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第2章―1 ガナへの道中

馬車は山道を下り始めていた。


 ヴェルディアの街が背後に遠ざかっていく。石造りの家々が、やがて木々の間に隠れた。鉱山の煙突が最後まで見えていたが、それもやがて山の稜線の向こうに消えた。


 荷台には、エメラの他に3人乗っていた。


 歳は50代だろうか、丸みのある体格の男だった。頭に帽子を乗せ、厚手のコートを着込んでいる。膝の上には大きな革鞄があり、それを両手で抱えるようにして持っていた。旅慣れた様子で、荷台の揺れにも慣れている。


 しばらく互いに無言だったが、最初に口を開いたのは男の方だった。


「兄さんは、ヴェルディアに長くいたのですか?」


「5日ほどですね」


 男の問いにシンプルに答える。


「短いな。通りすがりですかい」


「まあ、そんなところです。あなたは?」


「私は商売でしてね、定期的にこの街と麓の間を往復しております。主にここの鉱石を取り扱っております」


 男は帽子を少し直しながら言った。


「グレゴールの旦那にはいつも世話になってます。良心的なお方でね、この業界ではああいう人は珍しい」


「そうですね、いい方でした。短い付き合いですがとてもよくしてもらいました」


 エメラは素直に同意した。


「お連れさんはその……」


 男がエメラの肩に視線を向けた。


「随分と可愛らしい猫をお持ちで」


「猫ではない」


 ダンテが即座に反応する。


 男が目を丸くした。帽子が少し傾いた。


「喋った」


「喋る。魔獣だから」


 ダンテは不満げに続けた。


「猫に見えるのは分かる。しかし俺は魔獣だ。猫ではない。体格が似ているだけで、全くの別物だ」


「こ、これは失礼を」


 男は慌てて帽子を取り、頭を下げた。本気で謝っているようだ。


「まあ、いい」


 ダンテは尻尾をぱたりと揺らした。


「お前が悪いわけではない。見た目の問題は認めている。ただ、猫と呼ぶのはやめろ」


「了解しました、魔獣殿」


「ダンテでいい」


「ダンテ殿、かしこまりました」


 男はもう一度頭を下げた。エメラは口元を押さえて笑いを堪えた。


「俺はエメラです。冒険者をしています」


「俺はポルタといいます。行商人です。以後よろしく」


 ポルタは改めて自己紹介し、革鞄を少し膝の上で持ち直した。


「グレゴールさんからは聞いています、道中よろしくお願いしますね」


 馬車は山を下りながら、緩やかなカーブを繰り返していた。山道は整備されているが、それでも揺れは大きい。木々の間から時折、遠くの谷が見える。


「ダンテ殿は、エメラ殿のパートナーということですかな」


「まあ、そうなるな」


「魔獣をパートナーにされている方は最近珍しくもありませんが、人語を操るというのは訓練が大変だったでしょう」


「俺が訓練を受けたわけではない」


 ダンテが即座に返した。


「俺は賢いからな。訓練などせずとも人間の言葉なんてすぐに覚えた」


「なるほど」


 ポルタは興味深そうに頷いた。


「聞いた話では、長く生きる魔獣ほど強く、賢くなっていくとか。つまりダンテ殿もそれなりの長い生を歩まれてこられたのかな?」


「普通の魔獣ならそうかもな。まあ俺は特別だがな」


「ほお」


「俺は生まれたからずうっと賢いんだ」


「それに強い、俺の牙はあらゆる悪を噛み砕き、爪は全ての脅威を切り裂ける」


「はっはっは、なるほどなるほど。ではダンテ殿はとても希少な魔獣なのですな」


「そうだとも、もっと崇められてもいいくらいだ」


 ダンテのドヤ顔をみてポルタにいたずら心が芽生える。エメラに目配せすると、エメラはすべてを悟ったように無言でうなずいた。


「なるほど。でしたらダンテ殿の素材はとても高く売れそうですな」


「毛並みもいい、毛皮など数が取れないから、とても希少価値が生まれそうだ」


「え?」


 ダンテはとても驚いたような顔をしている。横でエメラは必死に笑いを堪えている。


「全てをかみ砕く牙、全てを切り裂く爪、これが事実なら一財を築けるかもしれませんな」


「ダンテ殿、ぜひとも私と一緒に街へと向かいましょう」


 満面の笑顔迫るポルタを見て、ダンテは怯えだす。


「エ、エメラ」


 言うやいなやエメラの方に登り、フードの中に隠れてしまった。


「わっはっはっは、少し冗談が過ぎましたな、申し訳ない」


 フードの中で怯えているダンテを撫でながら、エメラも笑っている。


「ごめんごめん、そんなに怯えなくてもポルタさんはそんなことしないよ」


「悪ノリが過ぎましたな、お詫びといってはなんですがエメラさん、ガナに何日滞在される予定ですか?」


「カルタに行く馬車次第にはなりますが、余り長居する予定ではないですね」


「なるほど…よければ私の仲間の行商人を紹介しましょう、カルタまで何日かの工程になります。昼夜問わず移動をするので、よければそちらも護衛ついでに乗っていかれませんか?」


「それはとてもありがたい申し出ですが、そちらのお2人を差し置いて俺が護衛についてもいいんですか?」


「はい、あくまでもこの2人は今回私との契約での護衛ですし、なによりまだ雇用契約期間がありますので、契約期間中は私と行動を共にします」


「なるほど……」


「ガナに着きましたらカルタ方面の仲間を紹介いたしましょう。ご存じかと思いますが、その際ギルドで(セイラントの契約書)にサインしていただく形になりますがよろしいですか?」


「エメラ、それって」


「ああ、トルクの話にも出てきた契約書だな。ちゃんとギルドで契約するから大丈夫」


 ダンテが心配そうに耳打ちしてくる。が、セイラントの契約書自体はちゃんとした雇用の契約等にも使用するため害はない。契約内容を読み、違法な条項や不利な条件を見落とさなければ。


