ep35 未知なる魔獣1
土煙が上がった。その土煙は天を突くように舞い、すなわちそれは敵の大きさを判断する材料となる。
それが晴れた瞬間、全員が息を呑んだ。
体長は10メトルを超えている。8本の太い脚、装甲のような硬い皮膚、頭部から背中にかけて鋭い棘が密生している。全体的な色は暗褐色で、目が異様に小さく、赤く光っていた。体の表面が微かに蒸気を放っており、近づくだけで熱気を感じた。
そして誰もが感じる違和感、これがなんだか分からない。バラバラ。そう、生き物としての、生命体としてのこの場にいる全員の理解力でおいつかない、つぎはぎの様なアンバランスなイメージがこの魔獣にはある。
「何だあいつは!?」
ティオが叫んだ。
「見たことがない!」
ルシアが言った。
「こんな魔獣、この地域にいるはずが——」
「これは、ただの魔獣じゃない、何かが根本的に違う」
エメラは魔獣を視認してそう感じた。
「エメラの言う通りだ」
ダンテの鼻が嗅ぎとった不自然さ、誰も見たことがない魔獣、数を把握出来なかった原因。
「いくつもの魔獣の匂いが混じってる……?」
「何だって?」
ティオが思わず聞き返す。しかし今は戦闘中だ。この魔獣の正体暴きをしている暇は、ない。
魔獣が低く唸った。その唸り声は音というより振動に近く、荷台の板が微かに震えた。腹の底に直接響く音だ。地面が揺れているように感じた。
そして一気に加速した。
その速さが、体格から想像できるものではなかった。あれだけの巨体が、地面を削りながら、一直線に馬車に向かって突進してくる。
「散れ!」
ティオが叫ぶ。
魔獣の唸り声に反応し灰銀馬が嘶いた。灰銀馬も魔獣の中でも力強く、特に商人が使役している個体はギルドにより戦闘訓練も行われている。そのため、並の魔獣では歯が立たず、護衛とともにいざという時は戦力となるように調教されている。
その灰銀馬が、パニックになっている。前足を激しく踏み鳴らし、馬車を引きずりながら横に逃げようとした。カルルが必死に手綱を引き締めているが、二頭が同時に暴れているため制御が追いつかない。
「制御が……できない!」
カルルが叫んだ。水の障壁越しの対峙でも、姿を現した魔獣が脅威だという事を思い知らされる。
「馬車は任せて!!」
そういうとエメラは杖を地面に突き立てる。それを合図にと、魔獣がこちらに向かってきた。
ティオが飛び出す。一歩目からすでに剣を抜いており、突進してくる魔獣の正面に立った。剣を両手で構え、足を開いて重心を低くする。
「でかいな!」
ティオが呟いた。
「でもやれる!」
魔獣が迫る。距離が縮まる。10メトル、5メトル、3メトル——
ティオは最後の瞬間に横に跳んだ。魔獣の突進が脇を通り過ぎる。風圧だけで体が揺れた。擦れ違いざまにティオが剣を叩きつける。
ガァン、という鈍い金属音がした。
「硬い!」
ティオが顔を歪めた。剣が弾き返された。手のひらがしびれている。外皮に傷一つついていない。
魔獣が旋回した。その体格からは信じられない俊敏さで、ティオに向き直った。
「ビヨルド!」ルシアが叫んだ。
「狙う」
ビヨルドはすでに弓を引き絞っていた。矢に風の術を乗せる。空気が収束し、矢の先端で渦を巻く。狙いを定め——放った。
矢は一直線に飛んだ。しかし魔獣の外皮に当たった瞬間、弾き飛ばされた。矢の先端が折れ、地面に落ちる。
「外皮が厚すぎる!」
ビヨルドが言った。
「関節を狙え!」
エメラが叫んだ。
「足の付け根、首の付け根——そこは皮膚が薄いはずだ!」
「分かった!」
ビヨルドが次の矢を番えた。
ルシアが距離を取り術式を展開する。
両手を広げ、空気中の水分を集め始める。朝露、大気中の湿気、土の中の水分——それらが見えない力に引き寄せられるように集まってくる。
「霧を出す! ビヨルド、私が視界を遮ったら首の付け根を狙って!」
「了解」
ルシアが両手を押し出した。
「エイル・ラシュ・セル・アクア(初級拡散水術・幻霧侵眼)」
「水の帳よ、敵の目を覆え——幻霧侵眼!!」
魔獣の頭部を中心に、濃い霧が発生した。半径5メトルほどの局所的な霧だ。外からは霧の向こうに魔獣の輪郭が見えるが、魔獣からの視界は完全に遮られている。
魔獣が霧の中で動きを止めた。小さな目が霧の中で泳いでいる。
「今!」
ビヨルドが放った。矢は霧の中を一直線に飛んだ。今度はがのある背中ではなく、霧の中で把握した魔獣の首の付け根の位置を狙っている。
矢が突き刺さった。
「効いた!」
しかし——
