ep43 奪われた意思
5つの魔方陣を調べ終えると、3人は坑道を出てカールが療養している自宅へと向かった。
街の外れに建つ小さな家で、扉の前には洗濯物が干されている。
ガレスが扉を叩くと、中からカールの妻が顔を出す。
「体調はどうだ?」
「昨日よりはいいみたい。まだ長く起きてはいられないけど」
「アストリアから調査に来た人たちだ。少し話を聞きたい」
妻は不安そうにマリアとガヴロックを見た。
「無理はさせませんのでご心配なさらず、本人がつらそうであればすぐに切り上げます」
マリアの言葉に妻が頷き、3人を家の奥へ通した。
カールは寝台の上に横たわっていた。
顔色は良くなっており、身体も以前よりは動かせているようだ。
「この人たちが、当時のことを聞きたいそうだ。思い出せる範囲でいい」
「白狼隊のマリアです。こちらはガヴロック。つらいことを尋ねるかもしれませんが、答えたくない質問には答えなくて構いません」
「わかった、よろしく頼む」
マリアは手帳を開き、寝台に横たわるカールを静かに見つめた。
「あなたが鉱石を盗んだとされ、鉱山を解雇された件について確認させてください」
カールの表情が強張った。
毛布の上に置かれた手が、ゆっくりと握り締められる。
「……俺は、好きで盗んでいたわけじゃない」
「では、なぜ鉱石を持ち出したのですか?」
カールは答えるまでに、しばらく時間を要した。
隣に立つガレスも何も言わず、その言葉を待っている。
「家族を殺すと、ファスに脅されていた」
カールの口から出た言葉に、ガレスの顔色が変わった。
「何だと?」
「言うとおりにしなければ、妻と子供を殺すって。この街から逃げても無駄だ、どこへ行っても見つけ出すって……」
「そんなことを、いつから言われていた?」
ガレスの声には、抑え切れない怒気が滲んでいた。
「鉱石を盗んだとされる、少し前からだ」
「どうして俺に相談しなかった!」
「できるわけがないだろ!」
カールが声を荒らげた。
「他の者に話せば、そいつも殺すと言われたんだ」
カールは荒くなった呼吸を整えながら続けた。
「誰かに相談したと分かった時点で、まず家族を殺す。それから、俺が大切にしている人間を1人ずつ消していくって……」
ガレスは何も言い返せない、固く握った拳を震わせながら、顔を伏せる。
マリアはカールが落ち着くのを待ってから、再び問いかけた。
「ファスからは、具体的に何を命じられていたのですか?」
「日中は、これまでどおり鉱山で働いろと指示をされた、周りに怪しまれないようにと」
「普段の仕事を続けていたのですね」
「そして夜になると、ファスの仕事を手伝わされた」
「夜の仕事とは?」
「鉱石を盗み出して、指定された場所へ運ぶ。それだけじゃない。道具や小さな木箱を、使われていない坑道へ運ばされることもあった」
「木箱の中身を見ましたか?」
「少しだけ」
カールは記憶を探るように目を細めた。
「鉱石の粉や、細い金属の棒、文字が彫られた石が入っていました。何に使うのかは教えてもらえなかった」
マリアは、坑道内に配置されていた5つの魔方陣を思い浮かべた。
トルクが術式を刻むために使用した道具だった可能性が高い。
「夜の作業には、毎日参加していたのですか?」
「ほとんど……毎晩だな」
カールの声が掠れる。
「昼は普通に働いて、夜は鉱石や道具を運ぶ。眠れるのは、明け方から仕事が始まるまでの僅かな時間だけだった」
「初めの数日は、どうにか耐えられた。家族を守らなければならない。自分さえ我慢すればいい、と」
そう言い聞かせながら、カールは昼夜を問わず働き続けた。
だが、身体は徐々に限界へ近づいていった。
「仕事中に倒れそうになることもあった。手に力が入らなくて、つるはしを落としたこともある」
ガレスが顔を上げる。
「その頃からだったな。お前が急に痩せ始めたのは」
「ああ、そうだな」
「何度聞いても、大丈夫だとしか言わなかった」
「本当のことは言えなかった」
「俺は、お前が何か悩んでいることには気づいていた。それなのに……」
ガレスはそれ以上続けられず、唇を噛んだ。
「心身ともに限界へ近づいていたのですね」
マリアの言葉に、カールは頷いた。
