唄う鴨子ー④
「いやー、おまえらしいな」
ばか笑いの声が晴天を駆けあがった。
都・栄安の市街南西部――翼三区と呼ばれる街区の、小さな店の軒先である。繊月は円卓について愛用の横笛を磨きながら、その無遠慮な笑い声を正面から浴びている。
「……洋恂。声大きいよ」
「いやだって、うけるもん」
「何も面白くない」
「面白すぎだろ。笛を吹き矢と間違われたと思ったら考えすぎだった……って、なんだよそれ! おまえらしすぎ」
「そこ本題じゃないから」
抗議するも、なおげらげらと笑いやまないその人。繊月の幼馴染で名を楊洋恂といった。
その身はさながら竹のようにひょろりと長く、その顔はねずみのように小作りだが、笑うときには全身、満面を使っての呵呵大笑がつねで、こと繊月をからかうときにはその傾向が強い。
今日はからりとした秋晴れで、その笑い声がさらに響いているように思う。へたをしたら軒をすぎて通りの方まで聞こえていそうで、さすがの繊月も強気の姿勢を捨てて下手に願い出るしかなくなった。
「洋恂、せめてもう少し声を控えて。お客が逃げる」
「なに言ってんだよ、そもそも逃げるほど客は来ないだろ」
「失礼な」
「でも間違ってない」
きっぱりと言われ、繊月はついに反論をあきらめた。
事実、今日は朝からひとりの客も来ていない。そしてそれはこの店ではよくあることだった。
ここは『尹楽舗』――繊月の亡父が開いた楽器を扱う店である。
その存在を知らなければ容易に見落とされるつつましい佇まいで、商品が並んだ棚と商談用にそろえた椅子と円卓で空間のほとんどが埋まるような狭小ぶり。
この国この時代に、楽器の素材は主に竹、木、金、石、土、革、生糸、匏の八種があるが、店はそれらを組み合わせてできる多種多様な「吹くもの」、「弾くもの」、「擦るもの」、「打つもの」で棚は埋め尽くされている。異国由来のものも多いので、大衆向けというよりは好事家向け。店に閑古鳥が鳴きがちなのもそのためだ。
「頭の回転が速いのはいいんだけどなー。たまに回転しすぎるんだよ、繊月は。吹き矢ってなんだよ、吹き矢って」
洋恂はなおも笑いながら白磁の茶器を傾けた。
彼は道向かいにある飯店の息子で、店の跡継ぎにして一人前の料理人だ。いつも店が繁忙する時間をすぎたらここにさぼりに――いや、休みにくる。今はちょうど仕込みを終えるくらいの時間なのだった。きっとお茶を飲みきるまでは帰らないだろう。
「相手が武官だったから一瞬あせったの」
言い訳して、繊月は器を手にとり、淡色の茶にふうと強く息を吹きかけた。
あれは結果的に繊月の勘違いだったわけだが、穴も開いていない竹切れを縦にして口に当てていたら、吹き矢か火吹き棒にしか見えない。まして笛らしい音などしない笛なのだから、怪しまれて当然だった。相手が気の短い武官だったら問答無用で制圧されていたかもしれない。運がよかったのだ――と、繊月は信じている。
「なんにしても、お武官さまだけでもいい人でよかったよ」
「あ? 相手、ひとりじゃなかったのか?」
「三人組だった。お武官さまと、いけ好かないお坊ちゃんと、胸焼けしそうな美形。お武官さまはともかく、坊ちゃんはやたら偉そうだし、美形の人はめんどくさそうで、げんなりした。せっかくきれいな筋肉に出会ったのに、台無しだよ」
「出た、筋肉至上主義」
「そこ大事なとこですよ、洋恂さん」
ぴしりと人差し指を立てる。
「筋肉は人が己の身で生み出す芸術品なのです。日々の積み重ねが至高の美を生む、これ歌舞音曲と同じ。洋恂だって毎日鉄鍋振ってるから腕だけは筋肉ついてるでしょ」
「腕以外はひょろいって言いたいんだろ」
「そこまでは言ってない」
すまし顔でこくりとお茶を飲みながら、繊月はあらためて去りし日の感動にひたった。
瞼を下ろせばありありと思い出される、あの腕、あの肩、あの胸に、あの脚。
まさに鍛えあげられた武人そのものだった。
面容は柔和にして語り口はおだやか、くわえて迷子のために躊躇なく膝をつくような度量の広さだったが、いざ太刀や矛をかまえたらさぞ迫力があろう。
