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翠色のアルケミスト  作者: 蜂兎類
第2部 ガナ編
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37/63

ep37 邂逅1

 高い岩場を地這い蛇たちは登り切り、人の気配がする方へとゆっくりと近づく。身を隠すところはほどあるわけではないが、気配を立ち、地面を張ってゆっくりと近づく。


 高い岩場の、周りをよく見渡せる位置に2つの人影があった。


 月明かりもない夜だ。灌木の影に上手く溶け込み、遠目には岩と見分けがつかない。そういう訓練を受けた者の立ち方だ。


 2人は声を出さなかった。ただ、遠くで繰り広げられている戦いを、静かに見ていた。


 上司の方は三十代後半ほどに見える。


 目が細く、表情を動かさない。戦況を見る目に感情がない。勝ち負けを応援しているのではなく、数値を記録しているような目だ。片手に薄い革製の手帳を持ち、時折何かを書き留めていた。


 部下の方は若い。二十代前半だろう。体格は良く、腰に刃物を二本佩いている。上司に比べると、目に感情がある。苛立ちと軽蔑が混じったような目で、遠くの戦いを見ていた。


「……あの程度すか」


 部下が小声で言った。


「黙れ」


 上司が静かに言った。


「でも——あんな雑魚に手こずるなんて」


「黙れ、と言った」


 上司の声のトーンは変わらなかった。ただ、それだけで部下は口をつぐんだ。


 遠くで炎が上がった。ルシアの収束火炎が、魔獣の体を貫いた瞬間だ。夜の草原を橙色に染める。


 上司は手帳に何かを書いた。


 部下はその炎を見て、鼻から息を吐いた。


「あんな攻撃を受けてもまだ動いているんですね、あの魔獣は」


「そのための実験だ」


 上司が言った。


「実験?」


「あの個体は三ヶ月前から改良を続けている。命の概念を除去した上で、複数の魔獣の部位を組み合わせた。どこまで損傷を受けても動き続けるか——それを確かめる必要があった」


