたいだな」
エメラは別の一枚を手に取った。
『魔獣組織との定着率は個体差が大きい』
『強い拒絶反応を示す対象は使用に適さない』
『適合個体については変異の進行を確認後、観察を継続する』
そこから先は破れていた。
エメラは紙を握る手に僅かに力を込める。
エメラが眉をひそめた、その時だった。
ガタン――。
奥から何かが落ちる音がした。
ダンテがすぐに身構える。
「いるぞ」
部屋のさらに奥。半開きになった扉の向こうから、何か人の気配のようなものがする。
エメラとダンテは目を合わせ、慎重に奥へと進んでいく。
エメラは杖を構えた。
「誰かいるのか?」
返事はない、恐る恐る2人は奥の部屋へと近づく。
エメラとダンテが奥の部屋へ足を踏み入れると、そこは明かりひとつなく、薄暗かった。
入口から差し込むわずかな光だけでは、部屋の奥まで見通せない。
「暗いな……」
エメラは眉をひそめた。火の魔術が使えれば手早く灯りを確保できたが、生憎そうはいかない。明かり用の魔道具も、準備していなかった。
視線を巡らせると、壁際に不自然な出っ張りが見えた。
「……これはたしか魔石灯だ」
エメラが壁の装置に近づく。
出っ張りの中央には、指で押し込めそうな板が付いていた。試しに軽く触れると、かちり、と乾いた音が鳴る。
次の瞬間、壁の内側を走る導線に淡い光が流れた。
まるで血管に血が巡るように、魔力の光が天井へと駆け上がっていく。
それに呼応するかの様に壁に埋め込まれている魔石が順に光りだした。
「おお」
ダンテが小さく声を漏らす。
「便利なもんだな。火を使わなくて済むなら、倉庫や地下でも安全だ」
「最初からこれを探せばよかったな」
「暗い部屋で最初に壁を探るのは、案外勇気がいるぞ」
エメラはそう言って、改めて室内を見渡そうとしたが……
中央に箱に腰かけてうなだれた女性がいた。
「……え?」
エメラの手が止まる。
少なくとも、一目見た時にはそう見えた。長い髪を垂らし、俯いたまま膝を引きずるように座っている。
おそらく失踪者の一人であろう、エメラとダンテは慌てて駆け寄って声をかける。
「大丈夫ですか?救出に来たものです、話せますか?」
そう言いながらエメラは鞄から水を取り出そうとする。
「ぅうぅう、あ、あ、」
女性は苦悶のような声を上げている。目は虚ろで下を向き、エメラに気づいているかもわからない様子がみえる。
「名前、自分の名前を言えますか??」
「……ミ……ナ」
絞り出すような声を出す。ミナ、心当たりがある名前、確か給仕の女性だ。
「ミナさんですね、助けに来ました、もう大丈夫です」
エメラはなるべく不安を取り除こうと穏やかな声で話しかける。
その言葉に反応したのかは分からない、ゆっくりとミナは顔をあげ、こっちを向く。
「タ…ス…ケて」
「はい。ここから出ましょう」
だが、その直後だった。
「ぅ……あ……」
ミナの表情が歪む。
「ミナさん?」
「ぁ……ああ……っ!」
突然ミナが胸元を掴んだ、その身体が大きく震え始める。
「どうしたんですか?」
エメラが手を伸ばそうとする。
だが、ダンテが低く唸った。
「エメラ……待て」
ミナは答えない。
身体を丸め、何かに耐えるように歯を食いしばっている。
「う……うぅぅ……!」
苦しげな声が、薄暗い部屋の中に響いた。
「ミナさん?」
エメラがもう一度呼びかける。
だが、ミナは返事をしなかった。
両腕で自分の身体を抱き締めるようにしながら、木箱の上で小さく震えている。
「いた……い……」
「どこが痛むんです?」
「せ……なか……」
「背中?」
「熱い……何か……いる……」
途切れ途切れの言葉を聞き、エメラの表情が変わった。
先ほど拾った研究記録が頭をよぎる。
『適合個体については変異の進行を確認後、観察を継続する』
「まさか……」
エメラがミナの背後へ回ろうとした、その時だった。
「エメラ、離れろ!!匂いが変わった!!」
ダンテが低い声で言った。
「人間の匂いだけじゃない、さっきの部屋に残ってた臭いと同じだ。魔獣の臭いだ!!」
ダンテの毛が逆立つ。その言葉とほぼ同時に――。
