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蒼嘉國雅芸宮奇譚 ーあやし くすしき 三日月の調べー  作者: Kirishimashiho


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唄う鴨子ー⑥

 

「なぜそう思う、鴨子」

「お二人がいらしたからですよ」


 鴨子と呼ぶなと内心反論しつつ、繊月は答えた。笛を置き、こぼれやお茶で濡れた手を拭いながら、続ける。


「名乗ってもいないわたしのことをひと夜で探し当てて、わざわざ足をお運びになったんです、わけありなのは明らかです。しかも雅芸宮の責任者がじかにいらしているんですから、そのわけというのもきっと表にできないこと。しかも雅芸宮にとって不名誉なことである可能性が高いと考えました。でもお探しなのは毒や凶器ではなく笛ですから、刃傷沙汰ではなさそうです。結果思いついたのが悪戯です」


 と、思うまますらすら答えていると、言葉半ばで士雲がすうっと目を細めた。


「……やけに頭の回る鴨子だな」

「たまに回りすぎると言われます。回りすぎですか」


 いや――と、ゆるく首を振った士雲が、静かに岳晋に目配せする。それで何らかの意思が交わされたらしい。岳晋が繊月の方に向き直る。これまでずっとおだやかであった彼の目の奥に、はじめて武官らしい堅さがにじんで見えた。


「ご推測のとおりです。雅芸宮ではこのひと月ほど、毎夜のように激しく雀が鳴くのが聞こえ、一部の宮妓が眠りを妨げられております」

「はあ……雀が、夜に」

「はい。通常、雀は日の出る間に活動するものでございます。ひと夜、ふた夜のことならたまたま朝夕の感覚を失った雀が鳴いていると考えることもできますが、ひと月も続くことを偶然と片付けるのは少々乱暴かと思われます」

「確かに、それなら悪戯だと考える方が自然ですね。笛を使えば誰にでもできますし」


 納得する一方、翡翠仙女の神通力に守護されているこの国では、真夏の晴天下でぼた雪が降る――というような、通常ありえないとされている事象が実際に起こった歴史もある。


「……念のため確認しますけど、本物の雀の仕業ではないんですよね?」

「ございません。報告を受けた直後、武官総出で宮内のすみずみまで捜索しましたが、それらしい痕跡はひとつとして発見できておりません」


 それを聞いて繊月はおやと眉をあげた。


「ひとつも見つからないなんてかえって不自然なんじゃありませんか? 雅芸宮には庭園がいくつもあるはず。一羽くらい迷いこんでいてもおかしくないと思いますけど」

「おっしゃるとおりですが、どんな野鳥も、雅芸宮に入ってはきても、住みつくまでにはいたりません。雅芸宮ではつねに大きな音が鳴っておりますゆえ」

「あ、そっか。雅芸宮では時を告げるのに太鼓でなく銅鑼を鳴らすくらいですもんね」


 それだけつねに騒々しいのだ。

 となれば、やはり野生の鳥の仕業ではない。人為的なものだ。

 もっぱら夜に啼くのなら、雀になりすます者もまた夜間に雅芸宮に留まれる者にかぎられる。


「明らかに内部犯ですよね」


 繊月は思いつくままそう言って、直後にはっと口を押さえて青くなった。組織の責任者を前にかなり繊細なことを口走ったと悟ったのだ。


(これはご機嫌を損ねるやつでは……)


 おそるおそる士雲の顔色をうかがう。

 すると、意外にも、彼からは味もそっけもない視線と、「なぜだ」という、ごく簡素な問いが返された。


「……へ?」

「なぜ内部犯だと考えたのかと聞いている」

「なぜって」

「何度も言わせるな」

「あ――はい。えっと」


 拍子抜けしながら、こほんと喉を整える。


「なぜって、雅芸宮は夜間男子禁制ですし、そもそも宮城の奥にあって、高い壁と深い濠に囲われているんですよね? 外から侵入するのは難しいに決まっていますし、真正面から訪ねるにしたって、雅芸宮御用達の商人すら出入りの都度厳しく身元を確認されると聞きます。どう考えても外部の人間には無理です。……ですよね?」


