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【通常版】浮気され離婚した大公の悪役後妻に憑依しました  作者: もぁらす


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15話『霧の灯と、甘い夜』


 馬車の中は、ほとんど揺れを感じないほど静かだった。

 レオニスは私の膝に頭を預けたまま、深く眠っている。

 長い睫毛の影が頬に落ち、呼吸が規則正しく胸を上下させていた。


 窓の外の景色が変わりはじめる。


 そこには、遠くに灯りの群れが見えていた。


 闇の中でゆらゆらと光るのは、

 港に浮かぶ船のランプか、それとも街路を照らすガス灯か。


 「……着いたのね」


 思わず小さく呟く。


 トルネア。


 かつて地図で見たことのあるその名が、

 こうして現実の光となって目の前に広がっている。


 港町特有の湿った風が、わずかに窓の隙間から流れ込む。


 目を凝らすと、霧の向こうに無数の屋根が連なり、

 その間を縫うように川が光を反射していた。


 街全体が、まるで夜の海に浮かぶ船のようだ。


 レオニスの寝息が、穏やかに響く。


 その音に妙な安心感を覚えながら、

 私はもう一度、窓の外を見つめた。


 ――眠らない街、トルネア。

 

 そして、眠っている男。


 よく寝るなぁ。本当に睡眠不足だったか疑わしくなってきた。


「――着きました」


 グレイの声が外から聞こえた。

 馬車がゆっくりと止まると、長い旅の余韻のような静けさが残る。


 そっとレオニスの肩に手を伸ばす。


 「……閣下」


 小さく呼ぶと、彼はまるで夢の続きを辿るように薄く目を開けた。

 淡い銀の睫毛が揺れ、夜灯の光を受けて煌めく。


 「……着いたのか」


 低く掠れた声。

 眠りの余韻が混じっていて、思わずどきりとする。


 「はい。もうトルネアの街中みたいです」


 レオニスがゆっくりと上体を起こす。

 膝から重みが離れた瞬間、名残惜しいような、少し寂しいような気持ちがした。



 「……よく眠ってらっしゃいましたよ」



 自分でも意外な言葉が口から出た。

 レオニスは一瞬だけ目を見開いて、それから小さく笑った。


 「夢を見た」


 その微笑みが、夜灯の橙色の光に溶けていく。

 穏やかで、見たことのない顔だった。



 「どんな夢ですか?」


 私の問いかけに答える事なく、慣れたように私を抱き上げる。


 言わないんかい。


 馬車の扉が開くと、潮風が一気に流れ込んだ。



 「……潮風?」


 夜気を吸い込むと、確かにほんのりと塩の香りがした。


 湿った風に混じって、遠くで波の砕ける音がする。

 

 外に出ると、トルネアが目の前に広がっていた。


 煌々と灯る街灯、酒場のざわめき、港の方から届く笑い声。

 真夜中なのに、街はまるで昼のように生きている。



 「宿へ向かおう」


 

