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蒼嘉國雅芸宮奇譚 ーあやし くすしき 三日月の調べー  作者: Kirishimashiho


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唄う鴨子ー②

 

 子どもの泣き声だ。


 周りは花嫁行列に夢中で気づく様子もないが、繊月は生来耳がいい。それでいてそれなりに善良で、それなりに好奇心旺盛だった。

 さて何事だろうと想像しながら、人波に逆らうように暗い路地へ入る。


 とたんに三つ四つと思しき男児がうずくまっているところに遭遇した。そばに親らしき大人の姿は見えず、ひとりきりである。


「どうしたの、坊や。お母さんは?」


 たったった、と拍子よく歩み寄り、膝に手をつき声をかけると、男児は驚いたように顔をはねあげ繊月を見た。頬の肉がもりあがった、いかにも元気のよさそうな顔つきだ。

 力いっぱい泣いていたのだろう、耳まで真っ赤にしていて、ずずっと勢いよく洟をすすったかと思うと、「かあちゃんとねえちゃん、はなよめさん、みにいった」と、強がりの口調で訴える。


 なるほど置いて行かれたのだな、と繊月は苦笑いの下で理解した。


 この国では歌舞音曲は女のものと決まっている。

 唄うのも踊るのも、管絃を鳴らすのも女の役目。まかり間違っても男がしてはならない。

 が、あの賑わいの前で子どもがじっとしていられるわけもないから、ここで待つよう言いつけられたのだろう。


 やれやれ――と思いながら、繊月は裙の膝裏を折って男児の前でしゃがみこんだ。


「じゃあお母さんたちが戻ってくるまで面白いものを見せてあげるよ」


 言いながら、襟の合わせ目から小ぶりの笛をとり出す。

 ちょうど筆の柄くらいの大きさの、こちらは縦笛だ。右手で握って吹き矢の要領で口唇(くちびる)に当て、大きく息を吹き込むと――ガア――ひどく濁った音がする。


 たちまち子どもがびくっと肩を跳ねあげて、まんまるの目で笛を見た。


「あひる」


「そう、鴨子(あひる)だよ。しかもただの鴨子じゃないよ。唄っちゃう鴨子だよ」


 言って、繊月はそのガアガアとやかましい鴨子の鳴き声で情感たっぷりに曲を奏した。


 子守唄である。


 本来は母親のやさしい声や、横笛の澄んだ音で紡ぐべき旋律だが、鴨子の歌というのも愉快で、これはこれでよい――と、悦に入っていると、急に子どもがずりずりと尻で後退しはじめた。顔が引きつっている。


 おや、と思ったときにはその目にふたたび涙がもりあがり、


「あひる、こわい。ガアガア、こわい」


 泣き出したから、繊月はあわてた。


「ご、ごめん、坊や。怖がらせるつもりはなかったんだよ! ほんとだよ!」


 たちまち汗が噴き出して、袖で涙を拭いやっては必死になって言い訳する。

 道行く人が次々と冷たい視線を浴びせてくるからよけいに焦るというものだ。はた目に見れば繊月が子どもを泣かせたようにしか見えないのである。


(違いますよー、違いますからねー)


 焦りに焦ってあやしているうち、背後からぬっと巨大な影が降りかかってきた。

 振り返ると、身の丈六尺はありそうな大柄な男が真上から見下ろしているから、思わずぱかりと口が開く。


(でっか……)


 年の頃は繊月より五つ六つ上か。体格のわりに小さな顔の、目元の涼やかな人だった。

 一瞬迷子の父親かと推測したが、どうも違う。男児はびっくりして泣きやんだものの、男に手を伸ばすどころか繊月の着物をぎゅっとつかんできたのである。


「少しよろしいですか」


 男は繊月に目を留め、言った。

 大きな身体の内側によく響くような低音だった。丁寧な口調だが、声色はかたく、明らかに警戒の色がある。


「え、えーと。少し……というと?」

「少々お話をうかがいたく思います。お時間いただけますか」


 男は律儀に言いなおす。


 が、だからと言ってほんのわずかも気は休まらなかった。

 繊月の視界をおおうようなその身は、縦に大きいばかりでなく幅もあり、いかにも筋肉質で、肩も胸も厚い。平素なら繊月も「これは見事な肉体美」と感激に打ち震えただろうが、それどころではなかった。


