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【通常版】浮気され離婚した大公の悪役後妻に憑依しました  作者: もぁらす


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16話『夜に溶ける距離』





 レオニスと入れ替わりで湯殿へ向かった。


 トルネアの宿の浴室は想像以上に広く、湯けむりに花びらが浮かんでいた。


 香料のほのかな匂いと、静かな湯音。 


 思わずため息がこぼれる。


 ――夢みたいな夜。

 でも、現実の私は“セレーネに借りた身体”でここにいる。


 そんな矛盾を湯に沈めるように、

 しばらくぼうっとしていた。



 部屋に戻ると、

 明かりがまだ灯ったままだった。


 ベッドの上には誰もいない。


 ソファには、黒い上着を羽織ったままのレオニスが座っていた。


「……起きてたんですか」


 思わず声が小さくなる。

 寝ていると思っていたのに、彼はこちらを見た。


「足の包帯を」


 そう言って、いつの間にか手にしていた薬箱を軽く掲げた。


「そこまで気を遣わなくても――」


「俺が気になる」


 短い言葉に、言い訳がすうっと消える。


 抵抗もできず、促されるままにソファへ腰を下ろした。


 膝をついた彼の指が、湿った足首に触れた。 


 冷たさと熱の間みたいな感触に、心臓が跳ねる。


「湯の香りがするな」


 穏やかな声。

 それだけの言葉なのに、どうしてこんなに近く感じるの。


 「……トルネアの湯、いい香りでしたから」



 うまく笑おうとしたけれど、自分の声がわずかに震えているのがわかった。


 

「嫌じゃないか?」


「……へ?」


 不意に落ちた低い声に、反射的に顔を上げた。

 レオニスは視線を落としたまま、包帯を巻く手を止めている。


「触れるなと、言っていたから」


 その真面目すぎる声音に、思わず口ごもった。


 い、今さら……?


 気づけば小さく笑っていた。

 この人は、こういうところだけ律儀すぎる。


「て、手当てですから……」


 そう言って誤魔化すように目を逸らす。

 


 けれど足首に触れる指の感触が、妙に意識の奥に残って離れなかった。



「……でも」 



 彼の指先が少し動く。

 

 包帯の隙間をなぞるように、ゆっくりと。



「足がむくんでて、ひどいんです。だから、あんまり見ないでください」



 恥ずかしくて、声がどんどん小さくなる。


 沈黙。

 それから、かすかに息を吐く音。




「気にするな。俺は綺麗だと思う」




 その一言に、心臓の音が跳ねた。





 沈黙が落ちる。


 包帯を巻き終えた彼の手が、ふと止まった。


「嫌でなければ……」


「えっ」


 顔を上げると、レオニスは真剣な表情で私の足に視線を落としていた。


「むくみを取る。……痛みが出る前に、流しておいた方がいい」


「え、まさか……脚のマッサージってやつですか!?」


「そうだ」


「ていうか、そんなの自分でできますからっ」


「……俺のせいだ」


「え?」


 ふいに落とされた低い声。


 レオニスは視線を下げたまま、ゆっくりと言葉を続けた。



「馬車の中で、長い時間おまえに膝枕をさせた。

 あれで、余計に血が滞ったんだろう。……すまない」


 謝る必要なんてないのに。


 真っ直ぐで、不器用で、優しすぎる声音に息を呑んだ。


「そ、そんな……気にしてませんから! だって、あれは私が――」 



 慌てて否定しかけた瞬間、指先が足首に触れる。

 温もりがゆっくりと伝わってきて、思考が一瞬止まった。


「嫌ならやめる」



 頬が熱くなる。

 


 