「ぜひ、よろしくお願いします」


「よかった、私もエメラさんはお強いとグレゴールさんが太鼓判を押しておりましたので、護衛していただければ心強いとおもっていたところでしたので」


「ガナで一泊されるなら中心の街道沿いの『渡り鳥亭』が無難ですよ。清潔だし、値段も良心的だ。飯も悪くない」


「飯」


 ピクリとフードで怯えた魔獣が反応している。


「そこの料理は何がおすすめなんだ」


「はい、そこは羊の肉をふんだんにつかった料理が自慢のお店で、特に夕食に出る羊のステーキは絶品ですよ」


「エメラ、俺はそこに決めたぞ、街に着いたらすぐに宿に行こう」


「すぐにってお前、宿についても夕食の時間まではまだまだあるだろうから、それまで街を散策するぞ」


「嫌だ、すぐにでも食べたいおなか減った」


「今は手元にサンドイッチならあるけど、今食べちゃったらお昼にまたお腹が減ったとか言い出すだろどうせ」


「ん~羊のステーキを食べたいがサンドイッチも食べたい」


「まだ駄目だ、あまり食料買い込んでないんだから街に着くまで我慢しなさい」


「え~~食べたい!」


「うるさいなあ、お腹減ってるならその辺で魔獣でも狩ってきなさい」


 エメラが言い放った瞬間、フードの中からダンテが顔を出した。


「狩ってくる」


「え、本当に?」


「本当だ。腹が減っている。この体でも小さな獣くらいなら仕留められる」


 ダンテはフードから出て、エメラの肩に移った。山道の脇を眺め、鼻をひくつかせ始める。


「待って待って」


 エメラが慌てた。


「走っている馬車から飛び降りるつもりか」


「問題ない」


「問題ある。跳ね返されるぞ」


「俺の脚力を舐めるな」


「舐めてないが心配している」


「ではサンドイッチをよこせ」


「さっき駄目だと言っただろう」


「お前が狩りに行けと言ったんだ。どちらかにしろ」


 ポルタが笑いを堪えながら2人のやり取りを見ていた。馬車の揺れが激しくなった瞬間、ダンテがバランスを崩して少し傾いた。エメラが咄嗟に手で支える。


「今馬車から降りたりしたらポルタさん達に迷惑がかかるだろ。ほら、大人しくしていなさい」


「ご飯食べたい」


 そう言うとダンテは渋々エメラの肩に落ち着いた。


「サンドイッチ、1つだけだぞ」エメラが言った。


「2つだ」


「1つ半」


「……それでいい」


 エメラは荷物から包みを取り出し、サンドイッチを半分に割いてダンテに渡した。ダンテは素早くそれを受け取り、黙って食べ始める。


「半分だとあっという間だな」


 ダンテが数口で食べ終えながら言った。


「自業自得だ」


「……残りはいつ食べる」


「昼に食べる」


「今が昼じゃないのか」


「まだ朝だ」


「嘘をつくな、もうかなり経っている」


「そうですねえ……」


 ポルタは空の位置を確認した。


「まだ昼前でしょう。昼まであと一刻ほどかと」


「聞いたか」


「……一刻なんてすぐだ」


「すぐじゃない」


「俺の体感では短い」


「お前の体感は信用できない」


 ダンテは不満そうに鼻を鳴らし、尻尾でエメラの首筋をぱたぱたと叩いた。ポルタがとうとう声を立てて笑った。


「仲が良いですなあ、お2人とも」


「エメラが鞄で食料を管理しているから仕方なく従っているだけだ」


「お前が食料を際限なく食べるから俺が管理せざるを得ないんだ」


 エメラが返した。


「俺は適切な量を食べているだけだ。魔獣にはそれなりのカロリーが必要なんだ」


「適切な量を食べる者は、次の食事まで我慢できる」


「俺は繊細な魔獣なんだ。血糖値が下がると機嫌が悪くなる」


「機嫌が悪い時を見たことがない」


「今まさに機嫌が悪い」


「見分けがつかない」


 ダンテがエメラを睨んだ。エメラは涼しい顔で前を向いていた。


