第37曲 最後まで使命を全うするだけ
「結局子供四人に恵まれて、幸せな家庭に恵まれたよなぁ」
年月が過ぎ、為すべきことを為したと胸を張って言えるようになった。
治安の関係でアフリカにだけは行くことが出来なかったけど、中東や東南アジア、南米でもコンサートを開くことが出来たし、チャンネル登録も世界中の人からしてもらえることが出来た。
「でも残念ながらギネス記録を塗り替えることはできなかったんだよねぇ」
三億人を大きく超えることはできたものの、当時の世界記録四億三千万という数字には及ばなかった。
それでもわたしが理想として追い求めた、世界中の人々に歌声を届けるということは達成できたし、たくさんの人を元気にする楽曲を作り続けることはできたと思う。
今はもう以前のように体が動かなくなって、声もほとんど出なくなってしまったけど、鮮明に残る記憶をたどれば十分幸せな人生を歩んできた。
決して平坦な道ではなかったけれど、たくさんの人々の助力を得られて突き進んでくることが出来た人生。
「愛する人と共に暮らして、家庭だけでなく仕事の面でも支えてもらって、わたしは本当に恵まれた人間だったと思うよ」
ベッドの上で声に出す。
だけど答えてくれる人はもう誰もいない。
「わたし一人だけが残っちゃったな」
わたしが愛し、愛された四人は一足先に天国へと旅立った。
あれから半世紀以上の時が経ち、わたしの周囲からいろんな人が去っていった。それを見送り続けるのも、わたしに課された『使命』なんだろう。
生き物はすべからく、産まれた瞬間から死に向かって歩きだすもの。
わたしが関わった全ての人に最後まで、幸せを届けて見守り続けることは『水の精霊』として当然のことだろう。
「それにしても……残業長くない?」
子供たちを自分の家庭を持って壮年になり、最後まで寄り添い続けてくれたひよりも五年前に旅立った。
わたしの役割はとっくに終わったはずなのに、わたしはいつまでこの世に取り残されているのだろう。
「みんなに……会いたいなぁ」
忘れることが出来るようになったといっても、自分で覚えておこうと思ったことは鮮明な形で記憶にある。愛しい四人の笑顔や話し声、その温もりまで、思い出そうと思えばすぐそこにいるように思い描くことが出来るから。
その記憶と思い出だけで、極端な寂しさに襲われることもなくこの歳まで生きてきたけど、そろそろみんなに会いたいよ。
「この世は意外とブラック企業?」
神様が私に課した「人々を幸せにする」という使命。わたしはそれを義務感から理想に変えて生きてきたけど、この歳になってもまだその役割は継続しているということなんだろうか。
別に痴呆や寝たきりになったわけじゃないけど、一人きりになってあの家は広すぎるので手放して老人ホームに自ら入った。
もう自分の為すべきことは為したと思うんだけど、神様はこれ以上わたしに何を求めているんだろう。
「広沢さ~ん。って今日もすでに起きてらしたんですね。相変わらず身支度も完璧で、本当に八十歳を超えてるなんて信じられないくらいお綺麗ですよね」
ヘルパーのお姉さんが起床時間に声をかけてくれる。元々みんなの朝ごはんを作っていたおかげで、早起きは習慣と化しているので朝の七時ともなればとっくに起きている時間だ。
介護が必要な状態でもないので当然ながら身支度も自分で済ませ、特にすることがないこともあってそのままついていく。
「あら、広沢さん、今日も手伝ってくれるのね。助かるわぁ」
食堂で朝食の準備をしている炊事係の人のところへ行って、何かできることがあるかを確認。
特にすることもなければ洗い物を手伝ったりするのだけど、今日は別の事を頼まれた。
「以前教えてもらったこのレシピなんだけど、なんだか味が違うのよね。ちょっと味見して何が足りないか教えてもらえません?」
入所した当初から料理の手伝いをしてきた。
長年家族に好評だったわたしの料理はここでも大人気で、いろんなレシピを教えた結果、ホームの食事は全て私の味付けになってしまった。入所している皆さんも「美味しくなった」って喜んでくれているから嬉しい限りなんだけどね。
