ep30 護衛契約1
食事を終え、2人の胃袋もだいぶ満たされたようだった。
「俺たちガナの街についてから食べてばっかりだな」
エメラはテーブルに肘をついたまま、ぼんやりと窓の外を眺めていた。ガナの午後の賑わいが続いている。市場の声、荷車の音、どこかで誰かが笑っている声。満腹になった後の、緩やかな時間だ。
ダンテはすでに肩の上で目を閉じていた。食後の睡眠に入ったらしい。
エメラはおもむろに懐中時計を取り出し、現在の時刻を確認した。
文字盤を見た瞬間、血の気が引いた。
「……ダンテ、やばい」
エメラが言った。
「ぐうぐう」
肩に乗っている魔獣は満足げに食後の睡眠を続けており、返事をしない。
「やばい、もう少しで待ち合わせの5時になっちゃう」
エメラは立ち上がった。頭の中で急いで整理する。場所はどこだ、ポルタが言っていた——ギルド、ギルド、冒険者ギルドだ。どこにあるか確認していなかった。目立つ場所ならいいが。
「そうだ、店主に聞いてみよう!」
エメラは急いで店内に戻り、食堂の奥でグラスを拭いていた店主に声をかけた。
「すみません、冒険者ギルドはどこにありますか」
「冒険者ギルド? そこなら南門の入り口付近にある、緑色の屋根がついた大きな建物さね。こっからそうだな——歩いて1時間ってとこじゃないかね」
「1時間!?南門はどっちですか?」
「南門??この店を出て左にひたすら真っすぐ行けば見えてくるよ」
「ありがとうございます!」
お礼を言うやいなや、エメラは店を飛び出した。走り出す。荷物は貴重品を入れた鞄のみで身軽だが、肩に乗っているダンテを振り落とさないように手で抑えながら、人通りをすり抜けつつ全力で走る。
「はあはあ、だ、ん、て、起き、て」
走りながらダンテに声をかける。全速力なので声も思うように出ない。カルタの大通りは人通りが多くないわけではない。ぶつからないように体を傾け、すり抜け、南門の方向に向かって駆ける。
「ン〜? 乗り心地が悪いぞエメラ」
ダンテは目を開けないまま言った。
エメラはイラっとして、ダンテを激しく揺さぶった。
「うわっ、うわっ、どうしたの」
「待ち合わせ、時間、遅れる」
息も絶え絶えで伝える。
ダンテは状況を理解したのか、素早く肩から飛び降りた。着地した瞬間にはもう走り出している。エメラの少し後方から追いかけるように駆け始めた。
ダンテが下りたのを確認して、エメラは速度を上げた。
大通りを左に折れ、真っすぐ走る。建物が続く通りを、風のように駆け抜ける。途中で荷車の脇をぎりぎりで通り過ぎ、露店の前で立ち話をしていた2人組の間を「失礼します!」と声をかけてすり抜けた。
「待ってくれエメラ、お腹が苦しい!」
後ろからダンテが叫んだ。
「頑張れ!」
「頑張ってる!」
並走しながらカルタの南側へと向かう。石畳の道が土の道に変わり、南門の輪郭が見えてきた。
時間にして約10分ほどだろうか。人にぶつからない程度で全力を出し、肩で息をしながら何とか約束の時刻に南門にたどり着いた。
エメラは立ち止まり、辺りを見渡した。
緑色の屋根の建物を探す——それはすぐに見つかった。南門のすぐ脇に建つ、大きな石造りの建物だ。屋根が鮮やかな緑色で、一目で分かる。壁に大きく『冒険者ギルド ガナ支部』と書かれていたことも幸いした。
「あった」
エメラは建物へと急ぐ。ダンテが後ろから追いついてきて、荒い息をついた。
「食べた後の。寝起きで、走るのは、きつい」
「ごめん」
「謝れ、もっと」
「ごめんなさい」
「よし」
2人が息を整える暇もなく、建物の前に人影が見えた。
ポルタがいた。その周囲に数名、話をしている人間がいる。馬車の御者らしき人物、荷物を持った商人、それから見知らぬ顔が3人。
エメラは息を切らしながら声をかけた。
「すみ、ません、遅くな、りました」
はあはあ、と肩で息をしながらポルタに近づいた。
ポルタが振り返り、エメラの顔を見た。走ってきた様子が一目で分かったのだろう、少し笑いながら言った。
「全速力できましたね、大丈夫ですか?」
