ep32 いざ、カルタへ1
渡り鳥亭の朝、まだ薄暗い中エメラは目覚めた。
時刻を確認する。朝の5時半。大事をとって昨晩早く寝たためか、思っていたよりも早く目覚めてしまった。
一瞬二度寝も脳裏に過ったが、万が一それで寝坊してしまうと不味いことになるため、起き抜けに顔を洗う。
肌寒い朝に冷水が顔に染み入る。昨日買った食材も大きい鞄に詰め込んでいるし、出発の準備は万全だ。
ひとつだけ懸念事項があるとすれば、寝坊助の魔獣が起きないからどうするか、肩に乗せて落ちないように歩くのもいやなので最悪肩掛けの鞄の方に入れてから行こう。などと考えていた。
ダンテを起こすにはまだ早い、先に朝食をとろうにも食堂はまだ空いていないな、などと思いながらおもむろに窓の外を見る。
夜の名残が、まだ街角に沈んでいる、街道に人はおらず、澄んだ朝気の中で、鳥の囀りだけが鮮やかに響いていた。
おもむろに地図を取り出す。グレゴールから貰った世界地図と、こちらの大陸に渡った際に購入した大陸の地図。ルミナリア大陸の地図を。
グレゴール曰くいつ作られたか分からないらしいので、現在の大陸の地図と見比べる。
世界地図で見る限り、どうやら各大陸に主要な国は1つずつだけのようだ。いや、南にあるヴォルカニア大陸には、4つほど国名が記載されている。いつの日かその大陸に行くこともあるだろうか、行くとしたら現在時計回りで世界を回っているからいつになるのか、などと考えていた。
地図を見るのに没頭していると、外からは鳥のさえずる音が増え始め、空も明るさを増してきている。食堂からはいい匂いも漂ってきた。宿の従業員が朝ごはんを準備しているのだろう。
時計の針は6時を回ろうとしており、少し迷ったが、ダンテを起こしてみることにする。
「ダンテ、そろそろ起きて」
まずは声をかけて軽く揺さぶる。全く反応がない、いつものことだ。
次は少し激し目にゆすってみる。
「ダンテ、朝ごはんの時間だよ」
ダンテは伸びをしながら体勢を変えるが、こちらの声には無反応だ。
仕方ない、エメラはおもむろにダンテの鼻先へ保存用に買っておいた魔物の肉をおいてみる。干し肉のいい匂いがする。人でさえここまではっきりと感じるからおそらくダンテも……。
ダンテの鼻がひくひくし始め、ゆっくりと目が開いた。
「肉の、匂いだ」
ダンテが低く呟いた。まだ半分眠っているような声だったが、鼻だけははっきりと動いていた。
「おはよう、ダンテ」
「……肉だ」
「そうだよ、昨日買った干し肉だ。起きれたら食べていいぞ」
「……」
ダンテはゆっくりと頭を持ち上げた。目が少し細くなっている。まだ眠い、という目だ。しかし干し肉の匂いが、その眠気と戦っているのが分かった。
「何時だ」
「6時少し前だ」
「早い」
「集合は8時だろ?余裕をもって起きないと」
「余裕がありすぎる」
「昨日走ってギリギリだったじゃないか、アミールさんにも釘刺されたしな」
ダンテはしばらく動かなかった。干し肉の匂いの方へ鼻を向け、それからまた目を閉じかけた。
「起きるよ」
そういうとダンテをむんずと捕まえて、共に食堂へと降りていく。
食事を終えた頃には、7時を過ぎようとしていた。
エメラは荷物を最終確認した。鞄の中身、地図の位置、薬草の量、水筒の水、食料、契約書。
「準備はいいか」
エメラが言った。
「いい」
ダンテが答えた。
「ただ一つだけ確認したいことがある」
「何だ」
「今日の荷物の中に、干し肉はあるか」
「ある」
「よし」
「それだけか」
「それだけだ」
「心配しなくても多めに肉は買い込んでいるよ」
エメラは苦笑しながら立ち上がった。鞄を肩にかけ、ダンテが素早く肩に乗る。
宿の女将に礼を言って外に出た。ガナの朝の空気が、2人を包んだ。冷たく、澄んでいた。太陽が昇り始めており、街道が朝の光に照らされていた。
「行くか」
エメラが言った。
「ああ」
ダンテが答えた。
「遅刻しないようにな」
「するつもりはないさ」
「昨日もそのつもりだっただろう」
「羊肉が美味しすぎたのがいけないんだよ」
「それは認める」
2人は談笑しながら南門へと向かう。徒歩で言っても1時間、待ち合わせまで1時間はあるから時間は丁度着くくらいだ。昨日は全力疾走していたため、ちゃんと見ることが出来なかったガナの景観を堪能しつつ歩いていく。
