ep27 ガナへの道中2
ポルタは2人のかけあいが面白くて仕方がない様子だ。
「グレゴールさんが太鼓判を押すはずですなあ」
「どういう意味ですか?」
エメラが聞いた。
「いえ、なんとなく」
ポルタは笑った。
「信頼できるお2人だということが分かりました」
馬車の揺れが一定のリズムになってきた頃、エメラはふと思い出したように口を開いた。
「ポルタさん、1つ聞いてもいいですか」
「なんですかい」
「ジルヴェント商会、ご存知ですか」
ポルタは一瞬きょとんとした顔をした。それから、少し可笑しそうに笑った。
「ジルヴェント商会を知っているかって?」
「はい」
「エメラ殿、私が商人かどうか関係なく——大人でジルヴェント商会を知らない者はいませんよ」
ポルタは帽子を少し直しながら続けた。
「この世界で商売をしている者なら、否が応でも名前を聞く機会がある。しかしそれ以前に、商人じゃない一般の方だって知ってる。それくらい大きな商会ですよ」
「そうですか」
「それどころか」
ポルタは荷台の荷物を軽く叩いた。
「この荷物だってそうですよ。ヴェルディアの鉱石が、最終的にどこに流通するか——大本を辿ればジルヴェント商会が絡んでいる。俺はその末端の末端みたいなもんですよ」
「そんなに広く」
「そういうことです。世界中の商業網に、あの商会の指がどこかしら触れている。完全にジルヴェント商会と無関係の商売を成り立たせる方が、今の時代は難しいかもしれませんな」
エメラは頷きながら聞いていた。
「実は——」
エメラは少し言い方を選んでから続けた。
「今回アストリアへ向かうのも、ジルヴェント商会と関わりのある者を探しているのが理由の1つなんです」
「ほう」
ポルタが興味深そうに言った。
「商会の方と知り合いなんですかい」
「知り合い、かどうかは……まだ分からないんですが。縁がある人物がいると聞いて」
「アストリアなら商会の大きな支部がありますよ。情報を集めるなら、まずそこに行くのが早いでしょうな」
「そうなんですね。アストリアに着いたら是非そうします」
「それにこの護衛の二人も、実は商会から紹介してもらったんですよ」
ポルタが顎をしゃくった先には、馬車の前方で並んで座っている2人の護衛がいた。どちらも無口で、前を向いている。
「商会から紹介された護衛?」
「ええ。グレゴールの旦那が手配してくれましてね、商会の伝手で信頼できる者を——と」
「……商会から紹介」
ダンテが繰り返した。
少し間があった。
「ふっ」
ダンテが小さく噴き出した。
「何がおかしいんだ、ダンテ」
エメラが首を傾げた。
「いや」
ダンテは笑いを堪えようとしながら言った。
「よりによって、探している商会の紹介した護衛と同じ馬車に乗って、その商会の話をしているのが可笑しくてな」
「……言われてみれば」
エメラも苦笑した。
「こういうのを縁と言うんじゃないですかな」
ポルタが笑った。
「世界は案外、狭いもんですよ」
「ジルヴェント商会が絡むと特に狭くなりますな、世界が」
ダンテがもう一度、くつくつと笑った。
しばらく走ると、道が少し広くなった。
山の傾斜が緩み、視界も開けてくる。
エメラは荷物を漁り、グレゴールから渡された革ケースを取り出した。
「ポルタさん、少し見ていただいてもいいですか。地図を確認したくて」
「ええ、もちろん」
エメラはケースの蓋を外し、中の巻物を広げ始めた。
ポルタが覗き込んで——固まった。
帽子が傾いた。口が半開きになった。膝の上の鞄がずり落ちかけたのを、反射的に掴み直す。
「……エメラ殿」
「はい」
「それ、もしかして」
「世界地図です。グレゴールさんからいただきました」
「…………」
ポルタは数秒、黙った。目が地図と、エメラの顔を交互に行き来する。
「グレゴールの旦那が、そんなものをお持ちで」
「驚かれましたか」
「驚きますよ!」ポルタは小声で、しかし力強く言った。
「エメラ殿、これは——これは一般に流通しているようなものじゃないですよ。どれくらい貴重か分かってますかい?」