「頭が働かなくなってきていた。朝起きても、自分が眠ったのかどうか分からない。昼の仕事中も、少し気を抜いたら意識が飛びそうになって……」
それでもファスは、休むことを許さなかった。
命令に従え。
家族を守りたければ働け。
その言葉だけを繰り返し、カールを夜の坑道へ向かわせた。
「ある夜、もう動けないとファスに伝えると、これを飲め、と小さな便を渡してきた」
マリアの筆が止まる。
「どのような飲み物でしたか?」
「黒に近い紫色で、薬草みたいな匂いがしたな。味は妙に甘かったと思います」
「飲むことに抵抗は?」
「あったが、飲まなければ家族がどうなるか分からなかった。それに、本当に身体が限界だった、その時はファスの言葉に優しさすら感じたよ」
カールは額へ手を当てた。
「ファスは、力が出る薬だと言っていた。これを飲めば、疲れなんて感じなくなるって」
「実際に、疲労は消えたのですか?」
カールの答えは早かった。
「ああ、飲んで少しすると、嘘みたいに身体が軽くなったんだ」
それまで鉛のように重かった手足へ、再び力が満ちる。眠気も痛みも消え、何日も眠っていなかったことさえ忘れるほど頭が冴えた。
「劇的に元気になるのが分かった。身体の奥から力が湧いてくるような感じがして、これなら何時間でも働けると思うくらいに」
「一時的に、疲労を感じなくさせる薬でしょうか」
「そうかもしれない。でも、おかしくなったのは、その後だ」
カールは自分の手を見つめた。
「身体は元気なのに、だんだん考えることができなくなっっていくのを感じた」
「思考力が低下した?」
「最初は、少しぼんやりする程度だった、言われたことを理解するまでに時間がかかるようになって……それから、何かを考えようとしても、頭の中に霧がかかっていく」
家へ帰ろう。誰かへ助けを求めよう。家族を連れて街から逃げよう。
そう考えようとしても、思考が途中で途切れる。
代わりにファスの声だけが、不自然なほど明瞭に頭へ残った。
「ファスに命令されると、それに従うだけになってしまっていた」
「命令に逆らうことはできましたか?」
「最初の頃は、まだ嫌だと思うことができた。身体を止めようともした。でも、少しずつ、その気持ちすら浮かばなくなっていったんだ」
「飲み物を口にしたのは、1度だけですか?」
「いいや」
カールは首を横に振った。
「夜の仕事へ向かうたびに渡された。逆に飲まないと身体が動かなくなっていったんだ」
薬の効果が切れると、抑え込まれていた疲労が一気に戻ってきた。
立っていることさえできない。
激しい頭痛と吐き気に襲われ、身体中の筋肉が震えた。
それでも、再び飲み物を口にすれば、疲労も痛みも嘘のように消えた。
「飲まないと働けない。飲めば考えられなくなる。分かっていたのに、どうすることもできなかった」
「そのあたりで、鉱石をバックに入れておいたことを忘れて解雇された、もうほとんど何も考えることが出来ずに、ファスの指示に従って夜の仕事をやっていたところまでは憶えている」
「その後家に帰ってなかったらしいが?」
ガレスはカールの妻に問う。
「あの時、鉱山組合の方が来られて、この人はしばらく街から離れて仕事をすることになったと聞きました。まさかそんな事件に巻き込まれることになるとは思ってもみなかったので、言葉をそのまま鵜呑みにしてしまいました」
当時の事をカールの妻が語る。
「その後の記憶はありますか?」
カールは目を閉じた。
「どこまでが自分の記憶なのか、分からない」
暗い坑道を歩いていた。重い箱を抱えていた。床へ魔方陣を刻む男の背中を見た。ファスの声を聞いた。
断片的な光景は残っているが、その前後がつながらない。
「ある時から、完全に記憶が途切れている」
「最後に覚えている場面は?」
「ファスから、いつもの飲み物を渡されたこと……だな」
その日は、それまでよりも濃い色をしていたような気がする。
カールが躊躇していると、ファスは苛立った声で早く飲めと命じた。
「飲んだ後、身体が熱くなり、ファスに、ついてこいと言われて……」
「あまり覚えてない、自分で歩いていたのか、誰かに支えられていたのかも。ただ、暗い通路を進んでいたような気がする」
「次に覚えているのは?」
マリアが静かに尋ねる。
カールはゆっくりと顔を上げ、寝台の横に立つガレスを見た。
