唄う鴨子ー⑤
さて本日も美男の見本市開催か――と思いきや、岳晋が呼びこんだのはひとりだけだった。
顔を見る前に香りでその存在を主張してくる、いかにも育ちのよさそうな細面の美男。
昨日はひと目で高価と分かる濃緑の衣服をまとっていたその人は、今日は袖の広い文官用の官服をきっちりと着こんでいた。
その衣の色は漆黒――最上色だ。
武官の墨色と並べればその色の濃淡の差は明白で、腹部に金糸で緻密な刺繍が施されているのでより黒が深く見える。
その刺繍は、指折りの官位の持ち主だという証だ。
偉そうなりに偉かったというわけである。
納得しながら、堂々とした足運びで軒をくぐってくるその人を、繊月は最敬礼で迎えた。
向こうからのあいさつはない。相変わらずの愛想なしだ。目が合ってもにこりともせず、繊月の真正面に立つなりうすい口唇を開き、こう言う。
「一日ぶりだな、鴨子」
「は――はい?」
受け止めそこねて声が裏返った。いま鴨子と言ったか。耳を疑う間に、彼は下目になって繊月を見下ろし、とがった喉の内側でくっと笑う。
「鴨子の鳴き声をあやつるのだ、鴨子だろう。よく見ればその口も鴨子のようだな」
繊月は波が引くように半眼になった。
確かに繊月の口唇はつんとつきあがったような形をしているが――鴨子とはあまりに失礼ではないか。
「……士雲殿。お言葉がすぎます」
「事実を申したまでだ」
岳晋の控えめな諫言も軽く流し、士雲と呼ばれた男は昂然と続けた。
「雅芸宮総首官の宇士雲だ。昨日はずいぶん世話になったな」
いやみか――と、内心抗議のこぶしをあげながらも、繊月はぐっと頭を下げ、「その節はたいへん失礼いたしました……」と大人の対応をした。いや、せざるを得なかった。
相手が思った以上に大物だったためだ。
宇家といえば繊月のような庶民にすらも認知されている国内屈指の名家である。
しかも総首官といえば官吏の世界ではひとつの組織の長をさす。
なるほど漆黒の官服も納得の高位だが、繊月とさして歳の差もないような若さで雅芸宮を統括しているとなれば、後ろ盾があるばかりでなく、彼自身も相応の才覚を備えているということだ。対立は避けるべきだった。
(できれば接触すら避けたいけど……)
願いもむなしく、士雲は広い袖を左右とも腰の後ろに回し、紅葉狩りの風情でゆるりと店内を見回すのである。
「ふむ……かわった楽器が多いな。名も使い方も分からないものがいくつもある」
さすが雅芸宮の総首官。早々にこの店の品揃えの妙を見抜いたらしい。
繊月はそこで少しばかり態度を切り替え、「はい」と殊勝にうなずいた。
「道楽ではじめたような店ですから、一般的に使われるものが少ないんです」
「なるほど。して、その道楽者の店主はどこにいる?」
こちらに――と胸に手を当てると、たちまち士雲の眉が波打つようにゆがんだ。
「そなたが店主だと?」
「はい。もとは父がはじめた商いですが、故人になりましたので、今はわたしが」
「娘ひとりで? それで商いが成り立つのか」
ほんと失礼な人だな――と、先ほどまで閑古鳥が鳴きっぱなしであったことは棚にあげ、繊月は怒りを通りこしてあきれた。しかしいちおう商売人だからして、得意の顔芸で隠してみせ、
「品の管理は父の代よりも行き届いているつもりですので、ご安心ください。すぐにご所望の品をお出しします。お掛けになってお待ちください」
「せわしないな。客の注文を聞きもしないのか」
「うかがうまでもありません。――こちらを、どうぞ」
あえてすました顔をして、棚から桐の小箱を出してきて、卓上に置いた。
「雀の鳴き声を発する笛です。こちらをお探しなんですよね?」
それ見ろとばかりに、袖を押さえながらふたを開けてやる。
