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翠色のアルケミスト  作者: 蜂兎類
第2部 ガナ編
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30/62

ep30 護衛契約1

 食事を終え、2人の胃袋もだいぶ満たされたようだった。


「俺たちガナの街についてから食べてばっかりだな」


 エメラはテーブルに肘をついたまま、ぼんやりと窓の外を眺めていた。ガナの午後の賑わいが続いている。市場の声、荷車の音、どこかで誰かが笑っている声。満腹になった後の、緩やかな時間だ。


 ダンテはすでに肩の上で目を閉じていた。食後の睡眠に入ったらしい。


 エメラはおもむろに懐中時計を取り出し、現在の時刻を確認した。


 文字盤を見た瞬間、血の気が引いた。


「……ダンテ、やばい」


 エメラが言った。


「ぐうぐう」


 肩に乗っている魔獣は満足げに食後の睡眠を続けており、返事をしない。


「やばい、もう少しで待ち合わせの5時になっちゃう」


 エメラは立ち上がった。頭の中で急いで整理する。場所はどこだ、ポルタが言っていた——ギルド、ギルド、冒険者ギルドだ。どこにあるか確認していなかった。目立つ場所ならいいが。


「そうだ、店主に聞いてみよう!」


 エメラは急いで店内に戻り、食堂の奥でグラスを拭いていた店主に声をかけた。


「すみません、冒険者ギルドはどこにありますか」


「冒険者ギルド? そこなら南門の入り口付近にある、緑色の屋根がついた大きな建物さね。こっからそうだな——歩いて1時間ってとこじゃないかね」


「1時間!?南門はどっちですか?」


「南門??この店を出て左にひたすら真っすぐ行けば見えてくるよ」


「ありがとうございます!」


 お礼を言うやいなや、エメラは店を飛び出した。走り出す。荷物は貴重品を入れた鞄のみで身軽だが、肩に乗っているダンテを振り落とさないように手で抑えながら、人通りをすり抜けつつ全力で走る。


「はあはあ、だ、ん、て、起き、て」


 走りながらダンテに声をかける。全速力なので声も思うように出ない。カルタの大通りは人通りが多くないわけではない。ぶつからないように体を傾け、すり抜け、南門の方向に向かって駆ける。


「ン〜? 乗り心地が悪いぞエメラ」


 ダンテは目を開けないまま言った。


 エメラはイラっとして、ダンテを激しく揺さぶった。


「うわっ、うわっ、どうしたの」


「待ち合わせ、時間、遅れる」


 息も絶え絶えで伝える。


 ダンテは状況を理解したのか、素早く肩から飛び降りた。着地した瞬間にはもう走り出している。エメラの少し後方から追いかけるように駆け始めた。


 ダンテが下りたのを確認して、エメラは速度を上げた。


 大通りを左に折れ、真っすぐ走る。建物が続く通りを、風のように駆け抜ける。途中で荷車の脇をぎりぎりで通り過ぎ、露店の前で立ち話をしていた2人組の間を「失礼します!」と声をかけてすり抜けた。


「待ってくれエメラ、お腹が苦しい!」


 後ろからダンテが叫んだ。


「頑張れ!」


「頑張ってる!」


 並走しながらカルタの南側へと向かう。石畳の道が土の道に変わり、南門の輪郭が見えてきた。


 時間にして約10分ほどだろうか。人にぶつからない程度で全力を出し、肩で息をしながら何とか約束の時刻に南門にたどり着いた。


 エメラは立ち止まり、辺りを見渡した。


 緑色の屋根の建物を探す——それはすぐに見つかった。南門のすぐ脇に建つ、大きな石造りの建物だ。屋根が鮮やかな緑色で、一目で分かる。壁に大きく『冒険者ギルド ガナ支部』と書かれていたことも幸いした。