 私が何か言おうとした、その瞬間。 



「……ここでは冷える」


 低い声。

 言葉と同時に、そっと身体が浮く。


「ちょっ……!」


 驚く間もなく、軽々と抱き上げられた。

 胸の奥で、心臓の音が跳ねる。



「れっ、レオニス!?」



 短く言い切る声が、耳元に落ちた。

 息がかかる距離。

 近すぎて、視線のやり場に困る。


 そのままベッドに降ろされる。

 ふわりと毛布がかけられた。


「……ここなら冷えない」


 低く落ち着いた声。

 けれど、近すぎる距離に呼吸が乱れる。


「ほら、足を」


「え……?」


「ここで、ほぐすから」


「えっ、あの、でもベッドの上でって……!」


「床より柔らかい方がいい」


 迷いのない返答に、言葉が詰まった。 


 膝の下に彼の手が添えられ、指先が静かに押し流していく。


「っ……」


 息が漏れる。


 痛みではない。むしろ、じんわりと温かい。

 それが余計に、心臓を落ち着かせてくれない。


「我慢しなくていい。痛むなら言え」


「い、痛くないです……!」


 慌てて否定した声が少し上ずる。

 レオニスは黙ったまま、淡々と続けた。


 まるでその手つきが、すべてを知っているかのようで。


 ――ずるい。


 沈黙のなか、ふと彼が口を開いた。


「……もう少し強くするか?」


「だ、大丈夫です! それ以上はっ……!」


「そうか」


 短く答えた声がやけに優しい。


 ってか、優しいんだけどっ、そういう問題じゃない。



 触れた指は、思っていたよりも硬かった。


 剣を握る人の手。節ばった骨の感触が、肌の上に伝わってくる。


 けれど、その動きは驚くほど丁寧で――まるで壊れものに触れるようだった。


 この世界に来て初めて私を抱いた同じ男とは思えないほどに。


 押し流す指の跡を追うように、肌の奥から熱がゆっくりと滲み出していく。


 冷たかった足先が次第にあたたまり、それと反比例するように、胸のあたりばかりが熱くなっていく。



 その手は、冷たくもなく、温かすぎるわけでもない。

 ただ静かに、確かにそこにある“体温”で。



 変な気分になる。


 

 ただ、胸の鼓動だけが落ち着かない。

 心臓の音がやけに大きく響いて、自分のものじゃないみたいだった。


 息を呑むたび、彼の手がほんのわずかに動く。

 

 その度に、熱がまた一段、深く沈んでいく。


 ――夜の静けさが、余計にそれを際立たせていた。



 沈黙。


 互いの呼吸音しか響かない部屋。


 どうしよう。

 足のマッサージなのに、身体が火照る。


 触れられているのは膝下のあたりだけなのに、

 そこから伝わる熱が、まるで全身を巡っていくみたいで。


 息を吸うたび、彼の手の動きがわずかに止まり、

 そのたびに、心臓が勝手に跳ねた。


 見てはいけないと思うのに、視線が勝手に彼の手を追ってしまう。


 大きくて、節の浮いた手。

 軍人のそれなのに、不思議と、ひどく優しい。


 ――この人の手が、こんなにも温かいなんて。


 胸の奥で何かがじんわりと溶けていく。



 そして不意に。


 レオニスの唇の熱が、肌に落ちた。


 呼吸が肌にかかる。


 顔を上げられない。


 肌の上をかすめた息の温度だけで、

 足先まで一瞬にして熱くなる。


 触れたかどうかも分からないくらいの“何か”が通り過ぎる。


 心臓が跳ねる音を、誤魔化すこともできない。



「嫌なら、言ってくれ」



小鳥が餌をつまむように、軽く肌の上をレオニスの唇が刺激する。


「くすぐったいです」


誤魔化すようにそう言って、私はのがれようと脚を引く。


だが、微動だにしない。



膝上にあった手が、肌の上を滑るように太ももを上がってくる。


その瞬間、ビクンと身体が跳ねた。



「くすぐったい?」


「くすぐったいです、っていうかそれマッサージじゃないですよね」


「すまない、つい」



つい!?



「足を舐め回したくなった」



おいおいおい!!いつから変態ヒーローになったの!!



「嫌か?」



毎回それ聞くの反則でしょ。



「嫌です」



そう言ったのに、レオニスは私の片方の脚を高らかに上げると、肌の上に舌を這わせた。



「……んっ」


不意に、生々しい声が口から漏れてしまった。



「甘い香りがする」



嫌かと問いかけるくせに、全く止めようとしないレオニスは、軽々と持ち上げた私の脚を器用にもみほぐす。


悔しい。


それは気持ちいい。





片方の手は確かに揉みほぐしてくれてはいるけど、オプションに舌がついていて、おまけに空いた手でさするように肌の上を滑らせるものだから、身体が度々跳ねてしまう。


嫌だと振り払うのは簡単だけど、そうしないのは、私も本当に嫌だとは思わないから。


そして、レオニスはそれ以上のことはしないから。


次第にもどかしくなってきて、私の呼吸も乱れてくる。




「セレーネ」



私の名を呼び、ざらつく舌を脚に這わす。


何度も、何度も。



おかしくなりそうだ。


次第に身体が自然とよじれて、私はくるまった毛布に顔を埋めた。


息が上がっているのを知られたくない。






「レオニス、もう大丈夫」




私がそう声をかけてやっと、レオニスの手が止まった。





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