魔獣が怒りの咆哮を上げた。首を激しく振り、刺さった矢を振り払う。矢は地面に落ちた。傷口から濃い体液が滲み出しているが、致命傷には程遠い。
それどころか、怒りに火がついたように魔獣の体温が上がった。体表から蒸気がさらに激しく出始め、霧が蒸発していく。ルシアの霧が、魔獣の熱に押しされるように晴れていった。
「熱い!」
ルシアが手を引いた。
「体温が上がってる! 霧が蒸発する!」
「タフすぎる!」ティオが叫んだ。
魔獣は体を震わせ、熱波を放出した。全方位攻撃、魔獣を取り囲むように陣をしいていた3人、ティオ、ビヨルド、ルシアは防御の間もなく直撃してしまう。
「うわっ」「ぐっ」「きゃあ」3人は熱と同時に叩きつけられた風により吹き飛ばされてしまう。その熱波は馬車の方にも向かってきていた。
エメラは戦局を見て冷静に詠唱を行う。
「森羅よ、集え。枝を交え、根を絡め、命を一つに結ばん。風よ止まり、土よ眠れ。この地、我が身を護る鎧と化せ――《樹装結界》!」
詠唱の最後の一節が響いた瞬間、翠色の光が地表を走った。
淡い光は脈動する心臓のように明滅し、その中心から太い根が隆起する。根は地表を割りながら四方へ走り、絡み合い、巨大な骨組みを形成していく。やがて轟音と共に巨木が芽吹いた。
あり得ない速度で成長した幹は空を覆い、枝葉は互いに結びつきながら半球状の壁を作り上げる。葉擦れの音はまるで無数の囁きのように重なり、内部へ侵入しようとする風を拒絶した。
樹皮には翠光の紋様が浮かび、脈のように魔力が流れている。馬車を包む水球をさらに囲むその巨大な姿は防壁というより――古代の森が一夜にして蘇ったかのようだった。
「すげえ」
ティオたちは吹き飛ばされ、地面に倒れた。やけどによる損傷はある。が、すぐに体を起こしその一部始終を見ていた。
間髪入れずにエメラは次の詠唱を行っている。
ダンテが肩から飛び降りた。
「ダンテ!」
エメラが叫んだ。
「囮になる」
ダンテが叫び返した。
「俺が注意を引く間に術を!」
「分かった、でも魔獣の手足に気を付けろ!」
「触れなければいい!」
ダンテは地面を低く走った。小さな体が、草原の中を矢のように動く。魔獣の横を走り抜けながら、甲高い声で吠えた。
魔獣がダンテに反応した。小さな目が、素早く動く獲物を捉える。
馬車からターゲットを変えたのだろう、ダンテの方へ向き直った。
「来い!」
ダンテが叫んだ。
魔獣が突進した。今度は速い。怒りが加速に変わっている。
ダンテは逃げた。真っすぐ逃げるのではなく、弧を描くように走る。魔獣を引きずりながら、エメラから距離を取るように誘導している。
「エメラ、今だ! 撃て!」
「天地の理を反むきて、命の種を禍根と成す。根なき弾よ、風を裂きて飛び、敵の身を穿て。彼の命を糧として芽吹き、やがて花を咲かすは死の華——種弾!」
杖から種弾が放たれた。
一発ではない。10発、20発——杖先へ集まった光球が、連続して射出された。乾いた風切り音が連続して響いた。
外皮を貫けない種が多かった。多くは弾き返され、地面に落ちた。しかし数発が、ティオとビヨルドが傷をつけた首の付け根の傷口に入り込んだ。それから脇腹の、装の継ぎ目のような薄い部分にも数発が食い込んだ。
「今のうちに——!」
エメラは意識を種に集中させた。種弾は相手の生命力を喰らい成長していくが、エメラのマナで成長を促すことも出来る。体内に入った種が、ゆっくりと芽吹き始める。蔓が伸びる。内側から少しずつ、しかし確実に。
その時だった。
「エメラ!」
ティオが叫んだ。
ダンテを追っていた魔獣が、突然方向を変えた。誘導していたダンテではなく、立ち止まって集中しているエメラに狙いを定めた。
「来る——!」エメラが気づいた。
しかし集中を切らせない。切らせれば種の成長が止まる。しかし突進を受ければ——。
魔獣の隙をうかがいながらティオも術を使う。
「エイル・トーチ・セル・イグニス(初級火炎付与術)」
「樹縛鎖!」
エメラは種から意識を半分だけ外し、地面に向かって無詠唱で術を放った。地面から鎖状の樹木が生え、魔獣の前足に絡みついた。速度が落ちたが、不完全な術、巨躯を止めるには至らない。しかし一瞬の間ができた。
その一瞬でティオが距離を詰める。火炎を纏った剣で切りつける。
「ううぉおお!!」
剣による連撃。火炎により威力はあがっただろうが、この魔獣の外皮は固い。それを力を技で切りつけていく。これがランク5、このメンバーでは頭一つ抜けている実力があるのだろう。