「あった」


 エメラは建物へと急ぐ。ダンテが後ろから追いついてきて、荒い息をついた。


「食べた後の。寝起きで、走るのは、きつい」


「ごめん」


「謝れ、もっと」


「ごめんなさい」


「よし」


 2人が息を整える暇もなく、建物の前に人影が見えた。


 ポルタがいた。その周囲に数名、話をしている人間がいる。馬車の御者らしき人物、荷物を持った商人、それから見知らぬ顔が3人。


 エメラは息を切らしながら声をかけた。


「すみ、ません、遅くな、りました」


 はあはあ、と肩で息をしながらポルタに近づいた。


 ポルタが振り返り、エメラの顔を見た。走ってきた様子が一目で分かったのだろう、少し笑いながら言った。


「全速力できましたね、大丈夫ですか?」


「ぎりぎり、間に合いましたか」


「ええ、ちょうど今みなさんで顔合わせをしていたところです」


 ポルタが言った。


「あと少し遅かったら困るところでしたが——まあ、間に合いましたから」


 エメラは深呼吸をした。ダンテが肩に飛び乗り、荒い息をエメラの耳元でついた。


「走らせすぎだ」ダンテが小声で言った。


「お前が起きなかったからだ」エメラも小声で返した。


「俺のせいにするな」


「お前のせいだ」


「……反論できない」ダンテが珍しく認めた。


 ポルタが周囲の人間に声をかけた。


「こちらがエメラさんです。護衛として、ガナからカルタまでご同行いただきます。先ほどご説明した通り、セイラントの契約書での正式な雇用になります」


 周囲の人間たちがエメラを見た。まだ息の整っていないエメラと、肩で荒い息をついている黒い魔獣を、それぞれの目で確認している。


「この人が護衛?」


 誰かが小声で言った。


「走ってきたんですよ、時間に間に合わせるために」


 ポルタが笑いながら言った。


「それだけ真面目な人です」


 エメラはようやく呼吸を整え、1人1人に頭を下げた。


「エメラと申します。よろしくお願いします」


 エメラの挨拶で、ポルタが紹介を始める。


「こちら今回の護衛に加わるエメラさんです。グレゴールさんのお墨付きなので、実力は確かなものかと」


 続いて、エメラに向かって案内をする。


「こちらがカルタへ向かう商人のアミールです。こちらが御者のカルル・フェント」


「後ろに控えている3名はこの旅の護衛の面々です」


「ティオルドだ」


 剣士の男が名乗る。


「ビヨルド」


 弓使いの男はそれだけ伝えてすぐに目を伏せる。


「ルシアよ。仲間からはルーシーと呼ばれているわ」


 この女性は杖を持っているからおそらく魔術師だろう。手を差し伸べてきたので握手を返す。


「紹介に預かったアミールだ。エメラ、と言ったかな?ではこれから護衛の契約を行うから着いてきてくれ」


「分かりました」アミールに促されギルドの中に入る。ポルタも後からついてきているが、護衛の3人は外で談笑している。


 ギルドの内部は広かった。


 依頼書の貼られた掲示板、受付のカウンター、奥に続く手続きの窓口。ガナの支部だけあって規模が大きく、冒険者と商人が入り交じって動いていた。


 エメラはアミールの後ろを歩きながら、ふと気になって尋ねた。


「あの3人はもう契約は終わっているんですか?」


「あの3人?」


 アミールは前を向いたまま答えた。


「ああ、あいつらは往路からの契約だからな。帰りも別にあの3人でよかったんだが、ポルタがどうしてもと聞かなくてな」


 少しツンケンした口調だった。


 確かに、3人で護衛が事足りるのであれば、エメラの分の護衛代は不要だ。なによりカルタまでは3日かかると聞いている。1人増えればその分費用もかさむ。アミールの立場からすれば、余分な出費を増やしたくないという気持ちは理解できる。


「申し訳ないエメラ殿」


 後ろからポルタが小声で囁いてきた。


「彼は悪い奴ではないんですが、金に細かくてね」


「聞こえてるぞ、ポルタ」


 アミールが前を向いたまま言った。


「金に汚いのではない。商人である以上、利益というのは最優先事項として念頭に置いておくべきだ。それが当然の話だ」


「グレゴール殿のお墨付きとはいえ、私自らが彼の実力を知っているわけではない。決して安い金額を支払うのではないんだぞ。そもそも護衛自体も元々3人もいらん。今までもっと少なくても対処できない場面などなかった。保険の関係で今回は3人面倒見なきゃいかんのに、さらに人が増えたらその分利益が減ってしまう」


