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翠色のアルケミスト  作者: 蜂兎類
第1部 ヴェルディア編
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ep10 暗躍スルモノ

隙間の向こうには、だだっ広い空間が広がっていた。


 天然の洞窟だ。天井は高く、壁は自然の岩肌がむき出しになっている。地面は平らで、歩きやすい。ランタンの光が届かない先まで、空間は続いていた。外の坑道とは空気が違った。閉じた空間特有の、澱んだ重さがある。


 そして、その洞窟の中央に——。


 もう1つ魔法陣があった。


 先ほどのものよりはるかに大きい。幾何学模様が幾重にも重なり、外縁から中心まで複雑な術式が描かれている。地面に刻まれた線は鮮明で、乾いた黒と赤の粉が混じり合い、低く脈打つように薄く光っていた。


「これは……何だ、誰の仕業なんだ」


 ガレスが思わず呟く。声が洞窟に反響し、同じ言葉がわずかに遅れて返ってくる。


 エメラは魔法陣に近づいた。慎重に、一歩ずつ。足を踏み出すたびに、地面に敷かれたマナの圧が足の裏にわずかに伝わってくる。触れられる距離まで近づき、しゃがんで観察する。


 魔法陣はまだ使用された様子がない。しかし、一定量のマナがすでに込められているのが分かった。準備された火薬が、火を待っている状態だ。


「これには……時限の術式が組み込まれている」


 エメラは呟いた。ダンテが立ち上がり、魔法陣の周りを静かに歩く。


「やっぱり。これ、先ほどの魔法陣と連動している」


 エメラが確信して伝えた。


「つまり、どういうことだ?」


 ガレスは魔法に全く無知なのだろう、皆目見当がついていない様子で訊ねる。


「この魔法陣が起動すると、他の魔法陣が連動して反応するように術式を組んであります。起爆装置——この鉱山を爆破させる仕掛けです」


「なんだと??」


 ダンテが反応する。その声はとても驚いている。


「ああ。間違いない。以前見たことがある。この魔法陣を起点に、他の魔法陣にマナを流す。マナは通した魔法陣に留まり、設定した時間になると施された術式を発動させる」


 それを聞いたダンテの全身の毛が、ぞわりと逆立った。


「こいつが爆発したら、鉱山全体が吹き飛ぶだけでは済まないかもしれない」


 エメラの顔から血の気が引いた。


「全体が?」


「ああ。威力を高める触媒が使われている。普通の爆発ではない。威力を何倍にも高めるように設計されている」


 ダンテは魔法陣を睨んだ。その琥珀色の瞳に、剣呑な光が宿る。


「カールの目的は、鉱山の破壊じゃ……ない。まさか……街ごと吹き飛ばすつもりなのか」


 ガレスは震える声で言った。昨日の夜、食堂で飲んでいた鉱夫たちの顔が、エメラの頭をよぎった。井戸の周りで水を汲んでいた女性たちの顔が。路地で走り回っていた子供たちの声が。


「止められるのか?」


 ダンテがエメラの肩に飛び乗り、問いかけた。エメラは魔法陣を見つめた。複雑な構造だ。術式の層が深い。


「やってみる」


「ダンテ、周囲を警戒しておいてくれ」


「分かった」


 ダンテはエメラの肩から降りて、洞窟の入り口付近で耳を立てた。


 エメラは魔法陣の前に膝をついた。六芒星の内部には複雑な文様が幾重にも重なり、その中心には爆裂の印が脈打つように明滅している。薄い赤みがかった光が、エメラの顔を下から照らした。


