ep28 山麓の街ガナ1
おもむろにポルタが荷台の幌をめくり、外を見る。
「エメラさん、ガナが見えてきましたよ」
山を下りきった先に、平地に開けた小さな街が見えた。ヴェルディアとは違う種類の活気がある。
山の街の重厚さではなく、人と物が行き交う場所特有の、流れるような賑わい。街道沿いに建物が並び、旅人と商人が混ざり合って行き交っていた。
「宿場町というより、交易の中継点といった感じですね」
エメラが外を見ながら言った。
「そうですよ」
ポルタが頷いた。
「ヴェルディアからの物資と、南の街からの荷物が、ここでいったん集まる。それをまたカルタへ、アストリアへと送り出す。そういう役割の街です」
馬車が街の入り口に差し掛かった。門というほどのものはなく、道が自然と街の中心部へと続いている。御者が馬の速度を落とし、人の多い通りへと入っていく。
「荷台の荷物は、私がここで引き渡す予定なんです。少し時間がかかるかもしれない。エメラ殿たちは、その間に街を見て回っていただいて構いませんよ。カルタ行きの馬車は明朝の出発ですし、今日はガナに一泊することになる」
「そうですねえ、夕方5時に街のギルドの方に来てください。カルタへ行く商人とも話をしておきますので、そこで護衛の契約を取り交わします」
「ありがとうございます」
馬車が停留所と思しき広場に止まった。御者が声をかけてくる。エメラは荷物を担ぎ、荷台から降りた。
「ポルタさん、お世話になりました」
「いやいや、私の方も楽しかった。ダンテ殿も、また会いましょう」
「お前が信用できる商人で良かったぞ」
ダンテが言った。
「それは最大の褒め言葉ですな」
ポルタは帽子を取って笑い、護衛の2人と共に荷物の引き渡しへと向かっていった。
広場に降り立ち、エメラは少し背伸びをした。馬車の揺れで固まった体が、ゆっくりほぐれていく。
辺りを見渡しポルタが教えてくれた渡り鳥亭を探した。街道沿いにすぐに見つかった。2階建ての木造で、入り口の上に鳥の絵が描かれた看板が掛かっている。
中に入ると、昼の時間にもかかわらずそれなりに人が入っていた。旅人らしき人間が数組、地元の商人らしき人間が一角を占めている。女将らしき女性が手際よく動いていた。
部屋を取り、荷物を置いた。ヴェルディアの緑樹亭より少し狭かったが、清潔で日当たりが良い。窓から街道が見えた。
「さて、飯にするか街を見るか」
エメラが言った。
「両方だ」
「飯を食いながら街を見ればいい」
「それは難しくないか」
「食堂で窓際の席に座ればいい」
「なるほど」
一階の食堂に戻り、窓際の席を取った。昼の定食を頼むと、パンと野菜の煮込み、それに薄切りの肉が付いてきた。羊の肉ではなかったが、香草の利いたいい匂いがした。
「ポルタさんの言っていた羊の肉はここじゃないのか」
ダンテが少し不満そうに言った。
「別の食堂かもしれないな」
「後で探そう」
エメラは食べながら、窓の外を眺めた。
街道を、様々な人間が行き交っている。大きな荷車を引く商人、軽装の旅人、子供連れの家族。荷物を背負った冒険者らしき人間も2人、地図を片手に話し合いながら歩いていた。
通りの向こうには市場があるようだ。色とりどりの布が風に揺れ、野菜や果物が並んでいる。魚の干したものを売っている店もある。山を下りたからか、海の幸も手に入るようだった。
「活気があるな」
ダンテが窓の外を見ながら言った。
「ヴェルディアとは違う種類の活気だ」
エメラは街の雰囲気を味わうかのようにゆっくりと見渡す。
「あちらは生活の匂いがした。ここは旅の匂いがする」
「うまいことを言うじゃないか、エメラ」
「だろ?俺だってそういう鼻は効くのだよ」
食事を終えると、2人は街に出た。
まずポルタに紹介された皮革屋を探した。街道から少し入った路地にある、小さな店だった。看板には革製品の絵が描かれており、店先には出来合いの鞄や腰袋が吊り下げられていた。
扉を開けると、革の匂いがした。奥に作業台があり、白髪交じりの老人が黙々と縫い作業をしていた。
「ポルタさんに紹介していただいた者です」
エメラが声をかけた。
老人は顔を上げた。目が細い。しかし動きに迷いがない、職人の目だ。
