ep14 組織の影1
「……ん……」
エメラは目を覚ました。
天井が見える。木の梁が組まれた、見慣れない天井だ。緑樹亭の、自分の部屋の天井ではない。しばらく、それを眺めていた。
「ここは……」
体を起こそうとするが、全身に鈍い痛みが走る。腕が重い。肩が重い。体全体が、深いところから疲れていた。
「起きたか」
横から声がした。顔を向けると、ダンテが枕元に座っていた。普段はもっとくつろいだ座り方をするのに、今は背筋を伸ばして、じっとエメラを見ていた。
「ダンテ……ここは?」
「緑樹亭の療養室だ。お前、森で倒れたんだぞ」
ダンテが言った。
「そうか……」
エメラはぼんやりと記憶を辿る。ファスたちを拘束して、警備隊が来て、そして——。
「ガレスさんたちが運んでくれたのか?」
「ああ。お前、相当マナを使い果たしてたからな。二日も寝てたんだぞ」
「二日も……」
エメラは驚いた。窓の外を見ると、昼の光が差し込んでいる。穏やかな空気だ。
「ファスたちは?」
「それが……結果的に言うと、ファスには逃げられた」
ダンテが言った。
「なんだって!?」
エメラは驚き、体を起こそうとして、痛みに顔を歪める。
「ファス達を連れて行った警備隊は偽物だった。何者かが巧妙に化けていたみたいだ」
「なんてことだ……あの時の逃げる算段は、援軍の時間を稼いでいたのか」
エメラは拳を握りしめた。あの時、ファスが時間を稼ごうとしていた理由が、今になって分かる。逃げ道を確保していたのではなく、仲間を待っていたのだ。
「俺の鼻でさえも欺かれた。多分かなりの手練れだ。もしあのまま敵の援軍と見破って戦闘になっていたら、危なかったかもな」
ダンテは悔しそうに言った。小さな体を、わずかに震わせている。自分の嗅覚が欺かれたことが、相当悔しいのだろう。
「それでも……」
エメラが言いかけると、ダンテが遮るように続けた。
「収穫はあった」
「収穫?」
「魔術師は捕まえることができた。今投獄されていて、あいつが何か情報を知っているかもしれないが……」
ダンテは一度言葉を切った。
「エメラを連れてこいだとさ」
「何? なんで俺なんだ?」
エメラは困惑した表情を浮かべた。
「分からない。エメラになら知っている情報を話してもいいと言って、頑なに警備隊の尋問には口をつぐんでいるらしい。エメラが目覚めるまで待つ、ということになった」
「そうか……わかった」
エメラは深く息をついた。
しばらく沈黙があった。ダンテは何も言わずに、エメラの顔を見ている。
「ダンテの体の調子はどう?」
「俺様は魔獣だぞ? あんな火球などまともに当たるはずないだろう。全て華麗にかわしたさ」
ダンテが胸を張って言った。
「(いや、何発か直撃してたじゃん)」
エメラはそう心の中で思ったが、ダンテのプライドを刺激するのはやめることにした。苦笑を浮かべながら、ダンテの頭を軽く撫でる。
「そうか、それなら良かった」
「……」
ダンテは何も言わなかった。ただ、撫でられるまま、じっとしていた。普段なら「よせ」と言うのに、今日は何も言わない。
それだけで、ダンテがどれだけ心配していたのか、少し分かった。
「もう大丈夫だ。ダンテ、準備をしよう。まずはグレゴールさんのもとへ報告だ」
エメラはベッドから降りようとした。まだ体は重いが、動けないほどではない。杖を手に取り、ゆっくりと立ち上がる。
「それから……魔術師に会いに行く」
エメラの目に、決意の光が宿った。
あの男は何を知っているのか。なぜエメラを指名したのか。全ての答えが、そこにあるかもしれない。
2人は宿を出て、グレゴールの待つ鉱山組合へと向かった。
町の通りは、以前と変わらぬ平穏な様子を見せていた。行き交う人々の表情は明るく、鉱山での事件を知る者は少ないのだろう。市場では野菜売りの声が上がり、パン屋の前には行列ができている。どこにでもある、平和な昼の風景だ。
だが、エメラの胸には重苦しいものが残っていた。ファスを取り逃がしてしまったこと。そして未だ見えない、黒幕の存在——。
ダンテはエメラの肩の上で、いつもより静かだった。尻尾の動きも少ない。
鉱山組合の屋敷に着くと、受付の女性がすぐに二人を応接室へと案内した。扉を開けると、グレゴールが立ち上がり、エメラを迎えた。その隣には、ガレスが座っている。
「エメラさん! 無事で良かった!」
「グレゴールさん、ガレスさん」
エメラは2人に軽く頭を下げた。グレゴールの顔に安堵の色がある。ガレスは——目の下に隈があり、顔色が良くない。肩が落ちている。