「ぎりぎり、間に合いましたか」
「ええ、ちょうど今みなさんで顔合わせをしていたところです」
ポルタが言った。
「あと少し遅かったら困るところでしたが——まあ、間に合いましたから」
エメラは深呼吸をした。ダンテが肩に飛び乗り、荒い息をエメラの耳元でついた。
「走らせすぎだ」ダンテが小声で言った。
「お前が起きなかったからだ」エメラも小声で返した。
「俺のせいにするな」
「お前のせいだ」
「……反論できない」ダンテが珍しく認めた。
ポルタが周囲の人間に声をかけた。
「こちらがエメラさんです。護衛として、ガナからカルタまでご同行いただきます。先ほどご説明した通り、セイラントの契約書での正式な雇用になります」
周囲の人間たちがエメラを見た。まだ息の整っていないエメラと、肩で荒い息をついている黒い魔獣を、それぞれの目で確認している。
「この人が護衛?」
誰かが小声で言った。
「走ってきたんですよ、時間に間に合わせるために」
ポルタが笑いながら言った。
「それだけ真面目な人です」
エメラはようやく呼吸を整え、1人1人に頭を下げた。
「エメラと申します。よろしくお願いします」
エメラの挨拶で、ポルタが紹介を始める。
「こちら今回の護衛に加わるエメラさんです。グレゴールさんのお墨付きなので、実力は確かなものかと」
続いて、エメラに向かって案内をする。
「こちらがカルタへ向かう商人のアミールです。こちらが御者のカルル・フェント」
「後ろに控えている3名はこの旅の護衛の面々です」
「ティオルドだ」
剣士の男が名乗る。
「ビヨルド」
弓使いの男はそれだけ伝えてすぐに目を伏せる。
「ルシアよ。仲間からはルーシーと呼ばれているわ」
この女性は杖を持っているからおそらく魔術師だろう。手を差し伸べてきたので握手を返す。
「紹介に預かったアミールだ。エメラ、と言ったかな?ではこれから護衛の契約を行うから着いてきてくれ」
「分かりました」アミールに促されギルドの中に入る。ポルタも後からついてきているが、護衛の3人は外で談笑している。
ギルドの内部は広かった。
依頼書の貼られた掲示板、受付のカウンター、奥に続く手続きの窓口。ガナの支部だけあって規模が大きく、冒険者と商人が入り交じって動いていた。
エメラはアミールの後ろを歩きながら、ふと気になって尋ねた。
「あの3人はもう契約は終わっているんですか?」
「あの3人?」
アミールは前を向いたまま答えた。
「ああ、あいつらは往路からの契約だからな。帰りも別にあの3人でよかったんだが、ポルタがどうしてもと聞かなくてな」
少しツンケンした口調だった。
確かに、3人で護衛が事足りるのであれば、エメラの分の護衛代は不要だ。なによりカルタまでは3日かかると聞いている。1人増えればその分費用もかさむ。アミールの立場からすれば、余分な出費を増やしたくないという気持ちは理解できる。
「申し訳ないエメラ殿」
後ろからポルタが小声で囁いてきた。
「彼は悪い奴ではないんですが、金に細かくてね」
「聞こえてるぞ、ポルタ」
アミールが前を向いたまま言った。
「金に汚いのではない。商人である以上、利益というのは最優先事項として念頭に置いておくべきだ。それが当然の話だ」
「グレゴール殿のお墨付きとはいえ、私自らが彼の実力を知っているわけではない。決して安い金額を支払うのではないんだぞ。そもそも護衛自体も元々3人もいらん。今までもっと少なくても対処できない場面などなかった。保険の関係で今回は3人面倒見なきゃいかんのに、さらに人が増えたらその分利益が減ってしまう」
前を向きながらアミールがぶつぶつと愚痴を言っている。
しかしながらアミールの言うことにも一理ある、とエメラは思った。感情的ではなく、商人として筋の通った話をしている。ただ、言い方が少し刺々しいだけで。
エメラはアミールの言葉の中で一つ疑問を持ったので質問した。
「保険、というのはどういうことでしょうか?」
「なんと、お前は冒険者なのにそんなことも知らんのか」
アミールは少し呆れたような声を出した。
