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翠色のアルケミスト  作者: 蜂兎類
第1部 ヴェルディア編
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22/57

ep22 残されたメッセージ2

 千年。


 その数字が、ダンテの頭の中でうまく処理されなかった。千年という時間が、どれだけのものなのか。自分が知っている中で最も長い時間の概念は、百年かそこらだ。千年というのは——。


 ダンテは大きく動揺した。エメラに対して抱いていた疑問が、さらに大きく膨らんでいく。あの廃墟の神殿で出会った時から、普通ではないと思っていた。マナの扱い方、詠唱魔術、力の規模——どれも常識の外にあった。しかし千年という数字は、それらを全て飲み込んでしまうほどの重さがある。


 何から聞けばいいか分からない。ダンテは言葉を見つけられず、ただエメラの次の言葉を待つことしかできなかった。


「集落の名前はアル・ノア」


「俺たちの一族は、生まれた時からマナの総量が外界の人よりも何倍も持って生まれる」


「……何倍」ダンテがようやく言葉を絞り出した。


「どのくらいだ」


「人によって差はあるが、平均的な外界の魔術師と比べると……十倍から、二十倍程度は最低でもあると思う」


「それが一族全員か」


「ああ。守り人の一族は、世界樹の傍で生まれ育つことで、世界樹のマナの影響を受けながら育つ。それが体に蓄積されていく。生まれた時からそれが普通だから、俺たちはそれを特別だとは感じなかったけどな」


「ということは、お前は千年生きているのか」


「厳密には違う」


 エメラは首を振った。


「眠っていた時間が長い。目覚めていた時間と、眠っていた時間がある。実際に意識があって、世界を経験した時間は——もっと短い」


「それでも、相当な時間だな」


「ああ」


「俺が出会った時のお前は……ずいぶん長く眠っていたのか」


「詳しくはまだ把握しきれていないが、そうなるな。目覚めた時には神殿がすでに廃墟になっていた。それがどのくらいの時間を意味するのかは……」


 エメラは苦笑した。


「正直、想像したくなかった」


 ダンテはしばらく沈黙した。


「その集落に生まれたのになんでその神殿で眠ってたんだ?」


 ダンテが尋ねた。


「確かにあの神殿は森の奥深くにあって、なかなか人も獣も立ち寄らないような場所にはあったけど、外界から隔離されているというには少しおおげさじゃないか?」


 率直な疑問だった。エメラが語ったアル・ノアのイメージと、あの廃墟になった神殿のイメージが、うまく重ならない。世界樹の麓の、到達不能な聖地——そういう場所の話をしていたはずなのに、あの神殿はエメラが言うほど隔絶されているようには見えなかった。ダンテ自身が住処にしていたくらいだ。


「順を追って話すよ」


 エメラは少し考えてから言った。話す順番を整理しているような、間だった。


「人間や魔獣、動物や草木に至るまで、この世にはマナが宿っている。宿す量に大小はあるけどね」


「それは知っている」


 ダンテが頷いた。


「そして世界樹というのは、世界のマナの調和をしているといわれている。世界に溢れているマナは世界樹から産まれ、世界樹に回帰する。それを俺たちは見守り、時に管理する役割を、集落全体で行ってきた」


 エメラの声は淡々としていた。暗唱しているというより、ずっと昔から知っていた当たり前の事実を、改めて言葉にしているような語り口だった。


「そしてアル・ノアにいる人々は自らをいつからか守り人の一族と呼ぶようになったと聞いている」


「一族だけで世界樹を守って管理していたの?」


「ああ。一族と行って集落自体は結構大きかったからな、それに世界樹を守るのではなく、世界樹が生み出すマナの流れを守る、という意味だ。世界樹そのものは、俺たちが守るような代物じゃない。ただ、そこから流れ出るものが正しく循環するように、見守る。それが仕事だった」


「アル・ノアで産まれた子供たちは、生まれつき高いマナをさらに高めるために、幼少期から過酷な訓練をしていく。そして、それを次世代につないでいく」


「過酷な訓練というのは」


「外界の鍛錬とは根本が違う。体を鍛えるというより、マナの器を広げる訓練だ。無理に器を広げれば、体が悲鳴を上げる。適切な速さで広げなければ、力が暴走する。その均衡を保ちながら、少しずつ、少しずつ——それを子供の頃から続けていく」