「まずは全体構造の把握、か」


 指先を陣から少し離してかざし、ゆっくりと外周をなぞっていく。魔力の流れが視える者だけが感じ取れる、微細な振動が指先を撫でた。


「外周は起動トリガー……いや、待て。この文様の配置は……」


 目を凝らす。六芒星の各頂点に刻まれた古代文字が、わずかに異なる輝度で光っていた。北の頂点が最も強く、そこから時計回りに光が弱まっていく。


「循環回路……だと? 普通の爆破陣なら単純な起動式でいいはずなのに、なぜわざわざ魔力を循環させる……ああ、そういうことか」


 エメラは苦い笑みを浮かべた。


「外周に触れた瞬間、循環が止まって暴発する仕組みか。つまり触れてはいけない。じゃあ内側から……いや、それも罠だな」


 視線を第二層の回路に移す。六芒星の内側、五芒星状に配置された文様は、外周とは逆——反時計回りに魔力を流している。


「逆回転……二重ロックか。外を止めれば内が反応し、内を止めれば外が暴発する。どちらから手をつけても……」


 額に汗が滲んだ。このままでは触れることすらできない。だが、必ず抜け道はある。トラップが仕組まれているのなら、必ず解除のやり方がある。設計した者が、起動できなければ意味がない。


「落ち着け。魔力は必ずどこかで結合している。2つの回路が独立して動いているように見えても、起動の瞬間には同期しなければならない。その接続点さえ見つければ……」


 エメラは陣の上に身を乗り出し、文様の1つ1つを精査していく。北東、東、南東——そして、南の位置で手が止まった。


「あった……ここだ。この結節点、2つの回路が交差している。なるほど……分かった、ここをこうすると……いや、待て。なんだこれは……これは根本的に違う……」


 エメラが術式の解析を始めてしばらく経ったとき——。


「誰か来る」ダンテが小声で伝えた。


 3人が同時に身構える。


「まだ少し距離は離れているが、3人の匂いがする。元来た道の方に向かっているかもしれない」


「あっちに隠れられそうな岩陰がある。2人ともついてきてくれ」


 ガレスが先導し、2人は追従した。岩陰に身を寄せ、息を潜める。ランタンの火は消す。洞窟が暗くなり、遠くの魔法陣の光だけが、微かに辺りを照らした。


 数分後、3人の人影が広場に姿を現した。


「カール……!」


 ガレスが小さく呟いた。1人はカール、もう1人も見覚えがある顔——グレゴールさんと応接間で話をしていた時に割り込んできた、ファスと名乗る男だった。もう1人は見知らぬ顔だ。


 エメラがガレスに目配せする。ガレスは首を横に振る。知らない人間だ。


 3人は息を殺して、広間の入り口近くの岩陰から様子を窺った。


 鉱山の奥深く、採掘が放棄されたその広い空間に、3つの人影があった。


 ファス。その横に立つ魔術師の男。そしてその後方に——カールが、うつろな目つきで佇んでいる。正気ではない。薬か、洗脳魔法か、何かかけられているようだ。


「そろそろ潮時かもしれんな」


 口を開いたのはファスだった。


「グレゴールのやつ、冒険者に鉱山の調査を依頼しやがった。もう少し稼ぎたかったが、厄介なことになる前に逃げた方がよさそうだ」


「冒険者風情に怯えすぎなんじゃないですかねぇ」


 魔術師の男が小馬鹿にしたような口調で言った。


「お前は昨日の晩の出来事を知らんからそう言える」


 ファスは苛立ちを滲ませて言い返した。


「昨日の魔術で重体の鉱夫の命が助かったってやつですかい? 高位の魔術師なら出来ることでしょう」


「いや、違う。あいつの力は異常だった」


 ファスは険しい表情で首を振った。


「本部勤めの高位神官でも、杖一本であそこまでの癒しの力は使えん」


「それはありえないでしょう、旦那」


 男は鼻で笑った。


「魔術ってのは魔法陣を描き、触媒を使って行うものだ。魔術師によっちゃ体に魔法陣を刻んで、描く手間を省く者も多い。触媒に杖を使う者も珍しくはない。だがな、高位神官クラスの回復魔術をホイホイ使えるやつが、わざわざ冒険者なんて危険な稼業につくわけがねぇ。そんな力があれば、もっと安全に稼げますからねぃ」