「そうなんすね」


 部下は少し考えてから言った。


「じゃあ他の冒険者たちは皆殺しにしてしまえばよかったんじゃ?」


「物事を短絡的に考えるな」


 上司は持参した手帳にメモを取りながら話した。


「依頼を受けている冒険者が依頼主ごと死んだりしたら冒険者ギルド、ひいては国が動く。組織としてはまだ表立って動くのはあまり得策ではない」


「一つは魔獣の実戦データを取ること。もう一つは——あの木属性の術師の力量を測ること。一度の行動で両方を達成できる場所が、ここだった」


「あの木属性の?結界は確かに堅牢そうだけど俺にかかればすぐ破壊できそうな密度ですよ?」


「なんなら俺が直接やつらと戦ってデータをとりましょうか?」


「たった今行ったことをもう忘れたのかこの鳥頭!!まだ表立って動く時期ではないと言ってるだろうが」


「え~でも俺だって戦いたいっすよお」


「組織の戦闘訓練で我慢しろ」


「魔獣とばっかりじゃれあってもつまんないっすよ、壊したら怒られるしー」


「この前なんか研究中の魔獣の戦闘実験させられたんすけど、徹底的に破壊したら技術のやつにマジギレされたんす」


「修繕費は給料からひいておくからなってまで言われたから割りに合わないんす」


「わかったわかった、どっかで対人戦闘の場を用意しておくからそれまで我慢しておけ」


「あざまーす」


 そうこうしているうちに魔獣に対してテンペストニードルが放たれる。


「今のマナの数値、これは中々だな」


「そうっすね、今の一撃は中の下くらいの威力はありそうっすね」


「ちなみにあの男とは戦える可能性はあるんすか?」


「さあな、それはエリシア様が決める事だ。この結果を報告する時には進言だけはしておいてやる」


「が、あの御方が駄目とおっしゃられたらその時は駄々をこねるなよ」


「え~幹部か何だか知りませんけどみんなあのオバサンにビビり過ぎてないっすか?」


「オバ……貴様、組織の中でもしそんなことを言ってみろ、側近たちに一瞬で首跳ね飛ばされるぞ」


「それ楽しそうっすね、あの側近の人とも戦ってみたかったっすから」


「……その場合は上司兼教育係の俺の首も一緒に飛ぶだろうな、もしそれを実行に移すなら先に言うがいい、俺が死んでもお前を殺す」


「先輩俺より全然弱いじゃないですか、先輩じゃあ止めれないっすよ、それに先輩まで巻きこまれるなら頑張って俺我慢するっすよ」


「先輩の事嫌いじゃないんで」


「じゃあもう少し言うことを聞いてくれ」


「わかったす、もうこれで撤収するんすか?」


「いや、最後にこれを仕掛けて来いとの命だ」


 そう言うと先輩と呼ばれる人物は魔法陣が書かれた札を取り出し地面に置く。


「少し離れていろ。エイル・レイス・エルカ・ソルヴ(召喚術式)」


 そう唱えると札が輝きだす。


 輝きが形を形成していく。光が落ち着くと、小型の魔獣が出現していた。


「こんなちっこいのでどうするんですか?」


「こいつは周囲の魔獣や強い気配に反応して捕食する。こいつでこの辺り一帯の魔獣を食らわせて、育ったところでアストリア連合国に放ち、ひと騒動起こす予定だ」


「それ面白そうっすね、まずはアストリアから滅ぼすんすか?」


「こいつ一体でどこまでできるか分からんが、国自体を混乱させ、疲弊させろというお達しがきている」


「厄介なのは精鋭部隊の4部隊だ、やつらにも通用する強さとなるのであれば……十分な戦力となる」


「時がくればお前たちの手足となって十分に暴れてくれるだろうよ」


 小型の魔獣は地面に鼻先を近づけると、忙しなく左右へ首を振った。


 やがて何かの気配を捉えたのか、岩場の縁へと駆けていく。短い脚からは想像できないほど素早く、岩から岩へ飛び移りながら、暗闇の向こうへ消えていった。


「行ったっすね」


「ああ。今はまだ餌を求めるだけの幼体だ。ある程度成長するまでは、本能のままに動かせておけばいい」


「途中で冒険者に見つかって倒されたりしないんすか?」


「その程度で死ぬようなら、最初から使い物にならん」


 先輩は魔法陣の描かれた札を拾い上げた。


 札に刻まれていた術式は、すでに役目を終えて黒く焼け焦げている。指先で軽く折り曲げると、乾いた音を立てて崩れ、細かな灰となって風に散った。


「ここでの任務は終了した、次の任務に向かうぞ」


「次の任務……何でしたっけ?」


 その言葉に大きなため息が出る。


「しっかり任務は頭に叩きこんでおけ、次は使わなくなった魔獣の廃棄処分だ」


「あ〜旧世代の魔獣っすね、それを見るのはおもしろそうッスね」


「痕跡は残すな。撤収するぞ」


「了解っす」



 後輩が岩場から離れようとした、その時だった。


 先輩の細い目が、わずかに動いた。


「待て」


「どうしたんすか?」


「何か来る」


 2人は同時に動きを止めた。


 夜の岩場には、風が灌木を揺らす音しかない。


 虫の声も、獣の鳴き声も聞こえない。


 だが先輩は腰を落とし、片手を地面へ近づけた。岩肌を伝う、ごく微かな振動を確かめる。


「地面から気配がする」