「……サンドイッチの残りをよこせ」


「昼まで待て」


「半分だけでいい」


「さっき半分あげた」


「あれは間食だ。本来の分は別だ」


「間食と本来の分の区別がお前の中でどうなっているのか全く分からない」


 ポルタがハンカチを取り出して目を押さえていた。笑い過ぎて涙が出ていた。


「お2人は……毎日こんな感じなんですかい?」


「う~ん、そうです」


 エメラが答えた。


「だいたいそうだ」


 ダンテも認めた。


「もっとも俺の方が常に正論を言っている」


「俺の方が正論だ」


「お前は食事を制限する悪の組織だ」


「悪の組織に世話になっている自覚はあるのか?」


「……ある」


「よろしい」


 しばらく沈黙があった。


 馬車が大きく揺れ、ダンテが肩の上でよろけた。今度はエメラが支える前に、ダンテ自身が体勢を整えた。


「慣れてきたな、馬車の揺れに」


 エメラが言った。


「慣れるのに時間はかからない」


 ダンテが言った。少し間を置いてから付け加えた。


「腹が減っていなければもっと早かった」


「そこに繋げるか」


「繋がっているんだ、腹具合と思考は」


「哲学的なことを言い出した」


「哲学ではない、生理現象の話だ」


 ポルタがまた笑った。それから何かを思い出したように革鞄を漁り始めた。


「そういえば」


 ポルタが鞄の奥から小さな包みを取り出した。


「こんなものを持っていましたわ。旅のお供に、と女将に持たせてもらったんですが——お2人もよければ」


 包みを開くと、乾燥させた果物と、小さな固い菓子が入っていた。木の実を砂糖で固めたような、保存の利く携帯食だ。


「ポルタさん、いただいてもいいですか」


「もちろん、どうぞ」


 エメラが1つ手に取ると、ダンテが素早く視線を向けた。


「木の実の菓子か」


「食べるか?」


 エメラが1つダンテに差し出した。


「……食べないという選択肢は無い」


 ダンテは受け取り、一口で食べた。数秒の沈黙。


「美味い」


「そうか」


「もう1つ」


「ポルタさんのだぞ」


「ポルタ、もう1つもらっていいか」


「どうぞどうぞ」


 ポルタが笑いながら包みをダンテの方に向けた。


「ありがとう」


 ダンテが礼を言った。珍しいことに、素直に。


「ダンテが素直に礼を言った」


「食べ物をくれた相手には礼を言う」


「それくらいの礼儀はある」


「俺には言わないな」


「お前からもらうのは当然だからだ」


「当然?」


「旅の相棒だからだ」


 エメラは少し黙った。


 それから、小さく笑った。


「……そうか」


「変な顔をするな」


 エメラの綻んだ顔がおかしかったのだろうか。


「変な顔はしていない」


「している」


「していない」


「口元が緩んでいた」


「気のせいだ」


 ポルタは黙って2人を見ていた。その顔に、温かい笑みがあった。


「グレゴールさんが太鼓判を押すはずですなあ」


 ポルタが言った。


「どういう意味ですか?」


 エメラが聞いた。


「いえ、なんとなく」


 ポルタは笑った。


「信頼できるお2人だということが分かりました」


 馬車の揺れが一定のリズムになってきた頃、エメラはふと思い出したように口を開いた。


「ポルタさん、1つ聞いてもいいですか」


「なんですかい」


「ジルヴェント商会、ご存知ですか」


 ポルタは一瞬きょとんとした顔をした。それから、少し可笑しそうに笑った。


「ジルヴェント商会を知っているかって?」


「はい」


「エメラ殿、私が商人かどうか関係なく——大人でジルヴェント商会を知らない者はいませんよ」


 ポルタは帽子を少し直しながら続けた。