 毎度ながらなんですが、このままですか。




 港のざわめきが遠くで響く。

 潮の匂いと油の混じった風が頬を撫でた。


 山あいの町のはずなのに、不思議に思って辺りを見回す。


 「ここって、海の近くでしたっけ?」


 私の問いに、隣を歩いていたグレイが微笑む。


 「いえ、ここは山と湖の間にある峡谷の町です。

 ですが、風の通り道になっておりましてね。北のエルゼリアから吹く湿った風が、

 南の山脈を抜ける間に、こうして“潮風”のように流れ込むんです」


 「へえ……」


 レオニスの腕に抱えられたままだった私はグレイと目が合い、顔を肩に埋める。


 通り過ぎる人々の視線が突き刺さるように痛い。


 「……あの、もう歩けますけど」

 と、言いかけて――やめた。

 どうせこの人は聞かない。


 もう何度こうして抱き上げられただろう。

 抗うだけ無駄だと、学んでしまった自分が情けない。


 されるがまま、胸の奥でため息をつく。



「この町では、山と海の息が交わることを“北方の奇跡”と呼ぶんですよ。

 ――お祭りの夜には、その風が最も強く吹く。

 峡谷を流れる川へ灯籠を流し、旅の安全と魂の鎮魂を祈る行事です」



 グレイの声がする。



 潮風にレオニスの銀の髪が揺れて、夜灯の光を反射してきらめく。


 ――近い。


 呼吸が触れる距離。

 頬がまた熱を帯びる。


 「閣下……恥ずかしいです」


 どうにか絞り出した声が震えていて、余計に恥ずかしい。

 レオニスは答えず、ただ腕の力をわずかに強めた。

 心臓の音がうるさくて、聞こえてしまいそうで怖い。


 道の先に、宿の灯りが見えた。

 温かな橙色の光が、石造りの壁をやさしく照らしている。



 宿の中は、外の喧騒が嘘のように静かだった。

 灯りの落ちた廊下を、レオニスの腕の中で揺られながら進む。


 私は恥ずかしさに耐えきれず、ずっと顔を胸元にうずめていた。


 降ろしてくれる気配が全くないからだ。


 足音だけが、規則的に響いている。


 ――そして、扉が開いた。



 「え」


 気づけば、部屋の中。

 

 私の目に映ったのは、部屋の中央にどん、と構えるキングサイズのベッド。


 嫌な予感しかしない。


 「奥様、申し訳ございません」


 背後からグレイの声がした。


 「……部屋がおひとつしか取れなくて」


 「そ、そんなわけ――!」


 思わず振り返ると、グレイは珍しく焦ったように両手を上げた。


 「本当に、どこも満室でして。

 今夜は先程言った港の祭礼“潮灯の夜”にあたるんです。

 商人も旅人も皆この街に泊まり込みで、

 近隣の宿はどこも予約が埋まっておりまして……」


 「祭り?」


 「ええ。水神に豊漁を祈る夜でして、

 船乗りたちは夜通し飲み明かすんです。

 ――ですので、仕方なくこちらの“貴賓室”を」


 仕方なく、の部分を強調するように言うグレイ。

 しかも目はまったく悪びれていない。


 「……じゃあ、もう他に部屋はないの?」


 「それが、港役人の詰所まで借り切られてまして」


 「……」



 ため息が出そうになった。



 扉が静かに閉じられる音がした。

 重厚な鍵の金属音が響き、外の喧騒はすっかり遠のいた。


 レオニスは無言のまま私をソファに降ろす。

 外套を脱いだ彼の肩には、長旅の疲れがうっすらと滲んでいた。


 「嫌なら、俺がここで寝る。気にしなくていい」


 落ち着いた声。

 その言葉が逆に、心臓に悪い。


 「そ、そーゆーわけにいかないでしょう!!」


 思わず声が裏返る。

 我ながら、必死すぎる。


 レオニスが少しだけ目を瞬かせた。


 「だ、大丈夫です」


 慌てて言葉を繋ぐ。


 「……?」


 彼が首を傾げる。

 どうしてそんなに自然体でいられるのか、理解できない。


 「大きなベッドですし」


 「……ああ」


 間を置いて、低い返事が返る。

 静まり返った部屋の空気が、やけに重く感じた。


 「閣下を、信じてますから」


 そう言った瞬間――

 レオニスの手の動きが止まった。


 目を逸らすでもなく、ただこちらを見つめる。

 橙の灯が揺れて、長い睫毛の影が頬を掠めた。


 「……そうか」


 それだけを呟いて、レオニスは視線を外す。

 どこか、困ったような、少しだけ寂しそうな顔をして。



 し、信じる他ないのよ。




 痺れは取れたけれど、長時間の馬車移動で足がむくんでいた。

 靴を履くたびに、少しだけきつく感じる。


 ――まあ、仕方ない。

 (あとで絶対、靴擦れになる気がするけど)



 「それよりも閣下、流石によく眠れたでしょう?」


 支度を整えながら軽く笑いかけると、レオニスがわずかに目を細めた。


 「……ああ。おかげさまで」


 その一言が妙に優しくて、胸の奥がくすぐったくなる。

 気づかれないように視線を逸らし、勢いよく立ち上がった。


 「では、着いたばかりですが――祭りに行ってみたいです!」


 「おまえは眠くないのか?」


 「はい!!」



 返事は即答。


 窓の外では、遠くに灯りの列が見える。

 夜の港に無数の提灯が吊るされ、波間に映る光がゆらゆらと揺れていた。


 屋台の香ばしい匂いが風に乗って運ばれてくる。

 潮の匂いと混ざって、胸が高鳴る。


 お祭りが嫌いな人なんて――いないでしょおおお!!



