ep25 第11章 幕間
転移の術式が光を散らし、ファスは見慣れた廊下に立っていた。
石造りの壁。等間隔に灯された魔道具の明かり。足音を吸い込む厚い絨毯。華美ではないが、質の高い調度が並んでいる。
組織の西方司令部。
ファスが数年間、拠点としてきた場所だ。
しかし今日は、いつもと空気が違った。
廊下に立つ衛兵たちの表情は固く、すれ違う部下はファスと目を合わせない。会釈だけを残し、足早に通り過ぎていく。
「司令室で、エリシア様がお待ちです」
隣を歩く人物が言った。
クラベル。
ヴェルディアで警備隊長へ化け、ファスを回収した人物である。今の顔が素顔なのか、別の仮面なのか、ファスには判断できない。声は中性的で、歩いているはずなのに足音がしない。
「エリシア様は、いつ到着された」
「夜明け前です。私はファス殿をこちらへ送り届けた後、先に報告を済ませました」
「すでに全て把握しているということか」
「報告書に記した範囲は」
クラベルの声には、感情の温度がなかった。
ファスは歩きながら、説明の順序を組み立てた。
想定外の介入、規格外の木属性術師。人語を操る黒い魔獣。救援の遅れ。
論理的に説明すれば、エリシアも理解するはずだ。
「心配なさらずとも、普段の働きは高く評価されています」
クラベルが言った。
普段の、その一言が、ファスのプライドを締めつけた。
司令室の扉の前で、クラベルが3回ノックする。
「エリシア様。クラベルです。ファス殿をお連れしました」
「入りなさい」
扉の奥から声が返った。
室内は窓がなく、白い魔道具の光に照らされていた。机と椅子、壁際の書棚。それ以外に余計なものはない。
中央の椅子には、エリシアが腰掛けていた。
ファスがヴェルディアに潜入する前に西方司令部で使用していた席である。
「お久しぶりね、ファス」
エリシアは微笑んだ。
唇は笑っている。しかし目には、観察するような冷たさしかない。
「報告には目を通したわ。随分と派手に失敗したものね」
「今回は、想定外の要因が重なった結果です。もう一度機会をいただければ、証拠と目撃者を確実に処理します」
「想定外?」
エリシアの声がわずかに低くなった。
「鉱山への損害は限定的。協力者は生存。帳簿も証言者も残った。あなたは証拠を消すより先に、自分が逃げることを選んだんでしょ?」
「……」
「無能ね」
短い言葉だった。
ファスのこめかみが動く。怒りを飲み込んだ跡だ。
「数年かけて小銭と鉱石を運んだ程度で、よく西方を預かる者のつもりでいられたものだわ」
エリシアは机から立ち上がった。
「ただし――その失敗のおかげで、面白いものが見つかったの」
「何のことでしょうか」
「私たちが長年探してきた器よ、彼をようやく見つけることができたのよ」
ファスには意味が分からなかった。
「……?木の術を使った冒険者のことですか?」
「余計なことは知らなくていいわ。ただ、殺さなかったことだけは評価してあげる。偶然にしては上出来よ」
侮辱と評価が、同時に突き刺さる。
「くっ……それは光栄です」
「けれど、失敗への処分は別」
エリシアが指先を上げた。
室内の水分が収束し、ファスの周囲を透明な水の檻が包んだ。逃げようと動くほど水流が重くなり、呼吸を奪うのではなく、全身の動きと感覚を圧迫する。
ファスはおの水の檻でもだえ苦しんでいる。その様をエリシアは笑顔で見つめている。
数十秒後、エリシアが手を払うと、水は霧となって消えた。
ファスは片膝をつき、荒い呼吸を整えた。
「……ご命令を」
「今日から、あなたはクラベルの指揮下へ入りなさい」
「この私が、そいつの下に?」
感情が一瞬だけ声へ漏れた。
クラベルは何も言わず、一礼する。
「不満かしら」
部屋の空気が冷えた。
「……ございません」
「嘘ね」
「でもね、あなたが何を思うかは問題ではないの」
エリシアはファスの前へ立った。
「従うか、役目を失うか。それだけよ」
「かしこまりました」
「結構。クラベル、器の監視と、ファスの再教育を任せるわ」
「承知しました」
エリシアは部屋を出ていった。
扉が閉じ、静寂が残る。
ファスはゆっくりと立ち上がり、クラベルを睨んだ。
「勘違いするな。私はお前を認めたわけではない」
「承知しております」
クラベルは作り物めいた笑顔を浮かべた。
「ですが、命令は命令です。これからよろしくお願いいたします、ファス殿」