「目を開けたら、目の前にガレスが立っていた、俺を抱えて……泣きながら」
ガレスの表情が固まる。
「泣いてはいない」
ガレスが即座に否定する。
「泣いてたよ」
「洞窟の埃が目に入っただけだ」
「両目にか?」
「そういうこともある」
「鼻水も出てた」
「うるさい。お前が死にかけていたからだ」
ガレスは気まずそうに顔を背けた、その耳が僅かに赤くなっている。
カールは弱々しく笑った。
「俺には何が起きたのか分からなかった。どうして鉱山の奥にいるのかも、肩から血が出ている理由も」
「でも、ガレスの顔を見て……助かったんだと分かった」
マリアは手帳へ視線を落とした。
鉱山で調べた相克魔方陣の中心には、カールのものと思われる血痕が残されていた。
そこへ自分の意思で立ったわけではない。
家族を人質に取られ、昼夜を問わず働かされ、心身が限界へ達したところで薬を与えられた。
薬によって一時的に身体能力を回復させられた一方、思考力と判断力を少しずつ奪われ、最後には記憶さえ残らない状態にされた。
そして、完全に意思を失ったカールは相克魔方陣の中心へ立たされ、その命を術式の触媒にされかけた。
「確認できた内容を整理します」
マリアはカールへ向き直った。
「あなたは家族の命を盾に脅迫され、鉱石の持ち出しと、夜間の作業を強要された」
「はい」
「日中は普段どおり鉱夫として働き、夜間はファスの命令によって、鉱石や魔方陣の資材を運んでいた」
「そうだ」
「心身が限界へ達した後、ファスから渡された飲み物を継続的に服用させられた。飲んだ直後は疲労が消え、身体に力が戻ったものの、徐々に思考力と判断力を失い、最後には記憶が途絶えた」
カールは静かに頷いた。
「相克魔方陣へ連れていかれた後の行動は、あなた自身の意思によるものではありません」
「でも、鉱石を盗んだのは俺だ」
「あなたの手で持ち出したことは事実でしょう」
マリアは否定しなかった。
「しかし、家族を殺すと脅され、拒否できない状況で行わされた行為です。自発的な窃盗とは事情がまったく異なります」
「鉱山を首になったことも、取り消してもらえるんだろうか」
「それを決めるのは鉱山組合です」
マリアは曖昧な慰めを口にせず、事実を述べた。
「ただし、今回の証言と、ファスが残した資料は必ずグレゴール組合長へ提出します。処分を再検討するための十分な材料になるでしょう」
「俺からも組合長に話す」
ガレスが言った。
「カールは盗人じゃない。ファスに脅されて利用されていた。それを分かった上で、あの処分をそのままにさせるつもりはない」
「お前は余計なことを考えるな。今は身体を癒せ。今度は俺たちが、お前と家族を守る番だ」
カールは顔を伏せ、声を出さずに頷いた。
◇
カールの家を出ると、外はすでに夕暮れに差しかかっていた。
山の稜線へ傾いた日が、街の屋根と石畳を赤く染めている。
扉が閉まってからも、ガレスはしばらくその場を動かなかった。
固く握られた拳には、白くなるほど力が込められている。
「……俺は、何を見ていたんだろうな」
ガレスが低い声で呟いた。
「カールが痩せていくのも、日に日に口数が減っていくのも見ていた。それなのに、何も聞き出せなかった」
「仕方がありません」
マリアは言葉を選びながらガレスの心に向き合う。
「ファスは家族だけでなく、相談した相手も殺すと脅していました」
「カールが話せなかったのは、あなたを信用していなかったからではありません。むしろ、巻き込みたくなかったからでしょう」
「分かっている。頭ではな」
ガレスは苦々しい表情のまま、カールの家を振り返った。
「だが、それで何も気づかなかった自分を許せるわけじゃない」
「なら、これから取り戻せばいい」
それまで黙っていたガヴロックが言った。
「何も知らなかった過去は変えられん。だが、事情を知った今なら、やれることはいくらでもあるだろう」
ガレスがガヴロックを見る。
「たまにはまともなことを言うんだな」
「たまにはは余計だ」
「私も同じことを思いました」
「お前まで言うのか」
ガヴロックが不満そうに眉を寄せる。
そのやり取りに、ガレスの表情が僅かに緩んだ。
「組合へ戻るぞ。グレゴールが、ファスの資料をまとめて待っているはずだ」