 前を向きながらアミールがぶつぶつと愚痴を言っている。


 しかしながらアミールの言うことにも一理ある、とエメラは思った。感情的ではなく、商人として筋の通った話をしている。ただ、言い方が少し刺々しいだけで。


 エメラはアミールの言葉の中で一つ疑問を持ったので質問した。


「保険、というのはどういうことでしょうか?」


「なんと、お前は冒険者なのにそんなことも知らんのか」


 アミールは少し呆れたような声を出した。


「俺は今から書類の手続きをするから、ポルタ、この無知な青年に教えてやれ」


 明らかに最初より態度が悪くなってきている。


 それを見かねてポルタが代わりに説明を始めた。


「エメラ殿、護衛の依頼を受けるのは初めてですかな?」


 アミールとはうってかわって丁寧な口調だ。


「はい、お恥ずかしながら」


「いえいえ、結構です。誰にでも初めてというものはあるでしょう」


 ポルタは笑いながら続けた。


「簡単に説明させていただきますと、我々商人の世界では荷物のグレード、運ぶ行程で決まる保険に入らなければなりません」


「保険というのは、荷物の価値や危険度に応じて定められるものです。高価な荷物を運ぶほど、万が一の時のリスクが高くなりますからね」


「今回は詳しくは言えませんが、積み荷の等級的に最低護衛3名、人数の上限はありませんが——冒険者ギルドからその等級に見合った冒険者が紹介され、護衛の任務につくようになります」


