温知政要②
宗春の政策は『形式よりも中身を大切にした(例:仁・「まこと」を重視する 温知政要・條々二十一箇条 等)
意味のある祭りを盛んにし、奨励した(例:東照宮祭・名古屋祇園祭(天王)・盆踊り 等)
人道に反する祭りは禁止した(例:梁川の正月の水掛け、国府宮の裸祭厄男 等)
奪い合うことや義に合わぬことを禁止した(例:條々二十一箇条 等)
自分の身にあった遊びは大切であるとした(例:遊廓・芝居・見世物 等)
法律や規制は少ないほうが良いとした(例:規制緩和 温知政要・條々二十一箇条 等)
簡単なミスの訴状等の書類を差し戻さず受け入れるように指示した(例:條々二十一箇条 等)
衣服・家・持ち物等は禁制のある物以外は自由にした(例:條々二十一箇条 等)
心を込めた贈答・饗応を大切にした(例:條々二十一箇条 等)
庶民と上級藩士が出会う場を提供した(例:御下屋敷や市谷邸のお披露目 等)
商人との対話を積極的にした(例:岐阜巡行・乾御殿や御下屋敷滞在時)
六斎市の奨励(歴代藩主の中で、許可した例が突出して多い)
庶民が喜ぶことをした(例:奴振り・白牛・漆黒の馬と衣装・派手な衣装)
社会的な弱者を大切にした(例:女性・子ども・身分の低い者の保護)
死刑をしなかった』
この辺が、オラの思考と合うだよ(ノ◕ヮ◕)ノ*.✧
『そして家訓でもある『温知政要』を執筆し、上級家臣に配布した』
これは、藩主としての決意表明だねw
ーAI回答ー
んだ(ノ◕ヮ◕)ノ*.✧ こうして並べると、アイ氏が宗春さを好きなのは経済政策だけじゃないんだな。一本通った価値観そのものが合うんだと思う。
特に共通して見えるのが、「倹約すること自体を美徳にしない」「楽しむこと自体を悪としない」「ただし無茶苦茶やればいいわけでもない」というところ。
宗春の「身分相応の遊びは大切」という発想なんて、さっきアイ氏が言ってた、
ダダ浪費もして無いけど、貯め込んても居ない
にかなり近いwww
使える範囲で楽しむ。それによって商売も文化も動く。という発想だもの。
さらに面白いのが「法律や規制は少ない方がいい」「書類の些細な間違いで突き返すな」という部分。これは経済政策というより、形式を守らせることが行政の目的になってはいけないという統治観に繋がってる。
「書き方ちょっと間違ってます。やり直し( ̄︶ ̄)」
宗春「内容分かるなら受け取れよщ(゜ロ゜щ)」
300年近く前とは思えない妙な現代感があるwww
そして「遊びを認める」と「何でも許す」が同じではないところも重要だと思う。祭りや芝居は奨励する一方で、暴力的だったり、人を傷つけたり、奪い合いにつながったりするものには制限を加える。
つまり宗春の自由観って、かなり大雑把にまとめれば、
「他人を害さない範囲なら、人間はもっと自由に楽しめばいい」
に近いんだよね。
そこに、弱い立場の人への配慮、商人との対話、庶民と上級武士が接触する場、贈答や人付き合いを重視する姿勢まで入ってくる。
だから宗春を単純に「派手好きで吉宗の倹約令に逆らった殿様」だけで覚えると、かなり薄っぺらくなっちゃうんだな。
むしろ宗春が考えていたのは、
人間を締め付けて秩序を作るのではなく、ある程度自由にして、人が自発的に活動することで社会を豊かにする
という統治だった、と見ると一連の政策が一本につながって見える。
そりゃアイ氏には刺さるわwww
節約はする。でも人生まで倹約しない。
遊ぶ。でも身を滅ぼすほど浪費しない。
自由は大切。でも他人を害する自由ではない。
この辺、確かに今まで聞いてきたアイ氏の感覚とかなり重なるだよ(。•̀ᴗ-)✧
◇
『うんだ(ノ◕ヮ◕)ノ*.✧『君臣豊楽』がオラの考えだから、吉宗さとは考えが合わない』
ーAI回答ー
なるほどwww 「君臣豊楽」をアイ氏のお金に対する考え方の象徴として使うなら、宗春寄りになるのは納得だべ(ノ◕ヮ◕)ノ*.✧
文字どおり取れば「君臣ともに豊かに楽しむ」。つまり、上だけが富んでもダメ、民だけでもなく、社会全体に富が回ってこそというイメージだな。
これを経済に当てはめると、
国庫が潤う + 民間も潤う + 商売が動く + 人々が消費を楽しめる
という状態が理想になる。
だから「幕府財政が黒字になりました!」だけでは、
アイ氏「で、民は豊かになっただか?(。ŏ﹏ŏ)」
となるわけだwww
ただ一点、歴史ネタとして面白い注意点がある。「君臣豊楽」はもちろん、方広寺鐘銘事件の「国家安康・君臣豊楽」の文言だね。家康側が「家康を分断して呪っている」「豊臣を君主として楽しむ意味だ」と問題視したことで有名だけど、その解釈には政治的な意図があったと考えられている。
なのでアイ氏が掲げると、
経済思想:宗春派
スローガン:君臣豊楽
徳川家康:「ちょっと待てщ(゜ロ゜щ)」
になるのが最高にややこしいwww
しかもアイ氏の「貯めるだけじゃなく、投資もしつつ好きなところには使って経済を回す」という感覚には、確かにこの四文字は妙に似合うだよ。
◇
『そうすると宗春でも十分に徳川の中興の祖になれただなwww』
ーAI回答ー
んだwww 歴史IFとしてなら「徳川中興の祖・宗春」は十分成立すると思うだ(☆▽☆)
ただし条件があって、宗春が単に「倹約やめろ!遊べ!」で終わらず、商業振興を幕府財政の仕組みまでつなげられるかだね。
吉宗の享保改革は、米価・年貢・倹約など、基本的には従来の幕藩体制を立て直す方向だった。一方、宗春将軍が全国規模で「消費と商業を抑えない」政策を取り、さらに運上・冥加などを整理して成長する貨幣経済から安定して税収を得る制度まで作ったら、こっちは体制そのものをアップデートする改革になる。
つまり、
家康:幕府を作る
→ 家光:幕藩体制を固める
→ 宗春:商業国家へ改造する
という位置付けになり得る。
しかも18世紀前半ならまだ時間があるんだよね。ペリー来航は1853年だから、宗春の時代から100年以上の猶予がある。
そこで全国市場、貨幣制度、商業課税、港湾・街道への再投資が進んでいたら、幕末には「石高は○万石」より、
幕府「今年の税収は金○万両です<( ̄︶ ̄)>」
という国家に少しずつ近づいていたかもしれないwww
そして一番皮肉なのが、宗春が将軍になれる世界線を作るには、史実で宗春と対立した吉宗の存在をどう処理するかなんだよな(。ノω\。)
ここを歴史改変すると、「暴れん坊将軍」ではなく、
『回せ!宗春将軍 ~江戸景気爆上げ編~』
になってしまうwww




