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世界で五番目にしなやかな肋骨

「部長、離してください! 腕の力加減が完全におかしいですよ!」

旧校舎へ続く渡り廊下。

西日に照らされた僕の叫びは、虚しく木造の壁に吸い込まれていった。

 神宮寺部長の腕は、まるで自動車工場で溶接されたかのように僕の肩をがっちりと固定している。

アロハシャツから漂う、どことなくトロピカルで無責任な柔軟剤の香りが鼻をつく。


「はっはっは! 佐藤、君のその『逃げ腰の美学』こそが、我が告白代行部には不可欠なのだよ!

考えてもみたまえ、最強の矛(武史くん)には、最強の盾(君)が必要なのだ!」


「僕は盾じゃない! 柔らかい肉と脆い骨でできた、ただの高校生です!」


 抵抗も虚しく、僕たちは「旧校舎・第3美術室」の重い木製のドアの前に辿り着いた。

このドアの向こうには、平穏な日常とは無縁の、狂気と理論が入り混じった世界が広がっている。

バンッ!

部長が勢いよくドアを蹴るようにして開けた。

「ただいま戻ったよ、一ノ瀬さん! 本日の『生贄テストプレイヤー』を無事に確保した!」

 部室の中は、相変わらずのカオスだった。

窓際には、年代物のタブレットPCを高速で叩く一ノ瀬さんの後ろ姿。

艶やかに伸びる黒髪と茶色の引き込むような瞳、世間一般から見れば美人なのだろうが、佐藤はその本性を知っていた。

彼女の周囲だけは、真夏だというのに気温が3度ほど低いような錯覚に陥る。


「……3分42秒。佐藤くんを確保するまでの時間が、昨日のシミュレーションより12秒遅いわね、神宮寺。あなたの無駄なポージングが原因よ」

 一ノ瀬さんは振り返りもせず、冷徹な声で言い放った。彼女のメガネの奥の瞳には、常に無数の数式と、僕の絶望的な生存確率が映し出されている。

「あ、あの、一ノ瀬さん。

……僕の肋骨のしなり具合が世界で5番目に最適って、どういう計算なんですか?」

「言葉通りよ」

彼女は椅子を回転させ、僕を上から下まで値踏みするように見つめた。

「あなたの骨格、筋肉の密度、そして窮地に陥った際に見せる不自然なまでの回避能力。

 それらを総合的に判断した結果、柔道部の武史くんが全力で抱きしめた際、致命傷を負わずに『ギリギリ生存』できる確率が最も高かったのがあなたなの。

……感謝して。私が選んだんだから、計算ミスは1ミリもないわ」


佐藤は思わず天井を仰ぎ見て叫んだ。


「感謝できる要素が1ミリもない!」

一ノ瀬さんがふとしたように扉をみる。

「あら......来てくれたようじゃない。」

新たな実験を前にした一ノ瀬さんは、僕を鷹のような目で捉える。

 一ノ瀬さんを(部長もそうだが)をまえにすると、僕は鷹を目の前にしたミミズにでもなった気分になるのだった。


「……し、失礼しますッ!!」


 地響きのような声と共に、ドアが再び開いた。そこに立っていたのは、首の太さが僕の太ももほどもある巨漢、柔道部の武史くんだった。


 彼は部室に入るなり、深々と頭を下げた。その拍子に、力強く握られた拳がドアの枠にガツンと当たり、鈍い音を立てた。


「おぉ、来たか武史くん! 待っていたよ!」

「神宮寺先輩! お願いしますッ! 自分、どうしても彼女に想いを伝えたいんですッ! でも、緊張するとどうしても……手が……勝手にッ!!」


 武史くんの手は、小刻みに、しかし力強く震えていた。組み合う相手の腕をことごとく握り潰し、何本もの骨を破壊してきたという伝説を持つその「魔の手」だ。