 察したのだ。


(この人武官だ。どう見ても武官だ)


 官服ではないし太刀も佩いていないが、その立派な体格やしつらえのいい衣服、寸分の隙もない佇まいでひっくるめて、一般人と考えるのには無理がある。

 きっと子どもの泣き声を聞きつけ飛んできたのだろう。彼の顔には見逃せぬ何かを目にしたような切迫したものが浮かんでいる。


(やっぱり寄り道するなってことだったなあ……)


 前髪を握り潰しながら、繊月はそろりと立ち上がった。


 そうして怖気づいた猫よろしく顎を引き、ひと呼吸。姿勢を正し、立てた手のひらをすっと前に押し出す。


「違います」


 は……と、武官がまるく口を開けた。

 すかさず「違うんです」と言い重ね、今度は鴨子の笛を前へと押し出す。


「これは吹き矢ではありません」

「――吹き矢?」

「違います。こう見えてれっきとした笛なんです。決してこの子に危害をくわえようとしたわけではありません。ご覧ください」


 と、繊月はふたたび笛を口にやり、やにわに大きく息を吸った。


 ガアガアガア――例によって鴨子の鳴き声がすれば、きりりと力のこもっていた武官の眉目も糸を切られたようにふっとゆるみ、口元からやわらかくまるい息が漏れ出でる。


「……鴨子の鳴き声、ですね……」

「そういう笛なんです。おもちゃのような笛なので、この子の気もまぎれると思って。母親とはぐれたようなんです、この子」

「迷子でしたか」


 それと聞くや、武官はごく自然に片膝をついて男児と目線を合わせた。そればかりか、


「心細くて泣いていたのか。さあ、肩に乗るといい。母君も見つけやすかろう」


 と、男児をひょいと抱きあげ、肩車をするから繊月は仰天する。


 武官がこんな街なかで膝を汚すなど通常ありえないことなのだ。ましてどこの誰とも分からない子どものためにそうするなんて。


 しかし武官は少しも気にする様子はない。

 たちまち機嫌を直した男児が太鼓のように頭のてっぺんを叩いても、それで髪が乱れても、咎めるどころか笑って好きにさせている。

 子ども好きなのか、人格者なのか、どちらにしてもよほどのものだ。


(……へんな人)


 一周回ってそんな印象すら抱いたとき、武官の視線が繊月の方へと降りてきた。誤解がとけたためか、先ほどよりもいくらかおだやかな面持ちである。


「この子はずっとこちらに?」

「あ……どうでしょう。わたしもついさっき遭遇したばかりで。でも母親は花嫁行列を見ているようなので、近くにいると思います」

「そうですか。ではこのまま近くを巡り歩いてみましょう」


 と、武官が男児の脚を抑えながら動きはじめるのを、繊月は身を乗り出して止めた。


「待ってください。わたしに考えがあります」

「考え?」

「はい。そのまま少しだけその子を担いでいてくださいますか? 母親を呼び戻します」


 言いながら、繊月はもう身をひるがえしていた。

 裾を軽くたくし上げ、道端に積んであった木箱にひょいと飛び乗る。


 その拍子にぱさりと頬を打った房の耳飾りを払いながら、人の集まる大路の方へと目をすがめる。

 いよいよ花嫁の輿が近づいてきたのか周辺はいっそう活気づき、すっかり黒山の人だかりができあがっている。

 これでは少々叫んだくらいでは誰の耳に入らないだろう。


 となればこれしかない。


 繊月は鴨子の笛を口に当て、蒼天目がけて思いきり息を吹きこんだ。


 ガアガア、ガアガア、ガアガアガアガアガア――


 祝いの音が飛び交う往来に、場違いな鴨子の声が響き渡る。


 その音量たるや、通り二本先まで届きそうで、道行く人も飛び上がったり、立ち止まったり。ときに眉をひそめる顔も混じって見えたが、振り返る数々の顔の中に「あっ」と言わんばかりの表情があると、繊月はすぐさま笛を口から放し、大きく手を振るのである。


「お母さんですか? 坊やが待ってますよ!」

 

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