第3曲 現地を満喫したいのに
「ゆきさん大丈夫?」
空港に降り立ったわたしは虫の息。
「す、少しだけ時間をください」
まだなんか空中をフワフワと漂っているような感覚が残っている。
おかしい。アメリカへの行き帰りは平気だったのに。
「でもゆきさんの意外な弱点を発見できて、以前より親しみが持てましたよ」
ニコニコと機嫌の良い五代さん。
ご満悦そうな顔してるけど、わたしはダメージが大きくてそれどころじゃないんですよ。
「さぁゆきさんにしてもらうことをゆっくり考えましょう」
ロクでもないこと考えてた。
しばらくして回復したので、そのままコンサート会場近くのホテルに移動。
今回の会場は5万人規模のドーム。二日間の公演予定にもかかわらずチケットは即日ソールドアウトだったらしい。
北海道でもそれだけの人が待ってくれていると思うと、東京での公演規模は少し小さすぎたのかもしれないなと思う。初めてのコンサートはアーティスト憧れの場所でやりたかったのもあったけど、次回はもっと大きい場所でやっていいのかもしれない。できるだけたくさんの人にこの歌声を届けたいもんね。
「今日はこのままゆっくりしておいてください。わたしは打ち合わせに行ってきますので、自由に過ごしてもらって大丈夫です。明日は進行についての打ち合わせに参加していただきます。明後日はリハーサルで、その翌日にいよいよ本番です」
打ち合わせでは演奏やスタッフの皆さんと楽曲の演奏順や舞台装置についての最終打合せ。
リハーサルでは実際の会場やサウンドステージで、ステージング、照明、音響のバランスを調整し、本番の感覚を掴む。
「わかりました。ホテルでじっとしてるのも退屈なので、少し観光をしてきてもいいですか?」
「かまいませんが、本番を数日後に控えてるので騒ぎにならないように気を付けてくださいね」
まぁわたしが素顔でうろついていたところで誰も気づいたりしないでしょ。
テレビに出てるわけでもないしね。
「テレビに出てないから誰も気づかないとか考えてるでしょう」
なんでわかった?
出来る女というのは人の心も読めるのか?
「ゆきさんのお気楽極楽な短絡思考なんてお見通しです。甘い! 甘いですからね! ゆきさんの知名度はもはや全国区。知名度で言えば有象無象のタレント以上なんですから。く・れ・ぐ・れ・も! 素顔でうろついたりしないように」
なんかボロカス言われたような気もするけど、どうやらわたしの認識が甘かったようだ。北海道でも10万枚のチケットが即完売したんだから五代さんの言う通りかもしれない。
用意の良いことに帽子を用意してくれている。しかも今着ている服に似合うものをばっちり。
「どうせ観光したいって言い出すと思い、さっき買っておきました」
いつの間に。相変わらず仕事が早いな。
「でも帽子だけで大丈夫なんですか? サングラスとかマスクも必要なのかと」
「そんなあからさまに怪しい恰好をしてたら逆に人目を引いてしまいますよ。逆にこれくらいの方がみんな気にしなくてちょうどいいんです」
なるほど。人間心理はそんなものかもしれない。
「もうあなたは立派な業界人なんですから、軽率な行動は控えてくださいね」
人差し指をぴんと立てて、女性教諭のように注意する五代さん。
なんか妙に似合うよなぁ。
だけどその人差し指がわたしの顔に伸びてきて、鼻をちょんちょんと突かれてしまった。
「ゆきさんとわたしはもう運命共同体なんですから、あなたに何かあったらわたしも困るんですからね」
そんな仕草にも嫌味がなく様になってしまうのは五代さんの持つ魅力のせいだろう。
なんだか自分がとても子供になってしまったような気がする。二十二歳になっても成長しないな、わたし。
それにしても運命共同体、か。
社会に出てそういった絆ができるのはとても稀有な事なのかもしれない。
人生において学生時代よりも社会人になってからの方が圧倒的に長い。人生の大半は仕事をしていると言ってもいいだろう。
その中で信頼を勝ち取って、いろんな相談に乗ってくれそうな人と出会えるというのはとても幸運な事だろう。
わたしも五代さんの存在に感謝しないといけないな。彼女を裏切るような行動はとらないようにしよう。
五代さんが出かけた後、わたしも札幌市内を観光するためにホテルを後にした。
札幌に来たら、最初に行きたいと思っていた場所へ到着した。
「こ、これは……」
目の前にあるのは時計塔。有名な観光名所なんだけど……。
「なんというか、何の変哲もない時計塔だね」