 直後、岩場の縁から細い蔓が姿を現した。


 蔓は蛇のように身をくねらせ、岩の隙間へ根を食い込ませながら、ゆっくりと斜面を登ってくる。


 1本ではない。


 別の場所からも、さらにもう1本。


 複数の地這い蛇が、音もなく岩場へと這い上がってきた。


「何すか、あれ」


 後輩が腰の刃へ手を掛ける。


「動くな」


 先輩は低い声で制した。


 地這い蛇たちは岩場へ到達すると、その場で細長い頭を持ち上げた。


 目も鼻もない。


 それでも周囲を探るように頭を巡らせ、人がいた痕跡を拾い集めている。


 1匹が、召喚札を置いていた場所へ近づいた。


 先ほどまで魔法陣があった地面には、微量のマナが残っている。地這い蛇は岩肌へ頭を押しつけると、残留した術式を読み取るように、その場で動きを止めた。


「偵察用の術式か」


 先輩が呟いた。


「さっきの木属性のやつっすか?」


「おそらくな」


「じゃあ壊します?」


「いや。術者と感覚を共有している可能性がある。下手に攻撃すれば、こちらの存在を確信させる」


「でも、もう見つかってるんじゃないすか?」


「姿までは捉えられていない」


 2人は灌木の影に身を沈めていた。


 訓練された者が動きを止めれば、気配は岩や草木とほとんど変わらない。地這い蛇は強い生命力やマナを探知できるが、視覚で相手を判別しているわけではなかった。


 地這い蛇の1匹が、ゆっくりと2人の方角へ頭を向ける。


 後輩の口元が楽しそうに歪んだ。


「こいつ、俺たちに気づきかけてますよ」


「息を抑えろ」


「植物相手に息って関係あるんすか?」


「黙れ」


 地這い蛇が岩肌を這い、少しずつ距離を詰めてくる。


 少しずつ


 少しずつ


 後輩の指が、刃の柄を撫でた。


「もう斬っていいっすか?」


「まだだ」


「でも、これ以上近づかれたら——」


 その瞬間、遠くの草原から轟音が響いた。


 どこかで巨大な魔獣が暴れた振動なのか、それが岩場にまで伝わってきた。


 地這い蛇たちが一斉に頭を持ち上げた。


 強いマナの反応を捉えたのか、先ほどまで2人へ向けていた意識が戦場の方角へ戻る。


「今だ」


 先輩は音を立てずに後退した。


 後輩も不満そうな顔をしながら、その後に続く。


 2人は灌木の陰を伝い、岩場の反対側へと移動していった。


 だが、すべての地這い蛇が戦場へ意識を戻したわけではなかった。


 最も小さな1匹が、2人の離れていく気配を追い、岩場の縁へと進む。


 その頭が灌木の間から覗いた瞬間。


 後輩が振り返った。


「……見つけた」


 闇の中で、獣じみた瞳が鈍く光った。


 次の瞬間、後輩の姿が消える。


 鋭い風切り音が鳴り、地這い蛇の頭上を刃が通過した。


 しかし、刃は蔓を断ち切らなかった。


 地這い蛇の頭部から、髪の毛ほどの細い傷が伸びる。


 後輩は寸前で刃を止めていた。


「何のつもりだ」


 先輩が振り返る。


「壊してないっすよ。ちょっと脅かしただけです」


「植物に脅しが通用すると思うのか?」


「向こうの術者には通じるんじゃないすか?」


 後輩は地這い蛇へ顔を近づけた。


「見えてるんだろ?」


 返事はない。


 地這い蛇は動きを止めたまま、目の前の男から発せられる異様な気配を感じ取っていた。


 人間のものに似ている。


 だが、その奥に別の何かが混じっている。


 鋭く、荒々しく、獲物の血を求める魔獣の気配。


「次は直接来いよ、木属性」


 後輩は笑みを浮かべ、刃を鞘へ収めた。


「その時は、俺が遊んでやるからさ」


「余計なことをするな。この馬鹿が、身を隠す意味がないだろうが!」


「帰ったら貴様に隠密行動の何たるかを教えてやる」


 先輩が後輩の襟首を掴み、強引に引き離した。


「帰るぞ、リュカ」


「はいはい」


 2人の気配が岩場の向こうへ遠ざかっていく。


 地這い蛇はしばらくその場に留まり、彼らが消えた方角へ頭を向けていた。


 やがて身を翻すと、召喚術式の残滓が残る場所へ戻る。


 岩肌には、小型の魔獣が残した爪痕と、わずかな体液が付着していた。


 地這い蛇の先端が、その体液へ触れる。


 その瞬間。


 遠く離れた戦場で、エメラの脳裏に断片的な感覚が流れ込んだ。


 岩場。


 2人分の気配。


 焼け焦げた術式。


 そして、人間とは異なる何かを内側に宿した、若い男。


 エメラは険しい表情で岩場の方角を見上げた。


「……やはり、誰かがいる」


 だが、地這い蛇が捉えれなかったものがある。


 その場から遠ざかっていく、もう1つの気配。


 小さく、弱々しい気配。


 戦場には似つかわしくない気配のため、感知の網から抜けてしまっていた。


 周囲の生命を喰らうたびに膨れ上がっていく、底のない飢え。


 小型の魔獣はすでに岩場を下り、暗い草原の中を這い進んでいた。


 最初の獲物を求めて。

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