南門、冒険者ギルドの前、無事に時間前にたどり着く。ギルドの前にある停留所には人がごった返しており、いくつもの馬車や、魔獣が牽引しているものもある。
「あれは灰銀馬、あっちは鎧脚馬、銀鬣駝もいるぞ」エメラが少し興奮気味で話す。
「馬の魔獣2匹は知っているけど、銀鬣駝ってなんの魔獣だ?」
「ラクダの魔獣だよ、山間にいることも多いから、ヴェルディアの道中にもいたんじゃないかな」
「ラクダかあ、ラクダの肉も食べたくなったな」
「さっき朝ごはん食べたばかりじゃないか。もっと見ていたいけどひとまずアミールさんを探すぞ」
「わかった、任せろ」
そういうとダンテは匂いでアミールを探し始める。
「こっちだ」
ダンテは肩から降りて停留所の方へ向かう。エメラはダンテが踏まれないか心配しながら後をつけていく。
ギルドの入り口付近にも人がたくさんいた。みな今から仕事を始めるのであろう、あわただしく動いていてる。その中をダンテが足元をスルリスルリと抜けていく。
エメラも人にぶつからぬように気を付けながらダンテが向かう方向へ行くと、そこにはアミールと護衛の一行、御者も全員が集合していた。
「今日は遅刻をしなかったな」
アミールはぶっきらぼう言う。
「それでも全員そろったな。お前が最後だったが、時間前だから問題はない。まあいいがな、自己紹介は昨日済ませたな?俺たちが今回乗っていくものはこいつだ」そう言うとアミールは指をさす。
アミールが指差ししたのは灰銀馬の3頭立ての魔獣牽引車が二台。近くでみるとでかい普通の馬の倍はあるであろう巨躯に、みっしりと筋肉が詰まっている。
荷台は人が乗るスペースと他に荷物が乗っている部分が2つ連結されている。
「荷物を積むのはそこだ、基本お前たちが待機しておくのもそこだからな、護衛の配置はティオルドに聞け」
「もう準備はできたから出発するぞ」
エメラはダンテを抱えて慌てて荷台に乗り込んだ。
荷台に体を滑り込ませるのと、馬車が動き出すのがほぼ同時だった。エメラは手すりを掴んで体勢を整える。ダンテが荷台の板に着地し、すぐにエメラの肩に飛び乗った。
二台の馬車が連なって南門を出ていく。一台は御者のカルルが手綱を引き、もう一台はアミールが自ら手綱を握っていた。アミールは前を向いたまま、一切こちらを振り返らなかった。
荷台にはティオ、ビヨルド、ルシアの3人がいた。エメラが乗ってきたのを確認して、ティオが軽く手を上げた。
「おう、間に合ったな」
「ぎりぎりですみません」
「8時ちょうどだ、問題ない」
「昨日より遅刻しなかったな」
ダンテが小声で言った。
「黙ってろ」
エメラも小声で返した。
馬車が石畳の道から街道へと出ていく。揺れが変わった。エメラは荷台の端に腰を落ち着け、改めて3人に向かって言った。
「改めまして、エメラといいます。こっちは魔獣のダンテです。カルタまでよろしくお願いします」
「ティオルドだ、見ての通り剣を使う、冒険者ランクは5。ティオと呼んでくれて構わない」
ティオが笑顔で言った。昨日も話したが、改めて聞くと気さくな男だと分かる。
「ビヨルド、ランク4」
弓を携えた男が短く言った。視線は遠くを向いており、こちらを見てはいない。
「ごめんね、こいつ口数が少なくて人見知りなの」
ルシアが笑いながら補足した。
「改めて、ルシアよ。みんなにはルーシーって呼ばれているわ」
「よろしくお願いします、ルーシーさん」
「さん付けしなくていいわよ、ルーシーで」
「分かりました、ルーシー」
「そうそう」ルシアが頷いた。それからエメラの持つ杖に目を向けた。「ビヨルドは弓使い、私は魔術師よ。あなたも杖を持っているということは魔術師なの?」
「そうです、木の属性の術を使います」
「木? 珍しいわねえ」
「そうなんですか?」
「そうよ」
ルシアが少し身を乗り出した。
「木属性は扱いがとても難しく、術の行使に必要なマナも他の術よりも多いって聞くわ。何よりも術式が売られていないわね、使える人なんて極わずかじゃない?」
「術式が売られていない?」
エメラはルシアに聞き返した。聞き慣れない言葉だったからだ。
「知らないの? こういうのよ」