「俺は今から書類の手続きをするから、ポルタ、この無知な青年に教えてやれ」
明らかに最初より態度が悪くなってきている。
それを見かねてポルタが代わりに説明を始めた。
「エメラ殿、護衛の依頼を受けるのは初めてですかな?」
アミールとはうってかわって丁寧な口調だ。
「はい、お恥ずかしながら」
「いえいえ、結構です。誰にでも初めてというものはあるでしょう」
ポルタは笑いながら続けた。
「簡単に説明させていただきますと、我々商人の世界では荷物のグレード、運ぶ行程で決まる保険に入らなければなりません」
「保険というのは、荷物の価値や危険度に応じて定められるものです。高価な荷物を運ぶほど、万が一の時のリスクが高くなりますからね」
「今回は詳しくは言えませんが、積み荷の等級的に最低護衛3名、人数の上限はありませんが——冒険者ギルドからその等級に見合った冒険者が紹介され、護衛の任務につくようになります」
「つまり、アミールさんは保険の条件として最低3名の護衛を付けなければならない、ということですか」
「正確には、ギルドが認定した護衛3名が条件になります」
ポルタが頷いた。
「それ以上の人数を付けることは自由ですが、当然その分の費用は依頼主の負担になります」
「なるほど……」
エメラは頷いた。
「つまり俺はその3名に加えての、4人目ということになるわけですね」
「そういうことです」
「アミールさんが渋るのも道理ですね」
「商人としては当然の判断ですよ」
ポルタは苦笑した。
「ただ、私としては——ヴェルディアで何があったかを知っていますからね。グレゴールの旦那のお墨付きがあれば、費用は惜しくない」
「ありがとうございます」
「なあに、旅の安全には代えられませんよ」
窓口に着くと、アミールが書類を取り出していた。受付の担当者と何やら確認しながら、手続きを進めている。
エメラはポルタに小声で尋ねた。
「積み荷の等級というのは、どうやって決まるんですか?」
「荷物の種類と価値によって、ギルドが等級を定めています」ポルタが小声で答えた。
「たとえば一般的な食料や日用品なら等級は低い。希少な鉱石や魔道具、貴金属などは等級が高くなる」
「等級が高いほど護衛の人数が増える?」
「そうです。等級によって最低護衛人数が変わります。等級が最も高い荷物になると、最低十名以上という条件になることもある」
「そんなに」
「それだけ価値があって、狙われるリスクが高いということです」
ポルタは続けた。
「盗賊だけでなく、魔獣の危険性も考慮されます。高等級の荷物を運ぶ商人が強い護衛を求めるのは、必然なんですよ」
「なるほど」
エメラは改めて頷いた。
「ダンテ、聞いてたか?」
肩の上のダンテが目を開いた。
「聞いていた」
「知ってたか?」
「知っていた」
「なぜ言わなかった」
「お前が聞かなかったからだ」
「……そうだったな」
エメラは苦笑した。ダンテは再び目を閉じかけたが、思い直したように起き上がった。
「ポルタ、一つ聞いていいか」
「何でしょう」
「この積み荷の等級というのは、ポルタの荷物も同じ仕組みか?」
「そうですよ、ダンテ殿」
ポルタが答えた。
「私の荷物も同じ制度の下にあります。今回はヴェルディアの鉱石を含んでいましたので、等級はそれなりに高かった」
「では俺たちが一緒に乗ってきたことも、保険の条件を満たすためのものでもあったわけか?」
「そういう側面もあります」
ポルタは少し照れくさそうに笑った。
「もちろん、お2人と一緒に旅をしたかったというのが本音ですが」
「正直だな」
ダンテが言った。
「商人は駆け引きはしますが嘘をついてはいかんですよ」
ポルタが笑った。
「エメラ!」
ポルタから説明を受けていると、アミールから声がかかる。
「契約の準備ができた。こっちに来い」
アミールはギルドの受付カウンター越しにエメラを呼びつけている。エメラは「失礼します」とポルタに断ってから、アミールの元に向かった。
カウンターの上に一枚の紙が置かれていた。
「これが契約書だ。お前の冒険者証を出せ」