 あまりにじっと見られるので、こわごわ岳晋に確認すると、彼は少々苦い顔をしつつこれを肯定した。


「おっしゃるとおり、内部の人間にしかなしえぬことと我々も考えております。しかしそれゆえに調べの難しい問題でもございます。我々が夜警を行うわけにはいきませんし、宮妓らも消灯の時間をすぎると屋外へ出ることはまかりなりませんゆえ、現場を抑えられずにいるのです」

「そんなの、女官の方たちが見回りでもすればいいだけでは?」


 つい反論してしまった。


 雅芸宮には三種類の女性がいる。

 雅芸宮の主力である宮妓と、文官武官の指示のもと宮妓らを直接的に管理する女官。そして炊事や洗濯など、雅芸宮の生活を支える下働きの下女だ。男性らが規則に縛られ動きを制限されるのなら、女官が動く。そのための女手ではないのか。


「女官などあてになるか」


 と、そこで吐き捨てたのは士雲だった。いつの間にやらだらしなく頬杖をつき、胡乱な目をして小鳥の笛を眺めている。


「最初の被害申告を軽く見て報告を怠っていたのは女官どもだ。そのくせ今になって幽鬼だ怪異だと騒いで夜勤すら嫌がる。なにが『士雲さま怖い』だ、化粧を剥いだあやつらの顔の方がよほど怪異だろうに」

「……士雲殿。お言葉が」

「事実をありのまま口にしたまでだ」


 袖を振り、士雲は容赦なく諫言を突っぱねる。

 反省するどころかふんと鼻を鳴らす悪態のつきようだ、女官たちの振る舞いはよほど目に余ると見える。


「……雅芸宮の女官がいまいちだというのは本当なんですねえ」


 つい頬に手を当てつぶやくと、士雲が「なに」としかめ面で振り向いた。


「こんな下町にまで知れ渡っているのか?」

「知れ渡っているかは分かりませんけど、母が言っていたんです。雅芸宮の女官は宮妓あがりの方が多くて、歌舞音曲に詳しい反面、素養にはやや難がある……と」


 そもそも宮妓は楽才重視で、多少人間性に問題があっても目をつぶってもらえるのだから、そこから残る女官の質がそれなりになるのも自然なことである。


 とはいえ、女官として給金をもらっている以上、「怖い」「嫌だ」で逃げるなと繊月も思う。そこに能力や才能は必要ない。自覚と矜持で立ち向かうべきだ。それが責任というものである。

 と、脳内で講釈を垂れていると、士雲がそれまでとは様子の違う視線を向けてきた。


「――鴨子。そなた、やけに雅芸宮に明るいな」


 ぎくりとした。べつに後ろ暗いことなどないのだが、なんとなく静かに目をそらす。


「えー、母が、元宮妓でしたので。昔から雅芸宮のことを聞かされてきた……というだけです」

「ほう。元宮妓でありながら娘に雅芸宮に関わりあうなと言うのか。――わけありか?」


 士雲の眉が意地悪く上下する。昨日にべもなく背を向け立ち去ったことへの、意趣返しのようなものだろう。

 あれは繊月もよくかった。よくなかったのだが、初対面に等しい相手にまで「わけあり」の四字を口にされるのは気の沈む思いがする。


 つい黙ると、「図星か」と士雲は笑った。皮肉っぽい笑い方だ。

 沈みかけの心もすぐに負けん気を取り戻し、「そうですよ」と、自然に顎が振り上がる。


「肝心なことは何も言わずに逝ってしまったので、はっきりしたことは分かりませんけど。でも、少なくとも、母にとって雅芸宮は美しい思い出だけが残る場所ではなかったのだと思います。雅芸宮の話は、深酒した日にしかしませんでしたし」