「それに」


 男は続けた。


「いくつもの魔術をそいつは使ったって聞いてますが、魔法陣を複数体に刻むのは相当な痛みと時間を要する。若造の冒険者がそこまでやってるとは思えませんぜ」


「そうだ。しかも奴は聞くところによると魔法陣を使用していない」


 ファスの声が低く沈んだ。


「……何ですって?」


 男の表情が、初めて変わった。


「部下からの情報だ。魔法陣も使わず、詠唱の術で重傷者の傷を完全に塞いだ。しかも1人だけじゃない。立て続けに3人だ」


 沈黙が落ちた。壁際でぼんやりと立っていたカールが、意味もなく首を傾げる。


「それが本当なら……」


 男は唾を飲み込んだ。


「そいつは規格外ってことですかい」


「ああ。だからこそ、今すぐここを畳む。グレゴールが冒険者を雇ったということは、奴らがこの鉱山に来るのも時間の問題だ」


 ファスは立ち上がり、部屋の隅に置いてあった革袋を掴んだ。


「お前もさっさと準備しろ」


「じゃああっしとの契約はここまでってことでいいんですかい?」


「ああ、残りの報酬は最後の仕事を終わったら渡してやる」


 岩肌を削った仮設の作業場で、ファスが苛立ちを隠そうともせず魔術師を睨みつけた。


「大体貴様が魔法陣を準備するのが遅すぎるのだ」


 床一面に描かれた複雑な紋様は淡く光り、空気には焦げたようなマナの匂いが漂っていた。


「今回必要な爆発は規模が違いやすからねえ」


 魔術師は手を止めず、どこか気の抜けた口調で答えた。


「通常の魔法陣1つでは、あっしのマナではとても依頼通りにはいきやせん。なので——相克魔法陣というやり方を使わせていただきやした」


 その言葉に、ファスは眉をひそめた。


「相克魔法陣? なんだそれは」


 魔術師はようやく手を止め、床に描かれた紋様を杖の先で軽く叩いた。


「中心の魔法陣とは別に5つの魔法陣で囲い、互いが作用しあい、威力を何倍にも——術者によっては何十倍にも高められるものでさあ」


 魔法陣がまるで呼応するかのように、中心の陣が低く唸るような振動を発した。空気が重く沈み込み、地面の砂がわずかに跳ねる。


「この魔法陣を書ける者は滅多にいないんですぜ?」


 魔術師は口の端を上げ、誇らしげに胸を張る。


「まあ、あっしはかなりの経験値を持つ魔術師ですからねい」


 ファスは腕を組んだまま、光を増していく魔法陣を見下ろした。


「それにこの魔法陣は、基本的に平坦な開けた場所で組みやす。今回みたいに鉱山の中という特殊な条件下じゃあ、話がまるで違いやす。隠れながらの作業で、魔法陣も見つからないようにしないといけやせん」


 岩壁に刻まれた補助陣は、ぱっと見ではただの採掘跡にしか見えない。だが一定の角度から光が差すと、線と線が繋がり、六重構造の相克式が浮かび上がる仕組みだった。


「試行錯誤して完成させやした」


 その声音に、わずかな疲労が滲む。


「まぁ、何度か失敗した分の証拠隠滅で、崩落事故を起こしちまいましたがねぇ。人死にが出なかったのが救いでさぁ。後味がよくないんでねい」


 一瞬だけ、魔術師の視線が暗がりへ落ちた。崩れた支柱の軋み、土煙——それらを振り払うように、彼は再び口元を吊り上げた。


「それでも、ここまでの相克魔法陣を作れるのは中々いないって自負しておりやす」


「分かった分かった」


 ファスはうんざりしたように手を振った。


「能書きはいい。制御を誤るなよ。次に崩れるのがこの坑道とは限らんのだからな」


 低く釘を刺すと、彼は出口の闇へと視線を向けた。


「そろそろ指示された時間だ」


 ファスが低く呟き、カールの方へ歩み寄った。


「カールよ、貴様は触媒となり、この鉱山と共に眠るがいい」


 そう言うと、ファスはナイフを取り出した。


 エメラ達はそれを見て、岩陰から飛び出した。



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