「つまり、アミールさんは保険の条件として最低3名の護衛を付けなければならない、ということですか」


「正確には、ギルドが認定した護衛3名が条件になります」


 ポルタが頷いた。


「それ以上の人数を付けることは自由ですが、当然その分の費用は依頼主の負担になります」


「なるほど……」


エメラは頷いた。


「つまり俺はその3名に加えての、4人目ということになるわけですね」


「そういうことです」


「アミールさんが渋るのも道理ですね」


「商人としては当然の判断ですよ」


 ポルタは苦笑した。


「ただ、私としては——ヴェルディアで何があったかを知っていますからね。グレゴールの旦那のお墨付きがあれば、費用は惜しくない」


「ありがとうございます」


「なあに、旅の安全には代えられませんよ」


 窓口に着くと、アミールが書類を取り出していた。受付の担当者と何やら確認しながら、手続きを進めている。


 エメラはポルタに小声で尋ねた。


「積み荷の等級というのは、どうやって決まるんですか?」


「荷物の種類と価値によって、ギルドが等級を定めています」ポルタが小声で答えた。


「たとえば一般的な食料や日用品なら等級は低い。希少な鉱石や魔道具、貴金属などは等級が高くなる」


「等級が高いほど護衛の人数が増える?」


「そうです。等級によって最低護衛人数が変わります。等級が最も高い荷物になると、最低十名以上という条件になることもある」


「そんなに」


「それだけ価値があって、狙われるリスクが高いということです」


 ポルタは続けた。


「盗賊だけでなく、魔獣の危険性も考慮されます。高等級の荷物を運ぶ商人が強い護衛を求めるのは、必然なんですよ」


「なるほど」


 エメラは改めて頷いた。


「ダンテ、聞いてたか?」


 肩の上のダンテが目を開いた。


「聞いていた」


「知ってたか?」


「知っていた」


「なぜ言わなかった」


「お前が聞かなかったからだ」


「……そうだったな」


 エメラは苦笑した。ダンテは再び目を閉じかけたが、思い直したように起き上がった。


「ポルタ、一つ聞いていいか」


「何でしょう」


「この積み荷の等級というのは、ポルタの荷物も同じ仕組みか?」


「そうですよ、ダンテ殿」


 ポルタが答えた。


「私の荷物も同じ制度の下にあります。今回はヴェルディアの鉱石を含んでいましたので、等級はそれなりに高かった」


「では俺たちが一緒に乗ってきたことも、保険の条件を満たすためのものでもあったわけか?」


「そういう側面もあります」


 ポルタは少し照れくさそうに笑った。


「もちろん、お2人と一緒に旅をしたかったというのが本音ですが」


「正直だな」


 ダンテが言った。


「商人は駆け引きはしますが嘘をついてはいかんですよ」


 ポルタが笑った。


「エメラ!」


 ポルタから説明を受けていると、アミールから声がかかる。


「契約の準備ができた。こっちに来い」


 アミールはギルドの受付カウンター越しにエメラを呼びつけている。エメラは「失礼します」とポルタに断ってから、アミールの元に向かった。


 カウンターの上に一枚の紙が置かれていた。


「これが契約書だ。お前の冒険者証を出せ」


 エメラは懐から冒険者証を取り出し、アミールに渡す。


 アミールが冒険者証を受け取り、確認し始めた。


「……ん?」


 アミールの目が止まった。


 じっくりと、もう一度見た。それからエメラを見た。それからもう一度冒険者証を見た。


「お前まだ冒険者ランク2じゃないか!」


 声が上がった。


 近くにいたギルドの職員が振り返った。カウンター越しの受付担当者も、思わず顔を上げた。ポルタが後ろで「あちゃあ」という顔をした。


「……はい」エメラは素直に答えた。


「ランク2だぞ!? 新人一歩手前じゃないか! グレゴールさんはいったい何を考えているんだ!」


 アミールの顔が赤くなっている。興奮しているというより、困惑している顔だ。


「保険の規定では、この積み荷の等級に対して——待て、ランク2で銀等級の報酬を出す契約を組もうとしていたのか!? ポルタ!」


「アミール、少し落ち着いて」ポルタが近づいてきた。「話を聞いてください」


「話? 話じゃない、これは問題だ! ランク2の冒険者は初心者向けの依頼しか引き受けられない。保険の規定上、護衛として認定されるのはランク4以上と決まっているんだぞ!」


 ダンテが耳打ちしてきた。


「エメラ、ランク2というのはどのくらいなんだ」


「新人から2番目だ」


 エメラも小声で返した。


「新人から2番目?」


「そうだ」


「お前、3年も冒険者をやってそのランクか」


「……依頼をあまり受けてこなかったからな」


「なぜだ」


「旅が優先で、ギルドに定期的に報告を入れていなかった。ランクを上げるには依頼の実績と報告が必要なんだ」


「それは完全にお前のせいじゃないか」


「そうだな」


 エメラは認めた。


「しまったな……どうしよう」


「ポルタ、いくらグレゴールさんの紹介とはいえ、これは困る」


 アミールが続けた。声が低くなっている。怒りというより、本気で困っている声だ。


「契約自体が無効になりかねない。保険会社に知られたら——」


「アミール、落ち着いて聞いてください」ポルタが割って入った。


「彼はグレゴールさんから太鼓判を押された人物です。実力は間違いない」


「実力が問題ではない。現時点でランクが足りないから言っているんだ」


 アミールの言葉は正論だった。感情ではなく、規定の話をしている。ポルタも反論できずに、少し口ごもっている。


 エメラはその押し問答を聞きながら、どう対処すべきか考えていた。


 その時。


「あっ」


 ダンテが声を出した。


「エメラ、エメラ」


 2人の商人の間に割って入ろうとしていたエメラに、ダンテが声をかけた。


「ほら、封書。ギルドで渡せって言われてたやつ」


「え……あ」


 エメラは思わず声に出した。


 隊長の言葉を思い出した。別れ際に渡された封書——「ギルドに行ったら受付に渡しな」と言われていたものだ。受け取った時は何のことか分からなかったが、今になって繋がった。


 エメラは慌てて新調した鞄の中を漁った。中の荷物をかき分ける。


 封書はすぐに見つかった。ポケットの奥の方に、丁寧に折り畳まれて入っていた。


 ——宿屋に置いてきた荷物の方に入れていなくてよかった。


 エメラは内心で安堵しながら、2人の商人を横目に受付のカウンターへと向かった。


「すみません、こちらを確認していただけますか?」


 封書を受付担当者に差し出した。


 担当者は封書を受け取り、表面の宛名を確認した。その顔色が少し変わった。


「……少々お待ちください」


 担当者が封書を持ったまま、奥の部屋に入っていった。


 アミールとポルタの押し問答が、エメラの背後で続いている。


「実力があっても書類上の問題は——」


「だからそれはですね——」


 ダンテが耳元で囁いた。


「グレゴールの爺さん達、やっぱり先を読んでいたな」


「そうみたいだな」


 エメラも小声で返した。


「俺がランクの問題で引っかかることを、最初から分かっていたんだろう」


「なぜ最初から言わなかったんだ」


「俺が気づかなかったのが悪い。ちゃんと言っていたのに」


「ギルドで渡せ、と」


「そうだ」


「間抜けだな、お前は」


「そうだな」


 エメラは素直に認めた。

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