「子供の頃から、か」


 ダンテの声には、どこか複雑なものが混じっていた。


「世界樹の恩恵もあると思うが、そういった常日頃の努力が、一族全体のマナの量が高い一因にもなっているんだろうと思う」


「そんなにマナを高くする必要はあるのか? とても強い魔獣でも出るとか?」


「いや、アル・ノアで魔獣は無かった……こともないか」


 エメラは少し言い直した。


「でも普通に暮らしているだけでは、魔獣に出会うことは無かった。日常的な危険という意味では、外界よりずっと穏やかな場所だったと思う」


「じゃあ、なんでそこまでマナを鍛える必要があるんだ」


「理由は主に2つだ」


 エメラは指を2本立てた。


「1つは、定期的に世界樹にマナを供給する必要があったこと。世界樹はマナを生み、世界へ巡らせる。一族が注いでいたのは世界樹を動かす燃料ではなく、流れの偏りを整えるための調律のマナだった。これは一族全体で行う、いわば集合的な仕事だ」


「そしてもう1つは——」


 エメラは少し間を置いた。

 

「一族の中でも特にマナの力が強く、固有のマナと親和性が高い者が選定されるんだ」


「選定……エレメンツの選定か」


「ああ」


 エメラは頷いた。


「選ばれた者はエレメンツと言われ、世界樹からの寵愛を一身に受ける。しかしその代わりに、命をかけて世界樹に尽くす運命を背負う。このエレメンツが、千年の周期で力を継承される」


「千年の周期」


 ダンテが繰り返した。


「ということは……今のお前たちが、ちょうど千年ということか」


「そうなる」


「継承を受けた者は、不老不死に近い存在となる。ジルヴェント商会の会頭が何百年も活動を続けているという話も、それで説明がつく」


「一族自体も基本的に長寿だった。目覚めてから知ったんだけど、外界と俺たちが呼んでいたこの世界の人達の3倍は生きれると思う」


「不老不死に近い、というのは」


「完全ではない」


「死なない、ということではなく——老いるのが極めて遅くなる。また、通常なら致命傷となる損傷にも耐えられるが、回復には長い眠りと大量のマナを必要とする。全てのマナを失ってしまえば分からないけどね。そして、それが俺が神殿で眠っていた理由の1つでもある——が、それはまだ後の話だ」


「順を追って、だったな」


「ああ」


 エメラは苦笑した。


「そのエレメンツに選ばれるために、一族は訓練を行う。選ばれるかもしれない、という可能性を持った子供が複数いて、全員が全力で鍛えていく。その過程で、脱落していった者も多い」


「脱落、というのは」


 ダンテが慎重に尋ねた。


「死んだ者もいる」


 エメラは静かに言った。声に感情的な揺れはなかった。しかしそれが逆に、何度も反芻してきた言葉のように聞こえた。


「マナの器を無理に広げようとした結果、体が耐えられなかった者。力の暴走を制御できず、自分を傷つけた者。訓練そのものではなく、訓練のための試練——外の世界に出ようとして、自分の力を証明する前に倒れた者も」


「子供が?」


「子供が」


 エメラは繰り返した。


「俺たちの一族にとって、それは当たり前のことだった。悲しまなかったわけではない。ただ——覚悟の上での訓練だという共通認識があった。誰もが選ばれたかった。誰もが世界樹のために尽くしたかった。そのために死ぬことを、恐れていなかった」


「お前も、恐れていなかったか」


 ダンテが静かに尋ねた。


 エメラは少し黙った。木々の間から差し込む光が、2人の足元を照らしていた。


「……子供の頃は、恐れていなかったと思う」


 やがてエメラが言った。


「今になって振り返ると、何も分かっていなかっただけかもしれない、とも思う」


 その言葉は、答えでも否定でもなく、ただ正直に置かれた言葉だった。


 ダンテは何も言わなかった。


「まあ、そんなこんなで俺はエレメンツに選ばれたが、ふとした事件がきっかけで、俺たちは神殿で眠りにつくことになったんだ」


 エメラは淡々と言った。まるで「そういえば昨日、宿で夕飯を食べた」と話すような口調だった。しかしその言葉の密度は、その軽さとは全く釣り合っていなかった。


 ダンテはしばらく黙っていた。


 整理する時間が必要だった。千年前に生まれた。世界樹の麓の集落で育った。エレメンツに選ばれた。そして——神殿に眠りについた。


 その神殿は、あの廃墟だ。ダンテが住処にしていた、森の奥の古びた石造りの建物だ。エメラが眠っていた場所だ。


「そうなのか」


 ダンテが言った。


「っていうか、神殿で眠りにつくレベルの話って——エレメンツになったエメラが死にかけたってことなんだろ?」


 ストレートな問いだった。しかしそれ以外の聞き方が、ダンテには思いつかなかった。


 エメラは少し間を置いた。


「そうだ、な」


 肯定だった。しかし「な」という一音の後に、何かが続きそうで続かなかった。エメラが言葉を選んでいるのではなく、言葉にする部分とそうでない部分を、今この瞬間に分けているような沈黙だった。