「この世界で商売をしている者なら、否が応でも名前を聞く機会がある。しかしそれ以前に、商人じゃない一般の方だって知ってる。それくらい大きな商会ですよ」


「そうですか」


「それどころか」


 ポルタは荷台の荷物を軽く叩いた。


「この荷物だってそうですよ。ヴェルディアの鉱石が、最終的にどこに流通するか——大本を辿ればジルヴェント商会が絡んでいる。俺はその末端の末端みたいなもんですよ」


「そんなに広く」


「そういうことです。世界中の商業網に、あの商会の指がどこかしら触れている。完全にジルヴェント商会と無関係の商売を成り立たせる方が、今の時代は難しいかもしれませんな」


 エメラは頷きながら聞いていた。


「実は——」


 エメラは少し言い方を選んでから続けた。


「今回アストリアへ向かうのも、ジルヴェント商会と関わりのある者を探しているのが理由の1つなんです」


「ほう」


 ポルタが興味深そうに言った。


「商会の方と知り合いなんですかい」


「知り合い、かどうかは……まだ分からないんですが。縁がある人物がいると聞いて」


「アストリアなら商会の大きな支部がありますよ。情報を集めるなら、まずそこに行くのが早いでしょうな」


「そうなんですね。アストリアに着いたら是非そうします」


「それにこの護衛の二人も、実は商会から紹介してもらったんですよ」


 ポルタが顎をしゃくった先には、馬車の前方で並んで座っている2人の護衛がいた。どちらも無口で、前を向いている。


「商会から紹介された護衛?」


「ええ。グレゴールの旦那が手配してくれましてね、商会の伝手で信頼できる者を——と」


「……商会から紹介」


 ダンテが繰り返した。


 少し間があった。


「ふっ」


 ダンテが小さく噴き出した。


「何がおかしいんだ、ダンテ」


 エメラが首を傾げた。


「いや」


 ダンテは笑いを堪えようとしながら言った。


「よりによって、探している商会の紹介した護衛と同じ馬車に乗って、その商会の話をしているのが可笑しくてな」


「……言われてみれば」


 エメラも苦笑した。


「こういうのを縁と言うんじゃないですかな」


 ポルタが笑った。


「世界は案外、狭いもんですよ」


「ジルヴェント商会が絡むと特に狭くなりますな、世界が」


 ダンテがもう一度、くつくつと笑った。


 しばらく走ると、道が少し広くなった。


 山の傾斜が緩み、視界も開けてくる。


 エメラは荷物を漁り、グレゴールから渡された革ケースを取り出した。


「ポルタさん、少し見ていただいてもいいですか。地図を確認したくて」


「ええ、もちろん」


 エメラはケースの蓋を外し、中の巻物を広げ始めた。


 ポルタが覗き込んで——固まった。


 帽子が傾いた。口が半開きになった。膝の上の鞄がずり落ちかけたのを、反射的に掴み直す。


「……エメラ殿」


「はい」


「それ、もしかして」


「世界地図です。グレゴールさんからいただきました」


「…………」


 ポルタは数秒、黙った。目が地図と、エメラの顔を交互に行き来する。


「グレゴールの旦那が、そんなものをお持ちで」


「驚かれましたか」


「驚きますよ!」ポルタは小声で、しかし力強く言った。


「エメラ殿、これは——これは一般に流通しているようなものじゃないですよ。どれくらい貴重か分かってますかい?」


「はぁ、なんとなくは」


「なんとなくじゃ困ります」


 ポルタは身を乗り出した。


「世界地図というのはね、王侯貴族でも簡単には手に入らない。軍が国家機密扱いにしているものです。一般的に手に入る地図は精々大陸1つ分が描かれているものが関の山です。金貨がいくらあっても買えない。そんなものを、馬車の中でさらっと広げちゃいかんですよ」