1878年にクラーク博士の提言に基づき、北海道大学の前身である札幌農学校の兵式訓練や入学式用の中央講堂として建設されたという由緒ある時計塔なんだけど、ビルの間にポツンと立っていて情緒を感じることが出来ない。
「現存する日本最古の時計塔なのに、せめて大学の敷地内に建っていればなぁ」
新渡戸稲造や内村鑑三も卒業したという大学。今では北区に移転されていて、時計塔だけが当初の位置に陣取っている。
せめて公園にでもしてくれていたらよかったんだけど、現代的なオフィスビルに囲まれた状況では「日本三大がっかり名所」と言われるのも仕方ない。
それでも百五十年近くの歴史があるということで、過ぎ去った時代の息吹を感じようと意識を集中する。
……ダメでした。
「車がうるさい!」
後方は交通量の多い交差点になっていて、行き交う車の騒音が気になって情緒にひたるどころの話じゃない。
「やっぱ北海道に来たら海鮮丼だよね!」
気を取り直してグルメ観光にシフトチェンジ。
「まずは海鮮丼だぁ」
北海道と言えば海の幸。
ここから歩いて十分程度のところにある市場。今でこそ市場と呼ばれているけれど、かつては魚町と呼ばれていたらしい。わたしはそっちの名前の方が粋で良かったんじゃないかと思うんだけどね。
その中でグルメ雑誌にも掲載されている海鮮丼の有名なお店に来た。
市場にあるだけあって朝早くから営業しており、営業時間はお昼過ぎまで。ちょうどお昼時ということもあって人が多い。
ようやく席につき、さっとメニューに目を通したけど、わたしの目的は最初から決まっている。
『特選海鮮丼スペシャル』一択!
ご飯が見えない程贅沢に盛り付けられた色とりどりの海鮮物に散りばめられたイクラが宝石のように光を放っている。
「おいしそー!」
さっそく豪快に食らいつくそうかと思ったんだけど、妙に視線を感じてしまう。
ちらりと視線を横にやると、座っていたおじさんが露骨に目を逸らした。視界の端で確認するといろんな人がこちらを見ている。
ヤバい、バレたか?
だけど耳を澄ましてもわたしの名前が出てくるわけでもなく、ただ見られているだけなので素性までは知られていないようだ。多分。
「コホン」
だけどさすがにこれだけの視線を集めている中、海鮮丼にかぶりつくわけにもいかず、一口ずつ上品に食べる羽目になってしまった。
これならテイクアウトにすればよかったなぁ。
「そりゃゆきさんみたいな美人が一人飯なんかしてたら注目されますよ」
ホテルに帰った後、五代さんに今日の出来事を話したらさも当然のように言われてしまった。
あの後、市場内にあるスイーツ店にも寄ってクレープを食べたんだけど、そこでも注目されてしまい、一口ずつリスみたいに食べるしかなかったのだ。
「いつもはみんなと行くから気にならなかったんだけどなぁ」
「人数が多いと圧倒されてしまうからでは? ゆきさん一人だけだともしかしたらという下心が働いてしまうものなんですよ」
そういえば海鮮丼の後もスイーツの後もナンパ男から声をかけられたな。当然丁寧にお断りしたけれど。
「……騒ぎは起こしてませんよね?」
「……起こしてない、よ?」
「なんで疑問形なんですか」
スイーツの後にナンパしてきた男がしつこかった。
「もっと美味しいスイーツのお店案内するからさ」
などと言い、何度断っても諦めるということを知らなかったのだ。
挙句に肩に手を回してきたもんだからちょっと腕を捻りあげてやっただけ。
「ナンパ男の撃退は騒ぎに入らないよね?」
「はあぁ……」
盛大にため息をつかれてしまった。
「それで、何人投げ飛ばしたんですか?」
「投げてないから! ちょっとしつこかった男の腕をグイって……した、だけです」
捻りあげる動作を交えて説明すると五代さんの表情が険しくなった。
「お姉さん方からゆきさんの武勇伝はいろいろと聞いていましたが。あれほど気を付けるようにと言ったのに」
「はい、てゅいまてん」
ゆき、しょんぼり。
今回は上手く対処できたと思ったんだけどなぁ。
「く、そんな上目づかいで見られると……!」
しょげたわたしにたじろぐ五代さん。
「外出禁止は勘弁してぇ」
怯んだ隙を見逃さず、涙目で畳み掛けた。
「くそぉ! 可愛すぎるんですが! はぁ……今回は大きな騒ぎにもならなかったようですし、大目に見ます」
「やったぁ! 五代さん好きぃ!」
もろ手を挙げて万歳をするわたし。最近自分があざとくなったような気がする。
「でも次からはわたしも同行しますから」
「はい」
そこまで甘くはなかった。