ビヨルドは静かに照準を定め矢を放つ。その矢は先ほど放ったものとは違い風のマナを纏っている。その矢は放たれてからぐんぐん加速していき、魔獣の頭部を貫いた。
「ピギイイイイ!!」
魔獣が慟哭にも近い雄たけびをあげる。
「ダンテちゃんどいてー!」
ルシアが術の展開を終えて魔獣の気をひいているダンテに伝える。
ダンテもその言葉を聞くやいなや、魔獣から距離をとり、視界の端で視認しながらエメラの元に戻る。
「エイル・ケルド・グラン・イグニス(上級収束火炎術・ルミナスフレイム)」
炎が収束し光の一つの球体になる。そしてその光球が魔獣に向かってすさまじい速さで伸びていった。
光の束は魔獣の体を貫いた。これまでにないくらい魔獣が暴れだす。かなりのダメージは与えている、脚と首には深い傷が重なり、胴体には火炎術で大きな損傷が生じ、そこからさらに火炎で体内を焼かれている。普通ならすでにこと切れても不思議ではない。暴れ、もがきこそすれ、生命力が減っている気配がしないのだ。
「何かがおかしい」
エメラがティオの元に駆け寄る。
「ああ、致命傷何てとっくに通り過ぎているはずだ、今までの人生のなかであそこまで生命力にみなぎっている奴におめにかかったことはねえなあ」
少し軽口を叩くが、ティオも決して軽傷ではないはずだ。
「何か決定的打はもってないのか?」
「先ほど生命力を糧に育つ種を打ち込んだ。これが成長しきれば絶命させることもできます。そして種の成長はこちらで把握もできるけど、さっきから成長している気配がない」
「それはつまり、奴は生命活動を行っていない、ということなのか?」
「分からない、もしかしたらヤツの体内で成長を阻害されているのか」
「あの巨躯であの固さを切り刻むのはなかなか一筋縄ではいかなそうだ、何か別の手段はあるか?」
「まだ手はあります。マナを送り込んで、強制的に成長させれればきっと倒せると思います。ただ、そのために奴に直接マナを叩きこまないといけない。なので援護を頼みます」
旅の疲れがあるとはいえ、まだまだエメラのマナの総量には余裕があり、温存している術もある。
だが一つ、この戦いで感じている違和感があった。この魔獣は馬車を狙っていない、冒険者を歯牙にもかけていない。ただ、エメラとダンテを狙っている。まるで力量を図られているかのように。
魔獣はもがきながらもゆっくりとこちらを見た。視線はエメラを捉えている。
試しにジリジリと体を動かす。魔獣はエメラに正対するように体の向きを変え、エメラをもっとも警戒しているようにも見える。が、それもおかしな話だ、なぜなら今現在でもっともエメラがダメージを与えられてないのだから。それなのに肌でわかるほどに、魔獣の意識がこっちに向いているのが伝わる。
対峙してみてわかる。この魔獣は異質なマナを含んでいることに。こんなマナを内包している魔獣であれば、ダンテはもっと遠い距離から気づいているはずだ。大地を掘り進んで近づいてきただけではここまで気づかれずに接近を許すことはない、もっとやり方はあった。
「みなの体力とマナの残量は?」
「俺とビヨルドはまだ問題ない、がルーシーはどうだろうか。あと何発も連続で打てそうには見えないな」
ルシアの方に目をやると、肩で息をしているのが分かる。
「ダンテ、俺についてきてくれ」
湧いた疑問を払拭するため、ダンテと共に行動する。
ルーシーの元に駆け寄り、残りのマナの量を問う。
「ルーシー、さっきのはまだ撃てる?」ルシアの顔色を伺う。
「そうね……後一発なら撃てるわ。というか、なんなのよあいつ。あんだけ痛めつけてもまだ倒れないなんて」
「俺の見立てではあいつは生命体じゃない。多分、全てを消し飛ばさないと止まらないと思う」
「さっきの術はもっと広範囲に撃てますか?」
「あの術は、炎のマナを収束させて放つから、広範囲に拡散させると威力が落ちてしまうわよ?ティオの刃も深く通らないならとてもじゃないと消し飛ばすなんて無理ね」
「拡散させ続ければイケるかもしれないけどいかんせんマナが足りなさすぎるわ、そんな非効率な使い方をしてしまうとね」
「それなら俺のマナを使ってください」
「え?どうやって?」
「杖を媒介にマナを渡します。受け取れる量はルーシーの器に左右されますし、属性の違いで損失も出ます。無理だと思ったら、すぐに接続を切ってください」
「え、そんなこと出来んの?」
「俺を信じて」
そういってエメラはマナを巡らせる。




