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翠色のアルケミスト  作者: 蜂兎類
第1部 ヴェルディア編
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21/56

ep21 残されたメッセージ1

 詰め所の事務所を出ると、ちょうど昼時だろうか、太陽が真上で照らしている。


「冒険者ってのも、楽じゃないな」


 ダンテが肩の上で呟いた。


「ああ」


「世界を回るから、その都度路銀を稼ぐ手段としていいかなって」


「依頼を受けて仕事して、報酬をもらう。それだけのことだと思っていたがそんな単純な話じゃなかったな」


「……まあ、お前のことだから、どうせ困っている人間がいればほっとけないんだろうけどな」


 ダンテの声は少しからかうような調子だったが、その奥には真剣みがあった。


「だから余計に、気をつけないといけない、ということか」


「そうだな」


 エメラは答えた。


「力があっても、知らずに悪用されることはある。むしろ力があるからこそ、狙われやすいのかもしれない」


「トルクのことを言っているのか、自分のことを言っているのか、どっちだ」


「……両方かな」


 エメラは苦笑した。


 通りを歩きながら、どこかの家の窓から料理の匂いが漂ってきた。玉ねぎと肉の匂い。昼飯の時間だ。


「腹が減ったな」


 ダンテが言った、まるで少し重くなった雰囲気を変えるようにとぼけた感じで。


「お昼はどうする?このまま無言の碑につく頃には俺は餓死してしまうかもしれないぞ」


「それは困るな」


「パンは買ったか?鞄から匂いがするぞ」


 ダンテの尻尾が揺れた。


「宿を出る前に買った。ちゃんとあるから心配するな」


 それを聞くとダンテの尻尾は嬉しそうにぶんぶん横に振れた。


「食べながら向かおう。女将さんの話じゃあ街の北、森を抜けた先にある小高い丘だったな」


「むしゃむしゃもぐもぐ」


 ダンテはエメラから貰ったパンを口いっぱいにほおばっており、こちらの話を聞いていない。きっと宿屋で話した女将さんとの会話もあまり聞いていなかっただろう。諦めて女将さんの言葉を思い出しながら記憶を頼りに向かう。


 2人は北へ向かった。


 ヴェルディアの街を抜け、森の入り口へ。門のところで警備の兵士が会釈した。エメラも頭を下げ、森の中へと踏み込んだ。


 木々の間を抜ける小道は、よく踏み固められていた。恋人たちが歩いてきた道だ、とエメラは思った。足元に小さな花が咲いており、昨夜の雨粒が草の葉に残っている。空気が澄んでいた。鉱山の近くとは思えないほど、深くて静かな空気だった。


「いい場所だな」


 ダンテが鼻をひくつかせながら言った。


「土のいい匂いがする。生きている匂いだ」


「ああ」


 エメラも深く息を吸った。


 小道は緩やかに登り始めた。傾斜が増すにつれ、木々の間から光が差し込む角度が変わっていく。葉が風に揺れるたびに、光の粒が地面を走った。


 やがて、森が途切れた。


 そこに——小高い丘があった。


 見晴らしの丘。女将の言っていた通りだ。頂上に立つと、ヴェルディアの街が眼下に広がっていた。石畳の道が細い筋のように走り、家々の屋根が昼の光を受けて輝いている。遠くには鉱山の入り口が見え、さらにその向こうには山の稜線が連なっていた。


「確かに、ここからなら街を一望できるな、いい眺めだね」


 エメラは少し立ち止まり、その景色を眺めた。空が広い。ここまで来ると、空が近くなる気がした。風が穏やかに吹いており、草が一斉に揺れる。


「恋人たちが愛を誓う場所としては、確かにもってこいだな」


 ダンテが言った。


「お前がそういうことを言うのは珍しい。そんな人間の感覚分かるものなのか?」


「高台で周囲を見渡せて、逃げ道も確保されている。風向きも悪くない」

 

 ダンテは得意げに鼻を鳴らした。

 

「安心して大切な話をする場所としては上等だ。人間の感覚も、案外理にかなっている」


「こういう所は魔獣にとっても居心地がいい場合も多いからな、何よりも風が通るし日も当たる、群れのボスはこういった所を好むんだ」


「逃げ道が確保されてるデートスポットっていやだな」


 魔獣視点は面白いな、とエメラは笑う。 そしてエメラは視線を丘の頂上へと向けた。


 そして——そこに、石碑が立っていた。


 巨大な石だった。


 エメラの身長を優に超える高さで、幅も腕を広げたほどはある。表面は苔むし、緑と灰色が混ざり合った独特の色をしていた。何年、いや何十年、あるいはもっと長い時間をここで過ごしてきたのか、その風化の具合が教えていた。


