ep26 ガナへの道中1
馬車は山道を下り始めていた。
ヴェルディアの街が背後に遠ざかっていく。石造りの家々が、やがて木々の間に隠れた。鉱山の煙突が最後まで見えていたが、それもやがて山の稜線の向こうに消えた。
荷台には、エメラの他に3人乗っていた。
歳は50代だろうか、丸みのある体格の男だった。頭に帽子を乗せ、厚手のコートを着込んでいる。膝の上には大きな革鞄があり、それを両手で抱えるようにして持っていた。旅慣れた様子で、荷台の揺れにも慣れている。
しばらく互いに無言だったが、最初に口を開いたのは男の方だった。
「兄さんは、ヴェルディアに長くいたのですか?」
「5日ほどですね」
男の問いにシンプルに答える。
「短いな。通りすがりですかい」
「まあ、そんなところです。あなたは?」
「私は商売でしてね、定期的にこの街と麓の間を往復しております。主にここの鉱石を取り扱っております」
男は帽子を少し直しながら言った。
「グレゴールの旦那にはいつも世話になってます。良心的なお方でね、この業界ではああいう人は珍しい」
「そうですね、いい方でした。短い付き合いですがとてもよくしてもらいました」
エメラは素直に同意した。
「お連れさんはその……」
男がエメラの肩に視線を向けた。
「随分と可愛らしい猫をお持ちで」
「猫ではない」
ダンテが即座に反応する。
男が目を丸くした。帽子が少し傾いた。
「喋った」
「喋る。魔獣だから」
ダンテは不満げに続けた。
「猫に見えるのは分かる。しかし俺は魔獣だ。猫ではない。体格が似ているだけで、全くの別物だ」
「こ、これは失礼を」
男は慌てて帽子を取り、頭を下げた。本気で謝っているようだ。
「まあ、いい」
ダンテは尻尾をぱたりと揺らした。
「お前が悪いわけではない。見た目の問題は認めている。ただ、猫と呼ぶのはやめろ」
「了解しました、魔獣殿」
「ダンテでいい」
「ダンテ殿、かしこまりました」
男はもう一度頭を下げた。エメラは口元を押さえて笑いを堪えた。
「俺はエメラです。冒険者をしています」
「俺はポルタといいます。行商人です。以後よろしく」
ポルタは改めて自己紹介し、革鞄を少し膝の上で持ち直した。
「グレゴールさんからは聞いています、道中よろしくお願いしますね」
馬車は山を下りながら、緩やかなカーブを繰り返していた。山道は整備されているが、それでも揺れは大きい。木々の間から時折、遠くの谷が見える。
「ダンテ殿は、エメラ殿のパートナーということですかな」
「まあ、そうなるな」
「魔獣をパートナーにされている方は最近珍しくもありませんが、人語を操るというのは訓練が大変だったでしょう」
「俺が訓練を受けたわけではない」
ダンテが即座に返した。
「俺は賢いからな。訓練などせずとも人間の言葉なんてすぐに覚えた」
「なるほど」
ポルタは興味深そうに頷いた。
「聞いた話では、長く生きる魔獣ほど強く、賢くなっていくとか。つまりダンテ殿もそれなりの長い生を歩まれてこられたのかな?」
「普通の魔獣ならそうかもな。まあ俺は特別だがな」
「ほお」
「俺は生まれたからずうっと賢いんだ」
「それに強い、俺の牙はあらゆる悪を噛み砕き、爪は全ての脅威を切り裂ける」
「はっはっは、なるほどなるほど。ではダンテ殿はとても希少な魔獣なのですな」
「そうだとも、もっと崇められてもいいくらいだ」
ダンテのドヤ顔をみてポルタにいたずら心が芽生える。エメラに目配せすると、エメラはすべてを悟ったように無言でうなずいた。
「なるほど。でしたらダンテ殿の素材はとても高く売れそうですな」
「毛並みもいい、毛皮など数が取れないから、とても希少価値が生まれそうだ」
「え?」
ダンテはとても驚いたような顔をしている。横でエメラは必死に笑いを堪えている。
「全てをかみ砕く牙、全てを切り裂く爪、これが事実なら一財を築けるかもしれませんな」
「ダンテ殿、ぜひとも私と一緒に街へと向かいましょう」
満面の笑顔迫るポルタを見て、ダンテは怯えだす。