 そうして、夜のトルネアの街へ――潮風と灯りに誘われるように、私たちは歩き出した。

 





 人混みの熱気と灯りに包まれて、胸の奥まで浮き立つようだった。


 夜霧の中で光る提灯、香ばしい匂い、遠くで響く笛と太鼓の音。


 ああ、これが“北方の奇跡”の夜か――。


 「わぁ……すごい、人だかり」


 思わず立ち止まって見惚れていると、すぐ後ろから低い声がした。


 「離れるな」


 振り向けば、レオニスが軽く眉を寄せている。


 それでも、屋台の匂いには勝てない。


 焼いた肉の香りに、甘い果実酒、揚げ菓子の湯気。

 空腹の胃が、ぐぅ、と鳴った。



 「……なにか食べたいのか?」


 「い、いえ! 別に……その、少しだけ」


 「少し?」


 「少し……全部気になります」



 くすりと笑ったレオニスが、近くの屋台に目をやる。



 「どれだ」


 「えっ」


 「腹が減っているなら、我慢するな」



 促されるまま立ち寄った屋台では、串焼きが香ばしく焼けていた。






 屋台の明かりが少しずつ消えはじめ、夜の熱気が静まりつつあった。


 お腹はいっぱい。


 串焼きに甘い果実酒、蜜で煮た木の実……いくらなんでも食べすぎた気がする。


 「……もう動けません」


 道端の石に腰を下ろして、私は両手でお腹を押さえた。


 レオニスは呆れたように眉を下げる。


 「何をそんなに詰め込んだ」


 「だって、おいしかったんですもん」



 思わず反論したら、レオニスが一瞬だけ吹き出した。


 あ、笑った。……今、笑ったよね?



 「……少し、歩けるか」


 「え? どこか行くんですか」


 「見せたい場所がある」



 そう言って差し出された手に、思わず自分の指を重ねた。

 

 「無理なら抱えていく」


 「歩きます! 自分で!」



 夜霧のなかを抜けて、二人で坂道を登る。


 喧噪の遠のいた街は嘘のように静かで、風が草を撫でる音だけが耳に残った。



 「……寒くないか」


 「だいじょうぶです」


 レオニスの外套がふわりと私の肩にかけられた。

 何も言えず、ただうつむいて小さく礼を言う。


 やがて坂を登りきると、視界が一気に開けた。


 谷を囲む街の光が川面に映り、まるで金糸を散らしたように揺れている。



 「……きれい……」


 思わず息を呑む私の横で、レオニスが低く呟いた。



 「――これが、トルネアの“夜”だ」




 彼の声は風よりも穏やかで、どこか懐かしそうだった。


 祭りの喧噪のあとに訪れた静けさが、胸の奥にじんと染みる。




 見下ろす谷は光の海だった。


 霧が晴れた夜空の下、街灯が川面に滲んで、金糸の波がゆらゆらと揺れる。


 風が髪をさらい、少し冷たい夜気に頬が染まる。



 「……本当に、きれい」



 胸の奥から零れた言葉は、灯りに吸い込まれていった。


 隣を見ると、レオニスは何も言わずにその景色を見つめている。


 その横顔は光に縁取られていて、まるでこの場所の一部のようだった。


 ふと、彼の視線がこちらに向く。



 「……口に」


 「え?」


 「ソースがついている」



 そう言うやいなや、彼はためらいなく私の唇の端に指を伸ばした。


 ひやりとした指先が一瞬触れて、胸がどくんと跳ねる。


 そのまま、彼の指が唇の端をやさしくなぞり――ほんの少し、拭い取るように離れた。



 「……とれた」



 小さく息を飲んだ私の前で、彼は何事もなかったかのように



 その指を、唇へと運んだ。



 指先が、ゆっくりと舌に触れる。

 ――一瞬、時が止まった。


 街の灯りが波間に瞬いている。


 音も、風も、祭りの喧噪の残り香さえも遠のいて、

 ただ、指先を舐めたレオニスの動きだけが、この夜の中であまりに鮮やかだった。



 「……甘いな」



 静かにそう呟いた声が、やけに低く響いた。




 色気のないお口ソースなのに、なんでそんな風に出来るの……?