そう言ってルシアは懐から札を取り出して見せた。
「これって、魔術札……ですか?」
「そうよ、魔装具屋で売っている魔術札。属性も火、水、風、土の札は多いわ。金属性は高価で数が少なく、木属性は見たことがないわね。魔法陣の方ではもしかしたらあったのかなあ。ごめんね、基本的に自分が使用する属性の物しか見ないから」
「なるほど」
エメラは頷いた。確かに、旅を始めて木属性の魔術を扱う者に会ったことは今まで一度もなかった。自分がそれだけ珍しい部類に入るとは考えたこともなかったが、言われてみれば当然かもしれない。
「でも著名な魔術師で木属性を操る人物は知ってるわよ」
ルシアが続けた。
「え? どんな人なんですか? 名前は?」
「え〜っとね、アレ、ど忘れしちゃった……なんだったっけ?」
ルシアが天井を見上げながら考え込んだ。
「ジオン・ルー」
ビヨルドが言葉を発した。視線はこちらに向けていないが、会話は全て聞いていたのだろう。仕方ない、狭い荷台の中だ、いやでも聞こえる。
「そうそう、ジオン・ルーよ」
ルシアが膝を叩いた。
「世界四大賢者の一人に数えられていて、木属性を研究しているそうよ。彼の弟子なら木属性が使えてもおかしくはないけど、そう、ではないよね?」
「は、はい。知らなかったです、その方は」
「え、本当に?」
ルシアが少し驚いた顔をした。
「世界的に有名な魔術師なのに?」
「俺は世間知らずなので」
エメラは素直に言った。
「ふーん」
ルシアはエメラをまじまじと見た。嘘をついている、という顔ではないと判断したのか、しばらくしてから納得したように頷いた。
「まあ、知らないものは知らないわね。」
「4大賢者ということは他の3人は別の属性なんですか?」
「ちっちっち」
ルシアは人差し指を振りながらエメラを見た。
「賢者の称号は、その属性を極めたからついているわけじゃないのよ」
「そうなんですか? ではどういう基準で?」
「賢者の称号はね、功績よ」
ルシアは少し得意げに説明し始めた。
「魔術の研究、世界の平和への貢献、知識の体系化——そういった分野で突出した業績を残した者に贈られる称号。属性は関係ない」
「なるほど」
「ジオン・ルーは木属性の術を研究したことで有名だけど、賢者になった理由は彼の研究が魔術全般の理解を深めたからよ。木属性が珍しいから、逆に他の属性との比較研究ができたとも言われているわ」
「そんな人がいるんですね」
エメラは少し考え込んだ。
「その方は今どこにいるんですか?」
「確か、アストリアよ」
ルシアが答えた。
「アストリアに?」
「そうよ、研究機関がアストリアにあるって聞いてる。私も直接会ったことはないけど、著作は読んだことがあるわ。難しくて半分くらいしか分からなかったけど」
「木属性の本や世界樹に関する本とかだったわね」
「!!!」エメラの反応が変わる。
ダンテが耳元で囁いた。
「エメラ、聞いたか」
「聞いた」
エメラも小声で返した。
「会いに行く気か」
「……まだ分からないが、情報として頭に入れておく」
「わかった」
「そういえば」
ルシアが続けた。
「木属性の術って、具体的にどんなことができるの? 火なら火球を飛ばすとか、水なら水流を操るとか、イメージしやすいんだけど、木は——」
「基本的には、植物を操りますね」
エメラが答えた。
「根を伸ばしたり、蔓を絡みつかせたり。あとは種を弾丸のように飛ばしたり、回復術にも使えます」
「回復術!?」ルシアが目を見開いた。「本当に?」
「はい」
「それはすごいわ。回復術って通常は神術の領域で、魔術師には扱えないものが多いから」
「全ての属性は生命力と親和性がありますが、木属性はそれが一際高いんです。だから術としての回復への応用が比較的他の術よりも出来ると教わりました」
「比較的、ということはそれなりに難しい?」
「マナの消費が大きいです。木属性自体が生命を生み出し育む形の術が多いためマナの消費が激しいのですが、回復は更に他の魔術の二倍か三倍は消耗します」
「なるほどねえ」
ルシアは腕を組んだ。
「それは確かに術式が少ない理由が分かるわ。使いこなすのが難しすぎて、普通の魔術師には手が出せない」
どうやら世間的にも木属性の魔術師は貴重なようだ。




