第38曲 精霊の正体
あれからさらに一年が過ぎた。
残業続きでもうそろそろ解放してほしいんだけど、現世というブラック企業は簡単には逃がしてくれないものらしい。
最近は昔のことを思い出しながらボーっとすることが増えてきたと思う。
時間が突然飛んでしまうような感覚。
そういえばこの感覚って以前にも体験したことがあるような。
今日も一日が終わり、やや疲れた体をベッドに横たえて物思いにふける。
「あぁ、そっか。若い頃、一度眠りについた時と同じ感覚だ」
忘れることが出来ないという全記憶障害で脳の容量が限界を迎えた時、わたしは一度倒れた。
記憶の整理に挑んでいたことと、たぶんもう一度精霊さんが手を貸してくれたことによってもう一度目を覚ますことが出来たけど、次はそういうことじゃないだろう。
今度はわたしの脳ではなく、寿命そのものが限界に来ていると思うから。
今の世の中、もっと長生きする人はたくさんいるけど、わたしは生きることに執着しているわけではない。自分が為すべきことを済ませた今、もういつ旅立ったとしても悔いはない。
ひよりとの間に男のが産まれ、他の三人との間にはそれぞれ女の子を授かった。みんなそれぞれが家庭を持ち、今では孫たちすらも成人するほどに大きくなった。
命をつなぐという生命としての役割は果たした。
歌手としても、懐メロと呼ばれるようにはなってしまったけど、今の若い子にも受け入れてもらえるような曲をたくさん残すことが出来たし、世代を超えた名曲ということでいまだにテレビなどでも流れることがある。
「いろんな人に元気を届けること、できたかな」
芸能界に復帰したことによってたくさんのファンレターが贈られるようになり、その中には『元気をもらった』『小さな幸せの大切さを思い出した』などといった嬉しい言葉をもらった。歌手としてこれ以上ないほどの賛辞だと思う。
「この老人ホームも、もう大丈夫だよね」
一年も経てばわたしが教えた料理のレシピもすっかり定着したし、いろいろ考えたレクリエーションも今では何も言わなくてもそれぞれが楽しんでくれている。わたしがいなくなっても暗い雰囲気に戻ってしまうことはないだろう。
「みんな、わたし最後まで頑張ったよ。これでいつでも胸を張って会いに行ける」
今でも変わらず愛している四人の顔を思い浮かべ、そっと目を閉じる。
「より姉、かの姉、あか姉、ひより。そろそろみんなに会いに行きたいよ。神様もそろそろ退勤許可をくれないかなぁ」
そのまま私の意識は遠ざかる。
どこかに落ちるような感覚もなく、何かが迎えに来るわけでもなく、いつもの睡眠と何ら変わりない様子でわたしの意識は途絶えていった。
* * *
* * * *
目が覚めた。
見知らぬ天井、ではなく視界に広がるのは雲一つない、どこまでも広がる空。でも普段見慣れた青空と少し違うのは、スカイブルーよりも少し薄いその空の色。
衰えたはずの視力も元に戻っている。
「そういうことか」
自分の置かれた状況に納得し、横たわっていた体をゆっくり起こす。
軽い。
かつての力が全て戻って来たかのように、身体に活力がみなぎっているのを実感する。
自分の手を見つめた。
そこにあるのは年老いてしわだらけになったものではなく、わたしが一番輝いていた二十代を思い出させる若々しい手。
体を預けていた寝台から立ち上がろうとした時、自分の背中に違和感を感じた。
「ナニコレ?」
背後を振り返るとわたしの背中についていたのは、真っ白い大きな翼。
そんなものを生やした経験はないけどちゃんと動かす方法は知っていて、意識を向けるとその翼が大きく広がった。
その翼はとても大きく、目測では優に三メートルはある。
あまりに大仰なものがついていることが可笑しくなって、思わず笑ってしまった。
「何がわたしの四人の天使様、だよ。お前こそが天使だったんじゃねーか」
不意に少し高い位置から、ずっと聞きたかった懐かしい声が聞こえた。
うん、知ってる。
ずっと待っててくれたんだよね。
「その真っ白な翼はそのままゆきちゃんの心を表しているようですね。とても似合っています」
わたしの記憶にあるものと寸分変わらぬ声が心地よく耳に響いていく。
「精霊詐欺」
その毒舌もずっと聞きたかったよ。
「さんざん自分をわたし達天使に仕える精霊だって言ってたのにね! その辺のポンコツ具合も悠樹さんらしい!」
かなりの年月が経ったのに誰一人欠けることなく、わたしという人間(?)を待ってくれていた。
声がする方に振り向くと、そこにいたのは当然、わたしがずっと求め続けた四人の姿。
懐かしさと嬉しさで胸がはちきれそうになるけれど、涙が頬を濡らすことはない。
「みんな待っててくれたんだね。知ってたけど」
だってわたしなら何十年かかっても待ってるもの。
「当然だろ」
「何百年だって待ちますよ」
「未来永劫」
「ずっと見てたしね」
ほらね。わたし達はいつだって同じ気持ちを共有してる。
大げさなんかじゃなく、本当に心が通じ合ってると知っているから。
「みんなも若い頃の姿になってるんだね」
真っ白な衣装をまとってかつての姿に戻った四人を見ていると、五人という前代未聞の人数で行った結婚式を思い出す。
出会えた嬉しさ、長年会えなかったことへの少しの寂しさ、そして今も変わらず、いやそれ以上に溢れる愛しさを全部表すかのように満面の笑顔を向けた。