「わかっている。君の愛は、物理的な破壊力を伴うほどに巨大なのだ。……さあ、紹介しよう。彼こそが、君の愛を受け止めるために選ばれた特異点、佐藤勇太くんだ!」

部長がスポットライトを浴びるような仕草で僕を指し示す。

「……よろしくお願い……しますッ!!」

武史くんが僕の手を握ろうと差し出してきた。僕は反射的に後ろへ飛び退いた。

「待って! まだ始まってないから! 心の準備が!」

一ノ瀬さんが無機質な目で佐藤に手を差し出す。

「佐藤くん、無駄な抵抗はやめて、このデバイスを装着しなさい」

一ノ瀬さんが、僕の胸元にいくつかのセンサーと、何やら不気味な金属製のプレートを取り付け始めた。


「これ、何ですか?」

「リアルタイム衝撃測定器よ。あなたの肋骨にかかる圧力を私のタブレットで監視する。……限界値を超えたらアラートが鳴るわ。そうしたら、神宮寺が消火器で武史くんを気絶させる手筈になっているから、安心して」

「安心の基準がバグってる!」

「さあ、準備は整った! 武史くん、まずはイメージトレーニングだ! 目の前にいる佐藤を、君が世界で一番愛している、テニス部マネージャーのあの子だと思って……全力で、想いをぶつけるんだ!」

「はいッ! 先輩ッ!!」 


 武史くんの瞳に、炎が宿る。彼は一歩、また一歩と、重厚な足取りで僕に近づいてくる。

「(……ああ、終わった。僕の平凡な人生、ここで物理的に幕を閉じるんだな……)」

 僕は目を閉じ、美術室の天井を仰いだ。

窓の外からは、運動部の元気な掛け声と、平和な夕暮れのカラスの鳴き声が聞こえる。

これから僕の身に起きる「愛という名の交通事故」を予感しながら、僕はただ、一ノ瀬さんのアラートが鳴り響くのを待つしかなかった。

「……いくぞ、佐藤! 武史くんの『愛』を代行して受け止めろぉぉ!!」



「……好きだぁぁぁぁぁッ!!!」



武史くんの咆哮が美術室の古びた窓ガラスを震わせた。

次の瞬間、僕の視界から世界が消えた。

正確には、武史くんの巨大な胸板と、柔道で鍛え上げられた丸太のような両腕が、僕という存在を完全に包囲・封鎖したのだ。

「ぐ、ふっ……!?」

肺の中にある空気が、一滴残らず絞り出される。

握力80キロ。

それはリンゴを粉砕し、相手(僕)の肋骨をひしゃげさせる力だ。

それが今、僕の肋骨という名の貧弱な檻にダイレクトに掛かっている。

背後で一ノ瀬さんのタブレットが「ピピピピ!」と、まるで作動中の爆弾のような警告音を鳴らし始めた。


「……佐藤くん、肺圧が危険域よ。でも、あなたの肋骨のしなりは計算通り。あと15ニュートンまでは耐えられるわ。そのままキープ」

「き、キープ……無理……死ぬ……!」

「あら、いいじゃない。佐藤くん、顔が真っ青よ。部長、もっと武史くんを煽ってみたら?

『彼女が別の男とパンケーキを食べているところを想像しろ』って」

にっこりと邪悪なまでの光を瞳に宿して提案する。


「おぉ、それだ! 武史くん、聞くんだ! 君の愛するマネージャーが、今まさに、チャラいサッカー部の男に『あーん』をされているぞ!

悔しくないのか! 奪い返せ! その腕(佐藤)の中に!!」

「うおおおおおぉぉぉぉッ!! 許せんッ! 許せんぞぉぉぉッ!!」

武史くんの腕に、さらにミシミシと力がこもる。

「ぎ、ぎぎぎ……!」

と僕の骨が悲鳴を上げる。

視界の端に、白い光が見え始めた。


おじいちゃん……? 三途の河原で石を積んでいるおじいちゃんが見えるよ……。

武史くん、握力が強いです。(T . T)

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