ミナの背中が大きく跳ねた。
「っ……!」
「ぁ……あああっ!」
悲鳴が上がる。服の背中が、内側から押し上げられるように膨らんでいた。
一度。
二度。
まるで皮膚の下で何かが動いているかのように、左右の肩甲骨付近が不自然に盛り上がっていく。
「ミナさん、動かないでください!」
「取って……」
「え?」
「これ……取って……!」
ミナが必死に背中へ手を伸ばそうとする。
「お願い……取って……!」
その声には、はっきりとした恐怖があった。
エメラが杖を床へ置き、手を伸ばしかける。
だが――。
ビリッ。
ミナの服が裂けた。
「――っ」
エメラの手が止まる。
裂けた布の隙間から覗いたのは、人間の身体には存在しないものだった。
黒く硬い突起。
それがゆっくりと外へ押し出されていく。
「ぁ……あああああっ!」
ミナが仰け反った。
背中から伸びた黒い突起が途中で二つに分かれ、その間から薄い膜のようなものが広がっていく。
「羽……?」
エメラが呟く。
それは虫の翅だった。
濡れたように縮こまっていた翅が、徐々に空気を含むように広がっていく。
黒を基調としながら、ところどころに暗い赤色の模様の羽が計4枚浮かび上がっていた。
ミナの身体には到底似つかわしくない巨大な蝶の羽のようなものが、背中から完全に姿を現した。
「そんな……」
エメラは言葉を失う。
研究記録に書かれていた意味を、今になって理解した。
人間に魔獣の組織を植え付けている。
それも、ただ移植するだけではない。
人間そのものを魔獣へ近づけようとしている。
「こいつら……こんなことまで……」
エメラの声に、抑えきれない怒りが滲んだ。
「エメラ!」
ダンテが叫ぶ。
ミナの様子がおかしい。
「う……うぅ……」
呼吸が急に浅くなっていた。
両手で頭を抱え、小刻みに首を振っている。
「ミナさん、聞こえますか!?」
返事は無い、だが、明らかに様子が変わっている。
ミナの指先が、ゆっくりと床を掻くとまるで床がバターのように引き裂かれていく。
腕や首筋には黒ずんだ筋が浮かび、皮膚の一部が人間とは異なる質感へ変わり始めていた。
エメラは息を呑む。
「これが……適合?」
魔獣の組織を移植しただけではない、人間そのものが、魔獣へと変えられている。
「ふざけやがって……」
杖を握るエメラの手に力が入る。が、目の前にいるのは敵ではない、救助しに来た失踪者だ。
「ミナさん」
もう一度だけ名前を呼ぶ。
その時、ミナの首が、ゆっくりと持ち上がった。
「……」
エメラは言葉を失う。
瞳が変わっていた、焦点の合わなかった人間の目ではない。瞳孔は細く縦に裂け、暗闇の中で異様な光を帯びている。
「ミナさん……?」
反応はない。名前を呼ばれても、何の感情も示さない。
ただ、その目だけがエメラを捉えていた。
「もう意識がないんじゃないのか?」
ダンテが身構える。
「……分からない」
エメラはそう答えながらも、杖を構えなかった。
まだ人間の意識がどこかに残っている可能性を捨てきれない。
「ギィィィィッ!」
突然、甲高い声が響いた。
「っ!」
それは、人間の喉から出たとは思えない声だった。
ミナの四枚の羽が一斉に開く。
バサッ――!
強烈な風が室内を吹き抜けた。
「うおっ!」
ダンテが踏ん張る。
作業台の上に残されていた紙や、小さな薬瓶が一斉に吹き飛ばされた。
エメラも腕で顔を庇いながら後ろへ下がる。
「ミナさん!」
声をかけても、もう返事はなかった。
「ギ……ィ……」
低い唸り声だけが返ってくる。
ミナは木箱からゆっくりと立ち上がった。
その動きも、人間のものとはどこか違う。
重心を確かめるように身体を揺らし、背中の羽を小刻みに震わせている。
かつて給仕として働いていた女性の姿は、まだ残っている。
だが、その背中には巨大な虫の羽。
瞳も、爪も、皮膚の一部も、人間とは別のものへ変わっている。
人と魔獣の境界にある異形。
「エメラ、もうこっちの言葉は届かないぞ、杖を構えろ!」
「……ああ」
床を蹴ったと同時に羽を打ち、ミナの身体が一直線にエメラへ迫る。




