ep46 静寂を喰らう魔獣2
「まずは、何者なのか見せてもらおうじゃねえか」
ガヴロックが剣を抜いた直後、前方の木々が大きく弾け飛んだ。
太い幹が根元からへし折られ、枝葉と土煙の中から巨大な影が姿を現す。
「……なんだ、ありゃ」
思わずガヴロックが呟いた。
全長は10メトルを優に超えている。
低く地面へ張り付くような胴体。その両側から伸びる8本の脚は、蜘蛛のようでもあり、甲殻類のようでもある。
背中から側面にかけて黒褐色の硬い外殻に覆われ、その隙間からは不規則に太い棘が突き出していた。
頭部らしき場所には、大きく裂けた口。
その奥には大小の牙が何重にも並び、噛み合わせるたびに硬質な音を立てている。
さらに異様なのは、その身体から立ち昇る熱だった。
周囲の空気が揺らぎ、濡れた地面から薄く湯気が立っている。
「記録にある魔獣と一致するものはありません」
マリアが魔獣を見据えながら言った。
「だろうな。俺もこんな気持ち悪い奴は見たことねえ」
魔獣の口から、粘ついた唾液が落ちた。
地面へ触れた瞬間。
ジュッ、と音を立てて草が黒く変色する。
「唾液にも何か含まれています。触れない方がいいでしょう」
「見りゃ分かる」
魔獣の8本の脚が動いた。
次の瞬間。
「速――」
巨体が消えた。
いや。
そう錯覚するほど、一気に間合いを詰めてきた。
「隊長!」
マリアが横へ跳ぶ。
ガヴロックも反対方向へ飛び退いた。
直後、2人が立っていた場所へ魔獣の頭部が突っ込む。
ドンッ!
地面が爆ぜ、土と石が周囲へ飛び散った。
「その図体でその速さは反則だろ!」
ガヴロックは空中で身体を捻り、すれ違いざまに魔獣の側面へ剣を叩き込んだ。
甲高い金属音。
手に強烈な反動が返る。
「硬っ!」
刃は外殻の表面を僅かに削っただけだった。
魔獣が身体を振る。
巨大な尾のように伸びた後部が薙ぎ払われ、ガヴロックへ迫った。
剣を盾代わりにして受ける。
「ぐっ!」
衝撃で身体が浮き、そのまま後方へ吹き飛ばされる。背中から木へ激突し、勢いのまま2本、3本と幹をなぎ倒してようやく止まる。
「隊長!」
マリアが声を上げる。
だが、ガヴロックはすぐに瓦礫のように散った枝を押し退けて立ち上がった。
「大丈夫ですか?」
「背中がいてえ」
そう言いながら肩を回し、剣を構え直す。
「それだけですか?」
「ああ。まだ全然やれる」
腕も痺れていた。
ガヴロックは一瞬だけ支給された剣へ視線を落とす。今の一撃だけで、刃に小さな欠けができている。
「……やっぱり頼りねえな」
「何か言いましたか?」
「こっちの話だ!」
その間にも、魔獣はマリアへ襲いかかっていた。
前脚が振り下ろされる。
マリアは横へ滑るように回避し、片手を突き出した。
「エイル・セル・ヴァル・アクア!」
「貫きなさい!アクアランス!」
水が渦を巻きながら集まり、数本の鋭い水槍となって放たれる。
水槍は外殻へぶつかり、激しく弾けた。
そのうち1本だけが、脚の付け根へ突き刺さる。
魔獣が甲高い咆哮を上げた。
「外殻の継ぎ目なら通ります!」
「了解!」
ガヴロックが駆ける。
狙うのは、先ほどマリアの術が刺さった場所。
魔獣が前脚を振り上げた瞬間、その懐へ滑り込み、脚の付け根へ剣を突き込んだ。
肉を裂く感触。
黒い体液が噴き出す。
「よし!」
ガヴロックが剣を引き抜こうとした。
その瞬間。
「隊長、離れて!」
魔獣の背中に並ぶ棘が、一斉に持ち上がった。
「うおっ!」
ガヴロックが地面を蹴る。
直後。
無数の棘が周囲へ射出された。
木の幹を貫き、岩へ突き刺さり、地面を深く抉る。
そのうち1本がガヴロックの頬を掠めた。
薄く血が流れる。
「今度は飛び道具かよ」
「攻撃手段が多いですね」
マリアは飛来した棘を水の膜で逸らしながら魔獣を観察していた。
「しかもそれだけではありません。隊長、先ほど傷つけた場所を見てください」
「あ?」
脚の付け根。
先ほど剣で深く斬ったはずの傷が、すでに縮み始めていた。
裂けた肉が蠢き、互いに引き寄せられるように塞がっていく。
「再生までしやがるのか」
「かなり速いですね」
「面倒な奴だ」
魔獣が再び動く。
今度は先ほどのように一直線ではなかった。
木々を縫うように身体を左右へ振りながら、ガヴロックへ迫る。
「さっきより動きが違います」
「ああ」
ガヴロックも気づいていた。
先ほど自分が懐へ潜り込んだことを警戒している。
脚の動かし方を変え、胴体を低く保ったまま、死角を作らないように動いている。
「学習してるな、こいつ」
「戦いながらこちらの攻撃へ対応しているようです」
「ますます普通じゃねえ」
魔獣が跳んだ。
10メトルを超える巨体が宙へ浮く。
「上!」
マリアとガヴロックが同時に左右へ散った。
巨大な身体が地面へ叩きつけられる。
衝撃波が走り、周囲の木々が大きく揺れた。
土煙の中から前脚が突き出す。
ガヴロックは身体を沈めて避け、そのまま脚へ剣を振るった。
ガキンッ!