「みんな、久しぶり。大好きだよ」
わたしの心に呼応するかのように、横に広げていた翼が天に向かって持ち上がった。
「ぐは!」
「久しぶりのゆきちゃんの笑顔……破壊力抜群ですね」
「神々しい」
「ただでさえ綺麗なのに天使の翼まで生えてたら無敵だよねぇ」
みんな顔を赤くして口元を押さえている。
なんだかこういうやりとりも懐かしいなあ。
愛情に溢れた、それでも静かな再会を喜び合っていると、場違いに甲高い声がそれを遮ってきた。
「いつまでそんなとこで立ち止まってるの!? 天使様のご帰還なんだから、神様もずっと待ってるよ!」
そう言えばこいつも懐かしいな。
「久しぶり、社畜の精霊さん」
「誰が社畜よ! まったく、最初に助けた時のあの可愛い人はどこにいったのかしら」
それを言うならお互い様だよ。
わたしだって最初は精霊さんがこんなに俗物だとは思ってなかったんだから。
「それより神様が待ってるから、早く来て! 他のみなさんも一緒に来るでしょう?」
四人が一様にうなずき、わたし達はふわふわ漂う精霊に連れられて白い大理石に囲まれた長い回廊を歩いて行った。
周辺の雰囲気といい、幻想的な風景なのはさすが天国。
割と長い通路を抜けると、大きくて荘厳な扉が行く手を塞いだ。だけど人力では動かすことすら難しそうなその大きな扉も、精霊が手を触れるだけで音もなくゆっくり開いていく。
中から漏れ出てくる光がけっこう眩しい。
開ききった扉から見える大広間へと足を踏み入れると、中央に設えられた祭壇が嫌でも目に入る。祭壇の上部の天井だけが丸くくりぬかれていて、雨が降ったら水浸しだなと考えていたら眩いくらいの光の玉が出現し、それは天井の穴を通ってゆっくりと下りてくる。
わたし達が見上げる程度の高さまで下がってくると、光の玉は動きを止めて、代わりに頭の中に直接語り掛けてくるような声が聞こえてきた。
『我がいとし子たる天使よ。長期間にわたるお勤め、ご苦労であった』
さすが神様。ここに来るまでの舞台装置といい、登場の仕方といい、荘厳な声も相まって演出効果は抜群だな。
コンサートでこの演出を真似したら受けそうだ。
『なにやら俗物的な事を考えておらんか?』
「いえ別に」
神様と言えど人の心を完全に読めるというわけでもなさそう。そういう点ではわたしの考えることなんてお見通しだった四人の方が上だな。
『まぁよい。それよりも此度の人生でお主は多くの徳を積んできた。その大いなる翼はその徳の表れでもある』
そう言われて背中に翼があるのを思い出した。自分の身長よりも大きな翼をつけられても大げさだと思うんだけどな。
だけど、次に続いた言葉でわたしの気分は一変してしまう。
『その徳の高さに免じて、今後は我の近くに仕えることを許す。今後は天上より人々を見守る役目へと移行するのだ』
「はぁ?」
周囲にいた四人と精霊もビックリするような野太い声が出ていた。
完全に相手を威嚇するような物言いだったのは私も理解しているが、そんなことは関係ない。
今なんつった、コノヤロー。
『ふむ。よく分からなかったか? 今後は人間界を天界から見守り、我の近くにいることを許そうというのだ』
それを聞いた瞬間、私の背中に生えていた大きな翼は音もなくシュルシュルと縮んでいき、あっという間に肩からちょっと見えるくらいの大きさになってしまった。
「悠樹さん可愛い!」
ひよりが喜んでいるけど、わたしは視線を動かさず神様を睨みつけている。
『な、なぜ自ら積み上げた徳を手放すのだ? 神の近くに仕えるというのは天使にとって名誉なことなのだぞ』
さすがの神様もこの展開は予想していなかったのか、威厳のある声に少しの焦りが混じっている。
だけどわたしにとってその提案は問題外なのだ。
「名誉とか栄光とか、わたしに必要なのはそんなものじゃない。わたしは大切な四人と未来永劫一緒に過ごすと約束したんだ。それを邪魔するなら、たとえ相手が神様であろうと仏様であろうと従うつもりはありません!」
それだけ言うとわたしは神様に背を向け、出口に向けて歩き出す。
唖然とした様子で取り残される神様と精霊。
『やれやれじゃな。仕方ない。精霊よ、これからもしっかり見守っていくのだぞ』
「えー! せっかくミッションコンプリートしたと思ったのに!」
背後で交わされるそんな会話はわたし達の耳には届いていなかった。
「おい、ゆき。けっこう不遜な態度を取っていたけど、本当にあれでよかったのか?」
より姉が心配そうな言葉をかけてくるけど、その顔に浮かぶ喜びの色は隠すことが出来ていない。
相変わらず分かりやすい人だな。
「人それぞれって言葉があるように天使もそれぞれってことだね。わたしにとって一番大切なのは神様のそばに仕えることよりも、みんなのそばにいることだよ」
わたしがそう答えると四人は喜色満面でわたしに寄り添ってきた。一度くらいあの大きな翼で四人をくるんであげておけばよかったかな。
「あ、そういえば神様に聞きたいことがあったんだけど忘れてた」
ふと思い出したことを呟くと、何のことかといった様子で覗き込んでくる四人。
わたしは真剣な表情でそれに答える。
「こんな見た目のわたしに、どうしてち〇ち〇をつけたのか」
「「「「天使が言うセリフじゃない!」」」」
――最終章 『本当の姿』 完結―