「ポルタか。あいつの紹介なら話は早い。何が要る?」
「旅用の鞄を探しています。長期の旅で、背負えるもの、丈夫なもの、できれば水に強いもの」
老人は無言で立ち上がり、奥の棚から鞄をいくつか取り出してきた。1つ1つ、手に取って確認する。縫い目、留め具、革の厚さ。
「これだ」
老人が差し出したのは、深い茶色の革製の鞄だった。一見すると地味だが、触るとしっかりとした張りがある。蓋の裏に隠しポケットがあり、背中に当たる部分に薄い板が入っていて型崩れしない。留め具は二重になっており、片方が外れてももう片方で止まる仕組みだ。
「この革は?」
エメラが尋ねた。
「銀牙狼の皮だ。水を弾く。引き裂きにも強い」
「銀牙狼……寒い地方によく出没する魔獣、でしたっけ?」
「そうだ、よく知ってるな。縫い糸も腱を加工したものを使っている。普通の糸よりかなり切れにくい」
エメラは鞄を背負ってみた。肩への当たりが柔らかく、荷物を入れていない状態でも体に馴染む感じがする。
「隠しポケットはここだけですか」
「もう1つある」老人は鞄の底の裏地をめくった。二重底になっており、薄いが物が入るスペースがある。
「貴重品や大金、無くしたくないものを入れろ」
エメラはその言葉で、胸の内側の地図のことを思いだす。確かに、こういう場所に入れておく方が安全だ。
「これにします」
「ポルタの紹介なら少し負ける。大銀貨十八枚だ」
「ありがとうございます」
エメラは代金を払い、新しい鞄を受け取った。古い鞄の中身を移し替える。老人は黙って作業台に戻り、また縫い作業を始めていた。
「職人だな」
ダンテが小声で言った。
「そういう人が作ったものは長持ちする」
エメラも小声で答えた。
皮革屋を出ると、2人は市場の方へ歩いた。
市場は賑やかだった。野菜売りの声、魚の干物を積んだ台車、香辛料の匂い——いくつかの匂いが混ざり合って、独特の空気を作っている。ダンテの鼻がひくひくと動いていた。
「いろんな匂いがする」
ダンテが言った。
「良い匂いか悪い匂いか」
「どちらも」
ダンテは正直に言った。「香辛料はいい。あっちの干し魚は少し強すぎる。あとあそこの果物は熟れすぎている」
「詳しいな」
「鼻の問題だ」
果物屋の前を通りかかると、店主が声をかけてきた。
「お兄さん、肩の猫ちゃんに果物はどうだい! 甘くて瑞々しいよ!」
「猫ちゃん」
ダンテが低く繰り返した。
「魔獣です」
エメラが素早く訂正した。
「でも果物はいただきます」
りんごに似た赤い果物を2つ買った。1つをダンテに渡す。ダンテは黙って受け取り、齧った。
「……甘い」
「美味いか」
「まあな」
店主はダンテが喋ったことに驚いて固まっていたが、エメラが礼を言うと我に返ったように手を振った。
エメラは市場の中を歩きながら市場の奥の方へ進むと、露店の密度が少し薄くなった。代わりに、食べ物を売る屋台が増えてくる。焼いた肉のいい匂いが漂ってくる。ダンテとエメラが屋台を物色しているところに少し目を引く男女がいた。武装をしており、大きな魔獣を2匹連れている。冒険者だろうか。
1人は大柄な男。
身長はエメラよりも頭1つ分以上に大きく、肩幅が広い。鎧は着ていないが、動きやすそうな厚手の服を着ており、それでも体格の良さは一目で分かった。黒に近い濃い茶色の髪を無造作に後ろに流しており、顎に無精髭がある。年齢は30代半ばだろうか。顔立ちは整っているが、どこか疲れたような目をしていた。
もう1人は女性だった。
すらりとした体格で。赤みがかった茶色の髪を1つに束ね、凛とした表情をしている。年齢は男より少し若く見える。服装は同じ服装をしている、しかし整えられており、姿勢が良かった。
2人の間に、大きな魔獣が2体いた。名は後で分かることだがファングとディーオ。
犬よりも一回り大きく、狼に似た体格をしている。しかし普通の狼とは違う。体毛が白銀色で、所々が青みがかっており、足元に微かな電光のような紋様が走っていた。その目は金色だ。おそらく雷狼と呼ばれる種だろう。訓練された様子で、2人のそばに伏せたまま、周囲を静かに見回していた。