エメラは懐から冒険者証を取り出し、アミールに渡す。
アミールが冒険者証を受け取り、確認し始めた。
「……ん?」
アミールの目が止まった。
じっくりと、もう一度見た。それからエメラを見た。それからもう一度冒険者証を見た。
「お前まだ冒険者ランク2じゃないか!」
声が上がった。
近くにいたギルドの職員が振り返った。カウンター越しの受付担当者も、思わず顔を上げた。ポルタが後ろで「あちゃあ」という顔をした。
「……はい」エメラは素直に答えた。
「ランク2だぞ!? 新人一歩手前じゃないか! グレゴールさんはいったい何を考えているんだ!」
アミールの顔が赤くなっている。興奮しているというより、困惑している顔だ。
「保険の規定では、この積み荷の等級に対して——待て、ランク2で銀等級の報酬を出す契約を組もうとしていたのか!? ポルタ!」
「アミール、少し落ち着いて」ポルタが近づいてきた。「話を聞いてください」
「話? 話じゃない、これは問題だ! ランク2の冒険者は初心者向けの依頼しか引き受けられない。保険の規定上、護衛として認定されるのはランク4以上と決まっているんだぞ!」
ダンテが耳打ちしてきた。
「エメラ、ランク2というのはどのくらいなんだ」
「新人から2番目だ」
エメラも小声で返した。
「新人から2番目?」
「そうだ」
「お前、3年も冒険者をやってそのランクか」
「……依頼をあまり受けてこなかったからな」
「なぜだ」
「旅が優先で、ギルドに定期的に報告を入れていなかった。ランクを上げるには依頼の実績と報告が必要なんだ」
「それは完全にお前のせいじゃないか」
「そうだな」
エメラは認めた。
「しまったな……どうしよう」
「ポルタ、いくらグレゴールさんの紹介とはいえ、これは困る」
アミールが続けた。声が低くなっている。怒りというより、本気で困っている声だ。
「契約自体が無効になりかねない。保険会社に知られたら——」
「アミール、落ち着いて聞いてください」ポルタが割って入った。
「彼はグレゴールさんから太鼓判を押された人物です。実力は間違いない」
「実力が問題ではない。現時点でランクが足りないから言っているんだ」
アミールの言葉は正論だった。感情ではなく、規定の話をしている。ポルタも反論できずに、少し口ごもっている。
エメラはその押し問答を聞きながら、どう対処すべきか考えていた。
その時。
「あっ」
ダンテが声を出した。
「エメラ、エメラ」
2人の商人の間に割って入ろうとしていたエメラに、ダンテが声をかけた。
「ほら、封書。ギルドで渡せって言われてたやつ」
「え……あ」
エメラは思わず声に出した。
隊長の言葉を思い出した。別れ際に渡された封書——「ギルドに行ったら受付に渡しな」と言われていたものだ。受け取った時は何のことか分からなかったが、今になって繋がった。
エメラは慌てて新調した鞄の中を漁った。中の荷物をかき分ける。
封書はすぐに見つかった。ポケットの奥の方に、丁寧に折り畳まれて入っていた。
——宿屋に置いてきた荷物の方に入れていなくてよかった。
エメラは内心で安堵しながら、2人の商人を横目に受付のカウンターへと向かった。
「すみません、こちらを確認していただけますか?」
封書を受付担当者に差し出した。
担当者は封書を受け取り、表面の宛名を確認した。その顔色が少し変わった。
「……少々お待ちください」
担当者が封書を持ったまま、奥の部屋に入っていった。
アミールとポルタの押し問答が、エメラの背後で続いている。
「実力があっても書類上の問題は——」
「だからそれはですね——」
ダンテが耳元で囁いた。
「グレゴールの爺さん達、やっぱり先を読んでいたな」
「そうみたいだな」
エメラも小声で返した。
「俺がランクの問題で引っかかることを、最初から分かっていたんだろう」
「なぜ最初から言わなかったんだ」
「俺が気づかなかったのが悪い。ちゃんと言っていたのに」
「ギルドで渡せ、と」
「そうだ」
「間抜けだな、お前は」
「そうだな」
エメラは素直に認めた。