彼が城門警備あたりだったら毎日散歩がてら眺めに行きたいくらいである。
「でも雅芸宮……」
「雅芸宮?」
聞き返されて、繊月ははっとした。たちまち洋恂のいかめしい顔が鼻先に迫ってくる。
「その武官、雅芸宮のやつなのか? 何やってんだよ。雅芸宮には関わるなって、おばさんに口酸っぱく言われてたろ」
「か、関わってないよ。すぐに別れた。逃げるみたいでちょっと申し訳なかったけど」
左右の手のひらを開いてすばやく弁解すると、洋恂は突き出した口唇で「ならいいけど……」とつぶやき、腰を下ろした。
(こだわるなあ)
ほっとしつつ、耳の房飾りをさわりながら軒向こうの彼方へと遠い目をする。
雅芸宮は、音曲至上のこの国のありようがまざまざとあらわれた場所だ。
場所は蒼嘉国の心臓たる都・栄安の宮城内――その中でも帝のお住まいとお濠ひとつ挟んだところにあり、古い時代には後宮と呼ばれ、あまたの美女が寵を競っていたという歴史を持つ。
が、未曽有の大飢饉に見舞われた折にこれが廃され、国の守護者たる翡翠仙女に珠玉の調べを捧げるべく、芸事に秀でた未婚の女性――宮妓を集め、日々歌い、踊り、奏楽する組織へと再編された。
その規模は街ひとつ分。その権威は軍にも劣らない。女が栄華を求めんとするなら雅芸宮へ行け――と言われるくらい、力を持つところでもある。
その雅芸宮に、母・呂曉君は『決してかかわってはならない』と言いきかせてきた。
一般の常識に照らすとおかしな話である。
才ある娘は尊卑を問わず召し上げられるのが雅芸宮で、宮入りすれば寝食に困らないし給金も出る。庶民にはとうてい手の届かない美しい衣装をまとうこともできるし、位が上がれば高官や武将並みの富と名誉が得られる。そこまでに至らなくとも、宮内に勤める有能な文官・武官に見初められ、幸福をつかんだ例は百や二百では数えきれない。
つまり雅芸宮は女の一生を劇的に変える可能性を秘めているのだ。
女児が生まれた家では歌舞音曲のなんらかの稽古をつけられ、一度となくまばゆい夢を見るもの。
しかし、繊月は竹の横笛を一本与えられたものの、たしなみ程度の教育を施されるだけで、大望を抱くことはむしろ咎められた。
母は元宮妓なのに。父は楽器の商いをしていたのに。
(はてさて、どんな『わけ』があるんだろうね?)
答えはもう、知りようもない。
「――で? その武官はなんで繊月に声をかけたんだ?」
洋恂がすっかり元の調子に戻って言い、繊月は「ああ」と明るく手を打った。
「なんか雀の鳴き声のする笛を探してたみたい。わたしが鴨子の笛を吹いていたから、何か知っていると思ったんじゃない?」
「あー、そういうこと。雀が出る歌劇でもやるのか?」
「たぶんね。ほかに使い道が浮かばないもん。疑似笛なんて」
そこらに置きっぱなしになっていた鴨子の笛を手に取り、繊月は自信を持って断言した。
疑似笛――動物の啼き声に似た笛は、子どもの遊び道具になるほか、芝居の中で擬音を発するのに使用するものだ。鴨子の笛もそう。昨日繊月がそれを持っていたのも、まさに大衆劇団に裏方として参加していたからだ。店の売り上げが思わしくないので、そうして日銭を稼がねば暮らしが立ち行かないのである。
(でも正直、武官が笛を探して回るっていうのがよく分かんないんだよね……)
頬杖つきながら鴨子の笛をぼんやりと眺める。
この国では歌舞音曲は女の領域だ。
理由はひとつ。
翡翠仙女が大の男好きだから。
人よりもよほど人らしい翡翠仙女は、歌舞音曲に興じる男がいれば闇に乗じて天尖山に連れ帰ってしまうという。実際、酒に酔って鼻歌まじりに夜道を歩いていた男が履物だけ残して行方知れずになる――という話は古今東西ひとつ二つどころでなく伝えられているから、まともな親は生まれた子が男児なら極力歌舞音曲から遠ざけようとする。怪我や病を避ける努力をするのと同じように。
そういうわけで、たとえ雅芸宮の関係者でも、楽器を探して回る必要があるなら女手を使うのが筋だろうと繊月は考えるのである。あえてそうしないのなら何かしらのわけがあるのでは――と、想像の裾は広がる一方で、昨夜は睡魔も遠ざかるほどだった。