刃が止まる。
「さっきより硬くなってねえか?」
「おそらく、先ほど傷つけられた部分へ何らかの形でマナを集中させています」
「防御まで覚えたか」
「正確には分かりません。ただ、同じ方法を繰り返すのは避けるべきです」
「同感だ」
ガヴロックは一度大きく距離を取った。
魔獣もすぐには追ってこない。
8本の脚を広げ、こちらを警戒している。
「速い。硬い。再生する。棘を飛ばす。頭もそこそこ回る」
ガヴロックが指を折るように数えた。
「それに、この熱」
マリアが魔獣の足元へ視線を落とす。
「周囲の温度が上がり続けています。長期戦になればこちらが不利です」
「逆に言えば、長引かせなけりゃいい」
「簡単に言いますね」
「あと少し見たい」
ガヴロックが魔獣へ向かって歩き出した。
「まだ何か?」
「一番大事なところだ」
「?」
「どこを潰せば死ぬか」
魔獣が大口を開けた。
喉の奥が赤く光る。
「隊長!」
「見えてる!」
灼熱の息が吐き出された。
炎ではない。
高温の蒸気と粘液が混じったような吐息が、扇状に森を薙ぐ。
ガヴロックは木の幹を蹴り、一気に上へ跳んだ。
数瞬遅れて、下にあった草木が黒く焼け焦げる。
「なるほどな」
枝へ着地したガヴロックは、魔獣を上から見下ろした。
「口を開いた時だけ、首の下が開く」
硬い外殻に覆われた全身。
だが、頭部を持ち上げた時だけ、顎の下から首へ続く部分に外殻の隙間が生まれる。
「マリア!」
「分かっています!」
マリアも同じ場所を見ていた。
「ですが、あそこまで接近する必要があります」
「十分だ」
ガヴロックが枝から飛び降りる。
着地と同時に剣を肩へ担いだ。
魔獣が低く唸る。
先ほどまでとは違う気配を感じ取ったのか、8本の脚が僅かに後退した。
マリアがそれを見て眉を上げる。
「警戒されていますね」
「ああ、だが大体わかったからもういいぜ」
「少しだけ本気出す」
「少し、で済ませてください」
ガヴロックは剣を下げ、短く息を吐いた。
「――《マナ・フォージ》」
全身にマナが一気に巡り、筋肉と感覚が研ぎ澄まされる。その流れは腕から柄へ、さらに刀身へと伝わっていった。
剣が低く震える、ガヴロックの纏う空気が、明らかに変わった。
マリアがガヴロックの剣を見る。
「それ、支給品ですからね」
「分かってるよ」
「壊したら始末書ですよ?」
「脅すな」
魔獣が吠えた。
次の瞬間、ガヴロックへ向けて突進する。
「マリア、3秒」
「十分です」
マリアが両手を広げた。
水属性のマナが周囲へ広がる。
地面に残っていた水分が一斉に集まり、魔獣の足元へ絡みついた。
「エイル・ガス・グラン・アクア!」
「凍れ!フロストバインド!」
水が瞬時に凍結する。
8本の脚のうち、左側の4本がまとめて氷に覆われた。
魔獣が力任せに引き剥がそうとする。
氷に亀裂が走る。
「1!」
マリアが叫ぶ。
ガヴロックが踏み込んだ。
地面が弾ける。
一瞬で魔獣との距離が消えた。
「2!」
魔獣が前脚を振り上げる。
ガヴロックは止まらない。
振り下ろされた脚の内側へ潜り込み、そのまま腹の下を走り抜ける。
「3!」
氷が砕けた。
魔獣が身体を回転させる。
だが、その時にはガヴロックはすでに背後へ抜けていた。
「遅い」
後ろ脚の関節へ剣が走る。
今度は浅く斬るのではない。
全身の力とマナを一点へ集中させた一撃。
硬い外殻ごと脚が切断された。
魔獣の巨体が大きく傾く。
「グギャァァァァァッ!」
咆哮。
頭部を持ち上げ、大きく口を開く。
「そこだ!」
ガヴロックが地面を蹴った。
一直線に頭部へ向かう。
魔獣の背中から棘が持ち上がる。
「撃たせません!」
マリアが腕を振る。
大量の水が魔獣の背中へ叩きつけられ、そのまま氷結した。
棘の根元が凍りつき、射出を封じられる。
魔獣がマリアへ顔を向けようとする。
それが最後の隙になった。
「こっち見ろ」
ガヴロックはすでに目の前にいた。
両手で剣を握る。
剣身へ流し込まれたマナが限界まで高まった。
