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翠色のアルケミスト  作者: 蜂兎類
第3部 ヴェルディア再調査編
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ep41 事件の爪痕

 鉱山組合の建物を出ると、入口の前に1人の男が待っていた。


 日に焼けた顔に短く刈り込んだ髪。厚手の作業着を身につけ、腰には坑道用の道具を下げている。


「北坑道の責任者をしている、ガレスだ」


 男はそう名乗り、ガヴロックとマリアへ頭を下げた。


「白狼隊のガヴロックだ」


「同じくマリアです。本日は案内をお願いします」


「坑道内は多少の崩落によってまだ足場が悪い場所がある。こっちの指示には従ってくれ」


 ガレスは視線を雷狼へ向けた。


「その魔獣は……ついてくるのか?」


「こいつらは鉱山の中には連れていかない。警備隊の方で預かってもらう」


 ガヴロックが答えると、雷狼の1頭が不満そうに鼻を鳴らした。


「狭い所は嫌いだろ、お前たちも。それに戦闘になることは無いからな、おとなしくお留守番しといてくれ」


 ガヴロックが首の辺りを撫でると、雷狼は仕方がないというようにその場へ伏せた。


「随分と賢いんだな」


 ガレスが感心したように言う。


「俺よりは賢いぞ」


「否定できませんね」


 マリアが即座に答えた。


「少しは迷え」


「比較するまでもありませんので」


「(まあダンテの方がもっと賢かったか)」


 ガレスは心の中で思ったが口には出さなかった。


 雷狼を警備隊の者に預けると、3人は鉱山へ向かった。


 北坑道の入口には、立入禁止を示す縄が張られていた。


 周囲には数人の作業員と警備隊員が配置され、許可のない者が入らないよう監視している。


 ガレスが事情を説明すると、警備隊員は縄を外し、3人を中へ通した。


 坑道内へ足を踏み入れた途端、外の明るさと喧騒が遠ざかった。


 壁に取りつけられた照明用の魔石が、一定の間隔で淡い光を放っている。


「足元に気をつけてくれ」


 先頭を歩くガレスが言った。


「補強は済ませてはいるが、事故の前に比べると道がまだ不安定だ」


 外の光はすぐに遠ざかり、壁に取りつけられた照明用の魔石だけが、湿った岩肌を青白く照らした。


「最初に見るのは、崩落が起きた場所だ」


 ガレスが照明を掲げながら言う。


「作業中だった鉱夫たちが生き埋めになった。エメラが魔術を使って岩を支え、閉じ込められた連中を助け出した現場だ」


「救出されたのは何人ですか?」


「完全に奥へ閉じ込められたのは5人だ。ほかにも落石で怪我をした奴が大勢いた。重傷者の中には、治療師が助からないと判断した奴もいたが、これもエメラが魔術で治療してくれたんだ」


「木属性で治療まで行ったのですか?」


「属性とかはとんと疎いから分からん。俺も目の前で見たが、とにかくすごかった、何か唱え終わったかと思ったら光がけが人を包みだし、みるみるうちに傷が塞がっていったからな」


「ほー、それは随分と規格外な術師だな」


 ガヴロックの声に、僅かな期待が混じった。


「やはり一度――」


「隊長」


「何も言っていないだろう」


「言おうとしたことは分かります」


「長い付き合いというのも不便なもんだな。考えていることまで、長年連れ添った夫婦みたいに見透かされちまう」


「ふ、夫婦……?」


 マリアの肩がびくりと跳ねた。


 いつもなら即座に冷たい言葉を返すはずが、口が上手く動かない。頬へ熱が集まっていくのを自覚し、慌てて顔を背ける。


「な、何を言っているんですか、隊長。私たちは夫婦ではありません。あくまで元上官と、その部下です。それに、長年連れ添ったというほど長くも……いえ、決して短い付き合いではありませんけれど」