「あの件は……まだ解決してはいない」


 やがてエメラが言った。


「世界を回って、いつかは俺は世界樹の元に再び向かい、真相を知りたいと思っている」


「真相」


「まだ分からないことがある、ということか」


「ああ。俺が知っていることは、断片だ。眠りにつく直前に起きたことの全てを、俺は把握しきれていない。テラは知っているかもしれない。あるいは他の誰かが」


 エメラは街を見下ろしたまま話していた。その横顔は穏やかだったが、ダンテには分かった。穏やかさの下に、解決していない何かが、ずっとそこにある。


「そのためにも、テラが各地に残したメッセージを読みつつ、テラを追いかけているんだ」


 エメラは続けた。


「ジルや他の2人にも合流しないとな。まずはもっと手掛かりが必要だ」


「他の2人は……まだ何も分かっていないのか」


「ああ。水のエレメンツと、火のエレメンツ。名前は知っている。顔も覚えている。しかし今どこにいるのか、目覚めているのかどうかも、まだ分からない」


「ジルはジルヴェント商会という手掛かりがある。テラは石碑という手掛かりがある。他の2人は」


「今のところ、何もない」


 エメラは静かに言った。


「だから、歩き続けるしかない。会う人間の話を聞いて、訪れた土地で耳を澄まして、見たものを全部頭に入れて——いつか何かが繋がる日を待ちながら」


 語り終えたエメラは、ふう、とため息をついた。


 それは疲れたため息ではなかった。どちらかというと、長い間胸の中にあったものを、少しだけ外に出した時のような、静かな息だった。


 ダンテは肩の上で、エメラの横顔を見ていた。


 話を聞いている間、ダンテはエメラが語る以上の重さを、その言葉の裏に感じ続けていた。千年の生、選ばれた宿命、死にかけた事件、解決していない真相、行方の分からない仲間たち——一つ一つは断片として語られたが、それらが積み重なると、エメラという人間が歩んできた時間の密度が、じわじわとダンテの中に染み込んでくる。


 壮絶、という言葉が浮かんだ。


 しかしそれを口にしなかった。エメラが淡々と語ったのは、それを壮絶だと思っていないからかもしれない。あるいは、壮絶だと認めてしまうと、立っていられなくなるからかもしれない。どちらなのかは、ダンテには分からなかった。


「なあ、エメラ」


 ダンテが静かに言った。


「何だ」


「話してくれて、ありがとうな」


 エメラは少し驚いたような顔をした。ダンテが礼を言うのは珍しい。それはダンテ自身が一番よく知っていた。


「なんだ、急に」


「急でもない」


 ダンテは尻尾を揺らした。


「三年一緒に旅して、今日初めて少し分かった気がしただけだ」


「少し、か」


「千年分を一日で全部分かろうとするのは無理だろう」


 エメラは笑った。今日何度目かの笑いだったが、これが一番柔らかかった。


「そうだな。俺も全部は話せないし、全部は覚えていない。眠っていた間のことは特に」


「ゆっくり聞く」


 ダンテが言った。


「旅はまだ続くんだろう」


「ああ。終わる気配がない」


「なら、時間はたっぷりある」


 エメラはまた笑った。今度は声が出た。


「お前が時間はたっぷりあると言うのは、珍しいな。いつも急かすのに」


「急かすのは仕事が遅い時だ。話を聞くのに急ぐ理由はない」


「何かダンテが賢いことを言っている」


「俺はいつだって賢い魔獣だ」


 ダンテが言い放った。それがまた可笑しくて、エメラは少し肩を揺らして笑った。


「じゃあそのエレメンツの力を継承しているおかげで、エメラはそんなに強いんだな」


 ダンテが言った。今日聞いた話を整理するように、確認するように。


「俺は強くなんかないよ」


 エメラが答えた。


 それから少し間があって——


「それに、継承できてはいない」


 ぽつり、と呟いた。


 常人には聞こえないくらいの声で。


 ダンテの耳は、しかし確かにその言葉を拾った。


 継承できていない。


 その言葉の意味を、ダンテはすぐには問わなかった。問えなかった、というより——問うべきではないと感じた。エメラが今日話してくれたことは、たくさんあった。しかしその一言は、今日話してくれたどの言葉とも、少し質が違った。


 そっと置かれた言葉だった。誰かに聞かせるために言ったのではなく、自分の中にずっとあったものが、ふとした拍子に口から出てしまったような、そういう言葉だった。


 ダンテは深く触れることなく、黙っていた。


 2人の間に、しばらく沈黙が続いた。


 気がつくと、あたりが赤く染まり始めていた。


 西の空から、夕暮れが滲んでくる。山の稜線が黒く浮かび上がり、その上に橙色と紅色が重なっていく。ヴェルディアの街の屋根が、その色を受けて静かに輝いていた。


「そろそろ戻るか、グレゴールさんが待っているかもしれないし」


 エメラが促した。


「そうだな、早く言ってあげないとご飯の時間が遅くなっちゃうからな」


 ダンテが言った。


 それだけ言って、2人は丘を後にした。


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