(あの坊っちゃんだって、どう考えても只者じゃないしねえ……)
と、その人のやたら偉そうな態度を思い出してげんなりしたとき、洋恂が「お?」という顔をして腰を浮かした。
「繊月、客じゃないか?」
「え?」
繊月はつられて顔をあげ、そのまままっすぐに立ち上がった。
飛び上がったともいえる。
繊月の視線に気づいて軒下で拱手したのが、まさに、昨日の武官だったからだ。
(いやー、やっぱり美しい肉体だなあー……)
と、大口開けて熱いため息をついたのは、しかしほんのいっときだった。
気がついたのだ。その惚れ惚れするような肉体を包む官服の色。墨色だ。
蒼嘉国では文官にしろ武官にしろ仕事着として黒をまとうものだが、その色が濃いほど位が高いというのはよく知られている。
(しまった……そこそこ偉い人だった)
察してさすがに青くなる。
若いと思って侮っていた。
繊月はひくつく頬の前に袖を掲げ、しかしこうなっては逃げも隠れもできず、腹をくくってしずしずと彼を出迎えに行く。
「い、いらっしゃいませ。先日は、その、失礼しました」
「とんでもない。こちらこそ、突然お訪ねして申し訳ございません」
武官はにこりと笑みを見せた。
「……ほんとにおやさしいんですね」
「そんなことは」
おだやかな返しに拍子抜けする。
彼の寛大な人となりは昨日時点でおおよそ分かっていたが、さすがに苦言のひとつ二つはあってもいい状況だ。こうあっさりと、しかも笑みまで浮かべて許されてしまうと逆に罪悪感が刺激される。
もぞもぞと耳飾りをさわっていると、あとをついてきた洋恂が「知り合いか?」と、武官と繊月とを順に眺めた。
だいたい服装で素性も事情も読めそうなものだが、このあたりで見かける武官は多くが薄墨色――黒と言うより灰色に近い官服をまとっているので、ぴんとこないのだろう。
「さっき話した昨日のお武官さまだよ」
「おお、雀のお武官か」
「略しすぎじゃない?」
とても弱そうで失礼である。
「お客さまのようですね。出直しましょうか」
武官は鷹揚にそう申し出た。こちらは察しよく、洋恂がこの店の者ではないと見抜いたようだ。彼の髪や衣服に染みついた油の匂いに気がついたのだろう。
繊月は「いえ」と首を振って彼の厚意を断り、洋恂の袖を引いた。
「洋恂。出前をお願い。お武官さまにおいしいお茶と、甘いお菓子をごちそうしたい」
「ああ、いいけど。ひとりで大丈夫か?」
「大丈夫。子どもじゃないんだから。ほら、お願いね」
と、動きの鈍い洋恂を追い立てるように送り出し、繊月は肩でひと息ついた。くるりと身体の向きを変えると、待っていたかのように武官が深々と頭を下げてくる。
「昨日はごあいさつも不十分なまま失礼いたしました。白岳晋と申します」
「ご丁寧にありがとうございます。繊月です。よくここがお分かりになりましたね」
「半国寺の庭で鴨子が見事な歌を唄う歌劇があるとお聞きしましたゆえ、その筋から」
「――そうですか」
つまり足跡をたどられたのだな、と理解してひやりとした。
重罪人を追うのと同じ要領だ。
歌劇の関係者に聞き込みなどされたのなら、あれこれ好き勝手噂されそうで怖い。後の祭りだが。
「……あの。昨日のことは、寝て起きたら忘れるような出来事だと思っていたんですが、そんなに重要なお話だったんでしょうか。今日もお連れさまがおられるようですけど」
軽くため息をつき、開き直りというよりは諦めに近い気持ちで、軒先に目をやった。
このあたりではまず見かけない、豪奢な馬車があることにすでに気がついている。
岳晋は、「いかにも」と深くうなずいた。
「どうしてもお目にかかりたいと仰せでして。こちらにご案内しても?」
断ったらおとなしく帰るのだろうか。一瞬そんな意地の悪いことを考えて、しかしこの気のいい武官を困らせるのも忍びないように思えて、繊月は手のひらを天に向けて促した。
「店にお越しになったからにはお客さまです。お断りする理由はありません。どうぞ」
もちろん、その台詞の半分は虚勢である。