 そして酔いが醒めると決まって「さっきの話は忘れなさい」と言い、「雅芸宮に関わってはいけません」と決まり文句で締めるのだ。勝手な人だった。


「――賢明な判断だと言っておこう。雅芸宮はときに闇が深い」


 軽く嘆息したのちなんでもないことのようにさらりと言って、士雲は笛を片手に腰を上げた。


「鴨子よ。この笛はほかでも手に入るか」

「いえ。職人がずいぶん前に亡くなっていますし、もう扱っている店はないかと。笛としても変わり種ですから需要もありませんし、うちでも在庫きりです」

「そうか。ではこの笛をひとつもらっていく。つりはいらん」


 本当に、目的のこと以外は興味が薄いようだ。士雲は懐を探り、少なくない金銭(かね)をよこした。おもちゃの笛にはあまりに過分なものだったが、そこは繊月も商売人である。口止め料もふくんでいるのだろうとすぐに理解し、両手で捧げ持つ形で受け取った。栄安の商人はそうして秘密を守ることを言外に誓うのだ。


 士雲は繊月の意思をくみ取り、深くうなずいた。


「邪魔をした。――岳晋、先に戻る」


 結局最後までにこりともせずに出ていくという愛想のなさである。繊月が見送りに出るひまもなく、流れるように馬車に乗りこんでしまう。去り際にひらりと手が振られたが、それは士雲ではなく御者の男――昨日繊月の背後を陣取っていた女顔の美男によるものだった。今日も伏兵よろしく少し離れて控えていたらしい。


「……忙しい方ですね」


 さっそく回りだす車輪の音を聞きながら、繊月はもらった銀子をやわらかく握った。かすかな残り香の中に置いていかれた武官は、あわてて後を追う様子もなく、苦笑いしている。


「申し訳ございません。責任あるお立場ゆえに余裕を失っておいでなのです」

「……責任、ですか」


 悪戯ごときで? という疑問が、ちらりと脳裏でひるがえる。

 確かに鳥の鳴き声にわずらわされては安眠できないだろうが、人の心身や財産にただちに深刻な被害を及ぼすようなことではない。


(……あやしくし、だな)


 どう考えてもおおげさだ。少なくとも、組織の長が奔走するようなことではない気がする。

 よほど被害の範囲が広いのだろうか。それとも被害を訴える声が大きいのか。あるいはほかに問題があるのかも――と、ついつい糸玉を転がすように考えはじめてしまったが、深追いはすぐにやめた。

 ことは宮城で起こったのだ、庶民にその重要度などはかれるものではないだろう。


 繊月は「岳晋さま」とその人を見上げた。


「ちなみに、この笛をどういうふうに使うご予定なんですか」

「見本として使わせていただきます。同様のものを持っていないか、みなの所持品を検める予定でおりますゆえ」

「そうですか」


 うなずき、少し考える。追加で二つ小鳥の水笛を手に取り、差し出した。


「ではこちらも合わせてお譲りしますので、現物を見せながら検査するのをお勧めします」

「現物を見せながら……ですか」


 岳晋は怪訝そうに聞き返してきた。二つの笛をまさに生きた小鳥のように手のひらに載せ、少しためらうようにそれらを見下ろす。


「ご助言はありがたく頂戴しますが、万一情報が先に洩れれば笛を隠滅される恐れがあります。この笛は素焼きゆえ、砕けば簡単に土にまぎれてしまうかと」

「おっしゃるとおりです。でも、笛を見せて回ることで幽鬼や怪異ではないと印象付けられますし、犯人が笛を壊してくれたらかえっていいんじゃありませんか?」

「なぜでしょう」

「悪戯程度なら、加害者を糾弾するよりみなさんが安眠できるようになる方が重要だと思うんです。いっそ悪戯をやめれば責任を追及しないと公言した方が解決が早いんじゃないかと」