「まずは座ってくれ。色々と話を聞きたい」
エメラは椅子に腰を下ろした。ダンテはエメラの足元に静かに座る。
「カールさんは……無事なんですか?」
エメラが最初に尋ねた。
「ああ、ひどく弱ってはいたが、命に別状はないようだ」
グレゴールが安堵の表情で答えた。
「今は自宅で療養しておる。家族が付き添ってくれている。まだ起き上がるのは難しいようだが、日に日に回復しているとのことだ」
「それは良かった……」
エメラは胸を撫で下ろした。
「旦那のおかげだ」
ガレスが静かに言った。
「あんたがいなけりゃ、カールは死んでいた。鉱山もきっと崩落していた。本当に……ありがとう」
ガレスの声には深い感謝が込められていた。しかし同時に、疲労と悔恨の色も滲んでいた。目の下の隈が、何日も眠れていないことを物語っている。
「ガレスさん……大丈夫ですか?」
「ああ……大丈夫だ」
ガレスは無理に笑顔を作ったが、その目は笑っていなかった。
「ただ……自分の不甲斐なさを痛感している。カールの変化に気づいてやれなかった。ファスの野郎も。もっと警戒していれば……」
「ガレスさん」
エメラが静かに言った。
「あなたのせいじゃありません。相手は周到に準備していた。誰でも騙されたでしょう」
「でも……」
ガレスは言葉を詰まらせた。拳を握りしめ、唇を噛む。その姿に、エメラはそれ以上の言葉をかけなかった。
グレゴールが重々しく頷いた。
「これは単なる犯罪者の仕業ではない。組織的な動きだ」
「組織……」
「それについて、もう1つ悪い知らせがある」
グレゴールは机の上の書類を手に取った。
「ファスは、数年に渡って会計を携わっていた。表向きは勤勉で頭の回転も速かった。なので奴に任せっきりになってしまっていた」
「騒動の後に慌てて帳簿を調べたところ……とんでもない金額が流出していた」
「どのくらいですか?」
「少なく見積もっても……金貨で5千枚は超えておる」
「5千枚……」
エメラは息を呑んだ。途方もない額だ。
「巧妙に隠蔽されていました。少額ずつ、長期間に渡って抜き取られていたんです。採掘道具の購入費、鉱夫への給金、設備の補修費……様々な名目で水増しされた金額が記録されていた。そしてカールを操り、希少な金属を横流ししていたことも発覚した」
グレゴールは書類をめくりながら説明する。その手が、微かに震えていた。
「送金先は分かっているんですか?」
「それが……特定できておらん」
グレゴールは別の書類を取り出した。
「この金は、どうやら個人の懐に入っているようではなさそうだ。複数の送金を経由して、最終的には……何かの団体に流れているようだな」
「団体……」
エメラは眉をひそめた。
「詳細は不明だ。しかし、これだけの資金を必要とする組織……そして、高度な変化魔法を使える者を抱えている組織……ただの盗賊団や犯罪組織ではないであろう。もっと大きな、組織立った集団だと思われる。そして、その組織が……鉱山を潰そうとしていた」
「そういうことだ」
部屋に沈黙が落ちた。
ガレスは俯いたまま、拳を握りしめている。グレゴールは書類を見つめ、深いため息をついた。梁の上で鳥が鳴いた。その声だけが、しばらく部屋の中に流れていた。
「エメラ殿」
グレゴールが顔を上げた。
「あなたには本当に感謝している。カールを救い、鉱山を守ってくれた。この件はまだ終わっていない。こちらで調査しておこう。大事になる、国にも調査を依頼して、真相を必ず突き止める」
「分かりました」
エメラは頷いた。
「それで、1つお願いがあるんですが」
「何かね?」
「捕まえた魔術師に会わせてもらえますか? 彼が……俺を指名しているそうですね」
「ああ、そう聞いておる。警備隊の正式な聴取では重要部分を伏せ、『エメラに会わせろ』と繰り返すばかりで……」
「なぜ俺なんでしょうね」
「分からん。ですが、何か重要な情報を持っているかもしれない」
グレゴールは立ち上がった。
「何か心当たりはあるのかね?」
「いえ、毛ほどもありません。初対面ですし、あの男が何者なのかも全く心当たりがないですね」
「ご案内しよう。警備隊の管轄している牢獄へ」
エメラも立ち上がった。ダンテが足元でついてくる。
「ガレスさんも……一緒に来ますか?」
エメラがガレスに尋ねた。
ガレスは顔を上げた。その目に、決意の光が宿っていた。
「ああ、もちろん。俺も、真実を知りたい」
4人は屋敷を出て、町の警備隊詰所へと向かう。