 否定しているはずなのに、最後の方は妙に歯切れが悪くなった。


 夫婦という言葉に驚いただけだ、そう自分へ言い聞かせながらも、胸の奥に生まれた小さな喜びまでは消えてくれない。


 長年連れ添った相手。ガヴロックの口から、自分との関係をそう例えられたことが、思っていた以上に嬉しかった。


 もっとも、それを顔に出すわけにはいかない。


 マリアは熱くなった頬を隠すように、手帳を開いて視線を落とした。


「それと、そのような発言は人によってはセクハラと受け取られます。今後は発言に注意してください」


「そうなのか?不思議なもんだな」


 ガヴロックは心底不思議そうに首を傾げた。


「昔から一緒にいる相手に、長い付き合いだと言っただけだろう?」


「夫婦という余計な例えをつけたことを問題にしているんです!」


「分かった、分かった。じゃあ次からは腐れ縁とでも言っておく」


「そういうことではありません!」


 声を荒らげたマリアに対し、ガヴロックはなぜ怒られているのか分からないとでもいうように肩をすくめた。


 マリアが一瞬見せた動揺にも、その奥にあった僅かな喜びにも、まるで気づいていない。


「難しいな。夫婦が駄目で、腐れ縁も駄目なら、何と言えば正解なんだ?」


「普通に長い付き合いと言えばいいでしょう!」


「最初からそう言っていたつもりなんだがな」


「例えが余計だと言っているんです!」


 少し先を歩いていたガレスが足を止め、振り返った。


 赤くなった顔を手帳で隠すマリアと、何ひとつ理解していない様子で頭を掻くガヴロックを見比べる。


「……マリアさんといったかな」


「何ですか?」


 マリアが警戒するように顔を上げた。


 ガレスは何とも言えない表情を浮かべ、静かに言った。


「あんたも苦労してるんだな」


「……分かっていただけますか」


「ああ。さすがに今のを見れば分かる」


「何?何の話だ?」


 ガヴロックが尋ねる。


 ガレスとマリアは同時に彼へ視線を向けた。


「この朴念仁が」


「隊長には一生分からないと思います」


「なんで俺だけ仲間外れなんだ?朴念仁ってなんだよ、野菜か?」


 不満そうに眉を寄せるガヴロックを見て、ガレスは深いため息をついた。


 その横でマリアも同じように息を吐く。


 偶然重なったため息に、2人は一瞬だけ顔を見合わせた。


 そしてガレスは、改めてマリアへ同情の籠もった眼差しを向けた。


 坑道の奥へ進むにつれ、新しく取り替えられた支柱が目立つようになった。


 地面には砕けた岩が残り、壁面には大きく削れた跡が続いている。


 やがてガレスが足を止めた。


 目の前にはあの時にエメラ達と見つけた石の扉、長年炭鉱の管理をしていたガレスすらも気づけないように巧妙に細工された扉だ。


「あの時はここから入った、他の道からも入る箇所はあるがそこはおいおい教えてやる」


 扉を開けると、ガレスにはかつての記憶が蘇る。


「ここの中心にそうなんちゃらって魔方陣がある」


 床には幾重もの円と直線が刻まれ、その間を細かな術式文字が埋め尽くしていた。


 中心部の線は大きく削り取られ、魔方陣としての形を失っている。だが、破壊されてなお、通常の魔方陣とは比較にならないほど複雑な構造をしていた。


「これをあの青年が解除したのか?」


 ガヴロックが魔方陣の外周を歩きながら尋ねる。


「ああ」


「どれくらいの時間で?」


「正確には覚えていない。解除の最中にファス達がやってきて戦闘になった」


「そしてカールが触媒にされた後に、残された時間は10分だとやつは言っていた」


「10分……?そんな簡単に解析できるような単純な構造はしているようには見えませんね」


 マリアが僅かに眉を寄せる。


「俺もどうやっているのか全く分からなかったが、エメラはカールが触媒になって起動したから逆にカールを触媒にして止めるんだと」


「俺は目の前のカールを抑えるのに必死だったが、結果的に魔方陣の軌道は食い止めることが出来たようだ」