そしてこうやって味の確認を依頼されるのも日常茶飯事。
「うん、お出汁はしっかりとれてるし、あとはお塩を少しとお酢を足すだけで調整できると思いますよ」
味の調整を指示すると、言われた通りに調味料を足していく。
「あ、いつもの味になった。さすが広沢さんね。わたし達とは味覚が別格だわ」
思った通りの味に仕上がって、満足した様子。
元々感覚が鋭いわたしは味覚に関しても同様で、その上に長年培ってきたスキルも相まっているから料理に関してはけっこう自信がある。かつて四人が言ってくれた言葉を思い出す。
「ゆきちゃんの料理はその辺のレストランでも食べられないくらいです」
「外食するよりゆきの料理を食べるのが一番うめーもんな」
「五つ星」
「わたし達はもう他の味じゃ満足できないよ!」
ずっと幸せな時間を過ごしてきたけど、思い出はいつもわたし達が若かったころの声で再生される。
脳障害を乗り越え、生きる活力にあふれていろんなことに挑戦しようとしていた時期。
その頃の記憶が一番鮮明なのは学生時代と並んでわたし達が光り輝いていたからだろう。
「味付けはこれで良さそうなので、後は配膳を手伝いますね」
食堂へと集まり始めた他の入所者さんのところへ、出来上がった料理を運んでいく。
中には歯がない人もいるので、そういった人にはペースト状にした料理が別で用意されている。
「これはちょっと味が薄いかもしれないから、苦手じゃなかったら胡椒をかければ美味しくなりますよ」
人それぞれの好みに合わせて、追加でかける調味料を教えてあげると、皆一様に顔を綻ばせた。
「広沢さんが来てからご飯がとっても美味しくなりましたよ。楽しみの少ないここでの生活、食事時間が楽しいものになるのはとてもありがたいことです」
九十歳を超えたおじいさんがそう言ってわたしに感謝の言葉をくれる。それはいいんだけど、手を合わせるのはやめてくんないかなぁ。なんで人間って歳をとるとすぐ拝むようになるんだろう。
「わたしにできることはこれくらいですから」
そう言って笑顔を見せると、みんなもつられて笑顔になってくれる。やっぱりわたしはいくつになっても誰かの笑顔が大好きだ。
「これくらいなんてとんでもないですよ。広沢さんが来てからわたし達の仕事もずいぶん楽になったんですから」
わたしを起こしに来てくれたヘルパーさんが他の人に食事を運びながら声をかけてきた。
入居者の中には少し痴呆が始まっている人もいて、わたしはよくそういった人の話し相手にもなっているから、そのことを言っているのかな。
「そうですねぇ。広沢さんがここに来てくれてからずいぶんと雰囲気も変わりましたよ」
わたしよりも先にここに入っているおばあさんが会話をつなげる。
そう言われても自分が思うように動いているだけで特別な事をしているつもりはないんだけど、そういうものなんだろうか。
以前の状況を知らないだけに、わたしにはよく分からない。
「そうですよ。広沢さんのおかげでずいぶん余裕が出来たし、そのせいもあって前よりホームが明るくなりました」
食事の時間以外もわたしが手伝えそうなことはいろいろ手伝っている。主に入居者のみなさんの話し相手になったり、みんなにいろんな歌を教えたりして毎日の生活に少しでも彩りを与えようとしてるくらいだけどね。
退屈そうに見える毎日でも、少しの工夫で楽しく過ごすことはできる。わたしはそのきっかけを作ってるに過ぎないんだけど、そう言われるとまた四人の言葉を思い出す。
「わたし達四人はいつでもゆきを中心に過ごしてきたんだからな」
環境が変わっても似たようなことを言われると、自分には人を幸せな気分にさせる何かがあるのかと思ってしまう。
それはそれで精霊としての面目躍如といったところなんだけど、わたしもいつお迎えが来るか分からない身。もしいなくなってもここがまた暗い雰囲気にならないよう、みんなが自発的に生活を豊かに出来るよう何かを残しておく必要があるかも。
わたしって、終活まで人のために動くことになるんだなと少しおかしくなった。