刀身が低く唸る。
「ふっ!」
一閃。
顎の下。
外殻の隙間へ刃が吸い込まれる。
肉を断ち。
骨を断ち。
そのまま首を深く切り裂いた。
黒い体液が噴き上がる。
魔獣の身体が大きく仰け反った。
だが、まだ倒れない。
「まだです!」
「分かってる!」
ガヴロックは着地と同時に身体を回した。
同じ箇所へ。
もう一撃。
「おらぁっ!」
剣が振り抜かれる。
巨大な頭部が宙を舞った。
数メトル先へ落下し、地面を転がる。
頭を失った胴体は数歩だけ前へ進んだ後、8本の脚から力が抜けた。
ズズンッ――。
地面を揺らしながら倒れる。
しばらくの間。
森に静寂が戻った。
マリアは構えを解かず、倒れた魔獣を見つめている。
「マナ反応……消失しました」
「終わりだな」
ガヴロックは剣についた体液を振り払った。
「ちょっち時間かかっちまったな」
「隊長が途中まで様子を見ていたからでしょう」
「正体不明の相手にいきなり全力で突っ込むほど馬鹿じゃねえよ」
「少し安心しました、少しは考えて戦って頂いていたんですね」
「俺をなんだと思ってる?」
「突っ込む前に一応考える人です」
「褒めてんのか、それ?」
ガヴロックが剣を鞘へ戻そうとする。
その瞬間。
ピシッ。
小さな音がした。
「ん?」
ガヴロックが剣を持ち上げる。
刀身の中央に、細い亀裂が走っていた。
「隊長」
「待て」
ピシッ。
さらに亀裂が伸びる。
「待て待て待て」
次の瞬間。
パキンッ。
刀身が中央から折れた。
折れた半分が地面へ突き刺さる。
ガヴロックは柄だけになった剣を持ったまま、しばらく動かなかった。
マリアも黙っている。
「……」
「……」
夜の森に、妙に気まずい沈黙が流れた。
「壊れましたね」
先に口を開いたのはマリアだった。
「壊れたな」
「支給されたばかりですよね」
「剣が悪い」
「剣のせいにしないでください」
「いや、これは絶対に剣が悪い。俺の剣なら今ので折れてねえ」
ガヴロックは地面へ突き刺さった刀身を抜き、悲しそうに眺める。
刃は何か所も欠け、細かな亀裂が全体へ走っていた。
「軍用品としては十分な剣ですよ」
「俺には足りねえ」
「隊長が馬鹿みたいな量のマナを流し込むからでしょう」
「馬鹿みたいって言うな、それにちゃんと手加減したぞ」
「限度を考えてください」
ガヴロックは折れた剣を見つめ、深いため息を吐いた。
「やっぱり俺の剣がいい」
「没収中です」
「返してくれねえかな」
「どうでしょうね」
「これ見せれば分かるだろ。支給品じゃ俺の戦い方に耐えられねえって」
「逆に、武器を壊す人間には高価な剣を持たせられないと判断される可能性もあります」
ガヴロックの顔が固まった。
「……それは困る」
「では大切に使えばよかったですね」
「戦ってる最中にそんな余裕あるかよ」
「私は戦う前に忠告しました」
「そうだったか?」
「しました」
「記憶にない」
「都合の悪いことだけ綺麗に忘れますね」
ガヴロックは折れた剣を拾い集め、渋々鞘へ収めた。
そして倒れた巨大な魔獣を振り返る。
「まあ、でも収穫はあったな」
「ええ。明らかに通常の魔獣ではありません」
「これだけ食い散らかして、育っていたとしたら……」
ガヴロックの目が細くなる。
「誰かがこんなもんを作って放したってことか」
「可能性は高いでしょう」
「こんなん一般兵や波の冒険者じゃ太刀打ち出来ねえぞ」
「本国に戻って至急対策を打つ必要がありますね」
マリアは魔獣の死骸へ近づき、外殻を観察する。
「一部を持ち帰ります。外殻、体液、可能であれば肉片も」
「また荷物増えるのかよ」
「ファングとディーオに載せるので問題ありません」
「俺の剣も載せていいか?」
「自分で持ってください」
「冷てえなあ」
「壊した本人が持つのが当然です」
ガヴロックは折れた剣を腰へ戻し、もう一度ため息を吐いた。
「帰ったら絶対に俺の剣を返してもらう」
決意を胸に、本国への帰路へと向かった。