「はぁ、なんとなくは」
「なんとなくじゃ困ります」
ポルタは身を乗り出した。
「世界地図というのはね、王侯貴族でも簡単には手に入らない。軍が国家機密扱いにしているものです。一般的に手に入る地図は精々大陸1つ分が描かれているものが関の山です。金貨がいくらあっても買えない。そんなものを、馬車の中でさらっと広げちゃいかんですよ」
「なるほど、ご指摘はもっともです」
エメラは素直に頷いた。
「この馬車の中は——まあ、俺と護衛の2人だから、俺が信用できると判断した人間しかいない。だから今回はいいですよ。でも」
ポルタは声をさらに低くした。
「公共の場では絶対に出してはいかんです。宿の食堂とか、酒場とか、人目のある場所では特に。流れの傭兵が見ていたら、命がけで奪いに来るかもしれない。地図一枚で、一生遊んで暮らせるほどの価値がありますからね」
「……それほどですか」
「それほどです」
ポルタは頷いた。
「鍵のかかる部屋の中、信用できる相手だけの場で使う。それを徹底してください」
「分かりました。気をつけます」
「グレゴールの旦那も、もう少し言い含めてくれればよかったんだが——まあ、旦那は気前がいいから、そういう細かいことを言い忘れるんでしょうな」
ポルタは苦笑した。
「ありがとうございます、教えていただいて」
「いやいや、これは大事なことですから」
エメラは地図を慎重に巻き直し、革ケースに収めた。今度はコートの内側ではなく、荷物の一番奥、他の荷物に挟まれた場所に収める。
「賢明です」
ポルタが頷いた。
「そういえば、荷物を整理していて気になったんですが——この鞄、少し古くなってきていて」
エメラは足元の旅行鞄を持ち上げて見せた。確かに、革の色が褪せ、縫い目の一部がほつれ始めている。3年の旅の痕跡だ。
「買い替えを考えているんですが、何かいいものをご存知ですか。行商人として、荷物に詳しいと思って」
「おお、それは任せてください」
ポルタは嬉しそうに身を乗り出した。商人の本領発揮、とでも言いたげな顔だ。
「まずどんな用途に使いたいですか。旅全般ですかい?」
「そうです。長期の旅で、野営もするし、街に入ることもある。荷物が多い時も少ない時もある」
「なるほど」
ポルタは顎を撫でながら言った。
「じゃあガナに着いたら、俺の知り合いの皮革屋を紹介しましょう。あそこの主人は腕がいい。旅人向けの鞄を専門で作っていて、丈夫さと軽さのバランスが良いものを置いてます」
「それはありがたい」
「値段もぼったくらない。俺の紹介なら、少し安くしてくれるはずです」
「助かります」
その言葉を聞き、エメラは嬉しそうに頷いた。
「どんな鞄がいいですかい。背負えるものがいいか、手持ちがいいか」
「背負えるものが助かります。両手が空く方が動きやすいので」
「なるほど。あと、隠しポケットはあった方がいいですよ。貴重品を入れるための、外からは見えない仕切りがついているやつです。旅人なら必須と言っていい」
「確かに」
「水に強い加工がしてあるやつも、野営が多いなら必要ですな。革の素材によって変わりますが、魔獣の皮を使ったものは耐久性が段違いです」
「そうですねそのあたりもひっくるめて皮革屋さんにそうだんしてみますね」
鞄談議で盛り上がっていると馬車が大きなカーブにさしかかる。ゆるやかだが、ほぼぐるりと一回転しながらゆるやかな傾斜を下る
馬車がカーブを曲がったところで、ポルタが何かを見つけ、急に声を潜めた。
「あそこ」
ポルタが顎で示した先——山の斜面、木々の間に、何かが動いていた。
遠目だったが、エメラには分かった。大きい。馬よりも一回り大きい体躯が、木々の間をゆっくりと歩いている。岩のような灰色の体毛、低い重心、四本の太い足。
「魔獣ですね」
エメラが静かに言った。
「ああ、この山道じゃたまに見かけます」
ポルタが囁くように言った。
「近づいてはこないですがね、こっちから刺激しない限りは」
ダンテの鼻がひくついた。