「それはつまり、牽制によって鎮静化をはかる――ということでしょうか」


 そういうことです、と、繊月は力強く主張した。


「犯人は確実に女性で、しかも深夜に地味な悪戯をして憂さ晴らしするような人なんですから、気が強いとは思えません。捜査の手が及ぶと考えるだけで怖気づく思います」

「なるほど。そういった視点は持ち合わせておりませんでした。参考になります」


 岳晋は真剣な面持ちで、かみしめるようにうなずいた。

 素直な反応が微笑ましかった。ふつうの武官なら、一庶民の意見など戯言と鼻で笑うか、へたすれば要らぬ世話だと怒鳴り返す場面である。


(これもまた、あやしくし、だなあ)


 めずらしく前向きな響きでその言葉を思い浮かべたとき、


「繊月殿の方はよろしかったのですか」


 と、岳晋の視線が下りてきて、繊月は首を傾げた。


「はい? わたし?」

「ええ。お母上は雅芸宮に関わってはならないとおっしゃったのでしょう? 笛を売っていただくばかりか、ご助言まで……遺言を違えることになってしまいませんか」


 気づかわしげな表情に、いよいよ笑ってしまった。


「岳晋さま。人がよすぎます。お役人ってもれなく上から目線で押しつけてくるものでしょう?」

「意に添わぬことを強要するのは本意ではございません」


 真面目な顔で即答するのだからこれはもう本物である。繊月はすっかり降参した。


「お気遣いありがとうございます。でも先ほども言ったとおり、店にいらしたのならお客さまです。ご要望にはできるかぎりお応えしますよ。それに、わたしなりに計算もあります」

「計算」

「はい。小鳥の笛を見せて回って、欲しいという方がいたらうちを紹介してくださいね。在庫僅少、売り切れ必至、早い者勝ちです」


 これ見よがしに小鳥の笛を振ってみせると、岳晋は目をまるくし、そして破顔した。


「なるほど。重要なことですね」

「くれぐれもよろしくお願いします」


 すまし顔で頭を下げたあと、繊月は視界の端で動くものをとらえ、はっとした。

 向かいの飯店の戸口に洋恂が姿を現したのだ。ちょうど行き会った話好きの常連客につかまっているが、すぐにこちらに来るだろう。


「岳晋さま。申し訳ないのですが、ここでお引き取りを。洋恂が戻ってきます。悪い人ではないんですが、おしゃべりなので何も聞かせない方がいいように思います」

「そうですか。ではそのように」


 岳晋は忠告に従い、すばやく店の外に向かった。軒下にさしかかったところで一度振り返り、「ご協力、まこと感謝申しあげます」と丁寧に礼を言う。こちらは最後まで腰の低い人だった。


「――あれ? 武官の旦那は? 帰ったのかよ」


 入れ替わりに戻ってきた洋恂に、繊月は苦笑交じりに「ごめん」と手を合わせた。


「忙しかったみたい。お茶もお菓子もわたしがいただくよ。ありがとう」

「なんだよ。結局何の用だったんだよ」

「やっぱり雀の笛を買っていったよ――」


 その後の話をどう続けようかと考えながら、繊月は岳晋が去った道の向こうを見やる。

 そうして、彼の後を追えばやがて雅芸宮に着くのだな――ということを、妙に静かな気持ちで考えた。


 母が長年暮らした雅芸宮。

 そして宮下がりののち関わるなと言い続けた雅芸宮。

 言いつけどおり関わりを持たずにいたけれど、気持ちは逆に、ずっとそこに縛られているような気もする。


(母さんが謎を残すからだよ)


 なぜ関わってはいけないのか。どういうわけがあったのか。

 言わずに死んだからいけないのだ。言わずに死んだから――あれこれ複雑にものを考えるくせがついた。ときに「回りすぎ」と言われるほどに。


「感じのよさそうな男だったな」


 あらためて茶を注ぎながら洋恂が言い、繊月は席に着きながら「うん」とうなずいた。


「あと強そうだった」

「そうだね」

「でもまあ、もう会うことはなかろうよ」


(それはどうだろう)


 答える代わりに、繊月はやわらかな湯気をあげる器に口唇をよせた。


 彼らと二度目会うかどうか――すべては夜鳴き雀の心次第である。


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