「なるほど、ご指摘はもっともです」


 エメラは素直に頷いた。


「この馬車の中は——まあ、俺と護衛の2人だから、俺が信用できると判断した人間しかいない。だから今回はいいですよ。でも」


 ポルタは声をさらに低くした。


「公共の場では絶対に出してはいかんです。宿の食堂とか、酒場とか、人目のある場所では特に。流れの傭兵が見ていたら、命がけで奪いに来るかもしれない。地図一枚で、一生遊んで暮らせるほどの価値がありますからね」


「……それほどですか」


「それほどです」


 ポルタは頷いた。


「鍵のかかる部屋の中、信用できる相手だけの場で使う。それを徹底してください」


「分かりました。気をつけます」


「グレゴールの旦那も、もう少し言い含めてくれればよかったんだが——まあ、旦那は気前がいいから、そういう細かいことを言い忘れるんでしょうな」


 ポルタは苦笑した。


「ありがとうございます、教えていただいて」


「いやいや、これは大事なことですから」


 エメラは地図を慎重に巻き直し、革ケースに収めた。今度はコートの内側ではなく、荷物の一番奥、他の荷物に挟まれた場所に収める。


「賢明です」


 ポルタが頷いた。


「そういえば、荷物を整理していて気になったんですが——この鞄、少し古くなってきていて」


 エメラは足元の旅行鞄を持ち上げて見せた。確かに、革の色が褪せ、縫い目の一部がほつれ始めている。3年の旅の痕跡だ。


「買い替えを考えているんですが、何かいいものをご存知ですか。行商人として、荷物に詳しいと思って」


「おお、それは任せてください」


 ポルタは嬉しそうに身を乗り出した。商人の本領発揮、とでも言いたげな顔だ。


「まずどんな用途に使いたいですか。旅全般ですかい?」


「そうです。長期の旅で、野営もするし、街に入ることもある。荷物が多い時も少ない時もある」


「なるほど」


 ポルタは顎を撫でながら言った。


「じゃあガナに着いたら、俺の知り合いの皮革屋を紹介しましょう。あそこの主人は腕がいい。旅人向けの鞄を専門で作っていて、丈夫さと軽さのバランスが良いものを置いてます」


「それはありがたい」


「値段もぼったくらない。俺の紹介なら、少し安くしてくれるはずです」


「助かります」


 その言葉を聞き、エメラは嬉しそうに頷いた。


「どんな鞄がいいですかい。背負えるものがいいか、手持ちがいいか」


「背負えるものが助かります。両手が空く方が動きやすいので」


「なるほど。あと、隠しポケットはあった方がいいですよ。貴重品を入れるための、外からは見えない仕切りがついているやつです。旅人なら必須と言っていい」


「確かに」


「水に強い加工がしてあるやつも、野営が多いなら必要ですな。革の素材によって変わりますが、魔獣の皮を使ったものは耐久性が段違いです」


「そうですねそのあたりもひっくるめて皮革屋さんにそうだんしてみますね」


 鞄談議で盛り上がっていると馬車が大きなカーブにさしかかる。ゆるやかだが、ほぼぐるりと一回転しながらゆるやかな傾斜を下る


 馬車がカーブを曲がったところで、ポルタが何かを見つけ、急に声を潜めた。


「あそこ」


 ポルタが顎で示した先——山の斜面、木々の間に、何かが動いていた。


 遠目だったが、エメラには分かった。大きい。馬よりも一回り大きい体躯が、木々の間をゆっくりと歩いている。岩のような灰色の体毛、低い重心、四本の太い足。


「魔獣ですね」


 エメラが静かに言った。


「ああ、この山道じゃたまに見かけます」


 ポルタが囁くように言った。


「近づいてはこないですがね、こっちから刺激しない限りは」


 ダンテの鼻がひくついた。


「あの体格は——石山熊の類いだな。縄張りを歩いているだけだ。こちらには気づいているが、馬車を脅威とは判断していない」


「よくそこまで分かりますな」


 ポルタが言った。


「匂いだ。警戒している匂いはしない。ただ歩いている匂いだ」


「石山熊、ですか」


 ポルタが遠目に魔獣を眺めながら言った。


「あれの爪は加工すると、よく切れる刃物となるので、素材価値は高いですね。皮なんかも、鞄や防具の素材に使われますよ。あのサイズの個体なら、大きな鞄が2つ3つ取れる」