 近づいてみると、表面に文字のようなものが刻まれているのが分かった。しかし——刻んだ当時はどれほど鮮明だったのか、今となっては石碑を撫でる手の感触でかろうじて溝があると分かるほど、かすれていた。文字なのかどうか、そもそも判断できないほどだ。


 所々、何かで傷をつけられたような跡もある。おそらく解読しようとした者が、拓本を取ろうとしたのか、あるいは別の方法を試みたのか。それでも石碑自体はびくともしていない。悠久の年月を、ただそこに立って刻んできた石だ。


「これが、六個目か」


 ダンテが静かに言った。エメラの肩から降り、石碑の周りをゆっくりと歩く。


「ああ」


 エメラは石碑の正面に立った。


 表面を眺める。かすれた文字の痕跡を目で追う。世界のあらゆる学者が解読できなかった理由が、エメラには分かる。


 この文字はイミテーションだ。偽物の文字。表面に刻まれているものは、どんな言語学者が見ても文字には見えない。文字のような模様に見えなくもないが、どんな既知の言語とも一致しない。


 解読できないのは当然だ。本当の文字は、別の場所に隠されている。


 同じ種類の者だけが知る、符牒がある。言葉ではなく、マナの流れ方で開く鍵だ。


 エメラは石碑に手を置いた。


 石は冷たかった。しかしその冷たさの奥に、何かが眠っているのをエメラは感じた。眠っているのではなく、待っている。ずっと、ここで、誰かが来るのを待っていた。


 エメラはゆっくりと目を閉じた。


 体内のマナを高める。木属性の力が、指先から石へと流れ込もうとする。しかしエメラはそれを抑え、別の流れを作った。通常の魔術とは違う。術式とも違う。もっと根源にある、言葉の形をした何か。


 声に出す。


「我が名はエメラ・ヴァイパグリン」


 エメラの声が、丘の上に静かに響いた。風が止んだ気がした。草も、葉も、一瞬動きを止めたかのようだった。


「木のエレメンツにして、五柱の長」


 手のひらを通して、石の奥に何かが応えた。微かな振動だ。眠っていたものが目を覚ます時の、わずかな震えだ。


「石碑に刻まれし我が同胞の言葉よ——顕現せよ」


 沈黙が一瞬あった。


 それから、石碑が光り始めた。


 最初は、かすかなものだった。苔の間から、石の割れ目から、淡い光が滲み出てくるように。それが徐々に輝きを増し、かすれていた文字の痕跡に沿って光の線が走り始める。


 光は形を成していく。


 かすれて消えかけていた溝が、光によって補われていく。文字ではないと思っていたものが——文字だったのだと、今初めて分かる。エメラが知っている文字ではない。しかしエメラには読める。血に刻まれた読み方で、読める。


 ダンテが静かに歩み寄り、エメラの隣に立った。


 2人は並んで、光る石碑を見上げた。


 ヴェルディアの街が眼下に広がり、空が頭上に広がり、丘の上で、石碑が何百年ぶりかに目を覚ました。


 光はさらに輝きを増し、形を固めていく——。


 石碑の表面に文字が浮かぶ。光でできた文字だ。青白く、淡く発光しており、その光はどこかやさしさを感じられる。


「読んでよエメラ」


 ダンテが催促する。いかにかしこい魔獣でも、文字は読めないらしい。少し甘えた声を出すからエメラは思わず微笑む。


「わかってるよ。えーっと」


「(聖暦1072この世界を巡る2周目 まだ、誰も目覚めない 水は闇に抱かれた海底 木は静寂の澱む森の奥 火は灼熱に満ちた奈落 風は颶風纏う高嶺の塔 1人では何も成せない 力が必要だ なおこの地の地層は安定している 良質な鉱脈を内包しマナの流れも濁りない ここに街を作り鉱物資金を準備する 来たるべき再会へ向けて 世界は広い テラ・バトランバー)」