 心臓が、いまさらになって忙しなく動き出した。



 「……あの、それ、味見しなくてもいいです」


 「確認だ」


 「な、何の確認ですか」


 「おまえが何を食べていたのか」


 「見たらわかるでしょ……屋台のソースですけど!?」



 くす、とレオニスが笑った。


 それだけで、夜景よりも眩しく見えてしまうのだからずるい。


 ――主人公補正、強すぎる。


 夜景は、いつまでも見ていられるほど綺麗だった。


 霧の切れ間から覗く灯りが、谷を囲むように瞬いている。

 まるで、星が降りてきたみたいに。


 ――なのに、ぜんぜん集中できない。


 隣で黙ってこちらを見ているレオニスの視線が、夜景よりずっと強くて、息が詰まりそうだった。



 「……そろそろ、戻りましょうか」


 「もういいのか?」


 「ええ、もう十分堪能しました! はい、帰ります!」



 自分でも笑えるくらい早口になっていた。


 空気が甘すぎて、もう一秒もまともに呼吸できそうになかった。


 急いで歩き出したものの、足の裏がずきりと痛んだのは、ほんの数歩のあとだった。


 「……っ」


 「どうした」


 「な、なんでも……!」



 次の瞬間、身体が浮き上がる。



 「ま、待って! 自分で歩けます!」


 「嘘をつくな」


 「嘘じゃ――」


 「痛いんだろう?」



 ぐうの音も出ない。


 結局そのまま抱き上げられて、夜の灯が遠ざかっていく。


 

 宿に戻るころには、頬も耳も熱でじんじんしていた。

 夜風のせいだと、何度心の中で言い聞かせたか分からない。


 レオニスは無言のまま、部屋の扉を開けて私をソファに下ろす。

 さっきまでの穏やかさは影を潜め、どこか淡々としている。


 「見せろ」


 「え、いいです、自分で――」


 「……見せろ」



 低い声に抗えず、しぶしぶ足を差し出す。


 靴を脱がせた彼の指先が、擦れた踵に触れた。

 ひやりとした感触に、思わず身を強ばらせる。



 「痛むか」


 「……少しだけ」


 「少し、じゃないな」



 レオニスは溜息をつき、どこにあったのか包帯を持ってきて、手早くそれを巻いた。

 不器用そうに見えて、動きはやけに丁寧だ。



 「慣れてるんですね」


 「戦場では、誰もやってくれないからな」



 そう言って手を止めた彼の横顔が、夜明け前の静けさみたいに近く感じた。



 「……ありがとう、ございます」


 「礼を言うのはまだ早い」


 「え?」


 目を上げた瞬間、彼の指が頬に触れた。


 さっきまで口にしていたソースの跡が、ほんの少し残っていたらしい。


 その指先が、軽く触れて――彼は、なにも言わずに立ち上がった。


 残された私は、熱い顔を手で覆いながら小さく呟いた。



 私食べるの下手すぎたかっ、くっ。



「湯浴みしてくる」


 レオニスがそう言って立ち上がる。


「え、私も行きたい!!」


 思わず叫んでしまった。


 だって、潮風で髪も肌もベタベタするんだもの。

 手当てはしてもらったけれど、やっぱりお風呂に入りたい。


 彼が一瞬だけこちらを見る。


 その静かな目に、言葉の意味を悟って顔が真っ赤になった。


「い、いやっ、そうじゃなくて! あとでって意味です! あとで!!」


 「ふ」と息を漏らして、彼は視線を逸らした。

 


 誰が一緒にはいるかい!

  



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