「ただし、あれは危険個体じゃない。依頼がない限り手を出すべきじゃないです。ダンテもちょっかい出したら駄目だぞ」


「分かってる。しばらく空腹は我慢できるしもうすぐ昼飯だ、俺は我慢できる魔獣だ」


「いや、その体だと負けちゃうでしょ」


「負けない、本気出せば。ただここで飛び出したらポルタに迷惑をかけるかもしれないから我慢しているだけだ」


「だから、昼まで我慢すると決めたんだ」


「(昼ごはんのサンドイッチはさっき食べたから無いんだけどな)じゃあダンテ、お昼になったら起こしてあげるから少し昼寝してなよ」


「そうだな、ちゃんと飯の時間なったら起こしてくれよ」


 そのやりとりにポルタは笑ってる。 石山熊は木々の間を進み、やがて視界から消えた。


 馬車の揺れだけが、また戻ってきた。


「やはり、魔獣がでると少し緊張しますね」


「慣れますよ、」


 エメラが言った。


「冒険者だから言えますな」


 ポルタが苦笑した。


「いや、ダンテのおかげで慣れた部分も大きい。こいつが危険かどうかをすぐに判断してくれるので、それにさっきの熊もこっちを全く気にする気配も感じなかったので襲われる心配はありませんでしたね、護衛の方々もそれは感じていたようですね」


「気配ですか、私たち商人にはあまり分からない間隔ですな。それにダンテ殿の危険察知能力も頼もしい」


「頼もしいだろう」


 ダンテが少し得意げに言った。


「俺の鼻は伊達ではない」


「ダンテ殿、猫ではなく魔獣だと言っていたが——改めて、どういった種の魔獣なんですかな」


 ポルタが純粋な興味で尋ねた。


 ダンテは少し間を置いた。


「黒焔豹の一族だ」


「黒焔豹……」


 ポルタが眉をひそめた。


「聞いたことはありますな。しかし確か、もっと大きい魔獣では?」


「これが本来の姿ではない、と言っておく。詳細は聞くな」


 ダンテは素っ気なく言った。


「寝る」


「……了解しました、ダンテ殿」


 ポルタは賢明にもそれ以上追及しなかった。商人として長年人と付き合ってきた経験が、今踏み込むべきではないことを教えたのだろう。エメラは肩の上のダンテをちらりと見た。ダンテは前を向いていた。その耳が、わずかに傾いている。


 しばらく走ると、道の端に小さな川が見えてきた。山から流れ下ってきた水が、街道沿いに細く続いている。御者が少し速度を落とした。


「もうすぐ小さな橋を渡ります。その先からは下り勾配が緩くなりますよ。ガナまであと1時間ほどでしょう」


「1時間か、昼になるな」


「まずは腹ごしらえからだな、もう羊を味わう準備は出来ているぞ俺は」


「駄目です、まずは宿から。予約もしてないからね。荷物も置きたいし」


「え〜、荷物を置いている間に、俺の腹がさらに減る。食べ物屋探さないと駄目だしも混むだろう」


「そうだ、俺が食べ物屋を探す。エメラは宿屋の手続きをすれば解決だ!頭いいだろう」


「魔獣の単独行動は禁止されてるだろ?お前はそれで前も怒られたじゃないか」


「……あ、そうだった」


 ダンテは以前、港町で水揚げされている魚に飛びついてこっぴどく漁師に怒られた経験をもつ。エメラも責任者として連帯で怒られてしまい、苦い経験をもつのにこの食欲旺盛な魔獣はすっかりその事を忘れている、またはあまり反省していないようだ。


「もう俺はこの歳であんなに怒られたくはないぞ、網代も弁償したし」


「分かった、ちゃんと我慢する」


「それでよろしい」


 ちょっとシュンとしたダンテをみて、エメラは少し安心もした。

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