男が、焼き肉の串を手に持ちながら、不満そうな顔で話していた。
「なぁ、マリア」
男が串を振りながら言った。
「またですか」
女性——マリアが静かに言った。
「愚痴を聞いてくれ」
「聞きます。ただ、串を振り回すのはやめてください。周りに当たります」
「ああ、悪い」
男は串を口に運び、肉を一口噛んだ。
「参るよ、本当に。山間の調査なんて、白狼隊の隊長がやる仕事じゃないだろう。というか元隊長だが。なんで俺たちがわざわざ——」
「ガヴロック隊長」
「なんだ」
「そのような境遇になられたのは、どなたの行いのせいでしょうか」
男——ガヴロック・ドラクネルは少し間を置いた。
「……大臣のせいだ」
「大臣を殴ったのはどなたですか」
「……俺だ」
「はい」
マリアが頷いた。
「ですから、愚痴を言う方向が違います」
「理由があって殴ったんだ」
ガヴロックが言った。
「あのじじいのセクハラがひどかった、マリアも被害を受けていただろう」
「受けていました」
マリアは認めた。
「ですが殴るのは私が止めました。それでも殴ったのはガヴロック隊長です」
「俺を責めるのか」
「責めてはいません。ただ、結果として左遷されたのは事実なので、仕事の量に文句を言うのはお門違いかと」
「お前は正論しか言わないな」
「正論を言っているつもりはないですが、事実を言っています」
「しかも任務が終わるとまた任務。西へ東へと向かわされて最近全然家に帰れてないし、こき使われすぎじゃない?」
「そうですね、それは私も思います。どっかのおバカさんが大臣を殴ってから、生活は一変してしまいましたね」
「……怒ってる?」
「怒ってません、私も西へ東へ任務で忙殺されて疲れていますが怒ってません。上の信頼を取り戻すには今は目の前の仕事を片付けいていくしかないと思ってますので」
いたたまれなくなったガヴロックは串の肉を食べ終え、骨だけになった串を見た。
「しかし本来なら縛り首でもおかしくなかったんです、あれは。あの大臣は貴族の出身ですよ」
「そだねー」
ガヴロックは気怠く相槌をうつ。
「アルディス公のおかげです」
「ミレイナが助けてくれなかったら終わってたな」
ガヴロックが言った。
「アルディス公です」
マリアが即座に言った。
「は?」
「アルディス公爵閣下、と呼んでください。呼び捨ては不敬です」
「あいつは幼なじみだ、ミレイナで十分だろう」
「公の場での話です。周囲に聞こえます」
マリアが少し声を低くして言った。
「ガヴロック隊長が呼び捨てで呼んでいるのを聞いた者が、不届きな振る舞いと判断すれば、またご迷惑をかけることになります」
「……お前は細かいな」
「細かくないです。常識です」
「ミレイナは気にしないと言ってる」
「アルディス公はそうおっしゃっても、周囲の者がそうは思いません」
「分かった分かった」
ガヴロックは手を振った。
「公の場ではアルディス公と呼ぶ」
「お願いします」
マリアが短く息をついた。疲れたというより、慣れているという息の吐き方だった。
ガヴロックは近くの屋台で二本目の串を買い、一本をマリアに差し出した。マリアは受け取り、礼を言って食べ始めた。
「しかし」
ガヴロックが続けた。
「愛用の剣を取り上げられているのが一番きつい。あれがないと戦い方が根本から変わる。そう思うよなぁ、マリア」
「処罰ですから」マリアが静かに言った。
「処罰にしても、だ。剣を取り上げられた剣士に何をしろというんだ」
「部隊からの支給品の剣はあるじゃないですか」
「銘無しの数打ちの剣振っててもなんも面白くねーし」
「はぁ、身から出たサビです。さっさとにっむを片付けてこの謹慎にも似た処置が解除されれば戻ってくるでしょう」
「それができれば苦労しない」
「ガヴロック隊長は拳があります」
「……褒めているのか」
「事実を言っています。大臣を一発で沈めた拳です」
「あれはセクハラされていた女性の怒りの力は拳に乗ったんだ」
伏せていた雷狼のファングが鼻を鳴らした。ガヴロックが串の端を少し折って与える。雷狼は器用に受け取り、一口で食べた。
「ヴェルディアか……山間の鉱山の街だったな。崩落事故の調査とのことだが、あそこから連絡が来たのはいつだ」