「下にもう1つメッセージがあるな」


「(聖暦1103小さな宿場から始まった街も長年の人の往来により街として形作ることが出来た 鉱山も稼働し数年 街の長 鉱山の長を任せ、資金の目処も経ち計画を次の段階に進める事とする これより北へ向かう 北はいくつかの大きい町がある そこでまた刻文を残そう テラ・バトランバー)」


「テラはここに約30年滞在していたみたいだ」


「ということはこの街の原型はテラが作ったのか?」


「おそらく、グレゴールさんにあとで聞いてみよう。この街と鉱山の成り立ちを」


「なあ。テラってエメラの仲間だよな? どんな人なの?」


 ダンテが尋ねた。


 エメラは少し考えてから、丘の草の上に腰を下ろした。膝を立て、ヴェルディアの街を眺める。ダンテもその隣に座った。


「そうだな、俺たちはみんな本当の兄弟のように育ったんだけど、その中でもテラは落ち着いていて物知りで、みんなの頼れる兄みたいな存在だな」


 エメラの声には、懐かしさと、それに寄り添う温もりがあった。


「テラが話すときは、みんな自然と聞き入ってしまう。押しつけがましくはないのに、言葉に重みがある。叱るときも穏やかだから、余計に刺さる」


「みんなって、何人いたの?」


「候補者は大勢いたよ」


 エメラは草の一本を指先でつまみながら言った。


「そこから段々減っていって」


 声のトーンが、わずかに落ちた。


「最終的には6人が残り――いや、五柱として選ばれたから……5人だ」


 懐古するエメラの顔は、どこか寂しげだった。最初はいっぱいいた。段々減っていった。最終的には5人。


 ダンテはその言葉を聞き、頭の中で問いが浮かんだ。どういう意味なのか。減っていったとは、選ばれたとは、5人というのは今も生きている者の数なのか、それとも。


 エメラの説明を言いても全てに疑問が浮かび上がる。エメラの横顔を見た。寂しげな表情が、そこにある。聞くべきか、聞かざるべきか。ダンテは心の中で葛藤した。


 しかし——知りたかった。エメラのことを、もっと。


「なあ、エメラ。言いたくなかったら言わなくてもいいけど」


 少し言い淀むように、ダンテは問いかけた。


「いっぱいいた仲間は何で減っちゃったんだ? 最終的には5人って?」


 エメラはしばらく黙っていた。草の先を見つめ、風が髪を揺らした。


「そうだな……ダンテにはまだ詳しく話してなかったな」


 エメラはゆっくりと口を開いた。


「俺とダンテが出会った森の奥の神殿、覚えているか?」


「ああ、あの古びた神殿か、もちろん覚えているぞ」


「あそこは俺たちの一族のもの、と言ったが、正確には木のエレメンツが所有する神殿なんだ」


「出会った頃に少しだけ聞いたけど、木のエレメンツって何なんだ?」


 ダンテが問い返した。


 エメラは空を見上げた。青い空だ。雲が1つ、ゆっくりと流れていく。


「そこから話すか」


 エメラは膝に肘をつき、少し前のめりになった。


「エレメンツというのは、この世界に5つある根源的な力の、それぞれの担い手のことだ。木、土、水、火、風の5つ。俺が木のエレメンツで、テラが土のエレメンツ。他の仲間もそれぞれ担う属性がある」


「ちなみにジルは風のエレメンツだよ」


「五柱、と石碑で言っていたやつか」


「ああ。各属性のエレメンツは、世界に1人しかいない。複数いることは、原則としてあり得ない」


「世界に1人……」


 ダンテは静かに繰り返した。


「ダンテ、知ってるか? この世界の中心にあると言われる世界樹の存在を」


「え? うーん、知……らない」


 ダンテは正直に答えた。世界樹、という言葉は聞いたことがあるような気もするが、実態を知っているかと問われると、首を縦には振れない。伝説か、神話か、そういう類の話だと思っていた。


「外界からは隔絶され、人も魔獣も、生きとし生けるもの全てが到達不能な場所だ」


 エメラは静かに語り始めた。


「各国の王でさえ正確な所在地を知らされていない場所に、世界樹は存在している。俺たちは守り(もりびと)の一族と言って、その世界樹の麓に集落を作り、代々世界樹を管理しているんだ」


「そんな場所で、俺たちは生まれたんだ」


 エメラは少し間を置いた。


「大体千年位前にね」


「え??」


 ダンテは思わず声を上げた。

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