「エ、エメラ」
言うやいなやエメラの方に登り、フードの中に隠れてしまった。
「わっはっはっは、少し冗談が過ぎましたな、申し訳ない」
フードの中で怯えているダンテを撫でながら、エメラも笑っている。
「ごめんごめん、そんなに怯えなくてもポルタさんはそんなことしないよ」
「悪ノリが過ぎましたな、お詫びといってはなんですがエメラさん、ガナに何日滞在される予定ですか?」
「カルタに行く馬車次第にはなりますが、余り長居する予定ではないですね」
「なるほど…よければ私の仲間の行商人を紹介しましょう、カルタまで何日かの工程になります。昼夜問わず移動をするので、よければそちらも護衛ついでに乗っていかれませんか?」
「それはとてもありがたい申し出ですが、そちらのお2人を差し置いて俺が護衛についてもいいんですか?」
「はい、あくまでもこの2人は今回私との契約での護衛ですし、なによりまだ雇用契約期間がありますので、契約期間中は私と行動を共にします」
「なるほど……」
「ガナに着きましたらカルタ方面の仲間を紹介いたしましょう。ご存じかと思いますが、その際ギルドで(セイラントの契約書)にサインしていただく形になりますがよろしいですか?」
「エメラ、それって」
「ああ、トルクの話にも出てきた契約書だな。ちゃんとギルドで契約するから大丈夫」
ダンテが心配そうに耳打ちしてくる。が、セイラントの契約書自体はちゃんとした雇用の契約等にも使用するため害はない。契約内容を読み、違法な条項や不利な条件を見落とさなければ。
「ぜひ、よろしくお願いします」
「よかった、私もエメラさんはお強いとグレゴールさんが太鼓判を押しておりましたので、護衛していただければ心強いとおもっていたところでしたので」
「ガナで一泊されるなら中心の街道沿いの『渡り鳥亭』が無難ですよ。清潔だし、値段も良心的だ。飯も悪くない」
「飯」
ピクリとフードで怯えた魔獣が反応している。
「そこの料理は何がおすすめなんだ」
「はい、そこは羊の肉をふんだんにつかった料理が自慢のお店で、特に夕食に出る羊のステーキは絶品ですよ」
「エメラ、俺はそこに決めたぞ、街に着いたらすぐに宿に行こう」
「すぐにってお前、宿についても夕食の時間まではまだまだあるだろうから、それまで街を散策するぞ」
「嫌だ、すぐにでも食べたいおなか減った」
「今は手元にサンドイッチならあるけど、今食べちゃったらお昼にまたお腹が減ったとか言い出すだろどうせ」
「ん~羊のステーキを食べたいがサンドイッチも食べたい」
「まだ駄目だ、あまり食料買い込んでないんだから街に着くまで我慢しなさい」
「え~~食べたい!」
「うるさいなあ、お腹減ってるならその辺で魔獣でも狩ってきなさい」
エメラが言い放った瞬間、フードの中からダンテが顔を出した。
「狩ってくる」
「え、本当に?」
「本当だ。腹が減っている。この体でも小さな獣くらいなら仕留められる」
ダンテはフードから出て、エメラの肩に移った。山道の脇を眺め、鼻をひくつかせ始める。
「待って待って」
エメラが慌てた。
「走っている馬車から飛び降りるつもりか」
「問題ない」
「問題ある。跳ね返されるぞ」
「俺の脚力を舐めるな」
「舐めてないが心配している」
「ではサンドイッチをよこせ」
「さっき駄目だと言っただろう」
「お前が狩りに行けと言ったんだ。どちらかにしろ」
ポルタが笑いを堪えながら2人のやり取りを見ていた。馬車の揺れが激しくなった瞬間、ダンテがバランスを崩して少し傾いた。エメラが咄嗟に手で支える。
「今馬車から降りたりしたらポルタさん達に迷惑がかかるだろ。ほら、大人しくしていなさい」
「ご飯食べたい」
そう言うとダンテは渋々エメラの肩に落ち着いた。
「サンドイッチ、1つだけだぞ」エメラが言った。
「2つだ」
「1つ半」
「……それでいい」
エメラは荷物から包みを取り出し、サンドイッチを半分に割いてダンテに渡した。ダンテは素早くそれを受け取り、黙って食べ始める。