「先週です」
マリアが答えた。
「ただ、最初の報告書には崩落事故と書いてありましたが、後の連絡では解決済みとのことで、詳細は不明でした」
「解決済みなら俺たちが行く必要はないんじゃないのか」
「それについての確認と、詳細な報告を求めているのがアストリア側の要望です。事件の規模によっては、連合国として対応が必要になるかもしれないので」
「なるほど」
ガヴロックは串を食べながら言った。
「しかし解決したなら、誰かが動いたわけだ。地元の警備隊だけでは無理そうな規模の事件だったが」
「冒険者が関わったという事が記載はされていました」
「記載?何に?」
「報告書、ですほ・う・こ・く・しょ。隊長が全く目も通さず、普段触りもしない文書が記載されている紙ですいつもいつも私が管理して、私が書いている報告書です」
「ほう」
ガヴロックが少し眉を上げた。
「どんな冒険者だ」
「詳しくは分かりません。ただ——木属性の術を使う若い冒険者だとか」
「木属性か」
ガヴロックは少し考えた。
「今の時代に珍しいな。もしかして大賢者の系譜か?」
「そこまでは把握できていません」
「まあ、現地に行けば分かる」
ガヴロックは残りの串を食べ終えた。
「それよりも、私にいつも事務処理を押し付けていることに対しての弁明があれば何かお伺いしますが?」
笑顔の中に怒りを含ませているマリアにガヴロックはたじたじになる。
「あの、あれだ。適材適所だ。マリアが5分で終わる報告書は俺なら5日はかかる。そうなったら他の仕事が滞るからな、いやあ、いつも感謝してるよ、なあマリア」
「……報告書が5分で終わるわけがないでしょう?まあ、隊長に事務処理が全く向いてないことは知ってますからやりますけど……もし私がいなくなったらどうするつもりですか」
「え?マリアがいなくなるのはイヤ、だなあずっと一緒だろ?」
「え?」
ガヴロックの思わぬ返答に顔を赤らめ、目を背けるマリア。
「マリアがいなかったら面倒くさい事務仕事が俺に来るもん。マリアがいなかったら困るぜ」
その言葉を聞いたマリアはスっと真顔になり、串でガヴロックの脇端を突き刺した。
「い、痛えよマリア。俺何した??」
「そうですね、強いて言うならデリカシーの無さが刺された理由じゃないですか。そのおかげで串を振り回すと危ないってことが身に染みてわかりましたね」
そう言い終わると笑顔をガヴロックにみせる。目は笑ってない。
「ったく、このケガが原因で死んだらどうするんだ」
「もういい、腹ごなしも済んだしこいつらのご飯が終わったらそろそろ行くか」
「分かりました」
マリアが頷いた。
「それと、ガヴロック隊長」
「なんだ」
「雷狼に食べさせすぎないでください。また走りが鈍くなります」
「こいつらが欲しがるんだ」
「欲しがるのに全部与えるのは教育上よくありません」
「魔獣の教育か……」
ガヴロックは雷狼を見た。雷狼は尻尾を振っていた。
「なぁ、マリア」
「なんですか」
「お前、俺のことより雷狼の方が心配してないか」
「同じくらい心配しています」
マリアが真顔で言った。
「同じくらい、か」
「どちらも手がかかりますので」
「……俺と魔獣が同列か」
「そういう意味ではありません、それに雷狼の方が手がかかりませんから」
マリアがわずかに表情を緩めた。
「ただ、どちらも大切です」
ガヴロックはしばらく黙った。それから小さく笑った。
「ついてきてよかったか、お前」
「……はい」
マリアが静かに答えた。
「私が選んだことです」
「左遷に付き合わなくてもよかったのに」
「隊長一人では心配ですから」
「元、だぞ」
「だから心配なんです」
マリアが言った。今度は満面の笑みで、ガヴロックもそれをみてまた笑う。
「見ろエメラあの雷狼がこっちずっと見ている」
ダンテに気づき、エメラが視線を向けると——雷狼の金色の目が、まっすぐこちらを見ていた。ぴんと耳を立て、しかし唸ってはいない。ただ、見ている。
次の瞬間、雷狼の片割れが立ち上がり、こちらに向かって歩いてくる。
「あ」
エメラがとっさに言葉を発する。
ガヴロックとマリアの視線が、雷狼を追って——エメラへと向いた。