昨日の今日のだ、さすがに予想はついたし、その読みははずれていなかったようだ。二人の男は静かに目を見交わしたのち、餌につられた魚のようにそろって中をのぞきこんだのだ。
「……これが笛か?」
「人形のようですね」
「これでも笛なんです。かわいらしいので、子どものおもちゃにもなります」
説明しながら繊月が手のひらに乗せたのは、小鳥の形をした素焼きの笛である。
ふっくらとした腹の内側が空洞になっており、小鳥の背にあたる上部に空気を通す小さな穴が、そして尾羽の先には筒状の吹き口がつけてある。子どもの手で包みこむと頭だけが飛び出て見えて、なお愛らしく見えるという設計だ。
「こんなもので雀の鳴き真似ができるのか」
「ふつうに吹くだけならただの笛ですよ」
言って返し、繊月は見本として確保している同じ形の笛をとりだした。
口をすぼめて尾羽の先をくわえ、ふうと息を吸いこむ。
ピイと高い音が鳴った。少しかすれるのは技量の問題ではなくこの笛の仕様で、音の高さも変わらず一本調子だ。これだけなら、それこそおもちゃ程度の笛である。
「ふむ。ただの笛だな。それをどうふつうでなく吹くのだ」
「こうします」
言いながら、繊月は先ほど端によせておいたお茶の器を手に取った。飲み残していた淡色の茶をゆらりと揺らし、器のへりを小鳥の背に添わせるようにそっと傾ける。
とたんに二人の男はぎょっとした。
「何をしている。笛に茶をかけるなど」
「かけるのではなく、そそぐんです。一般的には水を入れるものですけど、まあ、液体ならだいたいいけますので」
雑に説明しながら小鳥の背中に空いた穴に慎重に茶をそそぎ、笛を持ち上げ中で液体が揺れるのを確かめる。士雲はもちろんのこと、かたわらの岳晋もまた奇妙なものを見るような顔をしているが、おかまいなしにふたたび笛の吹き口に口唇をよせた。
ふうと、同じように息を吹きこむ。
ピヨロピヨロと軽やかな音が鳴った。
先ほどまでとは明らかに違う音色に、岳晋がまず顔色を明るくする。
「鳥の鳴き声ですね」
「はい。これは水笛といって、水を入れることで空気が震えて音が変わるものです。かわいい音がするうえに好奇心を刺激するので、お子さんにお勧めなんです」
「確かに。姪がよろこびそうです」
岳晋の目元がやわらいだ。なるほど身内に子どもがいるから迷子にも親身だったのだ。
一方、士雲はつんとした顔のまま、「雀とはほど遠い」とけちをつけてくる。その反応の差にげんなりしながら、しかし想定内ではあったので、繊月はこれも笑みの下に押し隠して続けた。
「吹き方ひとつで風情が変わるんですよ。強く吹いたり、切れ切れに吹いたり」
繊月も特定の鳥に似せて吹いたことはないのである。息の吹きこみ方や量、長さをさまざまに変えて試してみる。ピイピイ、ヒョロヒョロ、チュッチュ。
「今のはまさしく雀です」
岳晋の肩にぐっと力が入った。繊月も幾度か同じように鳴らしてみて、確信する。
「強めに細かく息を吹きこむと雀に似るようですね。――いかがですか、士雲さま」
「……確かに雀だった」
渋面ながら認めた士雲は、卓上の笛を手に取り、さながら小さな文字を読むような格好で、上から下から、眺めまわした。
思いのほか繊細な手つきである。
そして、真剣。その目の鋭さと小鳥のかわいらしい表情との落差があまりに激しく、いっそ珍妙なくらいである。
しかしとにかくこの偉そうな男を納得させたことで繊月もほどよく満足した。いったん彼から目をはずし、今度は岳晋の方を振り仰ぐ。
「雅芸宮で雀が登場する演劇でも行われるんですか?」
「いえ、そうではないのですが……」
「ではたちの悪い悪戯でも起こっているんでしょうか」
かまをかけると、二人の男をとりまく空気が一変した。岳晋はわずかに顎を引き、士雲は元から鋭い目の端をいっそう鋭くさせたのである。