 マリアは無言で魔方陣を見つめた。


 中心部には、周囲とは色の異なる黒ずみが残っている。


「ここにカールが立たされていたのですか?」


「ああ。ファスに操られて、魔方陣の中心まで歩かされた。肩を刃物で刺されて、その血を術式に吸われた」


「生きた人間を触媒にしたわけか」


 ガヴロックの声から軽さが消える。


「胸糞の悪い術だな」


「ファスは、カールの命を使って魔方陣を完成させるつもりだった」


 ガレスは中心部を睨んだ。


「この魔方陣を書いた魔術師曰くこの鉱山を崩壊させる力は無かったそうだがな、そんなもん信用できるか」


「どうせ減刑の嘆願のための嘘に決まってるぜ」


 マリアは魔方陣の縁へしゃがみ込んだ。


 刻まれた線へ指を近づけるが、触れる寸前で止める。


「複数の属性が使われていますね。火、水、土……それ以外にも、反発する性質の術式が重ねられている」


「相克魔方陣という名前のとおり、属性同士をぶつけて爆発させるのか?」


「基本的な考え方はそうでしょう。しかし、これ以上は専門家でないと分かりかねますね」


「こちらも写しておきましょう」


 そういうとマリアはルンデスの単眼鏡を取り出した。


 この魔道具は内部に水晶体が内蔵されており、そこに写すものを画として記録することが出来る。

 

  記録したものは専用の魔道具によって紙に転写することが可能だが専用の魔道具を使うまではきちんと写っているか確認することは出来ない。


「ここですぐ分からないのか?」


「分かりません、私は戦闘魔術と索敵術が専門です。古い魔方陣や、大規模術式の解析を専門にしているわけではありません」


 マリアが即答する。


「普段は何でも知っているような顔をしているのに」


「隊長より知識があるだけです」


「比較の基準が低すぎないか?」


「その点は否定しませんし、自覚がおありなら今からでも知識を身に着けていただけると少しは私も楽が出来るのですが」


「よし、頑張れ、俺になにかできることはあるか。もちろん今すぐに出来ることだ」


 マリアはやれやれとした顔になる。


「その夫婦漫才はいつまで続くんだ」


 2人の様子を見ながら、ガレスは呆れたように肩をすくめた。


「め、夫婦漫才ではありません!」


 マリアは反射的に声を上げた。否定するにはいささか勢いが強すぎたうえ、頬には先ほどよりもはっきりと赤みが差している。


「そうなのか?」


 ガヴロックはきょとんとした顔でマリアを見た。


「長い付き合いなんだ。息が合って見えるくらい、別におかしくはないだろう」


「そ、そういう問題ではありません! 夫婦という表現が不適切だと言っているんです!」


「なら、長年連れ添った相棒か?」


「それなら……まあ……」


 マリアは答えかけ、すぐに口をつぐんだ。


 夫婦という言葉は困る。だが、相棒と言い直されると、それはそれで少し物足りない。そんな自分の感情に気づいてしまい、ますます顔が熱くなる。


「いや、やっぱり駄目です! 余計なことを言わず、仕事の話をしてください!」


「分かった、分かった。そんなに怒るなよ」


 ガヴロックは悪びれる様子もなく笑い、何事もなかったかのように坑道の奥へ視線を戻した。


 その横で、マリアは唇を尖らせたまま、ちらりと彼の横顔を盗み見る。


 当然ながら、ガヴロックはその視線にも、彼女の複雑な心情にも、まるで気づいていなかった。


 ガレスはそんな2人を交互に見比べ、深いため息をつく。


「マリアも苦労するな」


「な、何がですか!」


「いや、別に」


 ガレスはそれ以上言わず、同情を込めた目をマリアへ向けた。


「何なんですか、その目は!」


「気にするな。俺にはどうにもしてやれん」


「だから何の話ですか!」


 坑道にマリアの声が響くなか、ガヴロックだけが不思議そうに首を傾げていた。

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