「半分だとあっという間だな」
ダンテが数口で食べ終えながら言った。
「自業自得だ」
「……残りはいつ食べる」
「昼に食べる」
「今が昼じゃないのか」
「まだ朝だ」
「嘘をつくな、もうかなり経っている」
「そうですねえ……」
ポルタは空の位置を確認した。
「まだ昼前でしょう。昼まであと一刻ほどかと」
「聞いたか」
「……一刻なんてすぐだ」
「すぐじゃない」
「俺の体感では短い」
「お前の体感は信用できない」
ダンテは不満そうに鼻を鳴らし、尻尾でエメラの首筋をぱたぱたと叩いた。ポルタがとうとう声を立てて笑った。
「仲が良いですなあ、お2人とも」
「エメラが鞄で食料を管理しているから仕方なく従っているだけだ」
「お前が食料を際限なく食べるから俺が管理せざるを得ないんだ」
エメラが返した。
「俺は適切な量を食べているだけだ。魔獣にはそれなりのカロリーが必要なんだ」
「適切な量を食べる者は、次の食事まで我慢できる」
「俺は繊細な魔獣なんだ。血糖値が下がると機嫌が悪くなる」
「機嫌が悪い時を見たことがない」
「今まさに機嫌が悪い」
「見分けがつかない」
ダンテがエメラを睨んだ。エメラは涼しい顔で前を向いていた。
「……サンドイッチの残りをよこせ」
「昼まで待て」
「半分だけでいい」
「さっき半分あげた」
「あれは間食だ。本来の分は別だ」
「間食と本来の分の区別がお前の中でどうなっているのか全く分からない」
ポルタがハンカチを取り出して目を押さえていた。笑い過ぎて涙が出ていた。
「お2人は……毎日こんな感じなんですかい?」
「う~ん、そうです」
エメラが答えた。
「だいたいそうだ」
ダンテも認めた。
「もっとも俺の方が常に正論を言っている」
「俺の方が正論だ」
「お前は食事を制限する悪の組織だ」
「悪の組織に世話になっている自覚はあるのか?」
「……ある」
「よろしい」
しばらく沈黙があった。
馬車が大きく揺れ、ダンテが肩の上でよろけた。今度はエメラが支える前に、ダンテ自身が体勢を整えた。
「慣れてきたな、馬車の揺れに」
エメラが言った。
「慣れるのに時間はかからない」
ダンテが言った。少し間を置いてから付け加えた。
「腹が減っていなければもっと早かった」
「そこに繋げるか」
「繋がっているんだ、腹具合と思考は」
「哲学的なことを言い出した」
「哲学ではない、生理現象の話だ」
ポルタがまた笑った。それから何かを思い出したように革鞄を漁り始める。
「そういえば」
ポルタが鞄の奥から小さな包みを取り出した。
「こんなものを持っていましたわ。旅のお供に、と女将に持たせてもらったんですが——お2人もよければ」
包みを開くと、乾燥させた果物と、小さな固い菓子が入っていた。木の実を砂糖で固めたような、保存の利く携帯食だ。
「ポルタさん、いただいてもいいですか」
「もちろん、どうぞ」
エメラが1つ手に取ると、ダンテが素早く視線を向けた。
「木の実の菓子か」
「食べるか?」
エメラが1つダンテに差し出した。
「……食べないという選択肢は無い」
ダンテは受け取り、一口で食べた。数秒の沈黙。
「美味い」
「そうか」
「もう1つ」
「ポルタさんのだぞ」
「ポルタ、もう1つもらっていいか」
「どうぞどうぞ」
ポルタが笑いながら包みをダンテの方に向けた。
「ありがとう」
ダンテが礼を言った。珍しいことに、素直に。
「ダンテが素直に礼を言った」
「食べ物をくれた相手には礼を言う」
「それくらいの礼儀はある」
「俺には言わないな」
「お前からもらうのは当然だからだ」
「当然?」
「旅の相棒だからだ」
エメラは少し黙った。
それから、小さく笑った。
「……そうか」
「変な顔をするな」
エメラの綻んだ顔がおかしかったのだろうか。
「変な顔はしていない」
「している」
「していない」
「口元が緩んでいた」
「気のせいだ」
ポルタは黙って2人を見ていた。その顔に、温かい笑みがあった。