「あの体格は——石山熊の類いだな。縄張りを歩いているだけだ。こちらには気づいているが、馬車を脅威とは判断していない」
「よくそこまで分かりますな」
ポルタが言った。
「匂いだ。警戒している匂いはしない。ただ歩いている匂いだ」
「石山熊、ですか」
ポルタが遠目に魔獣を眺めながら言った。
「あれの爪は加工すると、よく切れる刃物となるので、素材価値は高いですね。皮なんかも、鞄や防具の素材に使われますよ。あのサイズの個体なら、大きな鞄が2つ3つ取れる」
「ただし、あれは危険個体じゃない。依頼がない限り手を出すべきじゃないです。ダンテもちょっかい出したら駄目だぞ」
「分かってる。しばらく空腹は我慢できるしもうすぐ昼飯だ、俺は我慢できる魔獣だ」
「いや、その体だと負けちゃうでしょ」
「負けない、本気出せば。ただここで飛び出したらポルタに迷惑をかけるかもしれないから我慢しているだけだ」
「だから、昼まで我慢すると決めたんだ」
「(昼ごはんのサンドイッチはさっき食べたから無いんだけどな)じゃあダンテ、お昼になったら起こしてあげるから少し昼寝してなよ」
「そうだな、ちゃんと飯の時間なったら起こしてくれよ」
そのやりとりにポルタは笑ってる。 石山熊は木々の間を進み、やがて視界から消えた。
馬車の揺れだけが、また戻ってきた。
「やはり、魔獣がでると少し緊張しますね」
「慣れますよ、」
エメラが言った。
「冒険者だから言えますな」
ポルタが苦笑した。
「いや、ダンテのおかげで慣れた部分も大きい。こいつが危険かどうかをすぐに判断してくれるので、それにさっきの熊もこっちを全く気にする気配も感じなかったので襲われる心配はありませんでしたね、護衛の方々もそれは感じていたようですね」
「気配ですか、私たち商人にはあまり分からない間隔ですな。それにダンテ殿の危険察知能力も頼もしい」
「頼もしいだろう」
ダンテが少し得意げに言った。
「俺の鼻は伊達ではない」
「ダンテ殿、猫ではなく魔獣だと言っていたが——改めて、どういった種の魔獣なんですかな」
ポルタが純粋な興味で尋ねた。
ダンテは少し間を置いた。
「黒焔豹の一族だ」
「黒焔豹……」
ポルタが眉をひそめた。
「聞いたことはありますな。しかし確か、もっと大きい魔獣では?」
「これが本来の姿ではない、と言っておく。詳細は聞くな」
ダンテは素っ気なく言った。
「寝る」
「……了解しました、ダンテ殿」
ポルタは賢明にもそれ以上追及しなかった。商人として長年人と付き合ってきた経験が、今踏み込むべきではないことを教えたのだろう。エメラは肩の上のダンテをちらりと見た。ダンテは前を向いていた。その耳が、わずかに傾いている。
しばらく走ると、道の端に小さな川が見えてきた。山から流れ下ってきた水が、街道沿いに細く続いている。御者が少し速度を落とした。
「もうすぐ小さな橋を渡ります。その先からは下り勾配が緩くなりますよ。ガナまであと1時間ほどでしょう」
「1時間か、昼になるな」
「まずは腹ごしらえからだな、もう羊を味わう準備は出来ているぞ俺は」
「駄目です、まずは宿から。予約もしてないからね。荷物も置きたいし」
「え〜、荷物を置いている間に、俺の腹がさらに減る。食べ物屋探さないと駄目だしも混むだろう」
「そうだ、俺が食べ物屋を探す。エメラは宿屋の手続きをすれば解決だ!頭いいだろう」
「魔獣の単独行動は禁止されてるだろ?お前はそれで前も怒られたじゃないか」
「……あ、そうだった」
ダンテは以前、港町で水揚げされている魚に飛びついてこっぴどく漁師に怒られた経験をもつ。エメラも責任者として連帯で怒られてしまい、苦い経験をもつのにこの食欲旺盛な魔獣はすっかりその事を忘れている、またはあまり反省していないようだ。
「もう俺はこの歳であんなに怒られたくはないぞ、網代も弁償したし」
「分かった、ちゃんと我慢する」
「それでよろしい」
ちょっとシュンとしたダンテをみて、エメラは少し安心もした。




